スリル博士と宝塚 Back Index Next
『スリル博士』

『宝塚ホテル』本館ロビー上の階段に建つケン太。
昭和三十年代まで階段下右手に受付があり、『スリル博士』最終回に登場した。
昭和33年の秋、小学館の雑誌編集部で、秘密会議が開かれていた。
少年漫画の世界において後塵を拝していた小学館が、乾坤一擲の賭けに出たのだ。
それは・・・・世界初の漫画週刊誌『少年サンデー』の創刊である!
日本におけるテレビ時代は昭和30年に始まった。昭和34年の春に予定されている皇太子御成婚で本格的なテレビ時代がやってくる筈だ。
テレビ番組は曜日単位である。人々の生活も曜日単位で情報を求める筈。すでに大手出版社は週刊誌の発行を昭和34年夏に予定している(『週刊文春』『週刊朝日』『週刊現代』)。
といっても、総合誌の週刊誌より先に漫画週刊誌を発刊することは常識では考えられないことだった。
しかし、このチャンスを逃しては小学館が少年誌でトップに躍り出るチャンスは永遠に来ないだろう。
小学館は一か八かの賭けに出た。
「どうやら、『少年サンデー』計画は講談社側に漏れたようです。彼らも『少年サンデー』と同じく来年の3月に新週刊誌『少年マガジン』の発行を決定しました」
「まずいな。今のわが社に講談社と対等に戦える力はないぞ。編集部次長、何かアイデアはないものかな?」
『少年サンデー』編集長を予定されている次長の豊田亀市がひとしきり頭をひねった後に答えた。
「今、もっとも人気のある漫画家は・・・手塚治虫です」
「そんなことぐらい知っている」
「手塚治虫を『少年サンデー』の専属漫画家にするのです!」
「そ、そんな事ができるのか?『少年』掲載中の『鉄腕アトム』も中止させるつもりか?」
「もちろんです」
手塚の原稿料を一枚1万円とし、現在掲載中のすべての手塚作品のページ数を調べ、計算した。
「これ以上の月給を手塚に払えば・・・」
それは小学館社長の給与をはるかに超えていた。
豊田氏は相賀徹夫社長のもとへ走る。
「・・・・。か、かまわん!払ってやれ」
社長のOKが出た。
こうしてとんでもない額の契約料が手塚に提示された。
しかし、手塚は小学館の申し出を断る。
「連載は承諾しますが、専属の件はお断りします。わたしは他誌にも書きたいのです」
それが手塚が専属を断った理由であるが、しかし、それだけではないだろう。
手塚は漫画の世界の恐ろしさを知っている。朝日新聞に専属となった夏目漱石の時代ではないのだ。
次々と消えるかつての人気作家たち。子供たちは非情だ。今人気があっても一か月後に同じ人気を保つ保証はない。
小学館の申し出を受けて、もし人気が落ちたらいったいどうなるのだろう。その時に他誌が手塚を受け入れる保障はない。
漫画家の専属といえば、月刊誌時代人気絶頂だった『赤胴鈴乃助』の武内つなよしと少年画報社との関係も有名だ。
| 武内先生は『少年ジェット』の連載もヒットして、乗りに乗っていたのですが、ある時自宅の建設資金を少年画報社に借りた義理から、他の雑誌の連載を全く切ってしまいました。その後、ブームが落ち着くにつれて必然的に武内先生の仕事量も減り、だんだんと私のサポートも不要になってきました。 (アシスタントの日記帳 福元一義 〜手塚ファン・マガジン147号、2003年) |
専属によって生じる生活の安定が漫画家のやる気に影響する可能性もある。
小学館からの申し出の直後に講談社からも同じような申し出があったという。
やむを得ず、『少年マガジン』には手塚治虫クイズを連載すると共に、代役として石森章太郎を強く推薦した。これが『怪傑ハリマオ』である。
小学館から隠れながら、最初の13回分は手塚が原稿の下書きをした。
メイドに変装したメロン。宝塚ホテルの庭がすばらしい。
昭和34年3月『少年サンデー』創刊号から手塚の新連載『スリル博士』が始まった。
他の連載を打ち切らず、毎週15ページの週刊誌連載をスタートさせたのである。
いくら『天才』手塚といえど無謀だった。第1回の原稿を書きながら手塚は過労で倒れる。
第1回は、盲腸の手術を装って爆弾を入れられた男の話、第2回は、サーカスの猛獣使いの娘を襲うやくざ達、その後は、動物園が麻薬密輸の中継基地、国技館に現れた怪人、とミステリー仕立ての読みきり短編が続いた。
今読み返すと、それなりに面白い作品だが、何かが・・・足りない!
どの作品にも手塚のやる気、というか、「これを書きたかったんだよ!」というシーン、設定が現れないのだ。
この年、手塚は見合い→デート(帰りの喫茶店で居眠り)→結婚の準備→ストレスで精神科受診、とまさに心と体はズタボロ状態であった。
勝手の違う週刊誌ペースに、調子が乱され、人気が上昇しない。やがて連載開始半年を待たず、『スリル博士』は最終エピソードを迎えることになった。
昭和34年の夏、第6話『ケン太とダライ・ラマ』のラスト、悪人たちは誘拐したケン太を悪人『宝塚ホテル』へ運ぶ。
ケン太を助けるため、スリル医院の美人看護婦・メロンがメイドに変装してホテルに忍び込んだ。
メロンは看護婦、スチュアーデスと、連載後半はコスプレしながら大活躍する。もっと最初から活躍していれば、『スリル博士』の人気も少しはあがったのに、と悔やまれる。
(注:単行本の収録は発表順と異なる。上の『ダライ・ラマ』事件後、発表は、第7話『ナダレ谷』、第8話『青いひとみ』、最終話『死の島へ行く』と続く。ただし最終話は単行本未収録)。
さて、この『宝塚ホテル』は実在するのだ。
しかし、なぜ最終回に『宝塚ホテル』を手塚は登場させたのだろう?
それは、この年の10月3日に、『宝塚ホテル』で手塚の結婚式が予定されていたためだろう。
結婚式の打ち合わせのため、何度かホテルに通っている筈である。
さらに、手塚は子供時代から『宝塚ホテル』に親しんでいた。戦前、大阪の住友金属に勤めていた手塚の父は、ホテル主催の『宝塚倶楽部』会員となり、子供時代の手塚を連れてホテルのパーティに出席したり、ホテルのレストランの作った正月料理を取り寄せているのだ。
身体的にも精神的にも追い詰められた手塚は、自分の結婚式場の下見をしながら『スリル博士』のネタを探していたのだった。
================ 付録 宝塚小案内 =====================
『宝塚ホテル』本館(旧館)。『スリル博士』では夜景でホテルの外観が登場する。
現在の宝塚ホテルは、新館と東館が増築されているが、『スリル博士』の舞台となった本館も自由に見学することができる。
わたしのおすすめは、ホテルのバーである。女性向きバー『デューク』では宝塚歌劇の男役がバーテンダーを、一般向けバー『くすのき』でもボーイは女性がつとめる。食事もあるし、安いのでぜひどうぞ♪
せっかく宝塚へ来たのなら、武庫川(むこがわ)を渡って対岸へ行ってみよう。
武庫川と阪急の鉄橋。威容を誇る宝塚大劇場。
『宝塚ホテル』は阪急・宝塚南口駅に面している。駅を抜け、宝塚大橋から対岸の歌劇場を見たのが上の写真。
大橋で武庫川を渡ると、右手に市立手塚治虫記念館が見える。
手塚治虫記念館の入口。左に少し見えるのは火の鳥の像。
こじんまりとした記念館である。
入口には金色に輝く火の鳥の像(記念撮影用ですな)と足元に代表的キャラの手形・足型が。
上の写真では親子連れが手形を見ながら歩いている。入口の自動販売機で500円の入場券を購入する。
受付のお嬢さんはなかなか可愛いが、残念ながら普通の衣装である。タマミ風のコスチュームなどを着て、一緒に記念撮影に応じてくれると大きいお兄さんは喜ぶと思う。
火の鳥『未来編』をイメージした資料展示。館内の写真撮影は問題ないようだ。
地下一階、地上二階で、予想したより狭い。
●一階は手塚治虫の子供時代からの資料展示である。中にはグルグル回って見にくい展示もある。もっとゆっくり見せてほしい。
一階の奥がハイビジョンを使ったミニシアターである。オリジナルの短編アニメを放映していた。わたしの好みではないが短編なので我慢して観た。
入口付近に手塚キャラを使ったフィギュア、かるた、ソノシート、といった小物が展示されている。種類は多くないが、『W3』かるたなどのようにレアものもあり楽しい。
●二階は特別展示と図書館、喫茶、売店。売店の規模は京都駅の手塚ショップの半分ぐらいか、ちょっと寂しい。ここで手塚キャラ・トランプを購入した(これはいい)。
喫茶コーナーでコーヒーを飲むが、食べ物は一切ないので、子供連れなら、入館前に他所で食べることを勧める。
手塚の古い単行本を並べたコーナーはガラス張りで手に取ることができない(残念)。それに、全冊そろっているわけではない。
一番楽しめたのは手塚本(現在発売中のもの、全集中心)が自由に読める図書館である。韓国、中国、英語の手塚本数冊置いてあり、台湾から来たカップルが本を手にとって喜んでいた。
●地下はパソコンを使ったアニメ作り体験コーナーだが子供ばかりで入りにくい。
劇場入口。当然ながら女性ばかり。
手塚記念館を出て、『花の道』を阪急宝塚駅に向かってそぞろ歩きすると、左手が宝塚劇場だ。
歌劇場は大劇場(2500席)とバウハウス(新人用の小劇場、500席)の二つ。普通席は5000円ぐらい。午後1〜3時ころに開演する。
お金に余裕があったら、週末になじみのバーのママさんを二、三人引き連れて、昼に女性たちは観劇、オヤジはゴルフ、夜はホテルでお楽しみ♪というのがわたしの夢なのだが・・・。
手塚治虫と宝塚については、(新虫マップ〜宝塚)が詳しいのでぜひどうぞ。
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(2006/7/23掲載)