○○引退について◯◯5/4
三遊亭円楽の引退を病気のため当然のものと考える人間は
考えの浅い人間であり、もう少し笑点を見続ける必要がある。
林家こん平は国が指定する難病であるにもかかわらず、未だに引退と
いう扱いではない。この差から、病気即引退という方程式は考えにくい。

大喜利と言う演目上、円楽は脳を患ったので笑いを公正に判定できない
から引退を決意したと考えられる。あながち間違ってはいないのかも
しれないが、円楽の引退発表は普通に司会をしているときの円楽よりも
面白かった。この挨拶で脳の衰えを引退の理由としていたが、これは
方便だろう。実際笑いを取っている。となれば、何が引退の理由なのか。

私は、少し前にワイドショー的なもので円楽最後の笑点の収録風景を見た。
歩く速度が異常に遅かった。これによる大喜利全体のリズム感が低下する
ため、引退を決意したのではないかと私は思う。

大喜利のリズム感とは、静と動のバランスがとれていると言うことだ。
座って答えなどを言う時間と誰かが歩いている時間がちょうど50%ずつに
なっている。座布団を取られたりする様を逐一映像で流すのは、
このバランスを保つためであり、決して面白い答えがあまりないので
時間を稼ぐために流しているわけではない。

このバランスを保ち続けているため、笑点は視聴者を過度に疲れさせない
上にギリギリ飽きさせない独特のリズムを維持できている。
リズムの維持に最も欠かせないものが、CMが流れた直後のシーンだ。
大喜利のテーマ曲にあわせてメンバーが入場する。そしてテーマ曲の
「パフッ」と言う音とともに司会が扇子をぽんとやって大喜利が始まる。

このシーンで約1分ぐらいいい年のおっさんが歩いている姿を毎週毎週
見せられる。この約1分の意味は全くないというわけでなく、
お題を出して面白い答えを言うという全く動きのないものに動きの要素
を入れるための策である。座布団の与奪と双璧をなす重要な場面だ。

円楽は、脳こうそくであのテーマ曲にあわせた速度で歩くことが
できなくなってしまった。ゆっくり歩いて入場するとなれば、たちまち
バランスが崩れ、「あれ、大喜利の雰囲気が違う。」ということになり
つまらないもののように感じ、打ち切られてしまう。この事態を避けるための
やむを得ない引退だった。今後はもう少し完成度の要求が低い番組での
活躍を期待したい。
○○MVPについて◯◯5/6
プロ野球中継をラジオで聞きながらインターネットをやり、
本を読みながらゲームをし、テレビを見るというゴールデンウィーク
の過ごし方をした。工事やトラックの音がしない分、集中力が増すので
これだけ同時に作業をこなせるのだろう。惜しむらくは全く生産性が
ない所ぐらいであり、おおむね有意義といえる。

野球は普段ラジオを聴くが、テレビ中継のあった試合はラジオを
流しながらテレビの画面を見た。5/5の広島中日戦はNHKで放送
されていたので見た。広島カープのヘルメットの側頭部に
なぜか「MVP」と書いてあったので面白いと思った。

MVPと書いてあるヘルメットは、いわばパーティなどで身につけられる
おもしろたすきのようなものなのではないか。
みずからMVPであることをアッピールする野球選手など日本ハムの新庄
ぐらいしかいないだろうと思いきや、カープの選手はおしなべてMVPを
自称する。福井森笠といったどちらかと言えば試合中ベンチに
座っていることが多そうな選手ですらMVPを自称している。

これは新庄イズムが伝播したと言うよりも、ブラウン監督の影響が
多いだろう。このMVP自称作戦はブラウンが速くも就任1年目で
既に主力から控えまでのあらゆる選手に意識改革を施した結果では
ないだろうか。このような改革劇は広島黄金期の幕開けとなる75年
にシーズン途中で退団したルーツ元監督にかさなるものがある。

リンク先にもあるようにルーツはユニホームを赤くすることで
選手の意識改革を促したという。その手法にブラウンの方法も
酷似している。となるとこの作戦は広島黄金時代の到来を予告
しているのかもしれない。その証拠に今年の広島カープは実に手強い。
山本昌が従来どおりの投球術で挑んだ結果、無惨にも初回に連打を
浴びる結果に終わったことも頷ける。

と、思いきやヘルメットの側頭部に書いてあった文字はMVPでなく、
MPVであり、ただのマツダの車の広告だった。
外見には出ない意識改革がどこかでなされていて、カープが
上位に食い込むことを願う。
○○臨終について◯◯5/13
ご臨終メディアを読んだ。対談だった。臨終というわりに
は早く楽にしてやろうという気概の見えない対談だと思った。

この本で言うメディアというのはテレビのニュース報道が
主だ。公正さを心がけていない。自分で考えない。
事実を報道すると抗議を受けるから事実を曲げて報道する。
ややこしい問題を簡単にしすぎたり、簡単にできないので
報道をしない。などの問題点を挙げている。

それらはまったく頷けるものだが、その解決策は見えない。
対談の中ではテレビ局の社員の給料を減らせばよいと
述べているが、あまり現実的とはいえない。

問題点が深刻で、そのわりにこれといった解決策もないと
なれば潰れるしかない。その事態を見据えて代替的な
報道機関を構想するような話があるのかと期待はしたが
それはなかった。

これだけの終わってしまう危険性のある問題があるのに
終わってしまった後を考える事ができないというのは
メディアが絶望的状況に陥った証拠だろう。

少しでもメディアを生きながらえさせるためには、
この問題点をなるべく明るみに出さないと言う方法が
最も有効と考えたのだろうか、メディアを考える上では
大して意味があるとは思えないものを付け加え、
この指摘を説得力のないものと見せかけていたので面白い。

世論が右傾化したと言われているので、右傾を促した
人物をなぜか名指しで意味もなく非難する。前後の脈略が
全くない上に根拠がない場合もあるので、これにより
世論に対する説得力は大幅に低減すると著者は考えたのだろう。

右派を叩けば、左派の同意を得てしまうと考えた著者
は、右も左も同意しかねる妙な論理を振りかざすことで
更に説得力を減らそうとしている。沖ノ鳥島は岩であるので
経済水域を放棄すればいい。などと言っている。

極左政党である日本共産党でも島だと考えている。
岩と考えているのは中国のみであり、これを日本人で
主張すると左右にかかわらず、かなりの説得力の低減となる。
また、たとえ話でシモネタが出てくるのも説得力を
減らすことに貢献している。

これだけの説得力低減工作をするほどメディアに対する
指摘が的確だと言うことだ。さらに多くの人が
この問題を深刻なものと受け止めればメディアが本当に
滅んでしまう危険性がある問題と言うことが分かる。

問題意識をそれなりに発起させ、かつ滅びない程度に
意識を押さえようとする。このさじ加減で、メディアが
本当に危機なのだと感じることができ、有意義だった。
○○モノマネについて◯◯5/15
細かすぎて伝わらないモノマネ選手権で、落合選手のモノマネ
しかしないアマチュア芸人がいた。この人はおそらく東海地方出身
だと思う。確かに全国区では細かすぎるて伝わらないかもしれ
ないが、東海地方で細かすぎるが伝わる程度のものだと思った。
デッドボールに工夫があるものの雰囲気は、細かすぎるが伝わる。

私の地元の学校では小中高と必ず一人は落合選手のモノマネ
をする人間が存在した。それだけ落合のモノマネは普及
していた。落合、大豊、山本昌(打者としての)は三大メジャー
モノマネだったと思う。

にもかかわらず、東京では細かすぎて伝わらない部類に入る
という。川崎時代のロッテは仕方がないにしても、読売にも、
東京が本拠地の時代の日ハムにも、落合が在籍したにも
かかわらず、である。

中日の本拠地である名古屋およびその周辺にのみ落合のモノマネは
普及しているのだと、このコーナーを見ていて思った。
なぜこのような地域間モノマネ格差があるかと原因を
考えると、現中日ドラゴンズの井上一樹外野手の存在が
大きいのではないかと私は思う。

私は小学生の時に一度ドラゴンズのファン感謝デーに
行ったことがある。ナゴヤ球場に詰めかけた少年ファンと
ともにドラゴンズの選手がいろいろなことをする。当時88年の
優勝直後と10.8決戦の間のそれなりに強い時期だったので
球場は満員だった。

感謝デーの最後にはなぜか紅白戦をしていた。この紅白戦で
満員のファンの中で、当時鳴かず飛ばずで一軍ベンチにも
いるかいないかも分からない存在だった井上は落合のモノマネを
していた。これが手が込んでいた。

落合はこの感謝デーには一切顔を出していなかった。おそらく
球場にも来ていなかったのではないか。なのに、紅白戦で
ウグイス嬢の「代打落合」のアナウンスが流れた。当然歓声が
起こる。で、出てきたのは井上だった。井上は終始落合の
モノマネで打席に立ち、内野ゴロを打ち、ベンチに帰った。
ベンチに帰る様も落合だった。

何かしら無意味なレクリエーションを散々やった後だったので
見ている側も生ぬるい雰囲気になっていた中で、唯一笑いがあった
場面だったという印象がある。それだけ印象深い。
ほかに笑える場面は立浪が外野の守備についたとき女性の声援に
しか手を挙げて応えない事ぐらいだった。これも万人が面白いと
思うものでもない。

これだけ強い印象を受ければ、落合のモノマネが広まっても
おかしくはない。ただの感謝デーじゃないかと侮ってはいけない。
当時はこの感謝デーをテレビ中継していたりしていた。名古屋の
テレビ局は中日とは兄弟会社なので、ただの感謝デーの
一余興の影響力が半端ではない場合が往々にしてある。

この感謝デーのようなモノマネを毎年井上がやっていたとすれば
東海地方の大抵の人が落合のモノマネを知っていて当然だ。
またモノマネのモノマネはしやすいので、それをきっかけに
落合のモノマネをする人が増えたと言う側面がある。

逆にほかのチームには落合のモノマネをする選手がいなかった。
となれば広まる要素はない。だから細かすぎて伝わらないと
言うことになったのだろう。

ただ、落合の契約更改会見の「いちろくご」は地方格差はなく、
全国的に細かすぎて伝わらない部類に入るなぁと思い、感心した。
井上もそこまではマネをしていない。と言うよりもいちろくご
をもらっていないのでマネしようとしてもする機会がない。

よく考えたら、アントニオ猪木のモノマネも細かすぎるが
伝わらないと言うことはないだろう。猪木の試合を1つでも
見ていれば、さもありなんと思うだろう。このモノマネ選手権全体に
伝わる伝わらないのジレンマがあるので、落合のモノマネは
全国区の可能性もあるのだろうか。地方民にはそこが分からない。
○○選択について◯◯5/26
日本テレビの炭谷アナウンサーが盗撮をしたが、日本テレビは
それを隠蔽した。これは炭谷アナウンサーがレポーターを務めていた
どっちの料理ショーに影響が及ぶのを防ぐためのやむを得ぬ処置であり、
個人のプライバシーなどの理由は方便だろう。その証拠に公務員などの
あらゆる性的不祥事は報道しまくっている。

なぜ、そんなにどっちの料理ショーを守りたいか。
この番組を見せれば、マインドコントロールすることができるからだ。
マインドコントロールをすれば、何かと便利だ。
視聴者を利用しやすく料理する番組がどっちの料理ショーの実態
だと思う。

あり得ないことを、さもあるかのように放送し、
カムフラージュが巧妙なため、視聴者がそれと現実を混同し、
番組内のあり得ないことが現実に反映されるという仕組み
になっている。

この番組の特色は、無意味な2つの選択肢を選ばせて
片方の選択肢を選んだ者のみが良い思いをすると言う点だ。
実生活において、このような選択を迫られる事はまずない。
まず、2つしか選択肢がないと言う事態に遭遇しない。

分かれ道があったとしても、引き返す、道無き道を行く、
とにかく人が通るまで待ち、その人が行ったのと同じ道を
行くなど様々な選択肢がある。

番組では、料理が2つある時点で、両方食べない、両方食べる、
片方はタッパーに入れて明日の昼に食べる。などの選択肢が
あるはずなのに、どちらか1つを食べると言う2つの選択肢に
当たり前に絞り込んでしまっている。

また2つの選択肢の差がありすぎるというのも現実的ではない。

分かれ道の片方が目的地に着くが、もう片方は絶対にたどり
着けないと言う状況があるとは思えない。遠回りになるが
何とかたどり着けるのが普通だろう。

番組では、片方は料理を食べられるがもう片方は料理を
食べられない。食べられなかった料理は作り手が食べてしまう。
ただ、多数が食べたいと思った料理とは逆の料理を選んだだけで
番組ではこれだけ差を付けられてしまう。

この2つの非現実性があるのに、料理人や素材、料理法といった
部分は実在するもので固めてあり、ときには料理店などの
所在地、電話番号などを載せたりしている。この現実性で非現実性
が隠れてしまい、考え方が知らずのうちにどっちの料理ショー的に
なってしまうと言う事態が視聴者に起こる可能性がある。

この盗撮をしてしまった炭谷アナウンサーも、この番組の
レポーターを務めていただけに、視聴者のようなどっちの
料理ショー的考え方が染みついてしまったのではないか。

駅構内で、好みの女子高生を見つけて、ふと
「痴漢と盗撮、快楽を感じるのはDOTCH?」
という二択をどっちの料理ショー的に頭の中で設定してしまう。
その二つの選択肢に、片方は犯罪なので逮捕でもう片方は
非常に気持ちの良いことになるという差があるものと、
どっちの料理ショー的に思いこんでしまい、どちらも逮捕されると
思えずに盗撮に踏み切ったのではないだろうか。

このように差のない選択肢を与えれば選択の余地なく一つの
行動に走らせることが可能だ。すなわちマインドコントロールだ。
2つしか選択肢が思い浮かばない状況があったなら、
マインドコントロールされている可能性を疑う必要がある。
2つとも同じ結果になると予見されるなら、なおさらだ。

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