B.J連載開始の謎 Back Index Next
『ブラック・ジャック』(1)

 昭和43年、『少年チャンピオン』で『ブラック・ジャック』の掲載が始まった。
 手塚としては異例の長期間連載作品であっただけでなく、その人気の高さからも多くの神話を生み出した作品といえる。
 ここでは、そんな『ブラック・ジャック』の数多ある謎のいくつかに迫ってみよう。

 まずは、『ブラック・ジャック』
連載開始のいきさつについてである。
 
 『ブラック・ジャック』連載時のエピソードとして次のような話が広く知れ渡っている。
「人気が落ち、
原稿依頼のなくなった手塚を見るに見かねた、『少年チャンピオン』編集部は、『手塚の死に水を取る』つもりで、五回だけの連載を手塚に依頼した。それが『ブラック・ジャック』である」

 上の話にはいくつかのヴァージョンがあるが、いずれにしても、現在これほど人気のある作品が発表当時は全く期待されていなかった、という皮肉が、上のエピソードを面白おかしく広める役割をなしているのであろう。

 しかし、これをそのまま信じていいものだろうか?
 ・・・というわけで、まずは確認してみよう♪

(1)手塚に原稿依頼はなくなったか?
 実際の連載状況を見てもらうとわかるだろう(↓)。

昭和48年(1973年) 昭和49年(1974年)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月
ジャンプ ライオン
ブックス
短編
漫画サンデー 短編 短編
コミック&
コミック
短編 短編
プレイコミック 短編 短編 短編
ヤングコミック 鉄の旋律
マガジン 短編 三つ目が
とおる
アニマ 動物つれづれ草
別冊ジャンプ 短編 短編
COM 短編
赤旗日曜版 タイガーランド
小学一年生 鉄腕アトム
小学四年生 鉄腕アトム
中一時代 短編 短編
サンデー サンダー
マスク
希望の友 ブッダ
SFマガジン 鳥人大系
ビッグコミック 奇子 ばるぼら シュマリ
高1コース ユフラテの樹 日本発狂
チャンピオン ミクロイドS ブラック・ジャック

 なるほど、最盛期に比べると連載雑誌数は少ないが、それでも相変わらず掲載雑誌数は尋常ではない。
 ただし、話題性に富む作品は少ない。『少年サンデー』で『ダスト18』がヘタれ、『サンダーマスク』と『ミクロイドS』というテレビ・タイアップ作戦が失敗し、『少年ジャンプ』での『ライオンブックス』連作が迷走し、手塚に昔日の勢いがないのは明らかだ。『奇子』や『鳥人大系』はどちらかというとマニア向けの作品だ。
 
 結論:連載の量は変わらないが人気作が減っていた。

(2)『死に水』を取るつもり、と言ったのは誰か?

 この刺激的な言葉は誰が発したのだろうか?しっかりした発言の記録が残っているものを探してみよう。
 まず、当時の『ブラック・ジャック』
担当であった岡本三司氏の言葉である。(Suntory Saturday Waiting Bar 2003年9月20日放送)

 当時、「少年チャンピオン」の編集長で壁村耐三という人がいて、この人は『ドカベン』『がきデカ』などが始まった頃の名編集長だった。ところがこの人は手塚先生に強い思い入れのある人で、ある時、僕を呼び出して「手塚先生の担当をしてくれないか」と言う。正直、「冗談じゃない」という気持ちだった。

 編集者なんてエゴイストなもので、どうせだったら飛ぶ鳥を落とす勢いの人を担当したい。だから編集会議でも、手塚先生の担当に誰も手を挙げない。それで『ミクロイドS』の縁があった僕にお鉢がまわってきた、という事情だった。

その話を引き受けたのは、「五回で終わるから」という条件がついていたから。失礼な話、
「尊敬する手塚先生の、漫画家としての死に水を取ってあげよう」ぐらいのことまで言われて、仕方なく引き受けた。

 そんな背景があったから、手塚先生の得意な分野の「医者」の話で、しかも手塚先生にしてはやや劇画タッチ。それは先生との打ち合わせでお願いしたことだった。それでも新連載なら巻頭カラーとか、表紙にカットを入れるとか、普通はやりそうなハデなことは一切無しで、地味に連載が始まった。それくらい編集サイドに情熱がなかった。

 うむ、壁村編集長が言ったらしいことがわかった。「〜ぐらいのことまで言われ」という言い方が微妙ではあるが。

 それでは壁村耐三編集長(1998年死去)は生前、どのように言っていたかというと・・・
 『70年代マンガ大百科』(別冊宝島)でのインタヴューで、

・・・・・『ブラック・ジャック』については、いかがだったんですか?
    聞くところによると、壁村さんが漫画家としての手塚さんの最後を見届けるつもりで連載を始めたとも・・・・。

壁村:
いやいや、それはおおげさですよ。
   ただ、手塚さんは当時、小学館と講談社の連載が打ち切られ、手塚プロの経営状態もそんなに順調ではなかった。
   そんなとき、
手塚さんから『もう最後だから』というニュアンスで生まれた企画が『ブラック・ジャック』だったんです。

 おっと、「最後だから」というのは、なんと手塚が言い出したのである。
 つまり、
手塚「もう最後だから」→編集長「死に水をとるつもりで」→担当、と伝わったらしい。

 ここで注意しなければならないのは、手塚と壁村編集長の関係である。
 タダの関係ではない。

 壁村編集長は「怪物」編集長といわれた程の個性的人物だったのだ。

 赤塚不二夫を実質デビューさせ、石森章太郎に『マンガ入門』を書かせ、『ドカベン』『がきデカ』『マカロニほうれんそう』で『少年チャンピオン』を少年誌初の二百万部突破させた編集長は、「日本一恐ろしい怪物編集長」とも呼ばれている。

 編集者一年目に、締め切りに遅れた
手塚の原稿を二階から投げ捨てた(一説には破り捨てた、さらに一説には手塚を平手打ちした)という伝説を持ち、長谷邦夫によると「オレが編集者を辞めるときにはあいつ(手塚)の右腕を折ってやる」と豪語していた程の豪の者だ。
 その壁村は『少年チャンピオン』の創刊号から『ザ・クレーター』『やけっぱちのマリア』『アラバスター』『ミクロイドS』と、どんなに人気が落ちても連載を続けてきたほど手塚にほれ込んでいた編集長でもあったのだ。
 当然、手塚とのやり取りも通常の編集者・作者との対応を越えた会話がなされていたであろうし、「これが最後」「死に水」という言い方が出ても不思議はないだろう。
 
 結論:言い出しは手塚である。

(3)本当に五回で終わる予定だったのか?

 ブラック・ジャック=五回説は手塚が生前のときから知られていた。
 それは手塚の次の言葉からだ。(手塚治虫全集『ブラック・ジャック』13巻あとがき)

 この漫画は、もともと五回ほどの短期連載の予定で、編集部からもそういう希望だったのです。だから、五回でブラック・ジャックの身の上や、性格なんかかきつくせるはずがありません。五回とも、「この医者は、どこかでメスをふるって奇跡をおこしているはずである・・・」といった調子の終わり方をし、謎に包まれた怪人物のまま消える運命だったのです。(手塚治虫)

 当時の手塚担当である岡本三司氏も同じことを発言している。

 その話を引き受けたのは、「五回で終わるから」という条件がついていたから。

 では、壁村編集長は、というと・・・

壁村:あの連載もね、反応がなければ三回でやめるという約束で始めました。
   
藤子不二雄さんの『魔太郎がくる!』もそうです。

・・・・・たった3回ですか!
   しかも、手塚さん、藤子さんクラスで。

壁村:ウチはね、他誌にくらべて部数的に遅れをとっていた。
    だから、早く追いつくには、結果も早くほしかった。

 なんと、五回ではなく三回でやめる話だったようだ。
 しかし、ここで注目してほしいのは「反応がなければ」という言葉である。

 下は漫画家・長谷邦夫氏の竹熊健太郎ブロブへのコメント(2004年12月)

 『ブラック・ジャック』を起こすとき、全回読み切りだ、いつでも切る!と条件を出したのも壁ちゃんのはずです。
 それで、傑作が生まれた。名迷編集者。

 どうやら壁村編集長の方針は、「締め切りを守らないマンガ家には、罰として読みきり連載とする。それならいつでも切ることができるから」という方針だったようだ。

結論:「五回で終了予定」ではなく「反応がなければいつでも切るぞ」という話だった。

 以上、当時の関係者の元発言を見ると、「仕事のなくなった手塚に死に水を取らせるため、お情けで五回連載を許可した」という噂は
、「手塚から、もう最後かもしれないから・・と言ってきたので、締め切りを守らない手塚を懲らしめるためにも、いつでも連載を終了できる読みきりを書かせた」と、かなりニュアンスの違う話だったと思われる。

 とにかく、当事者がいなくなってからのこういう噂話は素直に信じない方が良いだろう。

 それでは、なぜ『ブラック・ジャック』は三回や五回で終わらなかったのだろう?
 編集部が延長を決めたのは何故か?という謎は次回のお楽しみ♪


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(2006・2・24掲載)