卓球の愛ちゃんがサーに関する言及に不快感を表す。
こういう報道が出てくるということは、報道関係は
その不快感をあらわしたことに関して不快感を示していると
考えて普通だ。何かしらの快挙以外全ての報道は、
不祥事や事故など大概の人が不快に感じることを報道するのが
常道だから、そう思う。
自分から発せられたよくわからない事を説明せよと囃し立て、
それをわからないと言っているのに勝手に解釈して万民に
報せているわけだから、発した側は不快に感じるのは当然だ。
愛ちゃんは自然に出てくる「サー」のことを
「サー」と言っていると明言していないのに
報道で「サー」と出てくることに解釈が入っている。
当事者が不快感を表していることに報道が不快感を
表しているのはなぜか。これは発する言葉全てに意味があると言う
幻想を抱いているためではないか。説明しないのは
当事者の怠慢もしくは報道不信であると思っているのだろう。
解釈されるのが嫌なら説明せよと言う構えだ。
説明できないことを発しても、説明せよと攻め立てられる
風潮では、説明できないことを発するのをやめてしまう
のではないかと私は思うわけだが、皆やめていないのが
現状なのでよくわからない。愛ちゃんは「サー」と言うし、
報道は説明できないような事を報道する。
報道は報道自身を説明せよとあまり攻め立てないので
そうするのは当然としても、愛ちゃんの芯の強さは
よくわからないので、なぜサーについて聞かれるのが
嫌なのに「サー」と出るのかを説明してもらいたい。 |