

スカイブルー1色の2000番台

スカ色と先頭車改造クモハが入った山陽本線333M

広島運転所の車両が使われた3735M「Sunライナー」

115系3000番台を使用した「エキスポ」号
西日本地区
昭和63年に「アビ丸」号として塗色変更した広島運転所のN1編成は、博覧会終了後は絵柄テープをはずしたものの、ベースとなった青色はそのままで運転された。この措置は約1年ほど続き、かつての大糸線旧型国電を思いださせるシーンが見られた。
平成3年8月 竹原ー吉名間にて

旧福知山色、呉線を走る
この編成は、昭和53年に長岡運転所から広島運転所に転入してきたもので(当時は6両)、国鉄時代末期は山陽本線・呉線で活躍。その後昭和62年3月に岡山区に移り、さらに7月に福知山線輸送力増強のため福知山運転所に転属した。同所の113系と同じ黄色を基調とした福知山色に塗られたが、後に転入した2本は現行の塗色になったため、115系でこの塗色となったのはこの1本のみである。また非冷房車のため、乗客にも敬遠されがちであり、翌年に冷房付の1000番台編成が転入すると運用が激減した。このような中、山陽地区では3000番台の貸出や海島博に伴う列車増発で車両が不足し、予備車的存在だったこのK10編成を借り入れることになった。運用は岡山ー広島の限定で、下りは呉線経由、上りは山陽本線経由で運転。かつての古巣を異色の姿で走り、沿線のファンを驚かせた。この措置は約半年続いたが、その後福知山所の運用に戻ることなく、平成3年6月に廃車となった。16年後の現在、下関所に福知山から転じたC43編成があるが、塗色が福知山色で運用も限定になっているなど、同じようなケースが見られるのは興味深い。
平成2年4月 竹原ー吉名間にて
岡山区には昭和61年4月〜7月にかけて、三鷹区から300番台が転入したのに続き、11月には沼津区から0番台が転入、3両化が推進された。さらにこの改正で6両固定編成がなくなり、6両で運転する列車は3+3が基本となった。当時三原から先の広島方面には6両運用が2本あったが、このために11月以降は3両組が入線するようになり、写真のような組み合わせも稀に見ることができた。
昭和61年11月 広島駅
平成元年、岡山ー福山間に快速「Sunライナー」が登場、昭和59年2月の「さい来る電車」の運転開始で消滅した同区間の快速列車が、5年ぶりに復活した。当初は日中1時間に1本の運転で大半が岡山区のD編成であったが、下り最終と上り初発には213系が使用されていたことはよく知られている。しかし日中の下り最終3735Mに、広島運転所の車両が使われていたことはあまり知られていない。この列車は福山以遠に直通し、さらに三原から呉線経由で広島を目指していたため、このような車両運用になったと考えられる。ちなみに国鉄時代は呉ないし呉線経由の快速が岡山を発着しており、115系による快速も昭和53年から運転されていた。広島車ではあってもヘッドマークは同じように取り付けられている。(福山以遠は取り外し) 翌年の改正では三原止まりとなったものの、広島車で継続。117系投入までその姿がみられた。
1990年(平成2)に大阪で開催された「花と緑の博覧会」への臨時列車として、岡山ー大阪間に快速「エキスポ号」が運転された。岡山発着の列車であったが、転換クロスシートを持つ下関所の3000番台車(C11編成)があてられ、5月から9月まで同列車に限定使用された。(なおこの関連で岡山車1編成が、下関車の運用に入っていた)なお当然ながら、「大阪」の行先表示はないため、即席のサボを製作し使用していた。

平成元年12月 岡山駅
平成2年8月 大阪駅
「大阪ー岡山」のサボ、大阪の部分は紙で貼り付けられた。

大垣まで乗り入れた115系
平成4年、網干区に岡山区の車両を高速化した115系が投入されたが、同区では主幹制御器の短絡化で113系と115系が共通運用となり、この関係で大垣乗り入れが登場した。乗り入れ当初は4両運用もあり5300番台なども見られたが、その後は7両組のみとなったため、454M〜431M(平成7年改正時)の1往復でときおり見ることができた。朝の431Mは、大垣夜行375Mの165系の接続をうけていたため、奇しくも北関東の代表形式の顔合わせを、岐阜県で見ることができた。写真撮影時はこの165系の最期の頃である。その後先頭車が他区に転属したため、113系との混結で中間車のみの配置となってしまい。前面Uカットを見ることはできなくなった。しかし列車番号が変わりながらも、乗り入れは継続され、平成16年10月改正で221系に置き換えられるまで続いた。
平成8年3月 大垣駅