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過去ログ 2005年_9月


1197 re(3):黒の教団様?

 いや、この場合「様」が付くと、例えば「バガヤロ様」みたいな逆説的表現になるかもしれません。もちろん会館の看板はそんなつもりは無いでしょうが、我々も引き続き「黒の教団様」と呼んでも悪くはないでしょう。

 黒の教団様への入会条件ですが、これはかなり厳しいものがあると予想されます。基本の漫画がよくわかりませんが、とにかくその世界にどっぷりハマり、普通人では知り得ない詳細を知りつつ、自分なりのキャラへのこだわりを持つというような姿勢が必要になるでしょう。

 スパイとして潜り込むように、全く興味のない事柄でも勉強して、自然にセリフが出てくるように訓練しなければなりません。勿論自分もコスチュームを羽織り、登場人物の決めゼリフを少しも照れることなく披露する度胸も必要です。

 それがどうにも恥ずかしくて無理という方は、こちらhttp://cure.livedoor.com/をご覧下さい。登録が必要ですが、無料でコスチュームプレイの怪しい世界をかいま見ることが出来るでしょう。

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/2(金) 23:24


1198 re(1):今度の選挙

>ことの本質は、自民党内の利権団体と、小泉の改革とが、もはや妥協点を見いだす
>ことの出来るものではない

 これに尽きるでしょうね。単純に言えば、借金まみれの日本をどうするのか、借金体質から離脱することが出来るのかってのが争点だと思いますが。ただ、全くそう思っていない人も多いでしょうから注意が必要です。

 国政選挙に望むとき、投票者の多くが自分のことしか考えていない場合が殆どだと思われます。ですから立候補者は自分の地盤に都合のいいことを言っていれば当選できるわけで、郵政民営化反対論者(利権団体)にはそこが付け目なのです。

 郵政が民営化されたところで、国民が潤うはずがありません。まだまだ国民は痛みを感じていかねばならないのです。逆に民営化されないとなれば、このまま借金地獄を突き進み、行き着く先は当然経済破綻、ハイパーインフレや預金封鎖は当然のことでしょう。

 しかし選挙では目先の利益のことしか公にせず、とにかく支持を得ようとします。誰も国家百年の計を憂えている者など居ないわけです。恐らく小泉氏にしても、米との密約をしつつ、軟着陸できる場所を模索しているのだと思いますが、先行きは不安です。民営化が出来て、それでも尚かつ不安であるというのが本音でしょう。そしてもし、ここで民営化が出来なければ、日本の経済は終わりです。

 投票日を一週間後に控えていますが、私はまだ迷っています。民営化という部分だけを考慮するなら、迷わず自民党候補と自民党に投票します。しかし、私の頭の中にある原始共産主義的な思想は、とりあえず比例は共産党に入れておけというのですが、さらに言えば共産主義と政党政治というものも折り合いがつかないし、どうにも迷う今日この頃なのです。

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/3(土) 21:31


1199 選挙活動のあり方

 午後7時過ぎ。一家団欒の夕べ。暑い日。窓を開けた向こうから「○○で、ございます。よろしくおねがいします!」と。大騒音。

 これを聞いた娘、「こんな時間にうるさいよねー。学校のまわりでもうるさいよ。授業にならないくらい。『ぜってー○○に投票しねー!!』ってみんな言ってる。選挙権ないけど」

 「この手の選挙活動は8時までやっていいことになってる」とは教えたが、ホントにうるさかった。こっちも「ぜってー、○○には投票しねー!」って思う。選挙権あるし。この名前の連呼は逆効果なのでは?昼でも、こっちは夜勤前、夜勤明けの仮眠中。うるさいっつーの!!

 だいたい、学校のまわり、病院のまわりくらい、名前の連呼は自粛すべきじゃないんでしょうか?常識として。ウチの職場の場合。寝た子も起きるんですけど。マジで。

 こういう苦情は、どこにいけばいいのかな?選挙管理委員会(だっけ?)?いきなり、新聞投書?・・・とりあえず、身内しか読まない掲示板に書き込みしとくか(^^;

 HP使っての選挙運動は、今、禁止されてるらしいけど、名前の連呼や、電話攻撃なんかに比べたら、ずっといいのに。どういうことしたい人か、自分の好きな時間に読めるし、わざわざ話し聞きにでかけなくていいし。文書が残るから、言ってたこととやってることが違えばすぐわかるし。それでも、本人に聞きたいことがあったら、出かけるさ、話し聞きに。

 話した方が伝わることも多いけど、政治に関しては1元的では済まないから、じっくり読める文章の方がいいなぁ。同じ文章でも、新聞は、いや。なんか・・・読んだけど、言いたいこと、やりたいことが伝わらない。

 とにかく、迷惑な選挙運動は、選挙違反として取り締まって欲しい。っつーか、許可すんなよ。

●記録者 junko
●記録日 2005/9/3(土) 22:58


1200 re(2):今度の選挙

 郵政民営化、私的には賛成なんだけど、今回は5000億円だかの資金供与をして民間に払い下げる。分割した金融業務には、現在銀行法で禁止されている不動産業務なんかの金融以外の営利業務を許可する。。。なんて、済し崩し的にやろうというんでしょ、たしか。。。

 もっとも、この辺は表に出さないように、出さないように・・・としてるようだけど。ちょっと姑息すぎやしないかな〜と思うんですが。そんなんで、ほんとに改革できるんだろうか?というのが率直なところかな。
 おぎゃ〜って生まれた瞬間に、その子は800万の借金を背負わせられるんですよ、それを何とかしなきゃなんないだろ〜って、声高らかに訴えてくれたほうがなんぼかすっきりするんですがね。

 まあ、選挙は置いといて、私には1200番の切番ゲットが嬉しい。

●記録者 くも
●記録日 2005/9/4(日) 00:49


1201 re(3):今度の選挙

>まあ、選挙は置いといて、私には1200番の切番ゲットが嬉しい。

普段は面倒がり、どうでも良い立場のくもが書いた理由でござるな。
いずれにしろ、改革の起爆剤となるのではないだろうか?郵政民営化は。

junko様の云う通りです。長崎屋の店頭で商売していたら、管直人が握手を求めて強引に来たのである。
19000円のジャケットを買うつもりのお客が気がそれてタイミングを外し、売り損なったと、カミサンとパートのオバちゃんが怒っていた。「営業妨害だ!」と。

●記録者 綾小路伯爵
●記録日 2005/9/4(日) 11:52


1202 re(1):選挙活動のあり方

その通りである。確かに朝八時から夜の八時まで選挙宣伝カーで出せる限りのボリュームで訴えて歩いて良いのである。選挙公示日から唯一好きな事をスピーカーから大音量で訴えることが出来るのだ。夕方になるとバッテリーも底をつき、音が割れるのが聞きづらい。
 さて、表題の常識についてだが、決まり事はあまり無いのが現状である。やはりその党内の常識的な問題ではないだろうか。選挙管理委員会の詳しい事は調べていないのではっきりは申し上げできませんが。
 ところで、全部が全部そうとは限らない。私が知る党の選車(選挙宣伝カー)で走行中、信号で停車中は一切アナウンスはしません。また、学校・病院・老人ホーム・その他音を立てては好ましくない場所では、アナウンスを止めて「○○の前を失礼いたします」とかしこまって通行いたします。それが常識と思うのだが、熱戦のあまり、気に掛けないでいるのでしょうか。
 こんな事をWeb上で言ってはいけばいが、選挙活動がだらしない政党は政治もだらしないから落選するのでしょう。がんばれ政治家!われらの気持ちを国政に伝えてくれ!届いたためしが・・・・・・・?

●記録者 Isamu
●記録日 2005/9/4(日) 14:30


1203 人間

人間は「オギャー」と産声を上げた途端から人格が有ると云います。
また、生命には転生輪廻が有るとするならば、大概の場合、魂の癖(カルマ)に引き寄せられる。それが所謂「親を選んで生まれる」と云う事だと思う。
だからと云って、「オギャー」と、生まれた途端から人生全てが決まる訳では決して無い訳で、己自身の自覚や努力で生き様が変わるものと信じるのである。

人は誰でも、多かれ少なかれカルマを背負って生まれて来るが、同じ親から生まれた兄弟姉妹でも、その後の出会いや環境で個々の人格が形成されるのだろう。
また、己自身の想像思考領域を超えた出会いは決して無いのであろうとも思う。出会いとは、人との出会いは勿論だが、本との出会い、仕事との出会い・・・様々な「出会い」が有るのだろう。
もしも、出会いが有ったとしても、己自身のアンテナがキャッチしなければ、何事も無かった様に通り過ぎ終わるだけであろう。

また、成長過程で受けた「トラウマ」も大きく影響するのだろう。
是もまた、多かれ少なかれ人それぞれに「トラウマ」が有るのかも知れない。その「トラウマ」に本人が気付いている場合も有るだろうし、気付いて無い場合も有るのだろう。
気付いていない場合の方が厄介なのかも知れない。対処法が無い上に、己自身の能力を狭まる事に気付かずに一生を終える事に成りかねない。

人間の成長過程で私の場合、子供の頃の話だが親父に云われた事を思い出す。
寒い冬の吹雪の日であった。庭に鉄の椅子が置いてあったのだが、地面に凍り付いて鉄の椅子が取れなかったのである。
「とれない〜」と親父に駄々をこねたら、(男が「取れない」とか「出来ない」とか簡単に云うな!出来なかったら恥ずかしいと思え!)と、親父に云われた事が有る。5歳の時だった。
今でも鮮明に覚えていると云う事は、私自身の中で「親父との出会い」だったのであろう。

反対に、小学校3年生の時に、喧嘩で負けて帰って来た時に悔しくて体を鍛えたのである。腕立て伏せや腹筋を鍛え、裏の小屋に有った古い畳を壁に掛け、サンドバック変わりに叩き鍛えていたら、お袋が云った言葉が気に障ったのである。「な〜にカッコつけてんでぇ・・マンガの真似ばっかりして〜 そったらこと止めて勉強しろ!」  ・・・・・・・・・・・・・息子の「ヤル気」を萎えさせた子育て下手のお袋なのである。

子育てと云えば、聞き分けの良い子供は育てやすいが、ただ単に「諦め易い」だけで「欲の無い子供」なのかも知れない。その子供は、大人になっても「聞き分けが良く」困難にぶち当たると「直ぐに諦める欲の無い人」に成るかも知れない。

反対に、おもちゃ屋で駄々をこね、寝そべりながら泣き喚き「買ってくれなきゃヤダ〜!!」と、何時も親を困らせる様な子供は、将来、困難を困難と思わずに大成する素質が有る可能性も大だと思うのである。

ちなみに、私は聞き分けの良い子供であった。だからかも知れない、欲が無いのである。私は30歳を過ぎて子供が生まれてから「これじゃ駄目なんではないだろうか?」と、思い始めたのである。

一口に、「欲が無い」と云う事は、綺麗で良い事の様に感じるのは間違った仏教思想からくるものではないだろうか?
物欲、色欲、食欲、これらの大欲は肉体を持って生きている以上、これら全てを満たして何が悪い!と云う結論に達する訳である。
しかし、「己自身の中に真実が真ん中に有れば」というのが大前提であろうと思う。

「物事は、成る様にしか成らないし、時が全てを解決する」と云うのは真実であろうと思う。が、それは個々のこれまでの「出会い」によって真実は異なるものであろうと思う。
それにより、個々の成りかたが違い、解決の仕方が異なるのであろう。

●記録者 綾小路伯爵
●記録日 2005/9/4(日) 19:18


1204 re(3):今度の選挙

 キリ番ゲット、おめでとうございます。以前からキリ番をゲットした方には景品をご用意させていただいておりました。それらは40MのHDDとか2400bpsのモデムなど、ビンテージの香り漂う逸品なのですが、不思議なことに誰も欲しいという声のないまま、現在に至っております。

 というわけで、ご希望があればその旨、ご連絡下さいませ。上記2点は、いずれも平成元年、消費税導入直後に購入したもので、完全に昭和時代の設計と思われるレトロかつ質実剛健な、昨今の軽薄短小かちゃぺないような製品とは一線を画したデザインで、ユビキタス時代のお部屋にも全く遜色無く存在感を示してくれる筈でございます。

 ところでこの1200番目の書き込みは、当掲示板発足日を含めて1268日目にして達成いたしました。つまり、1200/1268*100ということで、1日に約95%の確率で何らかの文章が書かれるという高率を維持しており、これもひとえに皆様のお陰であると、衷心より御礼を申し上げましてご挨拶に代えさせていただきます。

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/5(月) 23:27


1205 D様記念博物館のために

 貴重な品を1200番などという中途な切番で頂くなんて恐れ多い事。是非、D様の記念館設立用に今しばらく保存して置いて下さい。その頃にはプレミアが膨れ上がるものと御推察致しますので、真鍮のプレートに愚名を刻んで頂きたく思います。

 ちなみに1268という数で思い出しました。まったく関係のない話ですが、、、
 神武天皇即位は紀元前660年ですが、これは日本書紀に辛酉の年に神武天皇が即位したという記述に基づくものであります。推古天皇の御世に斑鳩の地に都を置きましたが、これが601年(推古9年)で、やはり辛酉の年でしたので、さらに660年遡って紀元前660年を神武期限に定めたのは御存知だと思います。
 干支(60干支)の21倍を持って神武紀元に定めたのですが、干支が一巡する60年を1元(げん)といい、21元を1蔀(ぼう)といって。この組み合せから1260年(=60×21)となるわけです。(この1260年サイクルの辛酉の年には国家的な大革命があると伝えられています)

 つまり神武紀元を定めた明治政府は、何故か推古天皇の御世を基準としたわけです。おそらく、1861年(辛酉年)は明治維新の真っ只中で、安政の大獄、桜田門外の変、寺田屋事件という流れの中にあった時代です。明治政府は大政奉還を成し遂げた大きな革命の後として、2蔀遡ったということなのでしょう。

 大して意味は無いのですが、1260という数は聖書でも非常に重要な象徴を含んでいる数なので、何となく、面白いな〜と思ったのでありました。独り言だと思って下さい。

●記録者 くも
●記録日 2005/9/7(水) 00:44


1206 「天変地異」までのシナリオ

昨晩、久しぶりにニュースを見てて自分の中で全てがつながりました。
1.アメリカ/ニューオリンズを襲ったハリケーン・カトリーヌは、何故発生したか! 誰が、カトリーヌちゃんに発動を支持をしたか!
2.今、日本を襲う台風も同様。諫早湾の工事など、地元では水門を開けるための運動が激しく繰り広がれている最中の出来事である。。

たぶん、これらは1997年の「京都会議での議定書調印拒否」に端を発しているんではないか?というのが私の推測です。これらの現象は、自然の浄化であると。
まるで、時に悪魔に、時に人類の見方になってくれるゴジラのように、地球は今起こっているんだぞ!と。(ゴジラフリークの私は、昔からゴジラは地球そのものと信じて疑わない。)
願わくば、今回の台風。コースを変え大阪を直撃し、そのまま東京を直撃通過し、私物化選挙劇場の出演者や観衆に少しでも気付きのお仕置きをしてほしいもんです。
で、もう一つ大事なのが、プロ野球「阪神-中日」戦である。思えば1979年、中日が逆転優勝を果たし、天変地異が発動し大平内閣組閣40日抗争と言われる物が勃発しました。

ようするに、中日が優勝すれば、何かが始まりそうで面白いなと、思うである。

●記録者 けいぢ
●記録日 2005/9/7(水) 13:40


1207 re(1):人間 カルマとトラウマ

 ここの掲示板では、再三宇宙の人間原理みたいな話題が出されており、それによれば当然「魂」が存在して、それが前世の記憶やカルマを引き継ぐということになります。私の場合、さらに宇宙に存在する「意志」、つまりこの宇宙を造った存在と、人間に宿っている「魂」は基本的には同じ「もの」だろうと考えています。ただ、その「もの」の集合体である魂にはいろいろな段階があって、そのために人間は簡単には解脱できないし、またそのように出来ているのだと思われます。

 さて、そういうことですので、綾小路氏のおっしゃるとおり、魂には「癖」があります。何かにとらわれているのです。また、親戚や親子や兄弟などは魂のグループを作っているらしく、その役割を交代しながら輪廻を繰り返すので、何かの意識にとらわれている魂は同じ事を繰り返し、そのことがトラウマを作る原因になっているかもしれません。

 私個人の場合、若い頃は自分にはさしたる癖もないし、努力さえすればかなりの可能性が開けるのだと考えておりました。ところが30を過ぎた頃でしょうか、「自分」というのは意外に変えられないものであることに気づきました。無意味な部分で几帳面だったり、競争が嫌いだったり、寝付きが悪かったり、無気力だったり、感情を隠したりということは、子供の頃から変わっていないことだし、変えられそうもありません。

 「欲」に関して言えば、私の場合は欲は人一倍あるものの、欲望というのは恥ずかしいものだから隠さねばならないということで、欲しいという気持ちを抑え続けて生きてきたために、今では普通にストイックさを演出することが出来るようです。感情にウソをついているうちに、本当の感情がわからなくなってきたのです。

 なんだか書いているうちに人間失格のような気がしてきました。別に合格しようという気持ちもありませんが、私の場合「解決」からは程遠いようですね。己自身を見失っている場合は、人生、どうなるんでしょう。

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/8(木) 00:07


1208 re(1):D様記念博物館のために

 博物館といえば、ここの管理者のページにある「私とコンピュータ」に出てくる製品は、高校時代に購入した電卓を始めとして、小物はほとんど手元に残っています。昭和57年に買ったポケコンは、持っているだけでなく現役で使用しております。

 電卓やポケコンは20年以上経った今も使えているのに、パソコン関連は10年経てばゴミ同然、それどころか処分にお金のかかる厄介者となってしまい、それこそ私設博物館でも作って展示でもしないと使い道がありません。その際は、HDDの所有者にはくもさんの御芳名を掲示させていただくことに致しましょう。

 皇紀については、また別項で。

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/8(木) 22:18


1209 re(1):「天変地異」までのシナリオ

 なるほど、人心の腐敗と天変地異の関連性ってことですねぇ。しかし、ホワイトハウスや日本のお役所は無事で、罪もない人たちが被害を被っているようですが、やはり神でもピンポイントは難しいのでしょうか。それとも自然の浄化作用ですから、無差別にやってくるものなのでしょうか。

 まぁ勧善懲悪は諦めて、人事を尽くして天命を待つってことでしょう。先にも書いた人間原理によれば、人間の存在自体は間違っていないわけですから、あとはどんな未来を選択するかってことですね。

 ’79は、高校を卒業して、世田谷の大学に通い始めた年です。大学が多摩川沿いにあって巨人軍のグラウンドが近く、見に行ったことがありますが、その年に中日が優勝していたとは気がつきませんでした。どうもこの場合は野球は関係ないように思えますが、ただ、楽天あたりが優勝するとなると話は別かな、と…

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/9(金) 13:45


1210 一票のラブレター

今週の木曜日、映画「一票のラブレター」を観ました。
時間は14:00〜15:40の100分。
明るい選挙推進協会主催、場所は八戸公民館でした。
上映開始前に、主催者からの挨拶があり、この企画(映画上映)は以前からのもので
たまたま今度の選挙にタイミングがあったとのこと。
当事者もいろいろ選挙について考えさせられたとの事でした。
観客は300人程度、ほとんど中高年。
確かに、平日のこの時間しかも、明るい選挙推進協会へ応募して試写券を
手に入れるのですから若い人が少ないのも仕方ないですよね。

前置きが長くなりましたが、映画自体は想像以上に良かったです。
確かにいろんなことを考えさせられました。
選挙のあり方、意味など・・・
こう書くといかにも前向きな考え方のようですが、元来がひねくれ者の私ですので
否定的な疑問のほうが多いのです。

詳しくは各シーンを具体的に述べて伝えたいと思います。
その意味でもぜひ此の映画観て欲しい。
それからいろいろ感想、意見などを聞きたいと思います。
ですから、今回は内容にはほとんど触れないようにしようと思います。
ちなみに此の映画、2003年に上映された時は「票の重み」というタイトルで上映されています。
タイトルでだいぶ印象が違いますよね。

蛇足ですが、この映画で思ったこと。(選挙とは無関係ですが)
始めのシーンで浜辺に兵士が2段ベッドの下段に寝ています。
スチール製のパイプベッドだと思うんですが、非常に違和感があります。
なぜ浜辺にこんなものが?
しかも2段ベッドなのは何故?
数年後このベッドのパイプは腐って壊れるに違いない。
その時、寝ていた兵士はどう思うんだろう?
人はもの買う時、それを壊れることは想像しない。
ましてその時の自分の行動など問題外だ。
ものはいつかは壊れる。
全てのことに必ず、終わりがある。
しかし、それを想像することはない。
無意識に避けている。
これで良いのだろうか?
きっと良いのだろう。

●記録者 呑々
●記録日 2005/9/9(金) 21:50


1211 re(2):「天変地異」までのシナリオ

 人心の荒廃と天変地異はあながち無関係とも言えないようですよ。歴史的にも時代の変遷期には、それを暗示するかのように地震や異常気象などが他見されるようです。もっとも、統計的にどう解釈するかという見方次第という微妙な問題もあるように思いますけど。
 有名どころではサントリニ火山、ポンペイウス地震。日本でも18世紀初頭、江戸幕府が安定期に入った(赤穂浪士、生類憐れみ)の時代には地震が多発しています。
(安定期に入ると我欲が出て来るせいでしょうか?生きることに必死な時代はないのですかね?)

>ホワイトハウスや日本のお役所は無事で、罪もない人たちが被害を被っているようですが、

 防災面での優遇はあるでしょうが、要は一般庶民とおえらい人たちの比率の問題ではないかという気もしますが、、、(・・;)

 天変地異が起きるという事は、地球の磁場であるとか、太陽風であるとか、既に異常があるということでしょう。このような磁気異常が発生すると、微弱な電流で動いている人間(人間だけではないですが…)の脳は、ひとたまりも無いでしょうね。異常な興奮状態になって「生命維持、自己保存」の本能が刺激されることは充分有り得るんじゃないでしょうか?
 逆の話になっちゃいましたけど。人心が荒廃するから天変地異が起こるのか、天変地異の起こりやすい状態になったから人心が荒廃するのか、微妙なところでしょうね。
 まあでも、どちらにしても、心のベースに退廃的な要素があればこそでしょうけど。

●記録者 くも
●記録日 2005/9/10(土) 11:52


1212 今年は皇紀2665年

 博物館の話題の時に皇紀の話が出たので、内容を独立させます。

 皇紀を制定するに当たって推古天皇を基準としたのは、史実として即位年などがわかっている最初の天皇だからでしょう。はっきりと年号が確認できるのが推古で、遷都の年の「辛酉」にこだわって、あとは干支だけで推測していくしかありません。

 しかし、推古以降今生天皇まで1400年ほどで90代もあるものを、推古より前の32代に対して1260年遡ったというのが完全なる失敗でしたね。そんな無茶をしてまで、「蔀」にこだわらねばならなかったものなのでしょうか。初期の明治政府は、日本を西洋化して富国強兵することに突き進んでいたわけですが、歴史の長さでも他国に負けたくなかったんでしょうかね。紀元前7世紀と言えば古代ギリシャの文化華やかな頃、日本はまだ縄文後期あたりと思われますが、そのあたりから歴史があるんだぞと誇りたかったのかもしれません。また、推古天皇の摂政となった聖徳太子が、そういう思想を持っていたという話もありますが。

 推古以前を、単純に日本書紀に書かれている干支だけで割り振っていくと、最短の場合では神武天皇の即位年は紀元前180年になります。その32代の間で、在位年が一桁の天皇をピックアップすると、

  崇峻−5年  用明−2年  宣化−4年  安閑−4年
  武烈−9年  顕宗−3年  清寧−5年  安康−3年
  反正−6年  履中−6年  崇仁−8年

ということになりますが、この中の8人の在位を60年伸ばして、一つ前の干支で即位したことにしてやれば、さらに480年遡ることになり、180+480で紀元前660年という数字が出ることは出ます。つまり、それほど荒唐無稽な話では無いということになるのです。

 以下、次項にて

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/11(日) 20:15


1213 re(1):今年は皇紀2665年

>推古より前の32代に対して1260年遡ったというのが完全なる失敗でしたね。そんな無茶をしてまで、「蔀」にこだわらねばならなかったものなのでしょうか。

 近代化に走る明治政府がこんなことに拘るだろうか?という事なんです。
 史実として一応、確認できるのが仁徳天皇以降とされていますが、その仁徳天皇ですら寿命140歳もあり、80年以上も在位したことになっている。そのくせ履中天皇以降は急に寿命も在位期間も人並みになる。
 別書によれば神功皇后なんかはまるで中国始祖、女過のようなモンスターだったという記述まであります。神武天皇にしてもまるで中国の始祖、伏儀のようなモンスターです。
 このようなわけで江戸時代には既に仁徳天皇以前の信憑性は疑われていたわけです。それを何で、敢えてしたのかということなんですよね。
 誰が見ても架空としか思えないことを真面目に宣言したとすれば、むしろ権威の失墜につながるんじゃないかと思うんですけど。
 それに、強引に主張すれば、邪馬台国の問題ともぶつかります。卑弥呼が亡くなったのが250年ごろ、皇紀ではその頃の天皇は応神天皇と仁徳天皇です。人並みの天皇になった反正天皇は一応351年の生まれ。即位は400年です。つまり、邪馬台国問題とぶつからない所から人並みの天皇になっている訳です。私としてはこの辺に、非常に意図的なものを感じるんですよね。

 で、素直に推古天皇から1260年遡った紀元前660年頃に何があったかというと、−722年の南イスラエルの滅亡(神武天皇の誕生は−711年です)。もしくは−609年のアッシリアの滅亡(実質的にはニネバが陥落した−612年)です。つまり、古くから囁かれている日ユ同祖論と奇妙に一致するわけです。
 で、何故推古天皇が基準なのか?このもう一つの理由は聖徳太子(幼名は馬厩皇子)です。この名はイエスキリストの出生秘話に由来するという人もいるほど(この頃には景教も入ってきていたはずですから)。歴代皇族の中でキリスト教との関係を指摘されるのは聖徳太子だけですよね。キリスト教徒ユダヤ教の反目は周知の事実とはいえ、私としてはこれは大きな示唆だという気がするわけです。

 中身は反転しますが、アッシリアにしても鉄の製法で有名なヒッタイトに技術を供給していた国です。ダマスカス鉱なんかは今でも貴重な鉄鉱ですが、これもアッシリアの支配下です。
 錆びない鉄ヒヒイロカネとか、日本の刀剣製法は世界的に一流の技術だったことと照らし合わせると、神武紀元の意味合いが俄然クローズアップされるような気がします。

 これ以上書くと、とんでもなく長くなりそうなのですが、簡単に書くと皇紀の中にそのような大々的内は言えないけれども、何か示唆的なものが隠されているような気がしているわけです。1260という数もその中の一つかな〜と思っていた次第です。

●記録者 くも
●記録日 2005/9/13(火) 17:41


1214 re(2):今年は皇紀2665年

 くも氏の書いている仁徳以降が史実であるというのは、つまり宋の国に倭国から朝貢したという記録があり、そこに記される5人の王の名が、仁徳・反正・允恭・安康・雄略にあたるということです。これも記述に矛盾があるらしく、仁徳と反正の二人ははっきりしないようですが、これを史実と考えると、それぞれ朝貢した年は

  仁徳 421年   反正 438年   允恭 443年
  安康 462年   雄略 478年

ということになります。ここで、彼らの在位と退位の干支から類推される西暦年は、

  仁徳  373癸酉〜399己亥
 (履中) 400庚子〜405乙巳
  反正  406丙午〜410庚亥
  允恭  412壬子〜453癸巳
  安康  453癸巳〜456丙申
  雄略  456丙申〜479己未

ですから、年号的に完全に符合するのは允恭と雄略の二人だけです。まぁ、他の3人もさほどずれているわけではないので、だいたいそのあたりに天皇なり摂政なりしていたか、若しくは隠居をしていたと考えても無理はありません。

 では、このことから仁徳の即位年を癸酉の373年と決めると、前回述べた在位を60年延ばせる天皇は、仁徳より古い天皇だけに限られますが、それは前回あげていた11人の中の一人だけなのです。そうすると神武天皇の即位はBC180年かBC240年のどちらかしか無いということになります。とてもBC660年には到達できません。

 さらに卑弥呼の問題。卑弥呼が女王となったのがAD188年、無くなったのがAD248年、この頃は私が割り付けた天皇の系譜から見れば垂仁から景行の時代です。いずれにせよ日本書紀では、卑弥呼の存在を全く無視しているわけです。中国の宋書などを参考にしていた日本書紀が「魏志倭人伝」は無視してしまったのです。くも氏の説では、日本書紀ではそのあたりを神代にしてしまっているということですね。

 私の考えは、日本書紀が編纂されたAD720年頃の天皇家の血筋は、卑弥呼の系列とは違うものだったということです。つまり、卑弥呼の死後、その御代に代わって古墳文化を造りあげた別の一族が、日本書紀を作り上げた天皇家の先祖といえるわけです。

 私の場合、1260年、つまり「一蔀」というのが全く理解出来ませんので、単に年表に書かれている干支などから類推しています。つまり、今年が紀元2665年なんていうのは全く荒唐無稽なことであると考えているのですが、それを使用することにはやぶさかではありません。古代王朝は様々な勢力が群雄割拠していたのだろうし、そのスタートがいつかなんてことはどうも永遠に分かりそうもありませんから、神代を持ち出してしまって、それで納得すべきところなのかもしれません。

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/13(火) 23:46


1215 人間その2

「人間」を書いたきっかけは、クルマを運転中に私の子供の頃の想いとか感じた事を思い出しながら、流れに任せ想い巡らせていたのです。
私は、小学校の頃の通信簿は「かけっこ」でした。1,2,1,2、でした。
100メートル走は学年で1〜2番目で、マット運動もクラスで1番位。球技は普通でした。
それなのに、体育の通信簿は「2」でした。私より断然、体育では劣るクラスで頭の良い奴は体育も「5」でした。
それでも私は、「あいつは、頭が良いからしょうがないんだ」と、普通に受け止めていたのです。
勉学が悪いから、体育も図工も「2」でもしょうがないんだ。と、素直に感じて居るほどに「聞き分けの良い馬鹿」でした。

私は、勉強で負けても全然悔しく有りませんでした。しかし、喧嘩で負けると悔しくて悔しくて仕方有りませんでした。
喧嘩が大好きでした。だから、先生には煙たがれていたのでしょう。

しかし、5年生の時に「良い先生」に恵まれたのが幸いし、体育は「5」でした。6年生の時は「4」でした。
小学校の頃は、お袋に良く云われました。「お前は、頭が悪いから何か手に職を持つのが良い。そうすれば食うに困らないから」と、良く云われました。
当時の私は、思った事を口にする事が出来ませんでした。だから、余計に馬鹿でした。

しかし、中学2年生頃からです。何故か頭がスッキリして何でも意見を云える様になったのです。
その頃になると、お袋は「お前は元々頭が良いんだ!」と云われました。
私は、「え!そうなのか!?」と、思いました。

そんな家庭に育った私ですが、親父は仕事もロクにせず「シャモ(喧嘩鳥)」や「土佐犬」に嵌り道楽親父でしたが、
子供の頃の私にとっては「ヒーロー」でした。若い頃の親父はトラックの運転手で「三陸の用心棒」と云われていたらしい。
肩に150キロの針金の束を左右の肩に掛け300キロをトラックに積み込みを何十往復もしたと云う話を親父の友人から聞いたりしました。
山口組の組員8人のドスを交わし皆、血祭りに挙げたと云う話を、やはり親父の友人から聞きました。

私は、小学低学年の頃、親父は「アントニオ猪木」よりも強いと本気で思っていました。
その親父の子供だと誇りに想い生きていた幼い私です。そのお陰で卑屈な性格に成らずに済んだのかなぁと、今は思っています。

しかし、その親父が末期の癌で後、1週間持つかどうかと云う状態です。
死を迎える前に、会っておこうと8月5日に帰省して5日程過ごしましたが、もう駄目の様です。

ベロベロの為に、何書いてんだか解りませんがそんなとこです。

●記録者 綾小路伯爵
●記録日 2005/9/14(水) 00:32


1216 re(1):一票のラブレター

 「一票のラブレター」については、市の広報誌などで上映予定を見ましたが、内容についてのPRも無く、全く注意を惹かれませんでした。どのような映画なのか、アウトラインくらい書いてくれなければ、見に行こうと思うわけが無いですよね。他でも宣伝しているのかもしれませんが。

 というわけで、次回この映画が市内のどこかで上映されることがあれば、見に行ってみたいと思います。毎年やっているわけでもないのでしょうから、いつになるやら分かりませんが。逆に選挙の方は、来月は市長選があるようです。

 話は変わって、ラブレターと言えば関根恵子の「ラブレター」を見に行ったのを思い出します。学生時代でしたから、もう二十数年前ですが。愛人であるということで周囲の人たちから差別されたり、最終的には詩人から捨てられてしまって、だからこそエロチックなのかもしれませんが、当時はよく分からなかったな。

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/14(水) 12:12


1217 re(1):人間その2

 頭の善し悪しというか人間の能力というのは、総合的に見れば誰もそんなに差がないのではないかと私は思っています。先の話にもありましたが、魂のクセと同様、体にも向き不向きがあって、それを伸ばせるかどうかだと思います。

 子供の頃の私は、実は今も全く変わっていないんですが、なんだかヤル気のない子供でした。成績はそこそこですが、出来るものしか出来ないし、苦手を克服しようなんて気はないし、スポーツなどで他人と競争するということにも熱が入らないし、勝負事なんてものもダメでした。

 おまえはやれば出来るとよく言われてましたが、その前にやる気になる方法を教えて欲しかったです。アドレナリンとか、何かやる気のための根本的な物質が欠けているように思えますが、どうにもわかりません。

 御尊父様、大変な状態のようですが、自分の父親を尊敬できるというのはいいことだと思います。私の場合は尊敬する人を聞かれた場合、とにかく親父は絶対違うと思ってました。ウチの親父は自己中なんです。尊敬できる人に育てられるというのがいいですね。私の場合、自己中人間に育てられたので卑屈な性格になったのでしょう。

 この掲示板でもさんざん書いてきましたが、自己中人間というのは常に人口の3〜4割程度存在するようで、人間関係がぎくしゃくします。私の父の場合、他人の気持ちというのが全く理解できず、さらに独善的な人です。私は大学入試の時や東京での勤めをやめてのUターン就職も父の言うことを聞きましたが、結局私のことを考えてくれているわけではないので、それらは全て失敗だったのです。

 結局父と一緒に仕事することに耐えられずやめてしまい、それはそれで良かったと思っています。ようやく楽になれたという気がしています。しかし、その後いろいろ仕事をする中で、これはという仕事を見つけたときのパートナーが自己中で、どうにもならないということが2度もありました。どちらもPC関係の仕事で、自分としてはやりたかったのですが、私の人生は自己中人間に苦しめられるようになっているようです。

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/14(水) 12:27


1218 re(3):今年は皇紀2665年

 あっあ〜、Dさん、1216番は私の誕生日、是が非でもゲットしたかったナンバーでした(T_T) ウルウル。

 さて、一蔀のことを書いたことで、色々と計算して頂いているようですが、率直なところ、それほど拘る事はないと思っています。もとより推古以前の天皇の実在は疑わしい訳ですから、その気になれば神武紀元は紀元前1億年なんてことも可能なわけです。なのに何故−660年なのか?というのがこの問題の焦点だと考えているわけです。
(Dさんは多分同天皇の時代に天皇記等が編纂されたことを念頭に置いていると思われますが、私は記紀の記述や出土品による事績の多さ等から最低でも安康天皇か雄略天皇ぐらいからは実在した可能性が高いと考えています)

 で「たまたま1蔀と合致しているだけかな〜、でも、それだけだと安易過ぎる気もするな〜、他に理由は無かったのかな〜」と思ったわけです。もちろん1蔀にはそれなりの重要な意味もあるんですけどね。
 それで、以前ミトラ教のことなどを書いたときに、結局全ての大本は一つだろうということになりましたよね。皇紀の謎はそのことの証左に成り得るんではないかということで、−660年に拘ってみた次第です。

 恐らく、皇室にはその年代を選ぶ必要性があった、もしくはそれを示唆する資料があるのではないかと。もちろん、それらは今のところ公にはされていませんし、無いのかもしれません。
 けれども、本当は無いのであれば、上記や竹内文書、先代旧事本記など、いわゆる偽書とされたものを弾圧した根拠が弱すぎるように感じるのです。記紀は8世紀初頭に編纂されましたが、編纂に使用された資料等は当然あったはずです。この基資料が皇室に残っている可能性は高いのではないでしょうか。

 邪馬台国問題に関しては、皇紀を語る上で避けては通れないと思います。にも関わらず、ご指摘のように記紀では一切触れられていません。出雲王朝などの事に関する記述はあるのに何故触れていないのか
・触れたくないほど敵対していたから?
・もしくは記述する必要が無かった?
・邪馬台国と関わりが無かった?

 触れたくないほど敵対していたのなら、記紀には記述が無くてもその他の文献や出土品の中に出てくるはずでしょう。関わりが無い場合も同じ事ですが、現実的に関わりが無かったとは考えにくい。では、触れる必要が無い場合はどうなるかというと、邪馬台国が大和朝廷そのものである場合です。

 もともと、邪馬台国とは中国が勝手に当てた呼び名、当て字であり、実際にどう読むのかは現時点での推測に過ぎません。で「ヤマタイコク」⇒「ヤマトタイコク」の誤記である可能性や、「ヒミコ」⇒「ヒメミコ(姫巫女)」の誤記ではないかという可能性が出てきます。
 倭人伝では男王では国が治まらず、女王になってようやく治まったとあります。御存知のように大和朝廷の祖神は天照大神という女神ですから、この記述と思想的に一致します。
もともと天照大神は男の神ですが、いつのまにか女神という事になっていいます。このことも邪馬台国の記述(男神では治まらなかった)と一致します。

 記紀をそのまま受け取れば、卑弥呼の時代は神功皇后の時代に一致します。卑弥呼は一人ではなかった(ヒメミコなら当然です)訳ですが、神功皇后の非人間的記述はこのことに起因しているのではないかとも思えます。
 また、神功皇后は205年「新羅王が汗礼斯伐(ウレシホツ)・毛麻利叱智(モマリシチ)・富羅母智(ホラモチ)を遣わして朝貢した。」以降歴史から消え、213年の「敦賀から還えり、皇后が太子の為に大宴会を催す」というのみです。
 空白の26年以前は盛んに祭祀を行い、周辺国の討伐に躍起になっていますが、26年間以降は239年に『魏志倭人伝』の記述があり、盛んに魏や百済との交流をしてかなり政治的に変身しています。この空白の26年の意味するところは何なのか?

 神功皇后の子は応神天皇ですが、史学的にはこの応神天皇こそが神武天皇のモデルではなかったかと言われています。つまり、邪馬台国が歴史から消えると同時に、大和朝廷が実体化し始めたということになります。
 とはいっても、短絡的に邪馬台国=大和朝廷とは言い難いのですが。邪馬台国百余国の連立(豪族)国家の中から大和朝廷が台頭したという事なのかもしれません。そう仮定すれば、履中天皇や反正天皇の時期は覇権争いの末期ないしは、自称天皇の時代ではないかと思われ、雄略天皇のあたりから安定し始めたと推測できるわけです。実際、雄略天皇の前半まではかなり血なまぐさい事件が続いています。

 最後に1260ですが、聖書では7は神聖な数とされることは御存知だと思います。これは神が七日で世界を創造したという記述から始まりますが。新約聖書の中では最後の審判の7年間としても登場します。この7年間が反キリストの活躍する期間であり、特に最後の3年半に反キリストはとんでもない事をしでかすとされています。
 この3年半を月になおすと42ヶ月で、1ヶ月×30日=1260日になるわけです。神の一日は1年、千年の如しと聖書に記述されているので、1260日=1260年となるわけです。
 中国暦の60干支を基準にした1蔀と結果的には同じになります。もともとは同じ物であった可能性もありますが、問題は明治政府はどちらの意味で1260という数を採用したのだろうか?という事なのです。
 普通なら交流の深い中国式の暦法採用が自然でしょうが、前述したようにキリスト教、ユダヤ教の匂いを漂わせる聖徳太子と推古天皇の時代を基準にしているというのが腑に落ちない。もちろんDさん御指摘の正史であるからというのは、至極当然な事のように思えるのですが。。。

 が、もし上記のカバラ的な意味合いで持ち出されたものとすれば、世界の根源が一つであるということの証左に至ると思った次第です。既に書いたように−660年は南イスラエル(ユダ王国)の滅亡に一致します。日ユ同祖論の同祖とはこのユダ民族の事なのですから(ユダ民族のシンボルは16花弁の菊紋です)

 長文になりましたが、歴史の謎を楽しんでいただければ幸いです。

●記録者 くも
●記録日 2005/9/14(水) 15:48


1219 re(4):今年は皇紀2665年

 なるほど、1216ですか。愚妻と10日違いですな。やはり、人それぞれ拘りの数値を持っているものなのかもしれません。

 一蔀に関しては、私は拘っておりませんが、当時(明治初期?)としてはそれが非常に重要なことであったということです。だからおかしいのであって、日本書紀に書かれた干支だけを基準にすれば、先に書いたように神武即位年はBC180年になります。

 また、そこに書かれている天皇が実在性については、私は神武まで存在していたとしてもおかしくはないと思っています。ただ、それが卑弥呼の前後は傍流の一小国の長だったかもしれませんが、その系統の人たちが記紀の編纂された頃の天皇家の先祖だったということです。

 とにかく正式な資料としては魏志倭人伝などの中国の歴史書しかないわけで、それとつきあわせた場合に何が言えるか、そして考古学の発掘調査で出てくる出土品の質と分布などから、日本に存在した小国の勢力や分布・人種・文化などを探ってみるわけです。

 そしてさらに1260なんていう数字から、過去に存在した超文明的、つまり神の指紋を発見するということもするんです。前にも書きましたが、歳差運動の一周期は約25800年と言われていますが、60の21倍のさらに21倍が26460年で、比較的近い値になります。そしてその差660年。ここまで来ると、単なる数値合わせのような気がしないでもないですが。

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/29(木) 15:54


1220 階上岳から岩木山が

 今年の春から、奥入瀬渓流を歩いたり階上岳や名久井岳に登ったりして、写真を撮りつつ山歩きの練習をしているわけだが、雨男のせいなのか、なかなか写真は撮れないことが多い。ここ2回ほどの階上岳登山では1枚も撮れなかった。

 雨の時にはカッパを着て、忍耐あるのみで歩き続けるのだが、一度キャンプ場に泊まったときは、炊事場があったのでそこに逃げ込み、雨が降る中ビールや焼酎を飲みつつバーベQなど楽しんだ。そんな時にはいろいろと山の話題が尽きることがない。

 その時に出た話題の一つに、「階上岳から岩木山が見えた」と言っている人がいるというものだ。その場では詳しい地図も無かったし、八甲田があるから無理ではないかということで終わったのだが、秋の空気が澄んだときにでも気をつけて見てみようと考えていた。

 その後どうも気になるので、地図で確認してみることにした。岩木山と階上岳山頂の経緯度を出し、両頂上を結ぶ線を地形図に落としてみる。肝心なのは八甲田のあたりだから、その辺を重点的に調べてみると、そのラインは南八甲田と十和田湖の間、奥入瀬で言えば雲井の滝あたりを通っている。そしてその線上には1000mを超える山は無い。

 つまり、地図で見る限り階上岳から岩木山が見えてもおかしくない筈である。しかしそれでも確信は得られないので、カシミール3Dという地図ソフトを使ってみた。これは、ある山の頂上からどの山が見えるか見えないか計算する機能がついている。これで計算すると、結果は「見える」と出た。

 この項、つづく

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/29(木) 22:42


1221 re(1):階上岳から岩木山が

 なるほど地形的に言って階上岳から岩木山は見えるのか。しかし、見えるというのなら実際に肉眼で見て、さらに写真を撮って検証してみることが肝心だ。今年はそれまで3回階上に登っているが、一番見えたときでも折爪岳が見えたに過ぎない。とりあえずこれから空気も澄んでくるので、登るたびに確認することにしよう。方位は分かっているので、見えさえすれば分かるだろう。

 ということで、24日は天気も良くなったので早速登ってみることにした。例によって鳥谷部口に車を置き、午前11時頃から登り始める。汗だくになりながら12時過ぎに頂上へ到着し、岩の上によじ登って八甲田方面を見渡す。よくよく見ると、八甲田と十和田湖の間と思われる場所に、きれいな形の山が確かに見えている。いきなり見えたので半信半疑だったが、方向もあっている。

 その後南岳まで歩き、パノラマ写真など撮ってみたが、さらに岩手山が見えているのに気がついた。岩手山は独特の形をしているから間違いない。距離は岩手山の方が近いのだが、75km先がはっきり見えている日なら110km先が見えたっていいはずだ。とにかく方向を確かめ、写真を撮って帰路につく。

 再度頂上を通過すると、「あの山は何でしょう?」と聞く人が居た。やはり同じことを気にしている人がいるのだ。私が岩木山ではないかと思っていると言うと、その人は納得していたようだった。

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/30(金) 12:40


1222 ひかりを検討

 ♪光る海、光る大空、ひぃかぁるぅ大いぃぃ地ぃ〜♪
 と、SMAPのメンバーが唄っているが、これは言うまでもなく8マンの主題歌である。8マンがサイボーグでなくてロボットであるということは以前書いたことがあるが、とにかくその速さを、光通信のイメージと重ねているわけである。光通信はむちゃくちゃ速いですよ、といいたいわけだ。

 しかし、光通信が速いのは当然と言えば当然で、それは古くはトロイ戦争の烽火の例でも証明されている。だからして、導入を検討するときに問題になるのはコストである。勿論十分スピードが出ればコスト・パフォーマンスは割安になるという考え方もあるが、現在のネット利用で最も負担が大きいと思われるのは女性美を追究している部分だけであるので、そんなものにコストをかけるのは家庭争議の元である。

 また、「ひかり」という名称にも問題がある。以前、地元新聞の読者投稿欄が「こだま」であり「はやて」ではないから注意が必要であるということを書いた。これは新聞側に喚起を求めるために書いたことであって、本来ならば地元新聞の方が投稿欄を「はやて」と改名すべきところなのである。「ひかり」だの「こだま」などというような中央に媚びた名称は、痴呆の時代にはそぐわないのである。

 そういうことならば、ネットワークも光などと言ってはいられない。Hi-netあたりが先行投資して疾風通信を普及させるべきであろう。もちろんCMには地元出身者のいるゴスペラーズあたりを起用して、

♪はやてのようにぃあらわれてぇ〜はやてのようにぃ去ってゆく〜♪
 と、超有名ヒーローの歌を歌えば、ユーザーは電光石火の早業で増えて行くに違いないのだ。

●記録者 上野大樹
●記録日 2005/9/30(金) 22:02



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