○○バカについて◯◯5/3
バカロレアと言う言葉がある。バカでかいとか
バカ高いという副詞としてのバカには「バカみたいに」
と言う意味合いに取れる。
また、バカ野郎やバカ息子といった連体詞としてのバカは
「バカな」というように取れる。
バカロレアは「バカな」「バカみたいに」ロレアである
と言うことだ。ロレアとは何か。「ロレアとは」で
調べれば一発で出た。「月桂冠を頂く受賞者」である。

月桂冠を頂くバカな受賞者と言う意味にも取れる
このバカロレアという言葉はフランスの大学入学
資格試験のことだ。風刺の効いたネーミングだと思った。
○○だまし絵について◯◯5/5
正直、「上から見ても下から見ても顔の人」というのを
どういう呼称で呼べばいいのか、あまり見当が付かない。
とりあえず、だまし絵のような顔の人とする。
通常のだまし絵の人というのは大抵人相が悪い。
というのも、ヒゲを生やしていないと都合が悪いからだ。



このようなヒゲを生やしている人であれば



逆から見たらちょっとおでこに変なしわやイボが
ある人のように見える。これが通常のだまし絵の
人だろう。通常ではないだまし絵の人を見た。
何のことはない舛添要一氏であった。

桝添氏の場合、上から顔の正面を見るわけでなく、
上から見るのが頭頂部だった。頭頂部
がキッスの人の顔面に見えなくもないが
所詮フェイスペインティングなので似ていても
どうと言うことはない。顔ではない。



図のようにショッカーのエンブレムに似ている。
私は、桝添氏は討論番組などに出てきても
挨拶はするが、あまりお辞儀をしないと思って
いた。理由はだまし絵にあったわけだ。
国会議員が日本を征服する軍団のエンブレム
っぽい頭頂部を持っていてはあまり良い
イメージとは言えない。

祝日の朝に放送された日本国憲法についての
討論という誰も興味を持って見ているはずがない
番組だからこそ、油断をしてお辞儀した
のだろう。お辞儀をして見えたエンブレムに
大いに驚いた。
○○傘について◯◯5/7
傘に対する怒りはどこにぶつけるといいのかよく分から
ないのでここに書こうと思った。ビニールの傘に対する
腹立たしさがかなりたまった。雨が降りそうだが銀行や東芝に
行く用事があった。自動車で行くほどのものでもないと思い
傘を持って自転車に乗ろうとした。

扱いに困った。私は傘をしぼめたまま自転車を運転するとき
サドルと後輪の間の隙間に傘を突っ込む。これはナイロンの
傘の場合スッと突っ込めるので便利だ。しかしビニールの
傘だとその隙間になかなか入らない。ちょっとひっかかる。

無理にねじ入れて傘が壊れても損だと思い、ハンドルに
ぶら下げて運転をしていた。これは非常に不安定だったが、
すぐに雨がぱらついてきたので傘をさそうとした。しかし
運転中にハンドルにぶら下がっている傘をさすのは言う
ほど簡単な作業ではなかった。

びらびらの状態でさす場合はワンタッチで済むので片手に
ハンドル片手に傘の状態でもさすことができる。しかし、
びらびらの状態でハンドルにぶら下げておくと、びらびらが
車輪に引っかかり大惨事になる。実際大惨事を起こした
ことがあり、その傷跡が未だ左膝の内側に残っている。
ちなみに、ここで言うびらびらとは傘をすぼめた状態を
朝顔にたとえると、その花びらの部分にあたる。

びらびらではなくしゅっとさせたあの傘の真ん中
(といってもすぼめた状態での)にあるボタンというか
アタッチメントみたいなものがぴろっと出ている紐状のもの
で留めていたのでそれを外すためには自転車を停車しなけ
ればならない。

しかし、その日に限って走っているのは大通りの脇の
細くなった歩道で、しかも人通りの多いところだった。
傘を片手にした自転車が歩道で途中停車すると非常に
交通の邪魔になる。となると雨が降っている状態でも、
信号待ちなどにならない限り停車できない。信号待ちに
なるまで雨に濡れるしかない。

こういうときに限って信号は延々と青だった。その上
季節外れの熱帯性のような雨でものすごく強く降る
瞬間がある。そのタイミングの悪さに腹が立った。
強く降ってきたならば仕方がないと思い交通の邪魔
を承知で傘をさした。全くもって反社会的行為を
してしまったと反省した。

その反省も水泡に帰す出来事がそのすぐあとに
起こった。季節外れの熱帯性の雨は暴風を伴う。
また、人通りの多いそれなりのビル街だ。
ビルに風が当たって吹き返すことにより、不規則な
風が吹き荒れた。風が瞬間的に私の傘を裏返した。

裏返るだけならまだいい。傘の骨が2本折れ、
そのうちの一本が破断して傘の張っているビニールの
部分を突き破った。同時に主柱が折れ曲がった。
また骨とビニールとをつなぐプラスチックの部分
(しぼんだ状態で根元近くにある部分)が外れた。

もうこのような状態の傘をさしていても、ただ
ガラクタを掲げているだけの頭のおかしい人のように
なってしまう。だから雨が降っているのに傘を
しぼめて自転車をこいだ。はたから見れば大雨が
降っているのに持っている傘をささない濡れた
がり屋のような状態になった。

だったら傘を捨てるのも手だろうが、最近は
通りにゴミ箱があると言うことがなかなか無い。
だからといって傘の残骸は投げ捨てるには
忍びないほどの大きさのゴミだ。仕方なく
ハンドルにぶら下げて濡れながら進んだ。

濡れたがり屋かガラクタ大好き人間か。どちらにしても
頭のおかしな人だ。とにかく傘をどこかで買おうと
自転車を運転するもののなかなか見つからない。
と、大きめの公園があった。ここならば傘を
捨てるのに十分なゴミ箱があるだろうと思い立ち寄った。

ない。住宅地と商業地の密集するところの
かたすみにある公園であるため、テロ対策か
なにかでゴミ箱を撤去したのだろう。無性に
腹が立った。確かに人口密集地であることは認めるが
一地方都市の中心部でもないところに誰が好んで
テロをするだろうか。行政の過剰反応だと思う。

結局捨てられずに濡れたがり屋みたいな状態で
自転車をこぐ。公園を出てちょっと行ったところに
ドラッグストアがあった。ここで傘が買えるだろうと
思い、立ちよる。

「日用品」のコーナーにあるだろうと思いうろうろする
が、見つからず15分ぐらい店内をうろうろした。見つ
からず併設のスーパーにあるのではないかと思い店に
出てみたら店頭に傘があった。上記のようなことが
あり腹が立っていたので店に入ったときに目に付か
なかったのだろう。

レジに行き、会計をしようとしたら
「シールで良いですか。」
と言われた。よく分からないので黙っていたら店員に
変な顔をされた。買った傘にシールを貼られた。
上記のようなことがあり腹が立っていたので人が言って
いることを拡大解釈できなかったのだろう。

なぜ、そこでシールの話をするのかと腹を立てたぐらい
だ。ドラッグストアでこのようなやりとりをし、うん
ざりして外に出たら、雨がやんでいた。

新品の傘と壊れた傘を2本ぶら下げて雨上がりにずぶ濡れ
で自転車に乗っている人間を見て、その人間に何があった
のかよく分からないが、その人間はおそらく頭のおかしな
人間だと普通の人は大抵思うだろう。

しかし、上記のようなことがあれば正常な人間が正常な
行動をしてもそれは起こりうることなのだ。
用事を終えて帰るときには既に晴れており、異常さが
さらに目立ったが、上記のようなことに比べれば
そんなに腹も立たなかった。

そのドラッグストアで買ったビニール傘を使う機会が
2日後にあった。5分で壊れて腹が立ったが、それは
また別の話である。
○○著作権について◯◯5/13
中国のディズニーは面白いと思ったが著作権無視は
ダメだろうと思う。しかしあれだけ劣化したものであれば
著作権侵害に当たらないのではないかと考えたのだろう。
全くおっちょこちょいな話だ。

しかしそんなにおっちょこちょいでもないと言う
事例もある。韓国ではマクロスやガンダムを盗用しても、
盗用された側は誰も何も言わず、ただただ
歌謡曲っぽい主題歌に静止画をあわせたオープニング
を定期的にテレビ放送していた。私は昨日知った。

この事実を知っていてあえて盗用したならば
国営遊園地はなかなかの確信犯だと思う。しかし、
どこのキャラクターもマクロスやガンダムの
ような反応をすると言う見通しだったのは
おっちょこちょいだったと思う。

スペースガンダムVに戻るが、エンディングでは不意に
「アンニョー!」と叫ぶので驚いた。しかも、
バトロイドのままマクロスが飛びながら
UFOを追っかけ、丸い小窓に全身タイツの
男児が映り、「終劇」っぽいものが出る絵は
全く奇観としか言いようのない絵だ。



画像があるなら別に長々と文章で説明する
アレもなかったかも知れない。
そんな突飛なオリジナリティがあるならば
ロボットアニメのキャラクターもストーリーも
作り上げることができるのではないか。

劣ったものをあえて作るならオリジナリティで
勝負した方が良いように思った。

○○持ち歩きについて◯◯5/16
会津の少年が母親の首を切断し、持ってきた。
本当に分からない。異常だ。ただ分かっていることは
少年は母親に敵意を持っていたのだろうと言うこと
と、このわからなさは新撰組の土方歳三も感じていた
であろうものだということぐらいだ。

小説の割には史実に忠実に書かれている事でおなじみ
司馬遼太郎作品の中で土方歳三を主人公に新撰組に
ついて書かれた「燃えよ剣」の下巻文庫版147ページ
あたりにこんな記述がある。鳥羽伏見の戦いにおける
一幕。

 歳三の周囲で死傷が続出した。
 幕軍歩兵、同伝習隊は動揺したが、さすがに会津藩
 兵は動揺しない。
 死屍を乗りこえ、乗りこえして斬りこんでゆく。
 (やるなあ)
 歳三も感心したが、ただ会津藩兵は敵を斃すとかな
 らず首を斬り、腰にぶらさげるのである。
 これには歳三も閉口した。
 甲冑の装いといい、戦場作法といい、三百年前のそ
 れではないか。
 首は重い。
 二つも首をぶらさげれば、もう行動はよたよたに
 なってしまうのだ。
 歳三は戦乱の最中、そういう会津藩兵をみつけると、
 「あんた、首を捨てろ。」
 とどなるのだが、かれらにはわからない。
 (以上、改行位置を変更)

ここで注目したいのは歳三「も」感心し、歳三「も」
閉口したと言う部分。歳三が会津兵を初めて見て、
感心し、閉口したわけではない。先に誰かが感心し、
閉口したあとに歳三も感心し閉口したと解釈するの
が普通だ。では誰が感心し、閉口したのか。

私は筆者だと思う。この小説の筆者である司馬遼太郎
だ。「燃えよ剣」においては新撰組参謀の伊藤甲子太郎が
登場する章にも、司馬本人にまつわる思い出話を盛り
込んでいる。何かにつけて司馬本人が自分を語ると
言う構成は他の作品にも見られる。

そこから推測すると司馬が先に会津藩兵が勇敢である
様に感心し、首を持ち歩く様に閉口している。と
取ってもなんらおかしくはないと思う。

司馬は、幕末、明治初期の日本を舞台にした作品を
多数書いている。長編では「龍馬がゆく」「花神」
「最後の将軍―徳川慶喜」「飛ぶが如く」「世に棲む日日」
などが挙げられる。他に短編も多数ある。

ということは、幕末、明治初期の戦乱については知り尽く
しているわけだ。その司馬をも閉口させる行為というのが
首を斬って持ち歩くと言うことだ。140年前でも首を
持ち歩く行為が奇異なものであるというのがよく分かる。

今回の事件で敵対者の首を斬ったあとは持ち歩くと言う
伝統が、会津地方において約440年続いたのが証明された
わけだ。440年前は意味があったであろう事が140年ぐらい
前には既に意味がなくなっていた。にもかかわらず現在
までその伝統が続いたと言うことに驚かざるを得ない。

会津地方の伝統を大切にする意識に感心はした。しかし
合理性、社会性、倫理性のない伝統まで継承してしまうと
言う選択能力のなさには私も閉口した。

歴史上の人物と同じ感覚を共有できるというのはそうそう
ないことで有意義だとは思うが、容疑者が母親を敵対者と
してみたのであれば悲しい事件だとは思う。

○○ブームについて◯◯5/27
笑いの金メダルが打ち切られるという。だからといって
お笑いブームが終わったと言えるだろうか。
yahooのアンケートを見ると既に終わっているという
考えが多数を占めている。

私も既に終わっている方に入れたが、これは「ブーム」
という現象からスタンダードなものに変化したのでは
ないかという意味で投票した。

お笑い番組が打ち切られたのは、逆にお笑い番組以外に
お笑いの要素がふんだんに取り込まれたために、お笑い
番組の強みがなくなったので打ち切られたのではないか。
浸透しすぎたために強みがなくなったので打ち切られた。

お笑いの要素が浸透しすぎた様は、ニュース番組を見て
いればよく分かる。TBS系列のニュース番組については
あまりにも顕著すぎるので説明は省く。

TBS以外の民放およびNHKのニュース番組にもお笑いの
要素が織り込まれている。ニュース番組でなぞかけ
みたいなことをやっている。第一声を聞いたとき
何のニュースのことを言っているのか分からない。

例えば企業合併のニュースの第一声で「業界再編の
波が高まりそうです。」と聞いたことがある。
何の業界なのか分からないし、なぜ高まるのか
分からない。それを第一声に持ってくるのは報道と
して不適当だと思う。なぞなぞみたいな事を
やっているわけで、これはお笑い番組の要素といえる。

また、目指すべきは、わかりやすい報道であるはず
なのに、頭からなぞなぞをやり出してはわかりにくい。
これはニュースを作る側がわかりにくくなることが
わからないからやっているわけでなく、わかりにくく
なると分かってやっているものと思われる。

やってはいけないと言われていることをやるというのは、
芸人気質の表れに他ならない。また「赤ちゃんポスト」
などというネーミングはわかりやすい報道を心がけて
いるだけでは出てくるものとは到底思えない。
というより、本来の意味から離れているような気さえする。

「お笑い」から最もかけ離れていると思われる報道番組
ですらこのようなお笑いの要素を含んでいる。となれば、
ほとんどの番組にお笑いの要素が含まれていると見て
差し支えないのではないか。

もうここまでお笑い要素が浸透してしまうと、お笑い番組に
お笑いの要素以外が含まれていなければ、お笑い番組以外の
番組よりも劣っているという事になる。となれば、
お笑い番組が淘汰されていくのは当然だ。

ブームが終わったというと、お笑いに関するあらゆる事が
全くの無意味で流行遅れのものになりはてると言うような
イメージがある。お笑いブームに関しては要素として
残っているわけだからこれが終わりと取れるのか判断は
難しい。

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