○○ロングについて◯◯6/14
コメロングが発売されていた頃、私はポテロングの方が
ネーミングセンスが奥深く、笑いに準拠している。ゆえに
コメロング、マメロングといったものよりも長く人々に愛される。
コメ、マメはポテを凌ぐメジャーなお菓子とはなり得ないと
予測をした。

その後、コメロング、マメロングは私の予測通りに淘汰された。
ポテロングのホームページを見ると「トウモロング」
という新製品が出ていて驚いた。この新製品はコメ、マメと
比較するとトウモにセンスを感じる。まず、文法的に
成り立っていない。

コメロング、マメロングは、コメがロングであり、マメがロングで
あるという解釈ができる。コメ、マメが単語として成立しているので
おもしろみが薄れてしまう。広がりがない。ポテロングのポテは、
ポテのみでは意味をなさないために様々な広がりを想像できる。
トウモも同様だ。

もう一つ感じるところとして、「ロ」の意義が他の「ロ」より深い。
トウモロングがトウモロコシを原料としたものだと
認識する事ができるのは、この「ロ」の存在意義が大きい。

トウモだけだと、三国志演義に出てくる黄巾賊の副首領と間違える
可能性もないとは限らない。トウモロと来て、初めてトウモロコシと
認識ができる。「トウモロ」と言うものはないので、その後に何か
言葉が続くものと想像するのが普通だ。トウモロの後に何か言葉を
つなげて単語を作るとなると「コシ」しかない。

「トウモロング」という単語を見ると、どのような商品なのか
認識がしやすいにもかかわらず、脳内でのある程度の言葉の二次加工を
要求するものである。この二次加工を必要とする性質は、笑いの一要素だ
と思う。

人々に笑いをもたらせる事ができれば、菓子製造業にとってもう既に
存在意義が認められたも同然だろう。味で笑顔にさせるかネーミングで
笑顔にさせるかの手段の違いがあるが目的は果たせている。となれば
ネーミングが良ければ菓子の存在意義は既に果たされている。

ゆえに、トウモロングはコメロングなどより商品の寿命は長いのではないか
と予測する。
○○絵について◯◯6/14
NHKが著作権を主張して絵描き歌の動画をわざわざ削除
するよう通告したサイトへ行った。公共放送から放送されたものは
公共物であるという至極まっとうな考えを持つ人々の活動により、
その絵描き歌はまだ存在していたので見た。

弘道お兄さんの登場で、どちらかと言えば乳幼児の父兄に
見てもらえるようなお兄さんの人選を心がけてきたNHK教育が、
お姉さんに対しては乳幼児の心情をより理解できるような人選
を心がけた。

その結果、悪夢のような拙い絵を描くお姉さんが誕生した
のだと思う。普通、あの絵描き歌のみを聴いて、お兄さんのような
非常にうまい絵を描けるだろうか。まず、無理だろう。

チョコランタンにヘンテコUFOがやってきたなどと歌い出すわけだが、
まず、これを聞いてチョコランタンというものとヘンテコなUFOを
描かなければならないと思い、あたふたする。チョコランタンで、まず
チョコレート製のランタンを描こうと考えるだろう。
しかしチョコレート製のランタンとは全く実用性のないもので、実在
していない。想像で描かなければならない。

そこで想像力を駆使した後、UFOをかかなければと考える。
UFOというものは、未確認であるために総じてヘンテコなものが
多いだろう。ヘンテコなものが一般的であるにも関わらず、
それに「ヘンテコ」という修飾を付けているという事は、意外と
普通の飛行物体が「ヘンテコUFO」なのではないかという疑問がわく。

しかし普通の飛行物体ならば確認ができるのでUFOとはならない。
この矛盾を抱えた物体も何の例示も無いまま、想像で描かなければ
ならないと考えるだろう。なにしろ、絵描き歌と銘打っているのだから。

にもかかわらずここの歌い出しでは何も描かないと言うのが
正解だというので、まずここで一枚紙が無駄になるばかりか、
短時間で想像力を大いに駆使した絵が全く無駄な産物だったと
気づくわけだから精神的疲労は大変大きい。

そこから、モコモコを整然と描けと言っても、折れた心を
少し直す時間をくれと思うのが普通だ。折れた心で描いた
モコモコは不格好で仕方がないだろう。

そしてモコモコの後、窓の中には宇宙人と続く。が、少し前の歌詞
を覚えていれば、この窓と宇宙人もヘンテコでなければならないと
考えて普通だ。UFOがヘンテコなのに、窓がヘンテコでない
普通の楕円と考える方がおかしい。TKO寸前のボクサーの目の
ような窓というのは確かにヘンテコであり、お姉さんの描くような
窓を描いても何もおかしくない。

宇宙人を描くと言ってただ黒い丸を描くというのも変だ。
ヘンテコUFOに乗っているのだから黒い丸でも仕方ないが、
ただ「宇宙人」と言われて黒い丸を描ける人間は、その人こそが
宇宙人だと私は思う。

その後スイカの好きなUFOがスイカを食べるが、これは文学的
表現であるという解釈もできるので細かく指摘しない。
その部分よりも問題なのは、ハネをパタパタさせてたよこっちも
パタパタというところだが、羽というのは一対でパタパタさせる
ものだろうと考え、合計4枚描かなければならないと考えてしまう。

あるいは1対の羽をパタパタさせながら、羽以外の、たとえば
化粧品のスポンジ状のヤツなどのものをパタパタさせているとも
考えられる。その上、「こっち」と言うのがどっちか分からず、
あたふたする。ここも想像で描いて行かなきゃならないのかと
考えてしまう。

そして最後のバナナも好きなだけなのか、描かないといけないのか、
スイカを食べたのにバナナが好きだというのもいかがなものかと
と思うが、ここは描かないのが正解だという。ここで変にバナナなど
を書いてせっかく描いたスプーが台無しになってカオス状態で号泣
と言う事態も考えられ、意地悪だと思う。

このような誤解、誤描の可能性をすべて乗り越えなければ、スプーは
正しく描かれない。この絵描き歌を聴いて正しく絵を描くと言う行為自体が
反復訓練を必要とする作業であると言うことが良く分かり、この絵描き歌で
絵を描いて給与をもらうというのは作業の複雑さからして正当なものだと思う。
それだけに乳幼児が手軽な気分で易々と筆を走らせることができない代物である
と知ることができる。

乳幼児にとって納得のいかない結果が出ることが明らかなものを、お姉さんは
立場上「みんなも描いてみてね!バイバイ!」と勧めなければならない。
これでは無責任ではないかと考えたお姉さんは、あえて自ら誤描し、
乳幼児にこの絵描き歌の欠陥部分を報せ、注意を喚起したのではないか。

スプーをあのような怨嗟に満ちた表情に誤描したのは、この絵描き歌の欠陥
を改善しないだけでなく、あたかもかわいい絵が歌を歌うことのみによって
手軽に描けると言った誤解を与える放送をさせられているという怒り、
自責を表現したものではないだろうか。そうであるならば、自らの過ちを
認めないNHKが著作権を盾に削除を要求するのも大いに頷ける。

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