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過去ログ 2004年_4月


0805 四月バカ

 いやね、ホントに思いますけどね、今日だけバカならね、人生明るかったでしょうね…年中バカではどうにもなりません。今日って言う日はなんですか、やはり頭の明るい人たちのためにあるんでしょうかねぇ…ハァ…

 わたくしのように愚鈍なものは、日々努力を続けて参りましても誰に認められることもなく、最後は山村葬儀社の東山氏に頼んで、遺骨をそこらに撒いてもらうしか無いようで御座います。そのころまでに、何とぞ百パーセント散骨できるようになることを祈念しております。

 …え!?散骨費用が10万円……で御座いますか…葬儀社の方では貧乏人は死ぬなということで御座いましょうか?病院の方では貧乏人は死ねとおっしゃっているようで御座いますが…この頃では戒名を付けていただくにも大枚が必要のようで…

 どうもわたくしどものようなものは、生きようが死のうが行くあてすら無いようで御座います…

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/1(木) 21:57


0806 re(1):桜前線散歩道

私の住んでいるマンションの前の通りは、桜並木でスゴイ綺麗なんで御座います。家は3階ですが、玄関を出てエレベーターホールへ行くまでが、桜を上から眺めるんです。桜並木は5キロにも及ぶ直線道路です。その通りを枝分かれした道に行くと3キロにも及ぶ桜並木のトンネルが続きます。
わざわざ、その桜のトンネルを車で走りながら夜桜見物したりします。今は満開です。

我が故郷、三戸の城山の桜は綺麗ですよね。今は知りませんが・・・
昔、中学生の頃、城山の桜の下で一升瓶を持って暴れてドブに落ちた頃が懐かしい思い出です。

●記録者 綾小路伯爵
●記録日 2004/4/1(木) 22:24


0807 re(2):桜前線散歩道

 ふむ…綾小路氏、いつも上から眺める桜を楽しんでいるのですなァ…うらやましい限りで御座います。桜並木のトンネルというのもスバラしい。

 ところで、今日も実は小山田煎餅店で購ったせんべの耳をサカナに安酒を呑んでいるワケですが、城山公園には一度も行ったことがないのです。確か三浦哲郎の「繭子ひとり」の繭子の像もあるのだと思います。三浦哲郎氏は、この作品は失敗作と称して、その像についても悔いるような事を書かれておりますが…

 それはともかくとして、是非一度、繭子の像を見たいと思っておりましたが、今回せっかく城山の話しが出ました。今年の観桜会は、一升瓶をたなって城山へ行き、繭子の像を拝みつつ、桜の下で盛り上がり、最後はドブにハマるという線で計画してみましょう。酔ったままドブの中で死ねたらいいかもしれません。その時は桜の花びらの一枚でも手向けてやってくださいませ。

 追伸:例の曲、簡易掲示板の方へ貼り付けてみましたので、ダウンできたら聴いてみてくださいませ。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/1(木) 22:46


0808 re(3):桜前線散歩道

ドブにはまって死ぬんで御座いますか・・
しかし、反応が無いので意地になってまでもクドく書く所、思わず呑んでいる酒を吹き出してしまいました。
私の場合は、何時も吹き出しながら読んでいます。

 >追伸:例の曲、簡易掲示板の方へ貼り付けてみましたので、ダウンできたら聴いてみてくださいませ

はて?何処だろう?

●記録者 綾小路伯爵
●記録日 2004/4/1(木) 23:56


0809 re(4):桜前線散歩道

 そう、綾小路氏のように単純に楽しんでくださる方がいらっしゃるということをはげみに、日々クドい文章を書き続けているので御座います。時には自らの身を切るようなギャグも御座いますけれども、笑い飛ばしてくだされば幸いで御座います。

 そんなことはあり得ないとは存じますが、くれぐれも他人様の欠点・弱点などを責めたりなさいませぬよう、老婆心ながら申し添えておきます。

 例の曲は、簡易掲示板の中に「墓碑銘」というタイトルで書かれております。顔が大きく描かれたレコードジャケットの写真を掲載してあります。そこにURLが書かれておりますので、それをコピーしてブラウザのアドレスの部分に貼り付けていただければよろしいかと存じます。多少サイズが大きめですので(11M)時間がかかると思われます。その後の動作は、当方でもよくわからないため、試してみてダメであればまたご連絡をお願いします。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/2(金) 21:14


0810 re(5):桜前線散歩道

成る程!やっと聞く事が出来ました。他の曲も聴いてみたいですね。

●記録者 綾小路伯爵
●記録日 2004/4/2(金) 23:52


0811 re(6):桜前線散歩道

 mp3、聴くことが出来たようでなによりです。こちらも、とりあえずmp3ファイルを置いておけばいいのだということが分かりましたのでよい実験になりました。今回のファイルは実験用ということでもう消してありますのでご了承下さいませ。いつまでもオープンにしておくわけにもいきませんので。

 他の曲ということで、実はキングクリムゾンの曲データが6時間分ほど有ることは有るんですが、mp3が小間切れになっていたりして編集に時間がかかります。そこで、以前書いたとおり、時間を見てアナログ盤から録音してみたいと思います。

 できあがったファイルは、私のHDDに保存しておきますが、そちらからFTPソフトを使ってアクセスできるようにすれば、好きなファイルを選んでダウンロードできます。この方法であれば身内でmp3を交換している状況なので問題無いのです。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/3(土) 08:38


0812 自動扉

 ♪夜は〜33の〜回転ベッド〜♪
 今はCD全盛で回転数を間違うことも無くなったが、これはアナログ盤しか存在しなかった古き良き時代のモモエちゃんの歌である。LP盤の回転数は、正確には33と1/3回転であった。ちなみにアナログ盤の場合、回転数は間違っても歌詞は違わない筈である。

 それはさておき、扉に挟まれて死んじゃった子供が出たので危険視されている回転扉だが、しかし世の中にはキケンが溢れているのだ。私は以前、普通の鉄の扉に指を挟まれて死ぬほど痛い目に遭ったが、未だに指を挟むキケンのない扉というのは開発された様子がない。扉はキケンだからやめようという話しも無い。クルマだって毎年1万人近い人間が死んでいるというのに、クルマを無くそうという運動が全く起こらないのは世の中狂ってる!!と思うのである。世の中、命より金なのか。

 まぁしかし、キケンというものは一度経験を積めば察知できるようになる。高度な用語では「懲りる」といい、羮に懲りたら膾を吹くのが通常の人間のようだ。とにかく、その後私も扉に指を挟まれることも無くなったわけだが、扉と言えば最近ちょっと困ったことがある。通常の扉であれば、指さえ挟まなければ何の問題もないのだが、自動ドアというのはこちらの意志とは関係なく開閉するので注意が必要なのだ。

 この頃の自動ドアは、直前に動くものが来た場合、赤外線センサーなどでそれを検知して扉を開けるようになっている。開いて欲しいという思念を察知しているのではないのである。赤外線では動くものならば何でも開いてしまうのだろうが、熱センサなら生きているものだけに反応するのであろう。しかし、最近の私の場合、その自動ドアが開いてくれないことがあるので困惑する。

 十数キロも痩せたせいで身体からの熱放射が少なくなっているのか、扉の前に立ってもドアが反応しない。どう見ても体重センサーはなく、頭の上に何らかのセンサーが取り付けられている。押しボタンのついていない自動ドアの場合では為す術もなく、センサーに検知してもらいたい一心で手を振ったりする。そうするとようやく開いてくれるのだが、この、見上げて手を振って扉が開くまでの「間」は、後ろに人がいたりするととても都合が悪いものだ。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/5(月) 12:59


0813 re(1):自動扉

う〜ん。返答しようか悩んだがカキコ。
回転ドアに関しては、実例があまりにも少ないから仕方無いのかと思う。エレベータだって、エスカレータだって危険は付き物。実際事故もおきてる。でも必要で日常的に使われています。
エレベータだってドアに挟まれれば怪我もする。エスカレータだって、がきんちょが寝そべって上がり下がりすれば絶対に衣服を引っ張られて事故になる。D様の言う通り、車だって凶器なのだ。それをいかにうまく使って行くかだとしか言い様がありません。
しかし報道も度が過ぎる。たまたま田舎町に唯一1台設置されてる回転ドアをやり玉にあげて記事を書く。何も事件とは関係無いものだ。報道を鵜呑みにした人間は、過剰反応する場合もある。実際田舎町の回転扉の件で、そこへ電話やら、手紙が数多く寄せられている。内容も、何も知らないくせに何を言ってるんだと思う内容ばかりと聞きます。報道の自由とは言いますが、少しは考えてくれ。取材してる人間は本当に何も調べずに取材に来る。少しは知識を身に付けてからコイよって感じ。
話はずれたが、自動ドアのセンサーは、熱感知。光線反射(赤外線)、レーダー(最近規制があったが、再認可された)が有る。現在熱感知式が多いでしょうね。確かに背が低い、動きがスローなどには反応しづらい。夏のかんかん照りの日は、外気と体温差が少なく鈍いかも。黒っぽい服装は特に感知し難い。店によっては、通行人に反応するので、感知範囲を狭めているケースも見られます。D様の体験はどのタイプでしょうか。何処の入口も同じとなれば、D様の体系・温度・服装のどれかですかね。でも私もドアの前では癖のように手を振ります。恥ずかしくありません。

●記録者 いさむ
●記録日 2004/4/5(月) 16:35


0814 re(2):自動扉

 この場合、一番問題なのはキケンを予知できない子供を育てているってことだと思うんですね。最近の子供がらみの事件を見ると、どれもそう思います。過保護に育て、叱らず、その上ゲーム脳。回転ドアに頭から突っ込む子供、そしてそれを止められない親。実社会に対応出来ない人間をどんどん作り出しているような気がします。

 しかし、その責任を負うのは、あくまでも事故が起きた対象物、若しくは対象物を作ったメーカー。責任の所在は、あくまでも自分ではなくヨソにあるという自己中心的な考え方が定着しております。いずれの親御さんも、子供を殺されたと思っているに違い有りません。

 報道のあり方にしても、ジャーナリストたちは責任を取る必要はないと思っているので、やり放題なんでしょう。事実を伝えているだけだから、と。しかし時には事実を曲げているんですが、その責任は誰も追及しないし、TVなんかを安易に信じちゃうし。

 まぁ直接の問題は開かずの自動ドアなんですが。私を検出できないセンサーは、おそらく熱感知タイプだと思います。いつも黒いジミな服装の上、熱放射が少ないということなんでしょう。これからは自動ドアの前でライターに火を付けてみましょうかね。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/5(月) 21:44


0815 新聞の取材は

 に反応して出てきました。自動扉からはずれるけど。

 以前、ちょっとしたコーナーの取材を受けました。はじめはもっとでかいコーナーの取材ということだったんだけど、そのコーナーで私と同じ職業の人がもうすでに何人か取り上げられてるからってー事で、隙間埋め用に。

 「面白い人がいる」という読者からの電話があって取材に来たそうだが、私の仕事の内容について全く分かっていない。どういう仕事か、くらい調べてくるか、分からないんなら聞いてよ。

 質問に対して、こういう答えが来るであろうという設定が1種類しかないらしく、別の返事を返すととまどってる。それに対して話を広げて聞いてくる訳でもなく、淡々と用意した質問をこなしていった。

 こちらとしても、事前に私の仕事に対して何も調べずに来た初対面の人に、自分のポリシー、みたいなのを力説する気もなく、最初の質問(これでとまどわれた)意外には、当たり障りのない返答で、取材は終わったのでした。

 こんな取材で何を書けるのか?と思う内容と時間の短さだった。「あー。取材なんか受けるんじゃなかった」「自分で書かせてもらった方がずっと言いたい事が書けたのに」みたいな、気持ちが残った。

 向こうとしても期待はずれだったろうなと、思う。で、アノ記事。

 新聞の反響は大きかったよ。1ヶ月くらいは、職場に来る人に「新聞にのってたよね」って言われたし、その頃あった専門家の集まるセミナーで、会った人達にも言われたもの。それだけに、「今回は悪く書かれなかったけど、これが悪いネタだったら、怖いなー」と思ったのでした。

 書く人は、読む人がどう取るか、考えて書かなきゃね。色々考えて書いても、「なんでそー取るかなー」って事も多いけど、「普通、こう書いたら、そーとるでしょー」みたいなとこは、気をつけなくちゃね

●記録者 junko
●記録日 2004/4/6(火) 08:09


0816 re(1):新聞の取材は

 新聞全般というより、その記者の資質だと思うけど、先入観のかたまりなんだね。で、その上人の話を聞かない。この「人の話を聞かない」という部分、実は耳では聞いているんだけど理解してないってことで、このあたりを考察するのが、今後の人間関係で無用に腹を立てなくて済むコツだと思う。

 「人の話を聞かない」というのは、記者なんだから相手の言うことを書き留めているにもかかわらずそうなのである。つまり、先入観で相手の返事を予測してしまっており、それ以外の返事だと戸惑って、さらに先入観で固まっている人間は、その部分を無視してしまう。

 で、自分の予測した回答の部分だけを書き留め、足りない部分は自分で補って記事としてしまうのだ。その記者は、「あの助産婦は変なこと言ってたけど、オレがちゃんとまとめてやったゼ」と思っているに違いない。

 今回は新聞記者の話になったが、こんな人はそこら中にいる。議論をするとよく分かるが、自分に都合の悪い部分は無視し、相手の間違っている部分、弱い部分だけを責めてくる。無視している部分があるので全体として論旨が破綻していることが多いのだが、そういう人はそんなことは気にもとめないようだ。

 これは前にも書いたのだが、究極の自己中人間というのはこの通りである。絶対に自分が正しいと思いこんでいるので、とにかく相手の間違った部分を探すのにやっきになっているし、相手が間違っていると嬉しくてしょうがないのだ。当然、相手が何を言っているか理解しようなどとは思ってもいない。

 私は、もはやこのタイプの人間とは積極的には関わらないことにしている。戦ってもムダだし、腹を立てるのもムダ。そういう人間だと気が付いたら、そばに寄らない方がいい。どう転んでも損するのはこちらなのだから。

 今回の場合は取材だったから仕方ないが、取材の途中でも相手がその手の人間だと気が付いたら、当たり障りのないことだけ言ってお茶を濁すしかない。ヘタをすると、本当に悪く書かれかねない。とにかく、「自己中人間には関わるな!」、これしかない。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/6(火) 22:27


0817 予想に反した返事は

 「助産婦をしていて、一番うれしいのは、赤ちゃんが無事に生まれた時ですか?」という質問に「うーーん。ホッとはするけど、一番じゃない。一番うれしいのは、2〜3歳くらいとか、もう少し大きくなったその子を「大きくなったでしょ」って、次の子の妊娠の時とか、面会のついでに連れてきてくれた時かな?」

 普通の人には「赤ちゃんが生まれた時」なんだろうけど、無事生まれたけど何か病気があるかもだし、なんともなくても、その後の育児の大変さを考えると、誰にでも、今流行り?の「虐待」の可能性はあるわけで・・・。やっぱ、ある程度「大きくなったねぇ(^^)」って言えるくらいになったのを見た時だねぇ。ほんとに「ほっ」とできるのは。って事は、子がいない独身の記者には「?」な事だったらしい。

 ここを読んでるオヤジのみなさんにも「?」な事かもね。育児に手を出してないとわかんないもん。1歳までの閉塞感、2〜3歳の反抗期の我が子に対する怒りの沸騰。産んだ時のあの「宝物」が「怪獣」に。そこを乗り越えつつあるって事で・・・。

 ま、その頃には10s、20s太ってた人も元にもどってて、別人、別顔になってて誰が誰やらわからんのだけど(^^;

 手術室勤務してた看護婦は「家族は手術が終わった時点で「よかった」っていうけど、大変なのはその後なんだよねー。退院のめどがたった時点で「よかったー」なんだよねー」

 似たような事を言っていた。

●記録者 junko
●記録日 2004/4/7(水) 07:52


0818 re(1):予想に反した返事は

 う〜んおやじの意見は、生まれた時は、とにかく「おがるべが〜」といつも思っていたね。やつ(きょっぴーの事)の場合いきなり入院もしたしで、とても不安だったです。
 じゅんこ様のおっしゃる通り、成長して行く過程でいろんな変化があった時は感動を覚えました。話すと書ききれなくなりますが、やはり今、下の世話に手間がかからなくなってほっとしてますね。でも今度は行動範囲が広くなりつつあり、やつは特に動き回るから、ものの分別が出来ない今頃が一番心配であります。
 でも話がずれるが、今はやつが3歳くらいで、腕で抱きしめる事の出来た頃がなつかしいです。う〜ん。もっかいあの感触を味わいたいけど、めんどっこいな。

●記録者 いさむ
●記録日 2004/4/7(水) 12:07


0819 re(1):予想に反した返事は

 回答が予想とは違っているという、そういう事実は経験不足な人間なら良くあることだし、ましてや記者という職業上、自分の全く知らない世界も取材しなければならないわけで、当然予測不可能な状況にはいつも当たっているはず。

 問題は予測と違った回答があった場合、最初は「?」だが、次に「!」で、新たな展開に対する質問を進めるというのが一般的な対応だと思う。これが自己中だと「?」の次に進めない。勿論相手を理解しようという気持ちが無いのだから、どうしても「!」にはならないのだ。

 これが実は「人の話を聞かない」という人の特徴なのだ。相手の意見の中で理解できない部分は無視、そしてひたすら自己主張を繰り返すので、話しがどうしてもかみ合わない。会議をしていても必ずこういう人が存在して、困惑させられる。

 今回は取材というシチュエーションだったから議論にはならなかったのだろうが、根っこは同じである。自己中であるが故の無理解の結果があの記事なのだ。相手の言ったことだけでなく、日本語までねじ曲げて自分の意見にまとめてしまうという、まさに頭の中がまだ封建時代な記者様だったのだ。

 結局私としては、今回の記者が独身だったというのは問題ではないと思っている。相手の意見を聞くとか感情を理解しようという気持ちさえあれば、自分では未経験のことでも記事には出来たはずなのだ。逆に知らない世界だからこそ興味を持って聞けるのだし、面白い記事にすることが出来るのではないのだろうか?

 子供が生まれた時の感想という部分では、独身者、オヤジ、母親、医者、助産婦、それぞれの意見が違って当然だろう。私など子供が生まれたという経験は一度きりだし、キャリア20年の助産婦は何千人も取り上げてきている。また同じ助産婦でも自分が母親の場合は別だろう。学校の先生なら卒業するまで安心できないし、坊さんだったら墓にはいるまでは気が気ではないかもしれない。

 結論として、自己中人間はその違いを理解しないということを言いたいのだが、その点はどうであろうか?今のところその意見についての賛同者はいない。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/7(水) 22:34


0820 re(2):予想に反した返事は

私は子供の頃、大人になれば”大人”になれると信じていた。
子供はやはり子供で未完成なものであり、大人になれば人間として完成されるものとして信じていた。それ程、純粋に子供として生きていた。
しかし、物心が付きそして思春期を得て疑問を感じている自分が居る事に気付いた。
そして今、40才台になり・・・・・・・・・・・・・


と、云うより酔っ払って書けません。
次の機会に・・・・・・・・・・・

●記録者 綾小路伯爵
●記録日 2004/4/7(水) 23:20


0821 靖国で会おう!!

総理大臣の靖国参拝に違憲の判決。

 憲法の原文は以下の通り。

〔信教の自由〕
第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 字面だけ考えれば、第3項で、国家公務員や議員は全て、公的には神社仏閣などに参拝できないことになる。もちろん個人ならば信教の自由は保障されてるってこと。

 いずれにしても小泉首相は今後も靖国参拝を続けるってことで、それは支持したいと思う。私としては、たとえ違憲でも参拝を支持する。国のため、国民のため、家族のため、死んでいった人々が祭られているものを、総理大臣が参拝するというのは当然のことだ。別に戦争を肯定する意味で行くのではないのだから。

 A級戦犯だの憲法だの言っているが、両方とも戦後アメリカに強要されたモノなんだし。東京裁判が不当だったことは今では日本国民全てが認めているのだ!憲法は改正されてしかるべき!国民のため、首相の靖国参拝を認める憲法を作れー!!

 綾小路氏、人間、意外に進歩しないものですな。私も40過ぎて、未だに子供の頃の自分がそのまま居るのに気が付きます。あの頃自分はダメ人間だと思ってましたが、大人になれば治るような気がしてたんですよねー、甘かったですね。もう、死ぬまでダメ人間のような気がします。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/8(木) 07:37


0822 自衛隊は違憲か?

憲法問題が出たついでにもう一つ。警察予備隊改め自衛隊の件。

 憲法の原文は以下の通り。

第2章 戦争の放棄
〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 中学生の時、ここも暗唱させられたよねぇ。ただ、暗唱したのは9条の1項だけで、2項はやらなかったので覚えてなかった。よくよく読むと自衛隊はどうなのかなぁって気にもなってくる。

 言葉上の問題なのだが、「前項の目的を達するため戦力を保持しない」といった場合の意味は、

「国際紛争解決のための武力行使をする戦力は保持しない」

「前項の目的を達するため、とにかくあらゆる戦力を保持しない」

という二通りに受け取れるのではないだろうか。後者なら当然自衛隊は違憲だろう。明らかに戦力を保持しているのだから。しかし、前者だった場合、武力行使さえしなければイラクへ行こうがどうしようが問題は無い。

 もしこれが、あらゆる戦力の保持を認めないということであれば、我々は国を守れないことになる。スイス方式にしたって同じ事だ。個人であっても戦力であれば違憲になってしまう。

 よって、問題にすべきなのは、憲法の解釈の問題ではない。憲法の目的そのものを問う必要がある。進駐軍が駐留していることを前提とした憲法では、現状に合うわけがないのであって、当然これも改正が必要であることは言うまでもない。米語を翻訳した日本語というのも誤解を招くので、最初から日本語で作って、日本人に分かるような文章にしてもらいたいものだ。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/8(木) 12:10


0823 3人は気の毒だが

 自衛隊を撤退するなんて事はとうていあり得ない。相手が国と国との威信をかけて戦っている相手ならまだしも、何処の誰とも分からないような有象無象のテロリストなのだから、国が動くわけがないのだ。そんな有象無象が跳梁跋扈する国で個人的な活動をしていた彼らは、ただイラクのためのボランティアでしたと言っても、どうしようもない。善意であれば必ず善意として受け取られるということは無く、それが気に入らない連中、それを利用しようという連中など、考え方も様々だし、狂信的で好戦的な連中も存在しているのだ。そんなことは平和ぼけで毎日ビールをかっくらっている私より、現地に行っている人間の方がよほどわかっていることだろうが。

 そんなわけで、今後期待するのは日本政府の動きである。テロリスト連中は日本政府に刃を向けたのだ。自衛隊は専守防衛ということであるが、今、明らかに相手からの攻撃があったわけだから、こちらに攻撃権があたえられたことになる。さぁ自衛隊諸君、今こそ君たちの出番だ!!先に3人殺されたら後から300人殺したまえ。それが日本の専守防衛という思想なのだ。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/10(土) 21:06


0824 テロリストにも人権を

 さて、今回はテロリストにも人権を与えようという、とても優しい提案である。是非皆さんのご賛同を頂きたいと思う。

 まず、普通の人間は人権を与えられている。これは、何らかの被害にあって死んでしまうと、全然人権が認められないことを見てもわかるように、死んでしまえばおしまいである。逆に、他人を殺しても自分が生きていれば人権があるというのが不思議である。

 こんな不思議は解決しなければならない。どうすればいいかというと、まず人権は一人につき一人分ということにする。これは、例えば普通の人が普通に生きていれば、全く今までと変わるものではない。変わるのは、人を殺して有罪判決になった場合、人権は一人分減らされる。つまり、通常の場合一人殺した時点で人権は無くなる。

 これをテロリストに適用するのだが、テロリストの場合は思想的に危険なため、将来に殺すであろうことも見込んで人権を与えていく。与えるというが、殺すのだから当然負の値を与えるのである。そうすると、能力によるだろうが、彼らの人権はマイナス数十とかマイナス百いくつという値になる。

 つまり、彼らを殺せば殺すほど、人権の含み損は減るわけだ。とりもなおさず、善人の数としては余計に生きられるということになる。よって自衛隊の諸兄は、遠慮無くテロリスト達をぶっ殺して欲しいと思うのである。人を殺すというのは大変なことだが、彼らを人と思ってはいけない。なにしろ人権がマイナスなので、彼らを殺すことが、すなわち人を救うことになるのである。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/11(日) 00:50


0825 re(1):テロリストにも人権を

うんっ。なかなか面白い発想だと感心しながら読みました。
解りやすくデジタルで表現するとは、Dさんらしい。考え方に賛成します。

でもそれには、世界中の人間の民族感・宗教感・生活感、等、すべてに共通した
「人権」・「殺人」・「テロ」の定義が必要ですね。

小さな単位で考えると、学校内での「いじめっ子&いじめられっ子」の場合。
例えば、いじめっ子がテロって、先生に叱られたとしても、親は子供のために、先生
を攻める時代です。(昔は「お前が悪いからだ!」と言われたが・・)

昔は共通だったように思う認識も、今や他人が何を考えているやら理解できないこと
がたくさんある時代。

信じられぬと 嘆くよりも 人を信じて 傷つくほうがいい 求めないで 優しさなんか♪
  

やはり、「やられる前に、やれっ!」か・・・。

●記録者 けいぢ
●記録日 2004/4/12(月) 18:29


0826 re(2):テロリストにも人権を

>でもそれには、世界中の人間の民族感・宗教感・生活感、等、すべてに共通した
>「人権」・「殺人」・「テロ」の定義が必要ですね。

 確かに通常の国家間であればそうなんです。共通した人権の意識は必要なんですが、問題はテロ行為を行っている輩に対してはどうなのか、ということです。

 私の考えとしては、テロ行為は単なるガキの喧嘩というようなレベルで考えております。ただ、ちょっと規模が大きくて人の生死が関わっているというだけです。で、そこに国対国の論理とか人間間の倫理なんかを適用してもしょうがないってことですね。

 ケンカなんだからやられたらやりかえす。その次にやり返されたくなかったら、相手が完全にやる気を無くすまで叩きのめす。懲りさせることが出来なければ、いずれ仕返しされるんですから。

 日本は憲法で、国際紛争を解決する手段としての戦争や武力行使は禁じております。しかし、これは国際紛争でも何でもない、ただのケンカでしかありません。暴力団が暴れているのであれば法的な措置として警察が出ればいい。今回は規模のでかい災害のようなものなので、自衛隊が出ているってことで。で、相手が国際法を無視した攻撃をしてくるならば、当然こちらも報復を、それも100倍にして返して差し上げて全く問題ないのです。それによってテロによる死者はずっと減るに違いないし、それを世界は望んでいるんじゃないでしょうか。

 ま、とにかく頭の中がガキなんだから、説教するより体で覚えてもらうしかしょうがないんですよねぇ…てめぇのガキが一番かわいくて目がくらんでるような自己中親のことなんか、もう考えたくないってカンジですかね。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/13(火) 00:30


0827 re(3):テロリストにも人権を

 戦後、国連から「世界人権宣言」なるものを定めました。(日本は、国連人権委員国に選ばれてないです。)これは、法の支配によって人権を保護しようというものですが、「日本国憲法」同様、平和と人権なんですね。この「憲法」すら日本人が作ったものではないですが・・。 

「テロ」という言葉が使われているが、考えてみると、ずいぶん怪しげな意味の言葉で理解しにくく、「テロ」ときくだけで先入観を持ってしまいます。

じゃあ、テロをどう定義するか?
一般に、「人命または器物への脅威をもって、政治的意図を達成しようとする行為」と言うような定義になるのだそうです。
つまり、人の命を奪ったり(9.11の同時多発テロみたいな場合)や人の命を奪おうとしたり(航空機のハイジャックなど)、あるいは、建物に爆弾を仕掛けるなどして、同じ政治思想を持っているが刑務所に入っている人の釈放を要求したり、政権の転覆を要求したりする行為をいうそうなんです。

 一方、現実には、大きな被害をもたらす人為的な災害が発生したとしても、即テロとは断定できず、犯行声明の有無やその信憑性、あるいは、実際に物証に基づいて、国際的なテロなのか、それとも国内活動家による破壊活動なのか、単なる事故なのかなどを断定することになる。
 一昔前までなら、テロが発生しても、テロと認めず、1犯罪として処理するのが、国家
の採るべき対応とされていた。つまり、そこに政治的な目的があったかどうかには触れず、単に飛行機を乗っ取った犯人、人を殺した犯人、物を壊した犯人として、処罰するのである。

「テロ」の実行者は「犯人」と言われ、その行為は「犯行」と言われる。犯罪者と決めつけられる。
 また、イラクにおけるイラク人の、アメリカ軍などへの攻撃でも同様である。まるで正義の味方と犯罪者との対立のようである。ゲリラという戦い方は、ジャーナリズムでは認めないのだろうか。

アメリカの目的は、「石油」なんだろうけど・・・・。アメリカこそ「テロ?」

ゆえに、D氏のいう「テロ=喧嘩」。私の中では、「喧嘩=ゲリラ」というイメージがありました。
 かなり、話がずれてしまいましたが、政治的意図がないならば、喧嘩ですまされ、それは、法が解決する前に人道的な習慣のなかで解決されなければならないと考えます。

って考えれば、表題にある「テロリストにも人権を」は、別の意味で人権があるんだよね。
 
今は、テロよりも、「八戸市&階上町」バトルが興味があります。ここは合併したほうが良いと考えますけど。昔から「快適共存地域」なんだから。これこそ、「政治的テロ」かもしれないと考えちゃいます。。。。

●記録者 けいぢ
●記録日 2004/4/13(火) 09:41


0828 テロは戦争ではない

 彼らは非戦闘員を人質に取っているんです。相手の弱点を突くという最も卑劣な行為、ジュネーブ条約でも全く認められていない、そんな行為なのだから、そこに政治的な意図があろうがなかろうが彼らはただの犯罪者であり、卑劣な犯罪者であり、蔑まれるべき犯罪者なんです。いちいち法廷で裁くのも汚らわしい、ただ消え去ってもらいたい、そんな存在なのです。

>表題にある「テロリストにも人権を」は、別の意味で人権があるんだよね。

い〜え、全然ありません!絶対ありません!テロリストの人権なんて認めません!負の人権を与えるということは、彼らから人権を剥奪すると言っているのです。そうハッキリ書いてもつまらないので「与える」という表現をしているだけであって、意味はそういうことです。

 また、ゲリラは別です。ゲリラは戦闘の一形態であって、多少卑劣に見えるかもしれませんが、戦争犯罪として裁かれることでもありません。勿論、非戦闘員の格好をして戦えば別ですけどね。

 合併に関してですが、八戸市と階上町はバトルしてるんですか?私としては、八戸の方は別段強引に合併を進めているわけではなく、上からのお達しだからやりましょうよってなスタンスで、ただ、既得権を放したくない階上議会が乗り気じゃないだけなのだと思ってました。結局、特に財政難でもなければ、吸収される側は合併してもおいしいところは無いってことでしょ?地方分権なんてところまで、だぁれも考えて無いのね。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/13(火) 22:45


0829 有線チューナー運命の日

 17日未明の雷は、一発だけすんごい音がしてその後すぐに雨が降り出し、音は遠ざかっていった。最初の音で目を覚まし、サーバーを止めようかどうしようか迷ったが、雨は降ってきたものの雷の音はしなくなったので、結局そのまま寝てしまったのだった。

 結局大きな雷鳴は一度だけだったようで、うつらうつらしている時に遠くで鳴っているのを聞いたような気がしたが、とにかくその後は朝まで起きることはなかった。朝起きてみると雨もあがって、サーバーも問題なく作動しており、一安心しつつ目覚めの珈琲などを飲んでいたわけだ。

 そして、朝の何杯目かの珈琲を飲みつつ、FMの番組がしょぼいので有線でも聴こうかとリモコンを押してみるが、電源が入らない。そういえば以前もこんな事があった。GPSの中である日時から使えなくなる機種があるということがあって、その日に丁度我が家のGPSも言うことをきかなくなったのだった。この原因はリモコンの電池が無くなっていたからだったので、今回もそうかと思って本体の方の電源スイッチを押してみたのだが、それでも電源は入らない。

 同じコンセントから電源を取っているボーズのアンプは正常に動作している。ラジオを聴いているのだから当然だが、とにかく有線のチューナーだけがダメになっているのである。原因は不明だが、未明の雷を思い出した。そういうことなら、電源のラインからではなく、有線の同軸ケーブルからやられたのかもしれない。

 とにもかくにも有線チューナーはウンともスンとも言わなくなり、本日めでたく入院となったのである。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/19(月) 20:30


0830 君が代国歌反対!!

 最近あまり聞こえなくなったが、しばらく前から君が代が国歌としてふさわしくないという意見があったようだった。今もその意見が無くなったわけでは無いと思う。おそらくメディアの方がこのネタに飽きてしまって報道しないだけなのだろう。

 というわけで、なんだか地元D紙の投稿欄でも君が代を礼賛する記事があったりして、何らかの場所で是か非かという論戦が行われているのは確実であろう。

 とにかく議論をするということはいいことである。君が代が国歌としてふさわしくないというのなら、それも一理あるのかもしれない。問題は、どういう部分がふさわしくなく、そして、それならば国歌としてふさわしい歌とは何なのかというところなのだ。

 君が代というのは、単純に言えば天皇の御代がいつまでも続くよ〜んというだけの歌だ。長い時間であることを雅に表現しているに過ぎない。で、それが悪いというのだろうか?憲法によれば、


第1章 天皇
〔天皇の地位と主権在民〕
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


ということなので、国民の象徴である天皇の御代が千代に八千代に続くという歌は、国歌として非常にふさわしいと思うのだがどうだろうか?気に入らないとすれば、先に挙げた歌詞の単純さである。

 では、君が代をやめて、別の歌にしよう。今まで反対派からの代替案を聞いたことがないのだが、とりあえず「海ゆかば」などはどうだろうか。これも天皇を崇拝するとともに、さらに自分の命をかけて国体を守ろうという意気込みが感じられる。ちなみに歌詞は、

海行かば/水漬(みづ)く屍(かばね)/ 山行かば/草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の/辺(へ)にこそ死なめ/かえりみはせじ


 う〜む。この曲がオリンピックなどで流されるのを想像してみたまえ。メロディーも荘厳だし、とにかく祖国日本を応援しようという気にさせるではないか。

 また、反対の理由がメロディーの暗さにあるというのであれば、この曲もダメである。それならば、欧米諸国にみられるようなマーチ的なものはどうだろう。日本でふさわしいものと言えば、「愛国行進曲」であろう。ちなみに歌詞は、


見よ東海の空あけて/旭日高く輝けば/天地の正気溌溂と/希望は躍る大八州/
 おお清朗の朝雲に/聳ゆる富士の姿こそ/金甌無欠揺ぎなき/わが日本の誇りなれ

起て一糸の大君を/光と永久に戴きて/臣民我ら皆共に/御稜威に副わん大使命/
往け八紘を宇となし/四海の人を導きて/正しき平和打ち建てん/理想は花と咲き薫る

いま幾度かわが上に/試練の嵐哮るとも/断固と守れその正義/進まん道は一つのみ/
ああ悠遠の神代より/轟く歩調うけ継ぎて/大行進の往く彼方/皇国常に栄えあれ


 う〜む。これもいいかもしれない。勇猛果敢な感じである。オリンピックというより、アジア大会あたりがふさわしいかもしれないが(^^;

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/20(火) 23:55


0831 re(1):君が代国歌反対!!

しかし、Dさんの博識には何時もながら恐れ慄く私で御座います。

さて、天皇史は紀元前660年の神武天皇から始まり現在に至る訳だが、
日本で記録としては一番長い血筋を受け継いでいる訳でしょう。
私の先祖は、直系で(長男)何代まで遡るかなんて解る筈も有りませんし、せいぜい長くても10代有るかどうか?
それに比べ、天皇は現在まで125代。
うろ覚えだが、確か、東の天皇と西の天皇があり?西が本筋なのだが東が取って変わったとか?
神武天皇から現在の今上天皇まで125代の間にその様な事件があったと記憶しているが。

難しい事は知りませんが、天皇制は国の象徴であり日本国という国に歴史の重さを持たせる存在である。
天皇制を否定する国民は知っているだろうか?米国の知識人達は「日本の歴史は戦後からだ」と、軽んじられている事を。
つまり、敗戦後GHQが日本を占領して教育から全てを米国が作り上げ、それを日本国民が素直に実践し、表向き民主主義国家として敗戦後のゼロからの経済立て直し、そして高度経済成長の波に乗って近年の経済大国までのし上がったが故に、
米国追従の今の日本国家及び日本国民が有る。
そうした中で教育を受け、グローバルスタンダード気取りで世界観を語っていると思い込んでいる人達は。


天皇を始め皇族は国費で賄われている。つまり国民の税金である。天皇を批判する人達はそれが許せないのだろうか?
以前、テレビで観たが、食事等は非常に質素なもので驚きと共に感動した記憶がある。
英国の様に不埒な行動等も無く、外から見れば慎ましく行動し生きている。
天皇や皇族の存在とは、外交及び儀式等で「この顔に免じて」又は、「場に華を添える」、「場を治める」存在だ。
それに対しての国費等微々たるものでしか無い。

天皇を神格化する国民は現代では誰も居ない。しかし、天皇は日本国の象徴であり日本国の歴史の重さである。


さて、本題である。
”君が代”は、私には暗い音では無く、非常に美しい音に聞こえます。
そもそも、国歌をちょくちょく変えたら国歌としての威厳が損なわれます。
音も美しいし、響きは日本国民として心を打ち禅にも相通ずるものを感じます。
そう思うのは、たまたま私が生まれた時から聞いている国歌”君が代”なんだからと云う単純な事なのでしょう。
ましてや、比べる国歌候補も無い事ですし・・・
つまり、結論からいってどうでも良いと云うことですな。


●記録者 綾小路伯爵
●記録日 2004/4/21(水) 15:25


0832 酔っ払いの戯言。

たった今、帰ってきたところであるが、実は横浜でも有名で非常に美味いと評判の寿司屋へ行って来たのですが、
非常に腹立たしい思いをしたでござる。
と、云うのは、私のガリが無くなっているのに板前は気付かないでいる。暫くは黙っていたのですが、一向に気付かない。
思わず私は、「おい!板前!!お前は何を見てるんだ!?さっきから周りをチラチラと一見、見渡しながら握っている様に見えるが
実は何も観てないだろ!!」と、云ってしまった。
そうすると、その板前は、「何か御気に障りましたか?」と、私を見ている。
私は、呆れてしまった。「俺のガリが無いだろう!?こういう時はどうするんだ?!」と、云ったら、
「あ、申し訳ありません」と、ガリを差し出した。
生ビールを2杯呑んでいた私は、熱燗を頼んだ。
そしたら、おまちどうさまでしたと云って、私の左側から差し込んだ。
「俺は左利きか?刺す時は右側から差し込め!!何で俺がお前らに無料で教育をしなければならないんだ?!」
そうしたら、親方と称する人物が出てきた。
「教育が行き届かなくて申し訳ありません、精一杯のもてなしを心がけますので、ごゆっくりとくつろいでいって下さい」と、云われた。
が、しかし、その親方の目はそう云っていなかった。{この酔っ払いが!生意気に!!}と、云う目をしていた。
その瞬間、私は怒るどころか空しい気分になった。
しかし、帰りに駐車場まで追いかけて来た店員がいた。熱燗を左から差し込んだ可愛い店員だった。
「先程は大変失礼しました。良い勉強になりました。今後これを教訓に接客させて頂きます。又のお越しを心よりお待ちしております。
有難う御座いました」とな。
あの親方、60はとうに過ぎているだろうが、20歳そこそこの可愛い女の子に救われた事を気付いているのだろうか?

世間では、超有名な寿司屋である。美味しいとの評判で一人最低3万は覚悟しなければならない店である。
それだけの店だから、ネタの新鮮さは当然良いネタを揃え、抜群に美味い。大間の本マグロはやはり美味い。
しかし、3万は高い。それだけの料金を取る店は、格式や優越感や雰囲気を「売り」にしている筈なのに。
周りの客は、如何にもカネ持ってるぞー!と、云う客の中に、私の様に、Tシャツに雪駄と云う出で立ちが馬鹿にされたのだろうか?
客商売、見た目で判断は禁物である。

●記録者 綾小路伯爵
●記録日 2004/4/21(水) 21:25


0833 風男の敗北

 さて、先日17日に一人で花見をしたことは簡易掲示板に書いたし、その時のメニューも書いたのだったが、結構なネタだったのでこちらに書いておくことにする。ちなみに簡易の方には画像もアップしたので、興味を持った方はご参照いただきたい。

 飲み物の方は、だいぶ以前から試している、生樽サーバーで自分好みのビールをブレンドして抽出するという趣向。今回は十和田地ビールのピルスナーを500mlと、クラシックラガーを1gという混合比。これをアウトドアで飲むため、缶そのものを「どん冷え」というアイスクリーマーの容器に入れて冷やし、そのまま保冷バッグにて持ち出すことにした。

 これはさすがに冷たかった。味も、酵母が生きているビールでありながらクラシックのすっきりした苦みが利いており、暑くなったらまたチャレンジしたいレシピである。これは帰宅後クラシックだけを1g足して、結局この日は寒かったにもかかわらずあっさり2.5gを飲んでしまったのだった。

 しかし、本日の本題は肴の方である。花見ということなので焼き肉も用意していたのだが、さすがに一人で鉄板をつつくのはためらわれ、持っていくのはおでんだけにしたのだったが、このおでんが絶品だったのだ。

 基本の味付けは「みなとやのつゆ」で、それに適当に酒や醤油・味噌などを加えたもの。味見もせず量も目分量なので、同じ物は二度と出来ないというアバウトな料理。具は、基本的にダイエット用なのでいつもはコンニャクと凍み豆腐だけなのだが、今回はせっかくのイベントであるからして、スジ肉とダイコンを追加することにした。

 スジ肉は別鍋でアクを取りながら1時間ほど煮込んでおく。ダイコンは輪切りにして、どちらもおでん鍋にブチ込む。その後は、昼と夜に食べるたびに煮返しておく。多少量が減ったので、スジ肉を追加すべく買いに行くと、国産モノのみになっておりグラム100円もする。値段に納得がいかないので、今度は豚の軟骨の冷凍物、グラム30円というのを買い、これを煮て入れることにした。

 そして、花見当日の17日には、スジ肉は2日軟骨は1日以上煮込んで、ダイコンとともにトロトロになっていた。これを保温容器に詰めて、ビールとともにかついで出発したのであった。桜の見えるベンチに腰掛け、おでんをつつく。もう牛スジ肉はトロトロ、豚の軟骨も全部食べられるし、ダイコンも箸でつかむのが大変なくらいトロけている。そこへどん冷えのビール、もっ、たまりませ〜ん。これで寒くなかったらネ。

 そんなこんなでワタクシは、新井田川堤防の上で震えつつ、暖かくなったらもっとパワーアップしたレシピでリベンジしようと誓うのであった。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/21(水) 21:45


0834 re(2):君が代国歌反対!!

 そうですね、神代の頃から数えると、今年は紀元2664年にあたるんでしょうかね?確か昭和15年、零式戦闘機なんてのが出来た年が2600年だと思いましたので…

 まぁそれはさておき、確かに天皇家は代々続いていることになっておりますが、「男系ノ男子ガコレヲ継承ス」なんて皇室典範として決まったのは明治に入ってからなので、長男を直系とした場合は天皇家の血筋も途切れちゃうと思いますよ。過去には女帝も居ましたし、そして天皇家が二つに分かれていた「南北朝時代」もありました。ま、どちらも一応血筋の正当性を主張してたんでしょうけど、私も詳しいことは全くわかりません。

 また、象徴天皇ということを言えば、武家が政治の実権を握るようになってからは、ずっと天皇は象徴だったと言えるかもしれません。いくら武家が武力を誇っても、結局は天皇に認められて初めて天下を取るという形式は変わっていないので。この場合は国民の象徴ではなくて権力の象徴かもしれませんが。だから権力者は、こぞって娘を公家へ嫁がせたいわけですね。

 それに、大政奉還して明治になって一応天皇の治世ということになりましたが、議会があって内閣があり、その内閣が天皇を輔弼するという表現をしておりますが、実は天皇は内閣の決定には必ず従うことになっているので、選挙制度さえきちんとしていれば明治の中期には既に議会制民主主義が確立していたとも言えるのです。

 そういう意味で、私は天皇は戦前もずっと以前から象徴だったと思っていますし、実はマッカーサーもそう思っていたと考えていますし、つまり昭和天皇にはいわゆる戦争責任などあり得ないわけでして、それならば君が代に反対する理由なんて何も無い筈なのです。それこそ国及び国民の象徴として敬っているのが正当だと思ってます。

 さらに言うならば、憲法で、天皇家の財産は国に属し、経費は予算を立てて国会の議決を得ることになっているので、それに反対ならば憲法を改正することになります。でも、そういう人に限って、憲法違反をやかましく言うだけで改正という事は言わないような気がします。

 私も「君が代」が好きです。少なくとも、諸外国の国歌のように、自分が一番で他人をやっつけようなんてところが微塵もないのがいいです。これこそがまともな人間の考えることだと思うんですがね。どうも世の中には、いろいろな考え方の人がいらっしゃるようで、事実君が代に反対している人たちが居ます。今回はそんな人たちを婉曲にバカにしてみたんですが、反対派の人が読んでくれないことには論争にはなりませんね。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/21(水) 22:46


0835 re(3):君が代国歌反対!!

なるほど!!!!!
それで南北朝時代と云うんですね!!な〜るほど〜〜〜。
40過ぎて今知りました。

●記録者 綾小路伯爵
●記録日 2004/4/22(木) 00:08


0836 マーガリン、危険な脂

 先日、オートミールを使ったビスケットを作ってみた。オートミールは食物繊維が玄米の3倍入っているというので、健康的なオヤツでも作ってみようと思ったわけなのだ。作り方を見ると砂糖やバターも使うので、それぞれローカロリーの甘味料とマーガリンに替えて作ってみた。

 味はさほど期待していなかったが、比較的旨くできた。甘さが少なすぎるので妻には不評だったが、どうせ自分で食べるために作ったのだから問題ない。私はブラックコーヒーと一緒に食べるので、かなり甘く感じるのだ。

 というわけで結果には満足していたわけだが、それでもマーガリンを使っているのでそれなりにカロリーは高いものだ。そこで、もっと低カロリーの材料は無いかと考えて検索してみたのである。

 「マーガリン」とか「ショートニング」等というキーワードで検索してみると、どうもこれらの人工的な油脂類が体に悪いということを言っているサイトがあちらこちらにある。当初のカロリー計算などどこへやら、別の問題が浮上してしまった。

 いろいろ読んでみると、マーガリンやショートニングなどの人工油脂類は、自然界に存在しないトランス形の立体構造を持つ脂肪酸を含んでおり、細胞に悪影響を及ぼすということで、欧米では使用が規制されているというのだ。もちろん日本では、国民の健康よりも企業の利益を優先するという政治屋の発想から、全く規制は行われていない。

 そしてさらにこの悪玉脂が、実はマーガリンやショートニングだけでなく揚げ油にもよく使われているということも書かれている。うちの娘は油モノに反応して発疹が出るのだが、これが原因なのかもしれない。バターかけご飯は全く問題ないのに、フライがダメな場合が多いのだ。

 今までは単純に、植物性油脂だから健康的だと考えていたが、化学的に加工されたものは注意しなければならないようだ。ショートニングなどはかなりの数の菓子類やパンに使われていて、排除するとなると大変なことなのだが。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/28(水) 23:03


0837 大きな桜の樹の下で〜

 先日クルマの中で久々にAMラジオを聴いていた。いつもはFMを聴いているのだが、たまたま妻の車のラジオがAMになっており、トーク番組の話題に聞き入っていた。

 話題はいろいろ変わっていったが、花見のハナシの中で「桜の下には死体が埋まっている…」というのが出てきた。そういえば何かで聞いたことがあると思っていたら、梶井基次郎がそう書いているというのだ。

 梶井基次郎と言えば、落ち込んでいる時や漠然とした不安感がある時に読むと、ますます落ち込み不安感もいや増すという、私の愛読書の一つなのであるが、桜の下の話しは記憶になかった。

 どうにも気になってとりあえずざっと読み返してみたが発見できない。基次郎の作品にはおぼろに霞んだ春よりも、悲しいほどの青い空、真夏の晴天が似合っている。「真夏の淋しい/蒼さの中で/ぼくはひとり/やさしく発狂する」、森田童子の歌にも共通しているが、自然ばかりが元気で人間の精神だけが朽ちていってしまうようだ。

 それはともかく、発見できないとなるとますます気になる。仕方ないので本屋へ行くことにしたが、私が持っている基次郎の本は岩波文庫のもので、これが揃っている本屋は近所にはなかなか無い。そこで、八食センターに隣接している生き血書院へ行くことにした。ちょっと遠いが、ここなら間違いないだろう。

 書棚を見てみると、確かに岩波文庫は並んでいたが、結局そこには私の持っているものすら無く、惨敗であった。この頃は新しい種類の文庫がどんどん出版され、岩波文庫などはスペースが狭くならざるを得ないのであろう。しかし、そうなると基次郎の作品はどうやって読めばいいのか。

 他の出版社には期待していなかったが、もしかしたらということで文庫本の書棚のあたりをしばらくうろつくことにした。そして「か」のあたりを注意して探していると、新潮文庫に基次郎を発見した。おぉ、あった。しかしタイトルは「檸檬」。岩波文庫の方は「檸檬・冬の日」となっているので、中身には期待が持てない。

 とにかく手にとって目次を調べる。やはり記憶にあるタイトルが並んでいる。「冬の日」もある。ダメかと思いつつ、次のページを開くとさらに目次が連なっていた。そして、あった!本日2度目の「あった!」でようやくビンゴ。「桜の樹の下には」というそのままのタイトルであった。

 そんなこんなで文庫本を一冊購入してきたわけだが、いきなり目的の文を読むようなことはしない。目次の順序通り、既に読んでしまった作品ではあるが、「檸檬」から順番に読み進める。心臓がドキドキするような不安さを確認しながら、一作品づつ噛みしめるように読むのである。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/29(木) 10:05


0838 伊号潜水艦帰投セズ

 類家三丁目にある旧熊谷邸が取り壊された。あそこはもちろん議員さん個人の邸宅ではあったが、子供の頃我々は近所に住んでいるよしみもあって、よく敷地内に忍び込んでは遊んでいたものである。

 遊ぶ内容は三角ベースが主だったと思うが、熊谷邸には大きな池があったので、そこを利用して水系のプラモデルで遊ぶこともあった。水系プラモとしては、戦艦や空母などの一般的なものも作ったが、意外に潜水艦が人気で、また、そこの池で遊ぶにはチープなゴム動力の潜水艦プラモが適していたとも言える。

 もちろんマブチの水中モーターなども存在していたが、これは池で遊ぶには危険が大きすぎた。なにしろ潜ったが最後、回収不能になる確率が非常に高いのである。熊谷邸の池は、コンクリートで囲まれたような無粋なものではなく、非常に旧式で雅やかなものであって、底の方は朽ちた木の根や草や混沌とした泥濘などで想像を絶する世界であったろうと思う。そのカオスの威力をもってすると、我々のチャチな人工物など、一瞬にして飲み込んでしまうのである。

 だからこそのキッチュなゴム動力潜水艦なのだ。ことほどさようにゴム製品というものは我々の生活に欠かすことの出来ないものなのである。たった一度の進水で帰還が望めない潜水艦、まるで旧日本海軍の回天のような儚さ。我々は「海ゆかば」を斉唱しつつ、挙手の礼をもって自作の潜水艦を見送ったものだった。

 そんなわけで、あの池の底には、未だ朽ちることのないプラスティックボディーの潜水艦やら潜航艇の他、戦艦・駆逐艦・空母・巡洋艦など、機動艦隊一式が眠っていたはずなのである。しかし、今や邸宅とともに懐かしい池も無くなり、我々はまたひとつ、楽しかった子ども時代を思い出すよすがを失ったのである。

 それはさておき、以下のページ。ここで紹介されているのは電動のものであるので、当時プロレタリア少年であった我々にはお目にかかることすら無かったものだが、その精神としては非常に共感できるものであるので、URLを掲載しておこうと思う。

http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi02/19sensuikan/index.html

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/29(木) 14:31


0839 不思議の国のアリス

 アリスといえばむくつけき男どもが野太い声で歌っているものであるが、不思議の国とつくとメルヘンな世界に変貌する。しかしあの作品は単なるメルヘンではなくて、数値的に計算された世界と言葉遊びによって作られているようだ。

 また、ディズニーの作品にも同名のアニメがある。アニメの方をよく見ると、ストーリーとしては不思議の国のアリスだが、「鏡の国のアリス」の方のエピソードも挿入されており、ディズニーでは「不思議の国」の続編として「鏡の国」を造る気持ちは最初から無かったことを示している。

 それはさておき、言葉遊びの部分であるが、これは当然英語で考えられている。原作のルイス・キャロルは英国人だし、ディズニーはアメリカ人だ。我々は日本語版を読んだり見たりしているわけだが、どうしても無理なギャグというか違和感のある部分がある。だからこの手の作品では、分からないにしても原作がどうなっているのか気になるのだ。

 しかし、結局のトコロ原作の部分が分かるという機会は全くあり得ない。知ることがあるとしたら、殆ど英語の授業みたいになってしまう筈だからだ。3科目しかない私立の入試の英語の試験の時間には寝ていた私が、そうまでして知ろうとは思わないのは当然である。

 ただ、一箇所だけ分かるのは、アリスが迷子になったシーンである。迷子になってアリスは、そこの国の女王に「lose My way」と言ったのだろう。それに対して独善的な女王は、「ここにはお前の道なんか無い、全部私の道だ!」と怒っているのである。

 今度DVDで観る機会があったら、英語の字幕を表示してみるのも面白いかもしれない。勉強にならない程度に。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/30(金) 07:34


0840 生ゴミ処理機運命の日

 我が家では電動の生ゴミ処理機を使っている。今、市では生ゴミ処理機の購入に対して補助を行っているが、我が家の機械はその補助が始まる数ヶ月前に購入したという一品である。

 いずれにしても生ゴミ処理機とはいいもので、我が家では殆ど生ゴミを出さずに済んでいる。多少出るのは、骨や貝殻・種子など微生物が処理できないもの、そしてパックに付着した残りかす程度のものである。よってゴミの殆どは紙・ビニール・プラスチック類となり、これだけならば高温で燃えるのでダイオキシンの心配は無くなる。もちろん、全戸がそうしなければ意味がないのだが。

 とにかくゴミの減量化に非常に貢献してくれる機械で助かっていたのだったが、当然メンテナンスというか、時々処理された生ゴミを排出する必要がある。投入された生ゴミは加熱されて水分が飛び、さらに微生物が分解することによって土になっていくので、量はだいぶ減るとはいえ、その土もだんだん増えてきて、しまいには中で撹拌する棒が廻らなくなってしまう。繊維分が分解されずに絡まっている場合もある。

 そういう場合はLEDが点滅して教えてくれるので、土や繊維を排出し、新たなチップを加えてやればいい。我が家では専用のチップの替わりにモミガラを使っている。そして、先日も気が付くとLEDが点滅していたので、中身を確認すると特に一杯になっている様子が無い。何度か電源を入れ直したりしてみたが、どうも撹拌するに至らないので、仕方なくまだサラサラのモミガラを全部排出したのだが、それでも撹拌棒は廻らない。

 つまり壊れているのである。一旦蓋を開け、その後閉めると一定時間撹拌するようになっているのだが、全く反応しない。ただ、モーターが唸るような音が聞こえるので、歯車かどこかが噛んでしまっているのかもしれない。この機械がないと妻は非常に困るということで買い換えを考え、補助の申請用紙など貰ってきたのだが、私は一応分解して原因を探り、直せるものなら直してみようと考えた。

 撹拌槽の底を見ると一部割れているところがあり、おそらくそこからモミガラが出て歯車に噛んでいるのだろうと思われた。それなら、分解さえ出来れば簡単に修理出来る。そんなことでボディー外側のビスを外してみると、結構素性の良い機械で、ボディーの外装はすぐに外すことが出来、モーターや歯車を見ることが出来た。

 モーターからは歯のついたベルトで歯車に伝達され、その後撹拌棒まで数枚の歯車で構成されている。全体にモミガラで汚れているが、何かが噛んでいる様子は無い。手で動かしてみるとかなり動きが渋いのだが、どこが原因なのかよくわからない。手がようやく入る程度の隙間しかなく、どうしようもない。そのまま電源を入れてみるが、モーターがピクリと動くだけで回転しない。

 モーターとプーリーの部分をよく見るためには、底板を外さなければならないのだが、ビスが穴の深くにあって、これが手持ちのドライバーでは届かない。しばらく電源を入れたり切ったりしていたが、どうにもならず、結局長軸のドライバーを買いにホーマックに行くことにした。

 軸が30cmもあるドライバーを買い求め、ようやく底板をバラす。モーターなどが露出したが、そのままではやはりわからない。プーリーを外してみることにして、モーター軸に付いている鋼のピンをとり、歯車を外した。すると、他の歯車は撹拌棒とともに軽く回転する。つまり、モーターが悪いのである。

 確かにモーターのコイル部分にもモミガラが詰まっていて、それは見える範囲で取り除いたのだが、だめらしい。結局モーターもバラすことにした。モーターの外側のビスを外すと、簡単に二つに割れ、中の回転子が出てくる。中を見ると、やはりモミガラなどが詰まっているので掃除し、組み立ててみる。そして軸を回してみると、やはり回転が固く、電源を入れても回らない。

 再度モーターをバラし、回転子を調べてみる。回転子の軸は両側をベアリングで支持されるようになっているのだが、その一つの動きが渋くなっている。ベアリングがダメになっているのであれば手の施しようが無いが、とりあえずCRCを吹き付けて手で回していると、少し回転が良くなってきた。何度もCRCを洗浄する程吹きかけ、回しているうちに結構軽く回るようになった。ゴロゴロした感じは直らないが、抵抗感は両側のベアリングとも同じ程度である。

 これで再度組み付け、電源を入れてみる。今度はモーターは勢いよく回った。そうなればあとは全体の組み立てだけだ。最初はプーリーを組み付けて再度電源を入れ、撹拌棒が回るのを確認し、底板とボディーを組み立てる。これにて一件落着である。

 しかし、ベアリングを交換したわけではないので、今は動いていても近いうちにまたダメになるのは目に見えている。今回は修理というより、若干の延命措置をとったという程度なのである。同じベアリングが一つ手に入れば直せるのだろうが、本体とベアリング、どちらのメーカーに言っても無理であろう。我々に出来ることは、この生ゴミ処理機が天寿を全うするのを見届けることだけなのである。

●記録者 上野大樹
●記録日 2004/4/30(金) 16:22



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