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木下芙蓉vs柾木愛造
「虫」<2> (昭和4年、「改造」連載)
「許してください。許してください。僕はあなたが可愛いのだ。生かしておけないほど可愛いのだ」
柾木愛造はそんな世迷言を叫びながら、白い柔らかい芙蓉を、くびれて切れてしまうほど、ぐんぐんとしめつけて行った。
土蔵の二階に横たわる芙蓉のむくろは、ある種の禁制の生人形のように異様になまめかしかった。人外境の魅力があった。むせ返るような香気の中を、底知れぬ泥沼へ、果てしも知らず沈んで行く気持ちだった。悪夢の恋、地獄の恋、それゆえに、この世のそれの幾層倍、強烈で、甘美で、物狂わしき恋であった。この暗い土蔵の中の別世界で、ふたりぼっちで永久に不可思議な恋にしたっていたいと思った。そのとき愛造の白い脳髄の襞に身の毛もよだつ言葉が這いまわり始めた。
「虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫」
その日から愛造の、芙蓉のむくろを蝕む眼に見えぬ黴菌との絶望的な戦いが始まった。氷、真空、ガラス箱、防腐剤、塩づけ、石炭酸・・・・。昼も夜もなく、むせかえる死臭の中、暗い土蔵で苦闘する愛造にもはやまともな思考はできなかった。わけもなくピョンと立ちあがると、頭をコツコツと叩きながら、空眼をして、何か胴忘れした人のようにつぶやくのだった。
「なんだっけなあ、なんだっけなあ」
【あらすじ】
(Page38より続く) タクシー運転手に変装した柾木愛造は芙蓉を殺害した。土蔵の二階へ芙蓉のむくろを運び込んだ愛造は最後の目的を果たした(あきらかに屍姦を匂わせる描写)。翌朝、自宅の廃井戸に芙蓉の死体を捨てる計画だったのだが、彼女の死体の魅力にとりつかれた愛造は、あらゆる手をつかって死体を保存する決心をした。そんな愛造の苦闘をあざ笑うかのように、芙蓉は死後変化を見せていく・・・完全な狂気におちいった愛造はやがて。
【作品の印象】
本作は雑誌「改造」に前後編として掲載された。前編はともかく、後編の死体変化の描写は、数ある乱歩作品の中でも際立って不気味といえる。現場はとてつもなく臭い筈だが、人間は匂いは慣れるようで、ずーっと土蔵で死体と一緒に暮らしている愛造にとっては死体の匂いも「甘い香り」になるらしい。死体の匂いはトイレの匂い、血の匂いは潮風の匂いに似ていると言われる。
個人的な話だが、子供のとき、ホームズものの影響で殺人事件を扱う刑事になりたいと思ったことがある。そのとき、わけ知り顔の大人が、「名刑事は死体に蛆の卵があるか、蛆がいるか、蛆がさなぎになっているかを素手で調べて、死亡から何日過ぎているかを即座に言えなければならない」と教えてくれた。そこで、百科図鑑で蛆の成長を写真で見ていたら気分が悪くなり、刑事になるのをあきらめた。
(2001・4・22掲載)