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大河原美禰子
「猟奇の果」<2> (昭和5年、「文藝倶楽部」連載)

時の総理大臣、大河原是之伯爵には優しい心をもった一人娘、美禰子がいた。美しい容貌とすばらしい知恵を持ちながら、彼女には一つ妙な欠点があった。それは普通の程度を越えて恵み深いことであった。ある日、貧しそうな若い女が伯爵家の庭に現れた。彼女を哀れに思って自分の部屋に入れたところ、顔つきが自分にそっくりなことを美禰子は発見した。悪戯心から「王子と乞食」のように女と美禰子の服の交換をしてみた。ところが、伯爵令嬢の服を着た乞食女は、突然悲鳴をあげて書生を呼んで美禰子を家から追い出してしまったのだ。こうして美禰子はかりそめの扮装があだとなり、とうとう乞食の群れに身を落とす運命となった。
【あらすじ】
(第二部 白蝙蝠 〜 Page15より続く)
岩渕紡績社長を替え玉と取り替え、残酷にもその娘を殺した白蝙蝠の狙う次の標的は、なんと大河原首相であった。まず首相の娘である美禰子の替え玉を作り、まんまと大河原家に入り込むことに成功した。次に美禰子の婚約者をホテルで殺害し、いよいよ大河原首相をニセモノと交換する計画の最終段階に入った。すでに明智小五郎でさえ白蝙蝠のアジトに捉えられており、謎の犯罪組織「白蝙蝠」の日本征服の野望は達成されたかに見えた・・・。
【作品の印象】
そっくりの人間を自由に作ることができたなら、日本の重要人物を次々と仲間と交換することによって日本征服は夢ではなくなる。それにしては組織の人数が少ない(全部で十人に満たない)。いったい白蝙蝠の連中は計画が成功した暁には何をするつもりだったのだろう?組合運動を増長させることも彼らの計画に入っていたことから、もしかしたら某共産国家のスパイであったのかも知れない。なお、昭和5年は、戦前における労働争議がピークに達した年であり、一部では行き過ぎの闘争が指摘されてもいた(列車脱線を起こすなど)。
また、乱歩最後の作品「超人ニコラ」では、同じアイデアをもとに玉村宝石店の家族全員を別人と入れ替えてしまう。このときも「異常に恵み深い」玉村光子が乞食女と衣装の交換をしたばかりに悲惨な運命にあう。子供向けながら「超人ニコラ」の方が作品の完成度は高い。
【大河原美禰子の印象】
年齢は書いていないが、替え玉となったのが芳枝夫人であることから、子供ではないことは確か。それに、
「道行く人が振り返ってながめていく。なんとなくなまめかしいこじきだからだ」
とある。
彼女の運命はかなり悲惨である。伯爵&総理大臣令嬢がルンペンであり、恵まれない者への哀れみの心を利用され、愛するいいなづけを殺されているのである。そして、とどめの一発は、早とちりした波越警部に「横つらをガンと食らわせ」られたことであろうか。世間知らずの伯爵令嬢が、乞食として生活した十日間はいったいどんな有様だったろうか、想像し見るのも楽しい。ところが、乱歩は・・・・
こじきとなりさがった伯爵令嬢の不思議にも痛ましき身の上、それを細叙したならば、おそらく一編の異様な物語ができ上がることであろうが、今はそのいとまがない。
(江戸川乱歩「猟奇の果」より)
そんなことを言わずに書いて欲しかった。
震災後の復興ブームに地方から多くの労働者が東京へ流れ込み、いくつかの貧民屈が昭和初期にできていている。当時使われた労働運動用語のひとつに「ルンペン・プロレタリアート」という言葉がある。ルンペン(ボロ衣)を着るほどの低所得労働者という意味のドイツ語であるが、ここから「ルンペン」という昭和五年の流行語が生まれ、「ルンペン・ストーブ」のような和製独英語が作られた。「ルンペン」そして「労働運動」が描かれた「猟奇の鬼」は、まさに時世を反映した作品ということができるだろう。
(2000・11・27掲載)