| ○○ストーリー性について◯◯12/3 |
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サザエさんラップというのを1年以上前だと思うが、
どこかのインターネットラジオで聞いて、あまりにも
面白かったのでどこかでそれを記憶していたのだろう。
運良くyoutubeで見つかった。
一度聞き、おぼろげに記憶しているだけなのに
面白いと思っていただけあって、完成度が異様に高い。
これをサザエさんの主題歌にしても何ら差し支えない
ほどのできだと思う。「サザエさん」、
「サザエさん一家」よりもストーリー性がある。
エンディングテーマである「サザエさん一家」の
ストーリー性のなさは酷い。今日は楽しいハイキングなど
と歌っておきながらその後長い間奏が入り、ハイキングの
様子は一切描写されない。
この奇妙な歌詞回しが気持ち悪い感覚をあたえ、
その結果月曜に自殺者が増える。
このように、社会に対する悪影響が顕著な現在の
サザエさんの主題歌は、即刻サザエさんラップに
変更すべきだと思った。
サザエさんラップの歌詞はリンク先にあるとおり
一見サザエさん一家(「家族それぞれ」の意であり、
エンディングテーマではない。以下同じ)が
思い思いに台詞を吐き一人もしくは二人で掛け合いが
完成していて、その掛け合い同士にはつながりがないか
のようにも見える。
が、全て聞いてみるとサザエさん一家にとって
明らかにおかしな部分と、サザエさんにしては奇異
に思える掛け合いの話題の共通点が見えてくる。
おかしな部分とはカツオが全く登場してこない所だ。
別に登場しなくてもおかしくはないと言う反論もある
かもしれない。が、他のサザエさん一家はすべて登場する。
タマですら、である。
しかも、波平、タラオ、マスオはカツオの存在を
確認もしくは確認しようとしている。これは
カツオがいるにもかかわらず口がきけない状態に
なっているという仮定のストーリーが進んでいる
ことを意味する。
一見ただ滑稽なだけの掛け合いにストーリーを
盛り込む技術は掛け合いの話題の共通点にも見られる。
一家は、なぜか食い物の話しかしない。
食い物の話をあまりしていないフネは、船を買って
きている。しかし「サラダもありますよ」などと
言っているあたり、船を食事に使おうとしていた
のではないか。
普通のクルーザー船などを中流階級の中年の主婦が
おいそれと購入することはあまり考えられないので
船型の食器と考えるのが普通だろう。しかし直後に
波平に「バカモン!」と一喝される。
その直後に「どんぶりの上にカツがのっかっただけのもの」
が登場する。それを波平は食わんと言ったら食わんと言って
拒絶するもののマスオは「どんぶりの上にカツが
のっかっただけのもの」は食べたかどうか定かでないが
豚汁を食べ、その後「まさかカツオ君が!」と言う。
その後、カニだよ〜。と打ち消すわけだが、この
カツオを確認する一歩直前で打ち消し、カニだと
断定するという行為は、この歌詞が出てくる前にタラオも
行っている。また、タラオはカツオでなくカニであると
念押しするかのように「カニ嫌いですか、ママ」と
サザエに語りかける。
また若干話の流れとは離れるが、ワカメは「普通の
ご飯ないの」「今度はおいしい」と言っている。
これは「松茸ご飯」「カレーライス」だけでなく、
「どんぶりの上にカツがのっかっただけのもの」や、
「豚汁」も「普通のご飯」ではないという解釈が出来る。
この流れから見えてくるものとして
・カツオは解体され、カツ、豚汁の実、松茸ご飯の具
などになった。
・フネは舟盛りにしようとした。
・ワカメと波平はカツなどは食べないと言った
・ワカメは普通のご飯を食べた。
・波平はその後小腹が空いたので「うーん」などと
舌鼓を打ちながら食べたものと思われる。
・サザエは、食材がカツオであると言うことはしらせず、
カニであると皆に言っている。
・マスオ、タラオも薄々気づいている。
と、このようなカツオを解体し、料理し、食べるという
カニバリズムストーリーが展開しているように解釈できる。
しかも、ただのカニバリズムではなく、兄弟、姉弟の
相克の様相も見られる。
知らないながらも明らかにカツオを口にし、真相を
知りつつも押し黙り、カニであると思いこもうとする
マスオ、解体をして皆に振る舞ったサザエの夫婦は、
一家の中でもカツオに対する扱いが酷い。
ワカメ、波平は表向き食べるのを拒否し、フネは
あらぬ方向に暴走したものの、サラダを
持ってくる事によりカツオを食べると言うことを
少しでも忘れようと努力している形跡が見られる。
このカツオに対する扱いから、長男と長女の婿による
跡目争いの末の殺人およびそのいがみ合いの強さからの
食人という実社会ではありそうな犯行動機が見えてくる。
ここに原作の4コママンガのような実社会が投影された
ストーリーが浮かび上がって来たわけだ。
80年代以降進んできた懐古主義的理想の家族像として
のサザエさんを否定し、原点に回帰しようという
意欲を表明する。
この数分間のリズミカルでコミカルでカニバリズムな
ストーリーにはこのようなメッセージ性もある。
全く申し分のない音楽だと思う。
ただ一つこのラップのよく分からないところを挙げると
すれば、花沢さんの存在だけである。私に悩みなんて
あるわけないでしょうなどと言うが、私にとってはその
花沢が悩みの種である。が、父ちゃんが間違えて歌詞に
織り込んでしまったと解釈すれば合点がいく話ではある。
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| ○○揶揄について◯◯12/9 |
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クラブきっずというホームページの管理人が小学校教諭で、
犯罪被害者の写真を転載して訴えられたという。被害者を揶揄するかの
ようなコメントを載せ、それを侮辱と取られて遺族が告訴と言う流れ。
告訴されたという事実が出てきただけでテレビで報道されるとは
よほどの大事件なのだろう。フィジーのクーデター以上の事件である
と判断した報道番組もあった。
クラブきっずが面白すぎるので、大事件だという面があると思う。
教師が、「三度の飯より子供の死体」と言うのが面白すぎる。
いや、子供は好きで良いけど死体かよ。だったら教え子は
ものすごい勢いで死体になっているんではないか。それでは授業に
ならないのではないか。学校という公的なものに対する風刺という側面もある。
別に葬儀屋が「三度の飯より子供の死体」と言ってみたところで案の定
と思うのみで、そんなに注目もされず、ただのアングラサイトだと思う
だけだろう。教師だから面白い。
このおもしろさに管理人が飲み込まれてしまい、もうそのギャグ
との整合性を保つための動きしか出来なくなってしまった。
とはいえ、本当に教師になることはないじゃないか。その矛盾を
体現してみる必要があったのか。一つのギャグに対してあまりにも
ストイックな姿勢を取りすぎたため他人に理解できない所まで
行ってしまったのは残念だ。破滅的すぎだ。
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| ○○繰り返しについて◯◯12/12 |
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週刊プレイボーイを定期購読しているが、この雑誌で毎週毎週
おなじ部分がある。松本人志の連載の右下の坊主が読者を
見上げているようににらんでいる写真だ。今週はそこ以外にも
既視感があった。
「プロ野球の、例えば巨人ファンは、全員ヤクルトの選手の巨人
と言うチームと全員巨人の選手のヤクルトというチームどっちを
応援するか」と言う話をしていたが、これはガキの使いやあらへんで
のフリートークでも話していたように記憶している。
野球が嫌いな理由の話は「遺書」などでも出ていたように思う。
同じ話を何度もする傾向というのは、もう逝去して2年もたつだろうか、
松本と同じ尼崎出身の作家である中島らもにもあった。
美食家が嫌いな話、「オメコ」のマイルドな呼称を教育委員会かどこかが
考えたという話、清原の覚醒剤撲滅ポスターの話などを思い浮かべられる。
野球の話に戻るが、私が巨人ファンならば、ヤクルトの選手の
巨人という名のチームを応援すると思う。なぜなら、巨人の方が
試合をたくさん見られるであろうからだ。試合をたくさん見られる
環境にあるチームだからと言う理由で、そのチームを応援している
と考える。私が中日ファンであるという理由も環境が占める割合が高い。
何度も繰り返し試合を見れば、最初違和感のあるであろうチームの
プレイスタイル、ポリシーを見いだせるだろうから愛着が湧く。
予備知識が増え、より深い観戦もできる。肩入れしたいチームを
よく知っている方が面白い。よく知るためには繰り返し見る必要がある。
どちらかに肩入れした方が、試合に緊張感を持ってみられるから
応援するわけで、それが何だろうと私はあまり構わない。
もし私が大阪に居住することになれば阪神を応援し、北海道に住めば
日本ハムを応援するだろう。ただ、門倉の言うように横浜はやめておく。
このファン心理は、野球が嫌いだという話を繰り返しする事に
よって野球が嫌いな人たちの共感を呼び込み、松本のキャラクター
に愛着を持たせようとするのと同じ事だと思う。松本は野球が嫌いだと
いう予備知識を持つことによってより深いテレビ番組鑑賞もできる。
松本自身がやっていることを置換すれば自ずと野球の話に結論が
出てくるものと思う。 |
| ○○はらいたについて◯◯12/19 |
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はらいたになるウイルスが大流行しているという話だが、
それも無理はない。今年ほど、はらいたがクローズアップされた
年はなかったと思うからだ。はらいたブームなのだ。
はらいたの総決算がなされているのが現状だ。
後藤真希、ソフトバンクの王監督、若槻千夏、フィギュアスケート
の選手など、腹が痛くなった有名人が次々と出現した。
これほど腹が痛い人が出てきた当たり年は、まれだ。
また、はらいたを医者に診てもらうように「はらいた」
というコントを上演して医者に来るよう農民に促した
若月俊一氏が亡くなった。はらいたをなくすために尽力した医師が
亡くなったとたんにはらいたが増えだしたのは皮肉だ。
どんなコントかは知らぬがもう題名からして笑えるのは
間違いない。「プロジェクトX」でちらっと見たが、もう
雰囲気からして滑稽だった。すべて見てみたかった。
それだけではない。「はらいた」に近い言語が飛び交った。
はらたいら氏、死去である。「はらたいら」と「はらいた」
は一文字しか違わない。もしかしたらはらいたブームは
はらたいらの残留思念がはたらいたものかも知れない。
また彼と同姓同名の原平被告の初公判が開かれたのも今年だ。
原因が何かは全く分からないがこれだけの偶然が重なっている。
どれだけはらいたが起こっても不自然ではない状況下に
おかれていたことだけは確かだ。 |