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黒蜥蜴の最期
「黒蜥蜴」(昭和9年、「日の出」連載)

警官隊に追いつめられた黒蜥蜴は、地底王国の女王の誇りからも、縄目の恥に耐えかねたのであろう。いずれ逃れられぬ運命とはいえ、せめて最期をいさぎよく、密室に閉じこもって、われとわが命を絶とうと毒薬を口に含んだ。明智は床にひざまずいて、その膝の上に女賊の上半身をかかえのせ、せめては断末魔の苦悩をやわらげてやろうと試みた。
「あたし、あなたに負けましたわ。なにもかも」
戦いに負けただけではない、もっと別の意味でも負けたのだということを、言外に含ませて言うと、彼女はすすり泣きはじめた。
「あたし、あなたの腕に抱かれていますので・・・・嬉しいわ・・・あたし、こんな仕合せな死に方ができようとは、想像もしていませんでしたわ。明智さん。もうお別れです・・・お別れに、たった一つのお願いを聞いてくださいません?・・・・唇を、あなたの唇を・・・・」
明智は無言のまま、彼を殺そうとした殺人鬼に、いまわの口づけをした。女賊の顔に、心からの微笑が浮かんだ。そして、その微笑が消えやらぬまま、彼女はもう動かなくなっていた。 ふと見ると、あらわな女賊の美しい二の腕に、あの黒蜥蜴の入墨が、これのみは今もなお生あるもののごとく、主人との別離を悲しむかのように、かすかに、かすかに、うごめいているかに感じられたのである。
【このシーンについて】
明智シリーズ屈指の名場面。若き日の三島由紀夫が感激したのも当然であろう。考えてみればとんでもない女なんだけど、退場の仕方が潔いのですべてが許される・・・(いや、美人は何をしても許される)・・・得なキャラである。
ところで、明智は緑川夫人の額にキスをしている。彼女が含んだ毒が速効性のもの、たとえば青酸化合物ならば、もし明智が唇にキスをしたら、明智も命を奪われた可能性がある。また黒蜥蜴も、それを狙って唇を求めたとも考えられる。彼女が最期に見せた微笑が、命がけの計略が失敗したことへの嘲りの笑みととることもできる。本当に黒蜥蜴は明智に恋をしていたかは謎のままである。
(2001・1・1掲載)