
「暴力に関するセビリア声明(The Seville Statement on Violence)は、1986年5月、国連・国際平和年の活動の一環としてユネスコがスペインのセビリアで開催した第7回「脳と攻撃性についての国際コロキウム」において、心理学、社会学、動物行動学、生物学など11の専門分野にわたる20人の研究者の手によって作成され、1989年のユネスコ総会で、その普及促進が決議されたものです。
暴力に関するセビリア声明
1986年5月16日、セビリア
1989年11月16日ユネスコ総会で承認
(前文)
私たちは、それぞれの専門分野から、私たち人間という種のもっとも危険で破壊的な活動・暴力と戦争の問題に取り組むことは、私たちの責任であると固く信じます。また、科学は、人間の文化の産物であり、最終的な解答を出すこともできず、すべてを包括することもできない事実を知っています。さらに、セビリアの市当局とスペインのユネスコ代表のご支持に厚く感謝します。
私たち、下記の署名者は、世界中の国々から訪れた関連諸科学の学者です。ここに結集し、つぎのような「暴力に関する声明」に到達しました。この中で私たちは、暴力と戦争を正当化するために、私たちの分野の何人かの学者にさえ用いられてきた、たくさんのいわゆる生物学的発見に挑戦します。このいわゆる発見は、私たちの時代を包む悲観論の雰囲気を助長しています。従って、私たちは、これらの誤った見解について注意深く検討し、これを公然と拒否することこそ、国際平和年にふさわしい有意義な寄与であると考えます。
暴力と戦争を正当化するために行われる科学の学説と資料の誤用は、いまに始まったことではなく、近代科学の出現以来のことです。たとえば、進化論は戦争だけでなく、人種絶滅、植民地主義、および弱者の抑圧を正当化するために用いられてきました。
(第1命題)
私たちは、動物であった私たちの先祖から戦争をする傾向を受けついでいる。−という言い方は、科学的には不正確です。闘争は動物のさまざまな種を通してひろく見出されますが、しかし、組織された集団と集団との破壊的な種内闘争の例は、自然に生活している種の間では、いままで二、三しか報告されていません。しかもそのどの場合にも武器になるように仕組まれた道具の使用は含んでいないのです。また、他の種を捕食する正常な食餌行動を種内暴力と同等に扱うことはできません。戦闘行動は、他の動物には見出されない特別な人間現象です。
戦闘行動が、時代とともにきわめて根本的にかわってきた事実は、なによりもそれが文化の産物であることをしめしています。その生物学的な関連は、主として、諸集団の協応、技術の伝達および道具の使用を可能にする言語に媒介されています。戦争は生物学的に可能です。しかし、時間と空間の中でその起こり方と性質が変化するという事実から見て、明らかに戦争は不可避ではありません。
何世紀にもわたって戦争に関与しなかった文化があります。またある時期頻繁に戦争を起こし、他の時期には全く起こさないという文化もあります。
(第2命題)
戦争あるいはその他の暴力行動は、私たち人間の本性の中に遺伝的にプログラムされている。−という言い方は、科学的には不正確です。遺伝子は神経系機能のあらゆるレベルにふくまれていますが、それらが用意しているのは、生態的・社会的環境と接合してはじめて現実化する一つの発達潜カです。諸個人は経験に影響される素質の面では、様々ですが、彼らの人格を決定するのは、遺伝的所与と養育の諸条件との仕互作用です。ごくまれな病理的事例をのぞけば、遺伝子は必然的に暴力に傾く個人を作り出すことも、その反対を決定づけることもありません。遺伝子は私たちの行動能力を確立する要因の中にいっしょに含まれてはいますが、遺伝子だけが特定の結果を生むわけではありません。
(第3命題)
人間の進化の過程では、攻撃行動は他の種類の行動より選択される傾向がつよかった。−という言い方は、科学的には不正確です。くわしく研究された種では、すべて集団内の地位は協力する能力、その集団の構造に対応する社会的諸機能を担っていく能力によって達成されています。「支配」は社会的結合と内部の提携を含んでいます。もちろん攻撃行動も含みますが、しかし、支配は単に優勢な体力の所有や行使の問題ではありません。攻撃行動のための遺伝子選択を人工的に動物の中に設定して、急速に超・攻撃的な個体を生み出すことに成功した例がありますが、これは逆に攻撃が、自然条件のもとでは最大限の選択をうけなかったことをしめしています。このように実験的につくられた超・攻撃的な動物は、社会集団の中に入れられると、その社会構造をバラバラにするか、さもなければ、追い出されてしまいます。暴力は、私たちの進化の遺産の中にあるのでもなく、私たちの遺伝子の中にあるのでもないのです。
(第4命題)
人間は脳の中に「暴力中枢」をもっている。−という言い方は科学的には不正確です。私たちは、じじつ、暴力的に活動する神経装置をもっていますが、しかしそれは内・外の刺激によって自動的に賦活されるわけではありません。高等な霊長類と同じように、また、他の動物たちとはちがって、私たちの高次神経過程はこの種の刺激を、それが作用する前に濾過します。私たちがどういう形で行為するかは、私たちがどのように条件づけられ、社会化されてきたかによって決まります。私たちの神経生理学の中には、私たちをいや応なく、暴力的に反作用させるものはなにもありません。
(第5命題)
戦争は「本能」あるいはなにか単一の動機によって引き起こされる。−という言い方は科学的には不正確です。現代の戦闘行動の出現は、戦闘の第一要因が、あたかも、時に「本能」と呼ばれる情動と動機の要因から認知要因へ移り変わる旅程でした。現代の戦争は、服従、被暗示性、理想主義のような人格特性、言語のような社会技量、およびコスト計算、企画、情報処理のような合理的思考などの制度的利用を含んでいます。現代戦争の科学技術は、じっざいの戦闘員の訓練中も、一般大衆の中に戦争支持の空気を醸成するにあたっても、暴力につらなる諸特性をさかんに誇張してきました。この誇張の結果、これらの諸特性は、しばしば、この過程の結果であるよりむしろ原因であるかのように取り違えられることになるのです。
(結 論)
私たちはつざのように結論します。生物学は人間性に戦争を宣告していません。人間性は生物学的悲観論の束縛から解放され、この国際平和年および来るべき一年一年の中で、もとめられる転形の課題を引き受ける確信によって力づけられることができます。これらの課題は主に制度的、集合的なものですが、同時に、これに関与する各個人の意識にかかっています。その一人ひとりが悲観論をとるか楽観論をとるかは決定的な要因です。「戦争は人の心の中ではじまる」のと同じように、平和も私たちの心の中ではじまります。戦争を発明した種と同じ種は、平和を発明することもできます。責任は私たち各人の肩にかかっています。
〔 解 説 〕
〔前文の解説〕
ユネスコが科学の理論の誤用の問題を扱うのは、これがはじめてではありません。ユネスコは、国連の他の部局とともに、第二次世界大戦後、ふたたぴこのような戦争がおこらないことを保障するために創設されました。あの戦争は、人間の尊厳、平等、相互尊重という民主主義の原理を否定し、その代りに、人間性と民族の不同性に関する教義を、偏見と習慣に乗じて、普及することによって可能になった戦争でした。この不同性の教義は偽・科学的理論によって正当化されました。
1950年以来、ユネスコは一連の科学者集会を招集し、その都度科学者は、人種を主題とする公式の諸宣言を発表してきました。彼らは人間の根本的な同一性を明らかにし、われわれはすべて同じ種に属している、と宣言しました。彼らは、人種という概念は諸個人の身体的な現われに結びついた社会的表象を反映しているのであって、特定の生物学的資料にもとづく科学的事実ではないと、言っています。
これらの専門家の仕事を承認し、ユネスコは1978年、すべての科学者は特殊な責任を持つ、と宣言しました。彼らは自分たちが利用できるあらゆる手段を通じて、人種的偏見と習慣の分野に関する彼らの科学的発見が、誤解されることを確実に防がなければなりません。彼らはまた、これらの発見がよく理解されるように一般の人びとを援助すべきです。
この責任は、1981年にアテネで開かれた科学者集会のときに拡大されました。それまで科学者たちはユネスコに招集され、民族主義と民族差別を目的とした科学の誤用に反対する仕事を続けてきたのですが、この時、支配と暴力を正当化するような科学概念の誤用にも反対して同じ作業を遂行すべきではないか、という提案が行われました。人類学者Santiago Genoves氏は、科学概念の流用からくる、つぎのような思い違いを指摘しました。
(a)たいていの動物の中で見られる種類の暴力と人間の中で見られる暴力との混同。
(b)最適者生存と最強者生存との混同。
(c)自然因と文化因との混同。
これはまさにセビリア集会の原点でした。
すべての科学的な声明と周じように、これは決して主題に関する最終的な結論ではあり得ません。そうではなく、これは1つの重要な第一歩です。何人かの人びとは、こう言って、この声明を批判しました。−「将来科学者が、今日君たちがうことと矛盾する新しい資料を手にし、新しい理論を展開するようなことはないだろう、などとはたして君たちは言えるのかね。」
この声明は、「科学は、人間の文化の産物であり、最終的な解答を出すこともできず、すべてを包括することもできない」ということを承認しています。この声明の中で指摘されているいくつかの要点は、私たちの現在の知識水準を代表しています。将来の研究がこれらの要点をさらに敷衍することは疑いありません。しかし、それを本質的にかえるような事態まで考える理由はどこにもないのです。
それゆえ、この声明はその結論をできるだけ注意して抽き出しました。どの場合にも、結論は努めて科学的資料にもとづき、その資料が支持できること以上の真理はもとめない方針で記述してあります。参加者の間に意見の不一致がある場合、あるいは他の化学者やさまざまな分野からの不同意が予想される場合には、この声明はあえてある種の争点にふれませんでした。
従って、この声明は、戦争と構造的暴力を引き起こす諸要因を列挙しません。これらの要因については、将来の作業が取り組むでしょう。すでにユネスコはこの主題についてより深く考察するための寄与として、暴力の文化的、社会的原因を研究する国際的な学際セミナーを組織することを決定しています。
この声明ができるだけ注意深く結論を抽き出すことにどれほど成功したかは、多数の専門的な科学者組織がこれを批准した事実によってはかることができます。
読者のみなさん、どうか、この声明が根拠にした科学論文を参照してください。それらは、このパンフレットの末尾にリストされています。どの文献にもさらにたくさんの参考事項がおさめられています。読者のみなさん、どうかあなたも、年を追ってさかんになる、この重要な問題に関する継続的な科学研究と討論にご参加ください。
〔第1命題の解説〕
科学者たちは動物の攻撃をふくむ動物行動をたくさん研究してきました。これらの研究はセビリアで、ジョン・パウル・スコット教授によって再吟味されましたが、氏はこの分野の研究の開拓者の一人です。
セビリアで再吟味された諸資料は、戦闘は人間に固有な行動である、という結論をみちぴいています。アリ、狼、サル、チンパンジーの群体間抗争は、道具の使用、制度化、言語による行動の協応をふくんでいません。そしてこれらはすべて人間のあらゆる戦闘行動に共通です。動物の行動は生物学的な進化をたどりながら、長い時間を経て変わってきました。一方、人間の戦闘行動の変わり方は、明らかに、生物学的ではなく、文化的進化によるものです。従って、有史以来比較的短い期間に、戦争は軍事組織の性質の点でも、また使われる武器の性質の点でも劇的に変化しました。
セビリアでの作業は、また、社会科学者が行った戦争の研究にみちぴかれました。彼らの指摘するように、国際紛争と戦争の原因は、非常に複雑なので、体系的、科学的な史実の分析をともなう研究が必要とされます。それらを、生物学的なものにせよ、社会的なものにせよ、いずれにしても僅か二、三の要因に還元することはできません。この声明は、戦争が、人間の生物学とちがって、時間的にも地理的にも劇的に変わる、という、観察を反映しています。ある世紀には(たとえばヴァイキング人のように)戦争を起こす国民も、他の世紀には隣邦と平和に暮らすかも知れません。
〔第2命題の解説〕
人間は生まれつき暴力的である、あるいは、利己的であると、主張する著者は、歴史上たえず現れました。そしてダーウィンの進化論がこの主張を正当化するために用いられてきたのですが、最近この主張は、現代遺伝学の述語で語られるようになっています。
これらの主張は、セビリア声明の署名者S・A・バーネット氏によって再吟味され論破されました。氏は動物行動と攻撃を研究している科学者です。この主張は、人間は確かに暴力をつかうことができ、利己主義を通すこともできるけれども、その一方で、私たちはまた非暴力行動と協力の力量ももっている、というもう一つの面を見逃しています。それどころか、この主張は通常、人間の平等にもとづく社会改革に抵抗する著者たちの意見を代表しています。ダーウィンの理論や現代遺伝学のことばで表現されても、その事実は、なんらこの主張を科学的なものにする根拠にはなりません。ダーウィンと現代遺伝学の発見は、多くの科学分野にとって革命的でしたが、しかしそれらは、動物あるいは人間の行動を直接明らかにすることはできません。セビリアで行動発生学者ベンソン・ギンズバーグと心理学者ボンニー・フランク・カーターが論評したように、ネズミ、イヌ、狼に関する科学研究は、彼らの行動が、遺伝形質に影響されはするけれども、直接的に決定されているのではないことをしめしています。彼らの遺伝子コードは、行動を直接規定するのではなく、体細胞の水準で作用し、その発達と機能を支配する、酵素という化学物質の産出を制御しているのです。
動物の場合、遺伝子をある個体から他の個体へ移す実験をすることができます。セビリアで説明されたように、この実験をネズミで行った結果は、個性が遺伝子だけで決定されるのではなく、生態学的環境と社会的環境の両方をふくむ成育の条件に依存することをしめしています。このことはネズミより人間についていえば、もっと確実なはずです。人間の個性はネズミよりはるかに社会的環境に依存しているのですから。
〔第3命題の解説〕
人間は生まれつき暴力的で利己的である、と主張する著者たちは、動物の行動の中の攻撃の重要性を強調し過ぎるきらいがあります。同時に、彼らは協力の重要性を十分に強調しない傾向があります。
社会集団をつくって生活する動物たちの支配と統率を、攻撃性と同じ程度に特徴づけているのは、彼らの協力する能力です。セビリアで行動発生学者ベンソン・ギンズバーグと心理学者ボンニー・フランク・カーターが報告したように、狼、有尾猿類、無尾猿類に関する研究は、まさにこの通りであることをしめしています。事実、過度に攻撃的な動物が群れの中に導入されると、その集団の構造は恐らく壊されてしまうでしょう。
もちろん、だからといって、攻撃行動が動物の行動の中でも人間の行動の中でも、一定の役割をはたしていることを否定するわけではありません。たとえば、周知のように、母親は自分の子どもがおぴやかされると、防御のためにとりわけ攻撃的になります。社会集団をつくって生活する動物の種では、攻撃行動はいつも協力と相互扶助の文脈の内部で選択されるのです。
人間行動の場合にも、攻撃行動は協力の文脈の中で起こります。この点は、セビリア署名者で人類学者のリチャード・リーキーが、ロージャー・レヴィンとの共著の中で指摘しています。事実、あらゆる人間社会が食物を採集したり狩猟をするときにみせる協力は、人類学者に感銘をあたえる、もっとも注目すべき私たちの行動特質です。協力は私たちの種の生存にとって特別に重要でした。
〔第4命題の解説〕
セビリア声明を起草した科学者の中の何人かは脳の研究にたずさわっています。脳の研究は、脳が怒りや恐れのような感情、学習する能力や言語の使用のような社合的技量をどのように制御しているかを調べます。
攻撃行動の脳メカニズムに関する研究は、セビリア署名者デイヴィッド・アダムスが再整理したように、大部分が実験室のネズミやネコで行われてきました。その行動が有尾猿や人間より単純なこれらの動物の水準でも、攻撃の脳メカニズムは、刺激によって自動的に誘い出されるのではなく、たとえば、他方の動物がどの程度に親しい相手かというような社会的文脈によって調節されています。
有尾猿や無尾猿になると、状況はもっと複雑です。たとえば、Jose Delgadoと彼の共同研究者はつぎのことを明らかにしました。攻撃行動は脳の電気刺激によって引き起こされます。この時、有尾猿は、相手が自分より順位の低いものだと攻撃行動を現しますが、優位な相手に対してはその表現を見せません。無尾猿で行った関連実験では、ギボン(手長猿)の脳に電気刺激を与えています。この場合、攻撃行動は実験室の中では生したのですが、ある島の自然状況の中でテストしたときには発生しませんでした。
以上の再検討からつざの結論が得られます。−「人間の攻撃行動は他の脊椎動物のそれよりはるかに複雑である。それは、制度と経済体制の発展、および道具と言語による精巧な運動型の完成など、多くの文化的要因によって形を変えてきた。このことを知るわれわれは、いかに刺激的であろうとも、系統発生を固有の領域の外へごく単純に適用する試みを回避する道徳的義務を持つ。犯罪および戦争のような人間現象が神経回路の不可避的な結果ではないことを明らかにすべきである。」
〔第5命題の解説〕
現代の戦闘行動のような複雑なことがらを理解するためには、多くの水準をとって接近していく必要があります。私たちは、個人から集団、社会、国家にいたる、複雑さのちがういくつかの水準にある諸活動について、その性質と原因の間の差異を考察しなければなりません。このため、セビリア集会はこれらすべての水準で研究している科学者、個人心理学、社会心理学、社会学を含む科学者を包含しました。
現代戦における兵士の行動は、彼らの攻撃牲とは殆んどかかわりがありません。この点はセビリア声明の起草に加わった動物行動学の専門家ロバート・ヒンデと社会心理学者のジョ・クレーベルによって指摘されました。−「戦争体制は種々の役割を取りきめ、どの役割にも付帯する権利と義務をもたせる。政治家、将官、兵士、軍用作業員は、彼らの攻撃的な傾性から少しも寄与をうけずに義務をはたし、課せられた職務を遂行する。しかもこれは、戦闘員にもあてはまる。彼らにとっては協力と仲間関係、服従および恐怖のほうが、攻撃よりも重要だろうから。」
国家が戦争を準備するときには、敵に対する恐怖と怒りをかもし出す宣伝戦にマス・メディアをつかいます。宣伝は、私たち誰もが、折にふれて経験する恐れと怒りを利用します。けれども、セビリア署名者で心理学者のリ夕・ワールストレームが彼女の研究の中でしめしたように、敵のイメージは、人間の恒常的な特性というより、むしろ人工的な構成体です。たとえば、現在フィンランドでは、人びとは敵のイメージをもっていません。さらに私たちは、自分の国、民族そして家族と一体化すると同持に、地球に対する忠誠心をいだくこともできます。それほど、人間の心の可能性は大きいのです。
〔結論の解説〕
平和の発明は多くの課題を包む一つの事業です。その課題に対して私たちは、一人ひとりがなにか貢献できるものをもっています。課題は、個人的、集団的、制度的です。私たちは個人として、集団の成員あるいは職業人として、一国の市民として、さらに国連と協力して、これに貢献することができます。セビリアで、暴力に関する声明の筆者たちは、これらすべての水準で同時に作業をすすめました。
セビリアの参会着の中に、ひとり生化学者がいました。脳の代謝と子どもの病気を研究してきたひとです。この科学者は、名前はフェデリコ・メイヤー・ザラゴザといい、後にユネスコの事務局長に選ばれました。事務局長として、彼はユネスコの仕事を携えて、平和を発明する課題に立ち向かったのです。ここに、就任演説で彼が言ったことばを一部引用しましょう。
「人類は、人びとが互いに協調し、環境と調和して生きる、あの高く明るい、平和と公正の頂上に向かってのぼりつめることができます。なぜでしょう。紛争は避けることができず、人間には生来、攻撃と戦争に傾く性質がある、ということは正しくないからです。愛の遺伝子はありません。また、攻撃の遺伝子もありません。人はあらかじめあれこれの方向をとって生まれるのではありません。人は作られるのです。人は、教育によって、発達を通じて、世界中いたるところで、もっとも困難で普遍的な計画を実行している職人・学校の先生たちの手で作られます。私はここでこの人たちのことを思い出し、在任中たえずこの人たちのことを心に留めたいと思います。
平和は成長します。一人ひとりの内面にその宿をつくります。ここに、平和のための広大な、目に見えない基体があります。私たちは一人ひとりが、どの女もどの男も、かけがえがなく、大切であり、たのもしい適格者であることを忘れてはならないと思います。」


