モハ114 800

昭和41年12月の中央東線投入で新たにおこされた番台で、同線にある低断面トンネルを通過できるようパンタグラフ部分の屋根を低くした車両である。中央線用として17両が製作され、クモハ115とユニットを組んだ。次いで昭和42年には波動輸送用として14両が製作されたが、こちらはモハ115とのユニットで横軽対策が施されるなどの違いがある。このグループは小山区に集中配置されたが、後に御殿場線をはじめ各地に散らばっていったため、一時期は広い範囲で見ることができた。一方中央線グループは近年まで活躍していたが、1000番台貫通編成の転入による0番台淘汰とともに、訓練車を除きJR線上からは姿を消した。

モハ114−813(長モト

中央線に投入された17両のうち、国鉄時代の冷房改造車は2両のみであった。2両とも特別保全工事が施工されている。平成10年にシングルアームパンタPS35に換装されたが、平成13年に廃車となってしまった。特保車がゆえに伊豆急行への譲渡は行われなかったのは残念である。

モハ114−807(東トタ

JR化直後、中央線には非冷房の115系が多く残っていたが、昭和63年からAU712方式の冷房改造車が進められた。また同時に車両更新工事も行われて面目を一新している。豊田区配置車はドア窓のガラスが金属押さえになっているのが多かった。

モハ114−815(東トタ

更新工事当初はストライプ調のシートだったが、その後入場毎にモケットの張替が行われた。この車両が組まれた豊田区M40編成は、両先頭車と中間車のモケットの色が異なる変則編成だった。

モハ114−808(長モト

平成10年からのPS35パンタグラフ換装は豊田区配置の全車に及んだため、低屋根、シングルアームパンタという今までにないスタイルが生まれた。離線が少なく、かつ折り畳み高さに自由度がある同パンタの普及で、今後低屋根車両が登場することはまずないであろう。

モハ114−827(東ヤマ

これも波動輸送用として新製されたもので、モハ115−103とペアを組む。昭和52年に冷房改造されたこともあって小山区に残り、特別保全工事もうけている。平成2年に豊田区に貸し出され、中央線グループの冷房改造に伴う車両不足を補った。このためスカ色に変更されている。結局平成4年に正式に豊田区配置となり、現在は訓練車として在籍しているが、いまやJR線に残る唯一の低屋根車である。

モハ114−823(宮ヤマ

総勢14両が小山区に投入された波動用800番台であったが、昭和55年に御殿場線、さらに平成4年に豊田区へと転出が相次ぎ、最後まで残ったのがこの車両であった。晩年は横軽区間の消滅もあってGマークもなく、中央線グループの湘南色版のようだった。

モハ114−5825(静シス

昭和55年に当時の沼津機関区に配置され、昭61年の基地統合で静岡所配置となった。平成元年の211系投入によって、0番台が大量に淘汰されたが辛くも生き残り、平成2年に冷房改造を施工。その際補助電源をクハから供給するシステムにしたため、113系同様+5000が付番された。また特別保全工事も施工され、クリーム壁に青シートというJR東海オリジナルのアコモになっていた。しかし平成11年に313系が投入されると車令が高いこともあり、置き換えられてしまった。

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モハ114−823(東ヤマ

818〜 は昭和42年に波動輸送用として新製され、横軽対策が施されているのが特徴である。この車両はJR化後もしばらく非冷房だった。

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モハ114−831(岡オカ

800番台のラストナンバーで、沼津区を経て昭和61年に岡山区に転入。山陽地区唯一の800番台で、これにより岡山や広島では全タイプの115系が見られた。モケットの張替等は他の車両と同様に行われ、平成8年まで活躍していた。

平成13年5月 四方津

平成10年7月 相模湖

平成7年8月 大月

平成11年2月 高尾

昭和63年9月 小山

平成元年7月 大宮

平成12年10月 大宮

平成10年3月 沼津

平成3年12月 広島

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