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忍者ハットリくん 忍者ハットリくん
ハドソン
1986.3.5発売
©1986 HUDSON SOFT ©FUJIKO.SHOGAKUKAN.TV ASAHI

父の単身赴任のお土産

 このゲームは私が物心がついた時にはすでに家にありました。後に姉から聞いた話によると、父が新潟に単身赴任している時にお土産として買ってきたものだそうです。そのことを初めて知ったのは最近で、その父が亡くなった直後に、思い出話のひとつとして聞いたのです。

 「何で新潟のお土産でファミコンのソフトなんだろ?」という疑問に対し、姉が、「ハットリくんがお前に似てたんだってさ。」と、教えてくれました。ハットリくんに似てるっていうのは何だか複雑な気分でしたが、私が生まれてすぐに一人で新潟に住むことになってしまったことは、父にとって寂しいことだったのかな?と、なんとなく思いました。

 しかし、当時の私にはこのゲームの難易度はとても高く、すぐに放り出してしまったことを覚えています。今でもこのソフトは家にあります。父のことを聞いたあとなので、小さい頃とは違った気持ちでファミコンのスイッチを入れました。色んな場面が当時とは違う感じに見えました。ですが、難易度だけは当時のままでした……。

寄稿:エニクス 男 1983年生 群馬育ち 会社員


ムササビの術でちくわの乱れ取り

 ステージの最後にちくわを取るボーナスゲームがあったのですが、ムササビの術で最大まで上にあがり、鳥居の中に入って、ちくわを乱れ取りしたのを覚えています。

 しかし、なかには鉄アレイもまじっているのですが、結局鉄アレイをとってしまう危険性も高くなるので、あまり有効的ではないなと思った記憶がありますね。

寄稿:ゆきべえ 男 1974年生 佐賀育ち 販売員


セットでついてきた攻略本

 このゲームは純粋に面白かったです。数種類の忍法を使い分けてステージを進めて行くのは画期的なシステムだったといえるでしょう。

 それ以上に印象が残っているのが、このゲームを買った際にセットでついてきた攻略本です。その内容は、ハットリくんのゲームをプレーしていた少年と犬の前に変なオッサン忍者が現れて、その少年に攻略法を教えるというものでした。指導するのは構いませんが、少年がミスする度に「このアホ!」などとキレるのはどうかと思います。下ネタも満載でしたし。

 このご時世にこんな本を出版するのは不可能かもしれませんが、中古屋に置いてないものですかね〜。

寄稿:ナッパ 男 1982年生 福岡育ち


転勤族の僕を孤独から救ってくれた

 僕が6才の誕生日プレゼントとしてファミコンを親から買ってもらったとき、セットで買ってくれたのがこのソフトでした。

 僕の家族は当時、埼玉→北海道→名古屋→大阪と目まぐるしく引っ越しを繰り返していました。そして、土地になじめず、引っ越して誰も友だちのいない環境で孤独から救ってくれたのが、このソフトでした。

 まずはひとりでクリアして、達成感を楽しむ。情報源なしでこのソフトをクリアしたとは、なんて柔軟なアタマだったのだろうとつくづく思ってしまいます(20年後の今の自分ではおそらくムリ)。

 また、このゲームにはたしかレベル4まであり(敵がレベルの数に比例して増えるだけだったかな)、クリアしてその後は、攻略本を買っては裏技をなめるように分析して楽しんでいました。1面の木を昇降してザコ忍者が高得点のバケものに変わるもの、忘れましたが高橋名人をどっかで出すこと(できなかったのかな?)とか。

 ハットリくんをやっている時間は友だちと遊んでいる記憶が無く、引きこもりな子供だったんだと感じます。

寄稿:zakky 男 1980年生 北海道育ち 求職活動中


異様にうまかった親父

 このゲーム、家にあったのだが自分で全クリしたことは無かった。しかし、親父がこの『忍者ハットリくん』だけ、異様にうまかったのは今でも忘れられない。そういう意味では思い出深い1本だ。

 まったくゲームに興味が無かったはずで、それまでファミコンなんてやったことの無い親父が、ハットリ君を操り始めるとみるみるうちに術がたまり、さくさくステージをクリアしていく。「プレーしてる時間は俺のほうが長いのに、なぜ?」と、子供心に思ったもんだ。今度、親父に会ったら聞いてみよう。

寄稿:ランラン 男 1983年生 北海道育ち 公務員


叔父がキャラデザインを担当

 このゲームのキャラデザインを担当したのは、実は私の叔父だ。当時「超」がつくほどのファミコンブームの中、身内が開発に関わっているなんてことはひとつの奇跡だった。

 当時、ハドソンから発売されるゲームはすべて定期的に叔父の住む札幌から送られてきていた。『忍者ハットリくん』もそのひとつだったが、これは叔父のデビュー作ということで、特に思い入れがあったようだ。

 今やると難しい。2回やってやっと7面まで行けた程度。小学4年でプレーしていた当時は全16面をサクサクこなして、かくれキャラの存在まですべて把握していたと記憶するが、どこにそんなバイタリティがあったのか。自分の人生の歴史にそんな時間が存在したということが、18年経った今はなにやら信じられない。

 ちょうど12年前、「ハットリくん」でのデビュー後6年。社内結婚を果たした叔父の結婚式が札幌で行われ、親戚総出で札幌まで出向いた。会場には伝説の中本さんの姿もあった。中本さんのトレードマークであるメガネとヒゲをしげしげと眺めつつ、本当に身内にハドソンの人間がいたんだなあと初めて実感した。

寄稿:kei 男 1976年生 広島育ち フリーランス ホームページ


大好きだったけど当時の私には難しかった

 当時私は小学一年生。ハットリくんが大好きで、誕生日にこのソフトを買ってもらいました。

 ファミコンはマリオで慣れていたので、全クリを目指し毎日頑張っていましたが、小学生には難しかった・・・。3面あたりの水の面から難解になって、いつもそこらへんでゲームオーバーしていました。1面でちゃんと巻物を集めていたらこんなことにはならなかったと思うのですが、どんどん次の面に進みたくて、手裏剣のみで水の面に挑む毎日・・・。

 普通にジャンプするのもタイミングが難しかったのでやられまくり。難しかった思い出でいっぱいです。今だに3面以降を知らないので、またやり直してみようかな・・・。

寄稿:misty 女 1981年生 フリーター


時を越えたハットリくん世代の父とともに

 正統派アクションゲームというジャンルにおいてはさほど実績が無いハドソンであるが(逆にシューティングゲームにおいては実績があり過ぎる)、この〔忍者ハットリく』は、斬新な試みが随所に見られる、なかなかの傑作ではないかと思う。

 特に印象が強いのは、ステージクリア後のボーナスタイムだ。鉄アレイをかわしつつ、チクワの大盤振る舞いにあずかるわけだが、「息子に対し、食い物に紛れて凶器を投げつける父親なんて、忍者一家だからといって許される存在なのか」と、僕の父はゲームをプレーする上でどうでもいいツッコミを冷静に入れていた。

 しかしそんな父は、このゲームを購入するにあたって、僕と一緒に母へおねだりしてくれた、白黒テレビ放映時分のハットリくん世代です。

寄稿:淳 / ハローブリッヂ 男 1978年生 神奈川育ち システムエンジニヤ ホームページ


巻物がなかなか集められない

 どうでもいいが、私が初めてカラオケで歌ったのはハットリ君である。

 このゲーム、巻物を取って強くなるという面白いシステムなのだが、忍法が多すぎて最後までなかなか集まらない。頑張って集めたら影千代に取られる始末。影千代をよければ、連射が間に合わず鉄仮面(巻物orカエルを持っている忍者)にぶつかって即死。

 『ファミコンロッキー』でハットリ君の裏技(ハットリ君の巨大化)が掲載された時は嬉しかったが、当然できるわけもなく、気が付けばこのゲーム自体全くやらなくなってしまった。

寄稿:雪鷹 男 1979年生 宮崎育ち フリーター

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