| ○○今シーズンについて◯◯10/2
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今シーズンのセリーグはは阪神タイガースの優勝で終わった。
一中日ファンとしては中日がなぜ優勝できなかったかを考える。
優勝できなかったのではなく、できたはずの優勝を遠回りしたために
一歩及ばなかったと考えるのが適当と思う。
去年の優勝と言うのは大型補強を全くせずに優勝したので
山田久志前監督のチームカラーの踏襲という色が強かった。
山田監督が理想に描いたチーム構成で落合監督が
理想的な采配をして優勝した。
今年、落合監督は山田監督が描いたチーム像を一度壊すことに
した。山田監督の理想に描いた野球は「堅い守備と投手力」
の野球だった。落合は投手力は重視しているが、優勝した
ときのような守備一辺倒をやめ、打力を重視し始めた。
山田監督が築いた投手王国の一角を崩し、野手を補強した。
また、やむをえない点もあったが、渡辺、英智と
言うゴールデングラブ賞受賞者を控えに回し、
打力に定評のある選手をスタメンにした。このように
落合監督が理想に描く野球に近づけた。その結果
若干の不協和音が生じ、二位となったのだと思う。
去年の優勝は、練習こそ俺流だったが、チーム構成は
山田流だった。今年、真の俺流に進化する準備をした。
だから2位に終わったのだと結論する。準備段階で
ここまで健闘できれば上出来と言えるだろう。
ここで疑問に思うのは1年目からなぜ全てを俺流に向けて
進化させようとしなかったか。監督に就任したら誰でも
すぐさま自分の思い通りのチームにしたいと思うが、
それをしなかった理由とは何か。
それは山田監督解任劇から生じた監督と言う地位に対する
危機感にある。中日のフロントは、1年目にチームをAクラスに
引き上げたのにもかかわらず、就任2年で山田監督を解任した。
解任した理由がシーズンの途中に4位に転落したからだった。
落合も、昨シーズンから俺流の大鉈を振るっていたら
まず優勝はなかったから、今シーズンすでに落合の首が
ないと言う事態もあったわけだ。そうであれば山田の理想
に基づいて采配し、一度結果を残すしかなかったのだろう。
最悪でも、落合福嗣プロ入り会見を開くまでは監督の座を
降りられない。そのための今年の2位だったとも言える。 |
| ○○今シーズンについて◯◯10/2
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金村義明の在日魂 を読んだ。非常に読みやすかった。
金村は野球解説者としてはきわめて異質な人間だと言うのが
よくわかる本だ。在日韓国人だということがその異質さのひとつだ。
だが、そうであっても野球選手として活躍したならば、
野球の話をするだろう。
金村は、この著書の中では、野球の話をほとんどしていないのだ。
金村の著書 は、リンク先のとおり現在まで3冊出ている。
この3冊のなかで、初めて著した書がこの「在日魂」だ。
元中日つながりと言うことで例を挙げると、大豊泰昭は、
「大豊 王貞治に憧れて日本にやってきた裸足の台湾野球少年」
という著書を出している。彼はこの一冊のみ著しているが、
この内容は自らの野球人生について書いてある。
試合以外でのエピソードに事欠かない長嶋茂雄でも、初出
の著書は自らの野球人生を中心に書いている。にもかかわらず、
金村は、「在日魂」の中で野球の試合中の話と言うのは
ほとんどしていない。事細かに書いているのは引退試合のみだ。
練習の話を入れてもページの半分に満たない。
では野球のほかに何を書いているのかというと、酒を飲んだ話、
女、ヤクザ、ケンカ関連のヤンチャをした話、家族の話である。
なぜ、このような話の構成になるのか。彼が熱心な儒者だからでは
ないかと私は思う。というのは話の構成は三国志演義に
似ているためだ。
三国演義は蜀漢を起した劉備元徳を主人公にした物語だ。
劉備にとって最大の敵である曹操は、儒教の祖である孔子
の、一族直系の子孫である孔融を処刑している。いわば
儒教の敵である。敵の敵は味方と言う事で、劉備は
儒教の味方として描かれている。
また、三国演義を書かれたとされる明代には朱子学
陽明学などの新しい儒教の学派が確立されるほど
儒教が盛んに学ばれていた。その影響から三国演義は
儒教的な部分が多い。その構成に似ている「在日魂」
にも儒教的な印象を受ける。
三国演義は、劉備を主人公としているのに、目立った
活躍を全くしない。実際に刀を振るって戦うのは関羽や
張飛といった義弟や武将たちで、また策略、政略で
武将の見せ場を演出するのは諸葛亮などの軍師だ。
これと同じように、「在日魂」は元プロ野球選手の
金村の回顧録なのに、野球での目立った活躍が全くない。
実際の活躍の場はヤンチャ、飲酒で、それを理解し
支えているのが家族だ。
劉備としても金村の野球選手としての活躍としても
全く活躍をしていないと言うわけではない。それなのに
あえて全く何も活躍していないように描かれているので
かえってそれがインパクトのある展開を呼び起こしている
のではないかと思った。
このような手法を一プロスポーツ選手が自らの、初出の回顧録
で使う事が金村の野球人としての異質さを物語っている。
儒教的思想が染み付いているからこそ、このような回顧録が
天才的に書けるのだろう。在日とはそういう意味では
恵まれている境遇なのかもしれない。
労せずしてひとつの思考体系を体得できるのだから。 |
| ○○栄枯盛衰について◯◯10/15
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本サイトの開設の目標のひとつとして挙げられるのは
ネット上において、笑点大喜利的雰囲気を生み出す事にある。
大喜利の理想型が笑点にある。長く続くと言う事は飽きの来ない楽しみが
あるということで、それは目標とするに値するものだと思う。
その目標に向かってまい進しているつもりでいて挫折、妥協を
繰り返し、行き着いたのは写真で一言である。それが200回を
達成した。写真で一言だけは長く続けられたのはなぜなのか。
管理する側の立場にも、新しい発見があると言う点がある。
普通の大喜利のお題を作る際には、ある程度の回答のパターンを
頭のどこかで想定している。写真の場合は、どこかのサイトで
拝借しているので、あまり想定をしていない。その想定していない
ところに様々な一言が送られ、管理する側はそれを新鮮に感じる。
また、「例」を出している事により、参加者が送ってきそうな
ありがちな発想を封じる役目も果たせている。ありがちが続けば
管理する側も億劫になるばかりであり、すぐさま閉鎖したくなる
だろう。
こちらの想定した一言が「例」として出ているのでそれを参考に、
例からかけ離れている発想をした一言を送れば座布団を獲得する
可能性が高い。管理者としても見ていて新鮮味を感じ、すがすがしい。
このような参加者と管理者のウィンウィンの関係が出来上がっている
ので長続きしたものと思われる。ウィンウィンは非常に気持ちが
良いのである。
このように大喜利とはかけ離れたウィンウィンをしてしまったが
ゆえ、笑点とは別の、独特な雰囲気を生み出した。
笑点を目指しながら、かけ離れていったと言う罪に対する代償は
意外に大きなものだった。円楽、こん平の病臥である。
奇しくも、この2人は我がサイトにおいて、写真と関係している
笑点メンバーだ。写真の背景はこん平の着物の色をイメージ
したものだ。そして、写真の結果の管理者コメント欄には「\楽」とある。
これは円楽のコメントをイメージしたものだ。当たり障りがなく
ときに笑いを補完するような役割が果たせればよいと言う願いを
込めて、コメント欄をこのように名づけた。
当初の目標とかけ離れたと言う理由で処されるならば、本来
私が受けるべき罰をなぜか笑点メンバーが疾病と言う形で受ける
のは気の毒としか言いようがない。2人のためにももう少し
このコンテンツは続けたいと思う。が、更新は不定期だ。 |
| ○○信者について◯◯10/20
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歴史が浅いと言うだけの理由で、劣った情報伝達媒体
と決め付け、資本提携を渋っているテレビ局が放映している
「リンカーン」と言う新番組を見た。そこで興味深い一言を聞いた。
「負けるかボケ〜」である。
これは、ダウンタウンの黒い方である松本人志が、お題を
出されてから10秒間で面白い回答を出すという大喜利企画
において、発せられた一言だ。
この大喜利企画は、キャイ〜ン、さまぁ〜ずなどの
古今東西のお笑い芸人の回答を見て、芸人の思考回路の
違いを楽しむと言った趣のもので、とくに競い合ってあれこれと
言った意図のないように見える企画だった。罰ゲームもない。
にもかかわらず「負けるか」と言ったコメントが出る松本。
ここから、松本の大喜利に対してどのような思いを抱いているか
がよくわかる。芸人の優劣を計る定規のようなものだと考えている。
違いではなく、優劣だ。
なるほど「負けるか」と言い出したのは
大喜利企画の中でも後半以降だ。前半のウケの少なさは
客質を探るため仕方ないとしても後半以降には客のツボをつく
答えを出せなければ劣であると松本は思っているのだろう。
「負けるか」と言い出したということは誰かに負けていると
自己分析した結果だろう。誰に負けているかと言う話は置いておき、
このような考えと同じ風に大喜利を考えている人たちが
我々参加式お笑いサイト参加者だと思った。
参加式お笑い企画参加者に松本信者
(熱狂的ファンと言うような意味だろう)が多いと言う指摘が
ネット上のどこかであったが、その理由が「負けるか」発言から
よくわかった。
ネット上の参加者の大喜利の回答が、松本の回答の志向に似ている
という事ではない。大喜利の回答に点数をつけたり投票をしたりして
優劣を決めると言う企画自体が松本の大喜利に対する姿勢
を投影したものだったのだ。それに気づいて苦笑した。
彼の影響から逃れるためにはこのサイトを畳む必要があったと
言う事に気づいたためだ。 |
| ○○カタカナについて◯◯10/23
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サザエさんの存在意義とは何か。
昭和の一時期を振り返り、ノスタルジーを
湧き起させるための装置としてのアニメーションなのではないか。
となれば、長谷川町子が描いた世界を忠実に守るのが
長谷川町子美術館などの存在意義ではないか。
サザエさん60周年として
「サザエさん生誕60周年結婚秘話など大公開!まる子両さん
ルフィもお祝いだよアニメSP」
をやる。それはまぁ良い。しかし、CMの声をサザエさんに
するのはいかがなものか。「ルフィ」というカタカナ語を
サザエさんが発するので違和感がある。これはサザエさんの
世界観を崩すものなので、CM起用を見送ると言う選択肢は
なかったのか。
マイカーローンや1リットルミディペットボトルのCM
が、すでに世界観を崩しているので、なし崩し的に
崩れていっている状態なのだろう。その一面を今日また
見ているのである。どこまでサザエさんが崩れていくのか。
次回予告、CMで外堀からどんどん古き良き昭和の世界観を
崩しているのが現在。今後崩れていくのは本丸の本編だろう。
車を買う、携帯電話を自在に使いこなすなど誰でも
考え付くようなサザエさんの世界観の崩壊が起こっても
おかしくはない。
携帯電話のCMがつくとむやみやたらと携帯で喋るシーンを
挿入するテレビドラマがある。サザエさんにもこの手法で
広告をしようとする携帯電話会社がないという保証はない。
車に関しても同様だ。仮面ライダーを見ていたらあまり
売れていなさそうなホンダ車が出ていた。このような手法が
とられてもおかしくはない。
このように世界観の崩壊が続けば、現代版にリニューアル
されたホームドラマのサザエさんが出来上がる可能性もある。
その時点でもうかなりサザエさんではないが、さらに
起こりうる可能性としてサザエさん独特の世界観が
崩されるだろう。
「ジャムを買うようになる」だ。サザエさん独特の世界観
はご飯食にあると私は考えている。サザエさん一家の名前の
由来は魚介類から来ている。魚介によくあうのはパンよりも
ごはんだという長谷川町子の強い思い入れがあり、朝昼晩
全てご飯食をしているだと思う。
朝昼晩米飯を食べるこのような家庭はジャムを買わない。
「フネ、冷蔵庫のジャムをなめる」
と言うような題名が次回予告のサザエさんの顔面の上の3題
にあったならば、すぐさまサザエさんを見なくなるだろう。
テレビの前でじゃんけんをするのはジャポニカじゃんけんだけ
になるが、外見だけがサザエさんのまったく別のホームドラマ
には到底興味を持てそうにないので仕方がない。 |
| ○○インフレについて◯◯10/31
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景気の底が見えたか見えないかというころから、
いつ起こるかいつ起すかと懸念していたインフレがついに始まった。
貨幣のインフレではなく、座布団のインフレが起こったので
おどろいた。笑点の大喜利での話である。
三遊亭円楽が病で司会を休み、代打で先週は桂歌丸、今週は
歌丸、三遊亭楽太郎が司会の役目を折半して運営された。
そこで見た光景は、座布団のインフレだ。ちょっとした
ヨイショで2枚3枚は当たり前、数十年座布団運びをしている
山田隆夫をして「初めて」といわしめる座布団5枚獲得の回答
も出現する。これは明らかにインフレだ。
座布団のインフレで損をするのは座布団を持っている人だ。
座布団を10枚ためたとしても「フーン」と思うだけで誰も
偉業を達成したとも思わない。ちょっとうまいヨイショを
2回やればいいだけだからだ。それで何かいいところに
旅行にいくとはどういう了見かと言う聴視者の不満も
出てきておかしくはないだろう。
司会の歌丸、楽太郎が回答側に回ることがある。
ということは司会は座布団を乱発する事によって
自分で自分の首を絞めると言う構造的矛盾が発生している。
ここに番組の構造自体を笑いに昇華する事によって
三遊亭円楽の埋めた穴を埋めようとする笑点メンバーの
腐心を感じとる事ができる。構造的に矛盾が生じても
笑いで済ますことができるバラエティ番組だから
こそできる荒業と言えよう。
逆に言えばあそこで起こる座布団の上げ下げに
意味を求める事自体ナンセンスだと改めて気づく事ができる
よい機会だとも言える。円楽の早期復帰を願う。 |