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過去ログ 2005年_6月


1148 靖国で会おう!〜その2

 またまた小泉首相の靖国神社参拝問題である。前回の考察では、確かに憲法の上からは首相としての参拝は問題があるだろうということであった。だから結論としては、国として靖国参拝ができるように憲法を改正すべきだということなのである。小泉首相は個人として参拝していると表明しているが、それは現在の憲法を遵守しようという潔い行動だと思っている。

 そこへ来て今回は中国の内政干渉問題である。彼らは憲法がどうこうというのではなく、とにかく中国に被害を与えた戦争に関わった者たちが永眠する靖国神社を参拝することが気に入らないのだという。しかし、もし大東亜戦争に於いて日本が中国に被害を与えたのだったら、戦死者ばかりでなく、生き残った者も同罪であるのだから、国交を正常化したこと自体がおかしいのである。靖国が気に入らないのであれば、同じ理由で国交を断絶したままにしておけば良かったではないか。

 つまり中国は、ゼニが欲しいのだ。日本のODAや円借款などによって恩恵を受けつつ日本を追い越せと言って、国民に反日感情を植え付けている。恐るべし、中国共産党の洗脳主義。さらに彼らは国連の常任理事国などと言いながら、自分たちでは好き勝手をしているのだ。チベット自治区を始め、中国の中に数カ所ある「自治区」というのは、彼らが武力で侵略した国々である。中国共産党はそんな自分たちの罪悪をすっかり棚に上げ、日本たたきをしてうまい汁を吸おうというやり口なのである。

 全くバカバカしいにも程がある。ちょっと前に話題になったが、日本は借金が雪だるま式に増えていて、ヨソの国なんかにカネをやっている余裕など無いはずなのだ。それを、返してくれるアテがありもしない中国に対して、どんどんカネを供給している。とりあえずそれらを凍結してみてはどうなのか。その上で話し合ってみれば、確かに小泉首相の言うとおり話せばわかるということになるであろう。しかし、こちらが以前の通りの援助を続けているままでは、彼らは全く聞く耳など持たないであろう。

 注:前回「靖国で会おう!」は、0821、2004年4月の書き込み
   フリー掲示板で番号を探すか、過去の書き込みを参照すること

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/6/11(土) 22:26


1149 歴史認識:そもそも中国とは?

 日本の首相の靖国参拝に反対している中国だが、彼らはなぜそのように執拗に内政干渉をしてくるのか。どこまでも日本はいいなりになって、ごねればごねるほど金を出すとでも思っているのか。つまり彼らはカツアゲをする中高校生と同じレベルなのだと言わざるを得ない。自分のものは自分のもの、アナタのものも自分のもの、ジャイアンとのび太の関係と言った方がわかりやすいかもしれない。

 それはさておき、中国という国はいったい何なのか?中国の中は自己中の中か?というくらい手前勝手なあの国が、どのように出来たのかをちょっとおさらいしてみよう。中国四千年なんていうけれども、「中国」と呼ばれる国はごく最近に出来たものなのだから。ここではとりあえず場所を示すものとして「中国」という言葉を使うこととする。

 まず、日本では徳川幕府が開かれた数十年後の1636年、後金という国名が「清」に改められた。後金は満州人のヌルハチが1616年に満州全土を併合して建国、その後「明」を滅ぼし、1662年には中国全土を統一し、中国歴代王朝の中では最大の版図をもったようである。

 日本が清国と関わるのはもちろん明治維新の後であるが、その少し前の1840年には、アヘン戦争というものが起きている。これは、イギリスが自国の綿織物と植民地のインドの茶や絹の貿易の不均衡から、清に無理矢理アヘンを売りつけようとした結果起こった戦争である。ここで清は敗北し、それ以来香港がイギリスのものになったのだ。

 その後日本は明治維新を迎えるが、清は太平天国の乱という、漢民族のクーデターを経験しつつ、次にフランスと戦うこととなる。仏はメコン河デルタ周辺を支配下におき、さらにベトナムを保護国としたが、それに清が反対して戦争をしたのである。この清の態度はよかったのだが結局敗戦し、ベトナムやカンボジアを含めて、仏領インドシナを認めることとなってしまった。

 さて、このように列強がアジアで好き放題をやっている状況の元、日本は明治維新の後急速に近代化し、富国強兵政策をとってきて、ようやく国を守るべく動き出すことになる。当然列強は朝鮮半島を経由してやってくるから、日本もそこを橋頭堡として大陸へ進出せざるを得ない。そこで清とぶつかるわけである。当時、朝鮮は清の属国であったのだろう。

 長くなったので、続きは次回の講釈にてぇぇぇ〜

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/6/21(火) 22:09


1150 歴史認識:そもそも中国とは?2

 ええと、では日清戦争のところから。まぁとにかく日本は、列強の支配に抵抗すべく、朝鮮半島から大陸へと進出したわけで、当然清と戦争になる。結局、列強にいいようにされている清が勝てるはずもなく、日本は遼東半島を割譲するという条約を締結するに至る。しかし、そこへ例の三国干渉である。独仏露が、それはならんと横車を押してきたわけだ。それで清が助かったと思いきや、列強はさらにいいように中国を分割し権利を分捕ってしまったのである。むろん日本は彼らに対抗する力もなく、黙ってみているしかなかったが、中でもロシアに対して敵愾心を燃やしていくのである。

 その後1900年頃には義和団の乱が起こるが、これも日英米仏露独などに抑えられる。結局清はずっと欧州列強にやられっぱなしだったわけだが、ここでようやく日本が立ち上がる。日英同盟で後ろ盾を作って憎いロシアをやっつけようということなのだ。日本は、直接清をやっつけようとしたことなど無いのである。あくまでも列強支配の排除が目的なのだから。というわけで日本はロシアに打ち勝ち、それまで持っていたロシアの権利、樺太島の南半分・遼東半島最南端租借地・満州鉄道支線などを譲渡されたのである。決して清を侵略して奪ったものではない。

 この後1910年には、日韓併合ということがおこる。韓国は先に書いたとおり清の属国であったが、日本がそれを独立開国させ、日清戦争後1904年に日韓議定書で全面的な支配者となり、1910年には全ての支配権を日本に譲ることになった。これなどは、元々国の体をなしていないものを独立させ、自分の支配下に置くという、列強の支配下にある国をこちら側にとりいれようとする日本の常套手段といえるだろう。

 さて、このような状況、つまり清がすっかり列強の属国に成り下がり、その債務の支払いのために増税を余儀なくされた民衆が立ち上がるのがここからである。1911年、いわゆる辛亥革命というものであるが、あちこちの省で革命が起き、孫文と袁世凱が政権を樹立したが、後に袁世凱が立って中華民国が成立する。ここで清が滅亡したことになり、正式に中国と言えるのはここからであろう。

 その中国も革命後の急造政府であって、列強の支配は相変わらず続いていたが、第一次世界大戦が始まって列強が動けないというスキを伺い、日本は中国に対して21箇条の要求を出す。これは要するに列強の支配地を日本によこせということだが、それはつまり日本が中国を支配することに他ならない。中国はいずれにせよ被支配国であるのだが、列強が分割している時と違って日本が一手にやるわけだから、同じ事ながら反日感情が高まっていくのである。

 袁世凱も独裁者となって皇帝を称してみたり、地方では軍閥が割拠する中、日本の21箇条要求に反対する運動が、1919年に起こる。同じ年、朝鮮でも独立運動が起こっているが、日本に鎮圧されている。

 つづく

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/6/22(水) 21:27


1151 歴史認識:そもそも中国とは?3

 では第一次大戦から第二次大戦へ至る間のことは、中国でどのようなことが起こっていたかを順番に書いておこう。

1914年1月 袁世凱大総統、国会を解散し独裁制を採る
1915年1月 日本、対華21ヶ条の要求
     5月 同上条約締結
     12月 袁世凱、皇帝を称す
1916年5月 袁世凱、帝政を取り消す。段祺瑞が組閣
     6月 袁世凱没
1917年3月 露、3月革命(中国には直接関係はなし)
     8月 段祺瑞政府が独に宣戦
     8月 孫文、広東に軍政府樹立、大元帥となる
     10月 露、10月革命
     11月 石井ランシング協定、日米の中国に対する共同宣言
1918年5月 孫文、大元帥を辞任、中華革命党を中国国民党に改称
     10月 第一次世界大戦終結(独敗北)
1919年3月 朝鮮、三・一独立運動
     5月 北京で五・四運動、反帝・排日運動
     7月 露、カラハン宣言、中国に対する不平等条約の破棄を宣言する
1921年5月 孫文、大総統となる
     7月 中国共産党、上海にて結成される
1922年12月 ソヴィエト社会主義共和国連邦成立
1923年1月 孫文・ヨッフェ共同宣言、中ソの協力を約す
1924年1月 中国国民党、「連ソ・容共・工農扶助」の3大政策と国共合作を決議
1924年11月 モンゴル人民共和国成立
1925年3月 孫文、北京にて没
     5月 上海で英官憲が群衆を殺傷、排英運動起こる
     6月 広東沙基事件、英仏と中国民衆の衝突
     7月 広東に国民政府樹立
1926年3月 蒋介石、広東で中共党員を多数逮捕、国民党の実権を握る
     7月 国民革命軍、北伐開始
1927年4月 上海クーデター、蒋介石が米英の補助で共産勢力を一掃
        南京政府樹立
     5月 日本、第一次山東出兵
     8月 南昌で中共軍が武装蜂起、紅軍の誕生
     10月 毛沢東、江西省井崗山に共産革命根拠地を築く
1928年5月 日本、第二次三東出兵(済南事件、国民党軍と衝突)
     6月 張作霖、奉天付近で爆死
     7月 国民政府、列国に不平等条約の廃棄を宣言
     10月 蒋介石、国民政府主席となる
1929年6月 日・独・伊、国民政府を承認
     7月 中ソ国交断絶
1930年12月 国民政府軍、ソヴィエト地区討伐開始
1931年9月 満州事変勃発
     11月 毛沢東、江西省瑞金に中華ソヴィエト臨時政府樹立
1932年1月 第一次上海事変、日本が上海を占領
     3月 満州国の成立
1934年9月 中国共産党の大西遷、国民党軍に攻撃され、
        江西省より陜西省北部へ敗走
1936年12月 西安事件、張学良らが蒋介石を逮捕監禁、国共合作への転機
1937年7月 日華事変始まる(蘆溝橋事件〜)
        国共間の亀裂は深まったが、それぞれ抗日戦は継続

 つづく

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/6/23(木) 23:36


1152 歴史認識:そもそも中国とは?4

 さて、第二次大戦前の中国の体制が、だいたいおわかり頂けたかと思う。政府が二転三転し、ソヴィエトに対する方針も180度方向転換している。とにかくその後の動きを年表を通して見てみると…

1937年7月 通州事件、在留日本人百数十名殺害さる
     12月 日本軍、南京攻略
1938年3月 南京に中華民国維新政府成立
     7月 張鼓峰事件、日ソ軍、朝鮮北端の満鮮ソ国境で衝突
     10月 日本軍、広東占領
1939年7月 ノモンハン事件、日ソ軍、満州国境付近で交戦
1940年9月 日本軍、仏領インドシナに進駐開始
        毛沢東、「新民主主義論」を公表

 これだけだとわかりにくいが、要するに日本は列強に取られていたアジアを取り返し始めたのである。それに対して米英ソは中国を援助し、日本は大陸から手を引くかアメリカと戦うかの選択を迫られることになっていく。

 まともに考えれば日本が勝てるわけがないのだが、手を引けばアジアは列強のものになってしまう。日本が唯一勝てる道があるとすれば真珠湾に集結している米太平洋艦隊の主力を奇襲によってたたきつぶすという作戦だった。結局は真珠湾には米の主力空母などが一隻もおらず、目的を果たすことが出来なかった。その後日本は南方へ進軍するが、1942年6月のミッドウェー海戦を始めとして、米軍に負け続けたまま敗戦を迎えることとなる。

 太平洋戦争の間、中国では国民党・共産党の政府が対立していたのだが、詳しい動きはよくわからない。ただ、以下の二つの会議に中国が顔を出している。

1943年11月 カイロ会談
 ルーズヴェルト・チャーチル・蒋介石が、日本の領土についての宣言をする

1944年9月 ダンバートン・オークス会議
 米英中ソの4カ国が国際連合の設置について協議し、終戦後の10月に国際連合が発足。この場合の中国の代表者が誰なのかは不明だが、これは中華民国、つまり蒋介石の国民党政府であった。

 また、日本の敗戦直前にソヴィエトが満州・朝鮮に侵入し、朝鮮を南北に分けることとなる。ソヴィエトは、中国に対しては中ソ友好条約を締結しているが、これは毛沢東とスターリンが行っている。

つづく

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/6/24(金) 12:08


1153 歴史認識:そもそも中国とは?5

 ポツダム宣言を受諾した日本は米国に占領され、同時に日華事変も終結することとなる。その後極東軍事裁判が行われるのだが、これは戦勝国が敗戦国を裁くという勝者の裁判であり、日本が弁明する余地など無く、当然中国は言いたい放題のでっち上げをしてまで日本の罪状を深くしていくのだ。

 その後のアジアは、列強に植民地化されていた国々が相次いで独立し、日本の、これらの国を独立させようという政策だけは成就した形になった。残された問題は冷戦下の、東西の対立である。

1947年8月 インド独立宣言
1948年8月 大韓民国成立、大統領、李承晩
     9月 朝鮮民主主義人民共和国成立、首相、金日成
1949年6月 ヴェトナム国成立
     7月 ラオス独立
     10月 中華人民共和国成立、毛沢首主席
     11月 カンボジア独立
     12月 インドネシア連邦共和国成立

 中国は、結局毛沢東の中国共産党が勝利をおさめた。蒋介石の国民党はアメリカの援助を受けていたが敗れて大陸を追われ、国民政府を台北に移した。こちらが中華民国であるが、どうも独立国と思われていないフシがある。これまでの経緯で、我々がどちらを「中国」と認めるべきかははっきりしていると思うのだが。

 この後1950年2月には、中共軍はチベットに侵入する。恐るべき共産主義国の身勝手な行動である。小国のチベットにはなすすべもなく、翌年5月にはチベットは中国の自治領とされてしまうのである。

 共産主義国の横暴はとどまるところを知らない。チベット侵攻と同年の6月、北朝鮮が韓国に進撃する。朝鮮戦争である。中国は中共義勇軍という形で北朝鮮に加勢し、韓国・国連軍を圧迫して38度線以南に撤退させる。

 1952年4月には、日華平和条約が締結されている。この場合の「華」は、中華民国である。国際的、というか西側から見れば、当然中共やソ連・北鮮は敵国であり、中華民国の方が国交を持つべき当たり前の国なのである。

つづく

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/6/25(土) 13:07


1154 歴史認識:そもそも中国とは?6

 その後の中共と国府の動きは以下の通りであるが、中共が軍事力、特に核を配備してその強化を図っていくと、1950年にイギリスが中共を承認したのを皮切りに、ソ連はともかく他の国々も中共を承認する方向へ転換していったようである。

1954年12月 米華相互防衛条約締結(国民政府)
1956年12月 日本、国連に加盟
1961年5月 韓国軍クーデター(南鮮)
     7月 ソ連・朝鮮友好協力相互援助条約(軍事同盟、北鮮)
     7月 中国・朝鮮友好協力相互援助条約(軍事同盟、中共と北鮮)
1962年12月 中印国境にて両国軍衝突
        中ソの対立表面化、ソ連は印度を支持
1963年3月 中国・パキスタン国境協定
1964年1月 仏、中共を承認
     10月 中共、原爆実験
1966年6月 中共の文化大革命、政治闘争へ
        紅衛兵運動、核ミサイル実験成功
1967年1月 新彊ウィグル区の反乱軍と中共衝突
        中ソ関係極度に悪化

 おもな出来事はこのようであるが、1970年11月、国連総会で「中国招請・国府追放」が賛成51・反対49・棄権25・欠席2で決定してしまうのである。この場合の中国は中共である。翌年10月には中共の中華人民共和国が正式に国連加盟し、国府の中華民国は脱退してしまう。

 そして今、中華民国は国として批准されないという不当な扱いを受けているが、このように歴史を振り返ってみた場合、明らかに異常だと思われるであろう。国連は、中共の身勝手な暴力的体制を承認してしまったのである。国が広大で強力であれば、それだけでいいのだろうか?日本がどちらを国として批准すべきか、もう一度考察してみるべきではないだろうか?

おわり

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/6/26(日) 17:05


1155 16周年

 先日私の主プロバイダーであるniftyからメールが来た。私がniftyに入会してから16年経ったということで、お礼のメールのようである。入会当初はパソコン通信であったが、その頃は接続した時間分だけ課金される、いわゆる従量制で契約していて、さらにほとんどアクセスしていなかったのだからniftyに取っては迷惑な会員であった筈だが、とにかく継続して契約していればお礼されるようである。

 それはともかく、もう16年も経ったのだなぁと思わざるをえない。あの頃の我が家のパソコンは8MHzで作動する9801mであった。メモリは目一杯増設して640KBを積み、HDDは11万円も出して40Mのものを買った。今のマシンは、CPUの速度は350倍、メモリは800倍、HDD容量は6250倍である。また、パソ2ではダイアルアップで2400bpsで接続していたが、今はBBでスピードは1680倍となった。

 ハードウェア上ではまるで世界が違うようだが、このように文章を書いている限りではあまり違いが無い。映像や音声を扱ってみると別世界だが、テキストベースではインフラの能力は問題ではなく、自分自身が書けるかどうかなのである。

 一応アルバムなども作ってはいるが、とりあえず単色でテキスト主体のページにしている理由は、まさにそこにある。便利さと裏腹にダメダメになっていく自分を、なんとか鍛え直そうということだ。ぶっちゃけて言えば、ボケ防止である。自宅サーバーなども苦労はしているが、やはり趣味というのは苦労した後の達成感が醍醐味であろう。

 最近は山に登ったりしているが、これも苦労した後の達成感、そして山頂で飲むビールの旨さは格別である。これまでいろいろとビールを物色してきたが、結局一番旨いのがこれなのだ。旨さの秘訣はビールではなくて自分の方にあったわけである。

 というわけで、ビールの旨さを追求する場合、お金をかけても意味が無いということがわかった。PCも同じで、今のスペックは1000倍にもなっているが、かかる費用の方は、ハード・ソフト・接続料など、どれもかなり減っている。経済効果などはとりあえずおいといて、いい時代であると思おうではないか。

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/6/30(木) 12:22



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