風俗科学 目次へ
昭和28年〜30年
1.誕生
昭和28年の夏、新雑誌「風俗科学」は東京でそのうぶ声をあげた。春に創刊された「風俗草紙」の売れ行きが好調なことをみての発刊であろう。「風俗草紙」は文献雑誌的体裁をとり、江戸時代やヨーロッパにおける風俗、とくに同性愛と被虐趣味を中心とした記事と小説が特徴であった。
どうやら編集長の西條道夫は男性同性愛に強く興味を抱いていたようで(その後同性愛に関する記事を自分で書いている)、創刊号から五、六編の男性同性愛記事を載せるだけでなく、「特異風俗研究会」という友好団体を提唱している。これは「男性同性愛」に興味をもつ人々が「風俗科学」編集室を通して資料や意見の交換を行うというもので、100円の入会費と風俗科学三か月の契約によって誰でも入会可能である。また会員名簿も発行されるが、実名ではなく会員同士の手紙のやりとりは編集室を通すという、会員の秘密を守るシステムのもとでの友好団体であった。ただし、親しくなった会員同士は直接手紙のやりとり、または会合は可能である。「特異風俗研究会」会員は最盛期には300人以上に達したと推測される。また、雑誌の読者欄でのお友達募集の呼びかけも当然あったが、トラブルの元になっていたようである。
お友達募集で多いパターンは次のような文である。
「男性同性愛に興味をもたれる30歳以上のやせ型の方、交友を深めましょう。7月31日日曜日午後10時から11時の間、に大阪駅東口バス停前で『週間新潮』を持って立っていて下さい。『俳句はお好きですか?』と聞かれたら『句会は最近出ていません』と答えるのが合図です」
うむむっ。秘密のにおいがプンプンして、まるでスパイ映画のノリだ。同性愛はともかくこれはこれで面白そうだ。
初期の『風俗科学』の内容を紹介する。
![]() 創刊2号(昭和28年10月号) 第三文庫社 編集長(西條道夫) 定価100円 この頃はまだ学術的雑誌風なカバーだ |
主な記事 編集後記 |
ある意味では「エロ」をあきらめて「グロ」へ進んだ、という印象も受ける。
注目すべき記事は『婦人立小便論』。テレビのない当時は自分の住んでいるところを離れると、たとえ日本でも秘境がたくさんあったようで、著者にとっては『東北』と『九州』は女が平気で立ち小便する野蛮国だったらしい。その根拠は、「鉄道で窓から女が立小便しているのを一度だけ目撃した」だからすごい。さらに、東北では背を伸ばして尻を全部出して後ろに向けて放尿するのに対し、九州では尻を半分ほどしか出さず腰を後ろへ突き出し両手を膝に当てて放尿する、という地域差まで発見している。九州方式では小便が着物にかかる危険があるので東北方式が優れていると結論づけている。
著者が女の立小便に興味をもったきっかけは、ある家に呼ばれて居間に坐ったところ、お茶を持ってきた家の娘がおもむろに廊下に立つと尻をめくって庭に向かって立小便をしたのを目撃し、女では小便が後ろへ飛ぶことを発見して感激したから。(どういう家なんだか・・・)
もう一つ、ひどい記事がある。水上準也の『山窩秘本私註』である。
「サンカ」というと自然回帰の山の民ということで最近は人気が高いが当時はひどい扱いを受けていたようだ。サンカの性生活と題して、ウソ八百が並べられている。女は月経が始まると村中の男が自由に犯してよい、年寄りは邪魔になるので殺してよい、住処を変えるときには恨み重なる官憲を殺してから移動する、村人を殺し女を奪う、・・・ほとんど犯罪者集団の扱い。サンカが秘密の持っていた本を調べた結果、彼らの恐ろしい生活がわかった、とのことだが・・。