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桜山葉子
「黒蜥蜴」(昭和9年、「日の出」連載)

岩瀬早苗の身代わりとなった桜山葉子は、黒蜥蜴により誘拐され大阪から汽船で東京湾近くのある廃工場へ運びこまれた。そこには黒蜥蜴が収集した宝石だけでなく美男・美女の剥製標本までも飾られていたのだ。そして、工場の一隅には、裸の青年が野獣のように檻の中に入れられていた。おびえる葉子の顔を見ながら黒蜥蜴はこともなげに言った。
「どこの動物園へ行って見ても、猛獣の檻には牡と牝とがお揃いでいるものだわ。ごらんなさい、美しいお嫁さんでしょう。どう?お気に召さなくって?」
今こそ、黒蜥蜴の邪悪なたくらみの全貌が明らかになった。女賊は、葉子をまるはだかにして、この檻の中へ投げ込むために、それから、頃を見て、彼女の生皮を剥ぎ、恐ろしい剥製人形として、悪魔の美術館を飾るために、あれほどの苦心をして、彼女を誘拐してきたのだ。あまりのことに葉子は気が遠くなるのを感じた。
・・・・・・・
ふと正気づいて眼を開いて葉子は、まっぱだかにされて、同じように裸の青年の入った檻の中に横たわっていたのだ。そんな葉子を見物するために、黒蜥蜴の部下の荒くれ男どもが、つながるようにして押し寄せてきた。
【あらすじ】
(Page22より続く)「黒蜥蜴」こと緑川夫人は岩瀬早苗と「エジプトの星」をまんまと手に入れ、さらに追いすがる明智小五郎を大阪湾の底へ沈めてしまった。しかし、黒蜥蜴が早苗と思ったのは、実は明智が用意した替え玉・桜山葉子であった。そうとも知らず、黒蜥蜴は東京の隠れ家で、葉子を裸にして男と一緒に檻に入れたのだ。明智は本当に死んだのか?明智のとんでもない作戦の犠牲となった葉子の貞操は風前のともし火であった。こうして女賊と名探偵のはた迷惑な戦いもついにクライマックスを迎えたのだ。
【桜山葉子の印象】
関西商事のタイピスト嬢だが上役とケンカして首になったばかりのところを明智にスカウトされた。睡眠薬アダリンを懐に、大阪の盛り場S町をウィンドウ・ショッピングしている彼女の跡をつけるうさんくさい老人。これが明智の変装であろうとは!。葉子は「もしあたしが今夜からストリート・ガールに転業したとしたら・・・」と明智を誘惑する。それに対する明智ふんする老人のセリフは、彼の女性観がわかってなかなか興味深い(↓)。
「ウン、わしは若い女性の気持ちが、まんざらわからぬ男じゃない。おとなたちには想像もできない青春の心理じゃ。死が美しいものに見えるのじゃ。けがれぬからだで死んで行きたいという処女の純情じゃ。そしてお隣には、やけっぱちな、われとわが肉体を泥沼に落としこもうとするマゾヒズムがいる。ほんの紙一重のお隣同士じゃ。あんたがストリート・ガールなんて言葉を口ばしるのも、アダリンを買ったのも、みんな青春のさせるわざじゃよ」
(江戸川乱歩「黒蜥蜴」より)
結局、月給二百円を明智からもらって葉子は虎穴に投げ込まれてしまうのである。もっとも事件解決後には明智は早苗の父に頼んで謝礼を払ってもらうと言っている(<自分で払わんのか?)
ところで、檻の中の青年、「ぼくは人間の心を失っていません。あなたを守ります」と葉子に宣言するが、心の中では「しめしめ」と思っているに違いない。こういうパターンでは理性が本能に負けるのが自然であることを、わたしたちは団鬼六作品でイヤというほど教えられてきた。(図の青年も、自然に浮かんでくる笑みを必死にこらえているではないか)
【タイピストについて】
欧米式タイプライターではなく和文タイプの専門職で、女性の仕事だった。和文タイプは大正末期に発明された文字盤から文字を探し出す方式のモノで、ワープロの登場で消え去る。なお、和文タイプと別にカタカタだけ打つことのできる欧米式タイプライターも昭和初期に作られていた。手書きと同スピードで印字するには、専門学校で訓練を受けなければならないほど専門色が強く、若い女性にとってはあるタイピストはあこがれの職業の一つだったが、なにしろこの頃は不況で・・・。葉子は関西商事から月40円もらっていた。(ちなみに乱歩が「陰獣」を書いて横溝正史からせしめた原稿料は約800円)。
(2000・12・31掲載)