○○おばけについて◯◯7/3
なぜ、夏になるとおばけが出てくるのか。
また、なぜおばけは女の方がおおいのか。

おばけを交差点でみた。怖かった。
その交差点は交通量が多いが一車線、
歩道があるが縁石はなく、横断歩道もない。
そこに、朝、おばけがいた。

最初はおばけだと思ったが、おばけではなく
変な顔をした女の人だったとも思う。
夏になると変な顔の女の人を見やすいのでは
ないかと思う。それをおばけと
見間違えるので夏によくおばけが出ると思う。

なぜ夏に変な顔をした女の人をよく見るのか。
夏の方が化粧が取れやすいから変な顔の
をよく見るのではないか。また、冬より暑いので
首を縮めないので顔が見えやすい。
そのような理由から夏に女のおばけを見やすい。

また、花子さんなどトイレでおばけを見やすいの
は化粧を直そうとする人がトイレに入るので
それを見間違えるのだと思う。男の人は化粧を
あまりしないのでおばけとは見間違えない。

7月2日ははんげしょうでした。
○○水滸伝について◯◯7/7
津本陽の水滸伝を読んだ。ボリューム的に苦痛にならない
のでこの作家のものを選んだ。蹴撃手マモル的終わり方を
していたのが笑える。北方謙三水滸伝の
文庫が出たら読み続けようと思っているので
内容が適当にわかる程度で丁度よかったのかもしれない。

とにかくお肉を食べまくって、お酒を飲みまくると
言う内容。また、不正を働く役人や役人から
見つからないように悪事を働く人に陥れられたところを
周りの人を皆殺しにして解決すると言う場面が多い。
逆西武警察みたいなものか。

人肉を出す酒場の出てくる話が最も面白い。酒場の
従業員たちはその辺にいる人を片っ端から拉致して
お肉にしてしまう。主人公である好漢たち
(108人いる)も何人か事あるごとにお肉にされかけるが、
そこの主人とは顔見知りなのでお肉に
なる寸前で助かる。

通行人をお肉にしてしまう酒屋を、好漢たちは
皆殺しにしようとはしない。
むしろ仲よく主人と酒を飲むなどする。
大量殺人よりも不正に怒るような、その辺の心理が
現在の日本とはかけ離れているので面白い。

だが、また水滸伝の時代のような心理が
現代の人々に蘇りつつあるのではないか。
お肉を食いすぎると言う点において現代と
水滸伝の時代が似ているのでなおさらそう思う。
○○勝氏について◯◯7/24
大相撲名古屋場所が閉幕した。
千秋楽まで優勝争いがもつれ、まれに見る見ごたえのある
場所だったと思う。朝青龍に一矢報いる日本人力士が
いなかったのが残念だった。

貴乃花親方八百長相撲発言で厳重注意など相撲以外の
話題が先行したが、そのなかで隠れた活躍をしたのが
勝氏だ。旭天鵬勝氏。

前頭5枚目で8勝7敗と言う成績は見事だ。
勝ち数のみを見る見事と言うほどでもないかも
しれないが、内容は見事だ。
前頭が増えたので5枚目でも上位との対戦がある。
また、今場所のように優勝争いが激化すると
前頭の上の方も優勝争いに絡んでくる。

横綱、大関の上位陣と、優勝争いに絡んだ若の里、黒海
との対戦には全て負けて、なおかつ勝ち越した。
前頭といえば全ての力士の頂点、とはいえないがそれに近い地位だ。
全く目立つことなくその地位を安泰にしたわけだから
恐るべき力士だと思う。

目立った成績を上げたら、否応なしに対戦相手の力士
に気合が入る。そのため大きく勝ち越した後に
負け越してしまう場合が多い。旭天鵬は目立たない
成績なので次の場所もある程度安泰なのではないかと
考えられる。ものすごく強いわけでもないのに安定した
成績を残すための技術には目を見張る。

他にも旭天鵬には目を見張る点がある。
曽我ひとみさんそっくりであるという点だ。
旭天鵬のすごいところは天然的に曽我さんに似ている
だけでは飽き足らず、曽我さんにより似せようと
いう努力をしている点だ。より曽我さんに似せるため
曽我さんと同じ日本国籍を持つという徹底ぶりだ。

また、曽我さんも体重を増やすことで旭天鵬に
より似てきている。となると近い将来、旭天鵬なのか
曽我さんなのか分からないという事態も起こりうる。
その事態を見越して曽我さんが相撲を取り、
旭天鵬がジェンキンスさんなどと暮らすという
シミュレーションをしてみた。





こう切って貼ってみると、違和感が強く、まだ
似せきれていないという印象を持つ。
余談だが、この画像はこれでも結構時間をかけて作った。
曽我さんと旭天鵬の区別がつかなくなる前に拉致家族
問題が解決する事を願う。
○○シネマについて◯◯7/26
シネマ坊主2を読んだ。松本人志著の映画評論だが、アマゾンの
カスタマーレビューに私の言わんとするところが書いてあった。
レビュアーの何人かはこの本に映画評論としての価値を
求めていた。そう考えると低評価になって当然だと思う。

ただ松本が映画を見て、その映画を作った監督が面白い人間か
どうかを論ずるというもので、作品の内容にはほとんど
触れていないように思った。触れていたとしても
ごく表層的な面のみで、深く論じるつもりはないようだった。

深く論じる際には、1シーンを取り上げてどうこうと言う
見方が必要だと思う。が、「それは細かい見方である」として
松本はそれを嫌った。それにより映画評論とは違う何かという
この本の独自性が出たように思う。そう言っておけばば聞こえが良い。

また、松本は日本映画には比較的高い評価を下している。
一大段落の最後に松本が論じた映画のあらすじと星の数がかいてある。
いわゆるハリウッド映画だと、面白くなければ星が0である場合がある。
日本映画だと0と言うことはなかったように思う。

日本映画の中で最も辛い評価だと思ったのが「呪怨」だが、
これも「スターどっきりで言うならば『ゴリラが出たぞ!』である」
と言う評し方だ。これはある意味ほめ言葉とも取れる。
ゴリラが出てきたら誰でも驚く。そこでどっきりとして成功している。
呪怨もとにかく怖がらせることには成功しているのだ。

日本映画びいきは、松本が映画監督デビューを考えているので、
日本の映画をこき下ろして映画業界の心証を悪くする事を
さけているとも取れる。私はそうではないと思う。

松本はナインティナインをチンカス呼ばわりする人間だ。
また、横山やすしの存命中にその行動を非難した。
先のことは考えていない。ただ、見た感覚として日本映画が
ハリウッド映画よりも面白く感じたということであろう。
では、それはなぜなのかと考える。

これは単純に松本が日本で芸能活動をしているためだと思う。
松本は話の作り方から人物を見ている。ゆえに伝記や史実を扱った映画は
あまり論ずる材料がなく手持ち無沙汰の感じをかもし出す内容になっている。
外国映画の場合は話の作り方のみで人物を見ているので良し悪しが
はっきりしている。

日本映画の場合、芸能活動をしていれば、監督、キャストなどと
会う機会がある上に、映画以外で活躍している様を目にすることがある。
話の作り方以外からも人物が見えてしまうわけだ。この多面的見方により
面白さが出てきてしまっているのではないかと思う。

ハリウッドが面白くないということではなく、日本の映画に関わる人たち
よりもハリウッドに関する予備知識が少ないので面白いと感じないと
言う事だろう。
○○鳴き声について◯◯7/30
「ワンワン写真」の定義はあいまいではあるが、
探してみたら犬の写真が結構出てくる。
これは、犬の鳴き声がワンワンであることに起因するものと思われる。
ワンワン写真と同じく、ニャンニャン写真の定義もあいまいだ。
そうであってもワンワン写真と同じようにニャンニャンという鳴き声の
猫の写真は出てこず、破廉恥極まりない写真が出てくる。
水商売を生業とするような女性の顔面の写真や、男女でいちゃつく写真だ。
なぜそうなっているのだろう。

「投稿ニャンニャン写真」と言う成人向け雑誌が
80年代後半には存在していたようだ。だが、その雑誌の出版元である
サン出版を見るとすでに休刊しているようだ。おそらく21世紀の前には既に
休刊していたのではないか。細かい時期はわからない。
休刊したとはいえ雑誌「投稿ニャンニャン写真」
の影響からニャンニャン写真で猫の写真が出てこないものとおもわれる。
またもうひとつの理由として奥菜恵の存在が挙げられる。

推測の域を出ないが、投稿ニャンニャン写真の休刊からすでに
7,8年はたっている。この「ニャンニャン写真」と言う言葉が風化せず
残っている事に貢献したのは4年ほど前の、奥菜恵の押尾学との
ニャンニャン写真騒動だ。また、今年は矢口真理のモー娘。脱退の
きっかけとなるニャンニャン写真騒動もあった。忘れたころに
「ニャンニャン写真」が耳に入るような周期が自然に出来上がっている。

これが面白い響きを持つ言葉の力だと思った。面白い響きゆえに
この言葉は破廉恥な意味を含んだまま現存することができたのだろう。

余談だが、最近奥菜恵が離婚したのがきっかけで、ニャンニャン写真
を入手することができたので有意義に思った。これ以外に、スッポンポンで
財布に手を突っ込んでいる奥菜恵の写真も手に入れたがこちらは
そんなにニャンニャンでもないと思った。健全な青少年育成のため
そちらは自分で楽しむのみにしておく。

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