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忍者じゃじゃ丸くん
ジャレコ
1985.11.15発売
©1985 JALECO
制作に関わってました
私は美術系大学生の頃、バイトでゲームデザイナーをしていた者です。現在のゲームから比べたら信じられないくらい稚拙なグラフィックですが、当時はそれはそれでめまいのするようなデータ量で、バイトなのに会社で徹夜なんて当たり前だったし、ドット絵ばかり描きまくってたお陰で、外の景色がドットで見えたものです(笑)
ちなみに私が制作に関わったのは、『忍者じゃじゃ丸くん』、『ドラゴンバスター』、『うる星やつら』などでした。思い出コラム、辛口の内容もありますが、とても懐かしく嬉しい気持ちで読ませていただきました。あの頃はインターネットなどなく、自分たちの作ったソフトがどんな人たちに買われていって、どんな思いでプレーされてたかなんてほとんど知る機会もなかったですから……。
寄稿:あーまる 女 1966年生 京都育ち 工芸作家
トロッコGet!と思ったら爆弾
子供の頃、間違いなくこのゲームで一番遊びました。おゆきをなめてたら氷柱にやられ、カラカッサにはあしらわれ、トロッコGet!と思ったら爆弾で、姫の尻を突こうと思ったらなまず太夫が爆弾投げ初めて……。
いろんな思い出がいっぱい詰まったソフトです。ゲームをあまりやらない父が『ゴルフ』以外にはまったソフトでもあります。最高得点の写真を撮って、当時あったゲーム雑誌に投稿したこともありました。
寄稿:GERUGUGU 男 1974年生 神奈川育ち 市議会議員
点数より面クリか
近所の長崎屋で買ってもらったこのソフト。頑張って手裏剣8枚クリアや、さくら姫を下からこずいてのボーナスなど、点数ゲットに弟と競った日々。
そんなある日、ゲームなどほとんどやらない母が、点数をあげることに一生懸命になってた我が姉弟を尻目に、21面までクリアしてたのは驚愕した。このソフト、メインは点数ではなく面クリなんだと思い知らされた。しかしいつ修行を積んだのだろう? 未だに母には追いつけない。
寄稿:プイ 女 1976年生 神奈川育ち フリーター
初めて買ったあの正月を思い出す
当時、お正月にファミコン本体と一緒に買ってもらったカセットが『忍者じゃじゃ丸くん』でした。その頃はテレビゲームをやるのが初めてで、凄く新鮮でした。じゃじゃ丸くんもかなりはまってました。親に、「もうあと30分だけやで〜」と言われながらやってた記憶があります。
カラカッサには苦労しました〜! あと、初めはピン坊やカクタンにも苦労しました。それと火の玉やなまず太夫の爆弾攻撃! なんといってもガマパックンには凄く助けられました!
今でも『忍者じゃじゃ丸くん』を本体に差してスイッチを入れると、当時のお正月の雰囲気や記憶が甦って来ます。
寄稿:ハチロク 男 1975年生 京都育ち 自動車整備士
ファミコンを物置の中に隠されても探して遊んだ日々
15年以上前、父が買ってくれた最初のソフトが『忍者じゃじゃ丸くん』だった。
もう楽しくて楽しくて。ファミコンを物置の中に隠されても探して遊んだ日々。ACアダプタを隠されてもラジカセのアダプタで代用して遊んだ日々。
そういえば「さくら姫」を当時好きだった子に置換えてプレーしてた。爆弾をトロッコと間違ってとってしまい、爆死したじゃじゃ丸は20人以上いたっけ。透明薬をとっても、ピン坊、カクタンには何の意味も持たないことに気付くのに時間をかなり費やしたのもいい思い出。
それにしても敵が死ぬ時の効果音が「チュッ!」という音なのはいかがなものか。可哀相過ぎると思うのは自分だけだろうか?
寄稿:ウィンクル 男 1975年生 愛知育ち 医療機器営業
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