上田・埼玉県知事
「従軍慰安婦はいなかった」発言
(統一教会・祝電) 問題

「請願書」提出後の経緯
子どもの人権埼玉ネット「請願書」提出 2006.7.6.
「請願書」提出に至る経緯


南京虐殺記述削除が判明
県平和資料館運営協

 県平和資料館(東松山市)の昭和史年表にある「従軍慰安婦」の記述をめぐり、上田知事が「従軍」の削除を求めている問題で、有識者ら十四人で構成する県平和資料館運営協議会(森田武会長)が二十五日開かれ、「従軍慰安婦」の記述については次回以降の検討課題とすることが決まった。また委員の指摘で、館内に掲出されている年表から「南京大虐殺」の記述と写真が削除されていることも分かり、その扱いについても検討することになった。次回協議会は十月の予定。

 同館事務局は「戦後六十年がたち、新たな視点での見直しが必要」として[1]常設展示の見直し[2]戦後日本の国際平和貢献の展示について―の二項目を委員に諮問。同日は展示見直しの方向性について意見交換を行った。

 従軍慰安婦の記述については、「政府は旧日本軍が慰安所に関与したことを認め謝罪している。政府見解に矛盾しない方がいい」という意見があったが、記述を削除する、しないについて具体的な言及はなかった。

 また、事務局は昭和史年表に掲載されていた川岸で多数の死体が倒れている様子を撮影した「南京占領から十日後の揚子江岸」と説明がついた写真と「日本軍南京占領(南京大虐殺)」という文言のうち「南京大虐殺」の部分を二〇〇五年三月に削除したことを明らかにした。事務局は「史実を否定しているわけではない。だが最近の研究で展示していた写真が確実な証拠でないことが分かったので外した。暫定的な措置」としている。

(2006年7月26日 埼玉新聞)


県平和資料館運営協が会合
『従軍慰安婦』の記述、結論先送り

 県平和資料館(東松山市)にある年表の「従軍慰安婦」の記述について、上田清司知事が「間違った記述で、訂正しなければならない」と発言したのを受けて、同館の運営協議会は二十五日、対応を検討する会合を開いた。「従軍慰安婦」に関しての結論は、十月中旬に予定される次回以降に持ち越された。

 会合では、一九九三年の開館以来、年表に記載されていた「南京大虐殺」に関する記述と写真が、館の判断でテープで隠されていたことが明らかにされた。これについて、同館側は「外部からの圧力ではない。写真の客観性が担保できなくなった」と説明したが、委員からは「さまざまな議論がある展示の修正については、協議会に諮るべきでは」と批判があった。

 運営協議会は、館長が任命した学識経験者や教育、市民団体の関係者ら十四人で構成。運営方針などについて通常は年二回開催している。今回は上田知事の意向を踏まえ、異例の臨時開催となった。

 上田知事は六月県議会で、年表の中の「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任論議多発」という記述に関し「慰安婦はいても従軍慰安婦はいなかった。自虐史観になっていないか、きちっと検討しなければならない。協議会で見直しをしてもらいたい」と述べていた。

 協議会の会合では、委員から「従軍慰安婦問題は過去の協議会で論議されているはず」「県立の館なのだから、国の見解と乖離(かいり)した展示をするべきではない」などの意見が出た。協議会会長の森田武埼玉大教授は「次回以降、議論いただくが、従軍慰安婦についての考え方はさまざまで、客観的に慎重に進めたい」と結論を急がない考えを示した。 (堀場達)

(2006年7月26日 東京新聞)


「従軍慰安婦」表記の是非、意見出ず
県平和資料館で運営協議会

 上田知事が展示にある「従軍慰安婦」の表記の修正を求めていた県平和資料館(東松山市)で25日、運営協議会(会長・森田武埼玉大学教授)が開かれ、学識経験者ら13人の委員が展示方法や内容について意見を交わした。同館は、10月の次回協議会までに全体的な展示の見直しを行い、協議会に提示する。

 この日の協議会で原田美岐子館長は、〈1〉常設展示の見直し〈2〉戦後日本の国際平和への貢献の展示について、委員の意見を求めた。

 委員からは「日本の戦後の国際貢献を表す展示が少ない」など意見が出されたが、「従軍慰安婦」の表記の是非についての具体的な意見は出なかった。

 また、展示されている昭和史年表から、2005年3月に「日本軍南京占領」の説明として「南京大虐殺」の記述と写真が削除されたことも質問され、同館学芸員は「評価が分かれていると考え、一時的に外した」などと答えた。

(2006年7月26日 読売新聞)


子どもの人権埼玉ネット
「上田知事の『従軍慰安婦はいない』発言に強く抗議し、
撤回と謝罪を求める請願書」
2006.7.6.


【 経 緯 】


いわゆる従軍慰安婦問題に関する私の考えについて

平成18年7月
埼玉県知事 上田清司

 平成18年6月の埼玉県議会定例会における、いわゆる従軍慰安婦問題に関する私の答弁について、様々なご意見をいただいています。
 ここで、改めて私の発言について説明させていただきたいと思います。

 慰安婦と呼ばれる方々は、筆舌に尽くしがたいほどのつらい体験、絶望的な日々を送られたことと思います。
 耐え難い思いをされた女性の心情を思い、あらためて深い憤りと悲しみを感じざるを得ません。
 女性の尊厳を踏みにじるこのようなことが、二度とあってはならないと強く思います。
 
 答弁では、「慰安婦はいたが、従軍慰安婦はいなかった。」と簡潔に申し上げました。
 私は、慰安婦と従軍慰安婦との違いは、軍として女性を徴用したかどうかにあると考えています。
 ところが、軍として女性を徴用したことを立証する証拠は、政府の詳細な調査によっても、一切見つかっていないのです。
 このことは、当時の内閣官房長官であった河野洋平氏も認めているところです。

 慰安婦はいた。慰安所もあった。軍が何らかの形で関わったこともあった。しかし、従軍慰安婦、すなわち軍に強制的に徴用された女性がいたという証拠はないのです。

 しかし、政府は平成5年8月4日の「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」において、強制連行を事実上認めた政府見解を示しています。

 証拠がないにも関わらずこのような談話が出された背景には、外交上の思惑が隠されていると思われます。
 すなわち、歴史問題に関する当時の日韓両国の緊張関係の中で、事実関係の解明よりも、まずは女性たちの名誉回復を図ることで、両国間の関係を改善したいという思惑です。

 その経緯については、当時の官房長官であった加藤紘一、河野洋平の両氏、そして内閣官房副長官として歴代内閣を支えた石原信雄氏の証言をもとに、櫻井よしこさんが文芸春秋(1997年4月)に詳細にまとめられています。
 そのなかで石原氏は、こう証言されています。

  「私共は資料があるといえばどこにでも飛んでいって調査しました。
  各省庁に資料提出を求め、その他にも国立国会図書館、アメリカの公文書館、様々な研究機関も、八方手を尽くしました。警察関係の各所にも求めました。けれども、韓国側が気にしている強制的に徴用したというのが、文書ではどうしてもないわけですよ。」
  「当時、彼女たちの名誉が回復されるという事で強制性を認めたんです。」
   (櫻井「強制性はいわば善意で認めたのですか?」)
  「そうです。両国関係に配慮してそうしたわけです。」
 
 また河野洋平氏は、平成9年3月31日の朝日新聞のインタビューの中で、「政府が聞き取り調査をした軍人、軍属の中にも強制連行があった、と証言した人はいたのですか?」との質問にこう答えています。
  「直接強制連行の話はなかった。しかし、総合的に考えると、『文書や軍人・軍属の証言がなかった。だから強制連行はなかった。集まった人はみな公娼だった。』というのは、正しい論理の展開ではないと思う。」
 
 ここでいう正しい論理とは、一体何なのでしょうか。
 傷害事件が起きたとしましょう。犯人らしき人が捕まった。証拠は一切ない。この論理では、被害を受けた人々の心を慰めるために、犯人らしき人を犯人にするようなものだと思います。
 
 外交は生き物です。様々な交渉や妥協が必要なことは認めます。
 しかし、日本国民の名誉に関わることに関するこの問題に関しては、断固として筋を貫くべきであったと私は考えます。
 後世の日本政府が証拠もないままに、日本軍は強制的に徴用した、いわゆる従軍慰安婦を同行させながら戦っていたと認めた今の状態が続くとなると、祖国や家族を守るために命をかけて戦った英霊はうかばれない、英霊の家族にしても耐えられないと私は思います。

 繰り返しになりますが、慰安婦はいた。慰安所もあった。しかし、軍が徴用した従軍慰安婦がいたという証拠はないのです。

 証拠もないのに容易に「従軍」慰安婦という言葉を使うことは慎むべきなのではないかということを、私は訴えたいのです。


上田知事:「従軍慰安婦いない」発言、
在日団体など抗議声明

 上田清司知事が県議会一般質問で、戦時中の従軍慰安婦問題について「古今東西、慰安婦はいても、従軍慰安婦はいない」と答弁し、在日本大韓民国青年会中央本部は28日、発言の即時撤回や辞任を求める抗議声明を発表した。

 知事は27日の答弁で、県平和資料館(東松山市)に展示されている年表の1991年の項に「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任論議多発」と記述されていることに触れ、「兵のいるところに集まってきたり、兵を追っかけて民間の業者が連れていったりするのであって、軍そのものが連れていったりするわけは絶対にない。(年表は)間違った記述で修正しなければならない」と述べた。小島信昭議員(自民)の「展示内容が偏っている」との指摘に答えた。

 従軍慰安婦問題を巡っては93年、政府が調査し、河野洋平官房長官(当時)が「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接に関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主として当たった」とする談話を発表している。知事の発言について、共産党県議団、日朝協会県連合会、県教職員組合も抗議を表明している。【高本耕太】

(2006.6.29.毎日新聞)


上田知事の従軍慰安婦発言:
知事がコメント「従軍慰安婦がいた証拠ない」

 「慰安婦はいても従軍慰安婦はいない」と述べた6月27日の県議会答弁について、上田清司知事は3日、「いわゆる従軍慰安婦問題に関する私の考えについて」と題したコメントを出した。

 上田知事は、「慰安婦はいた。慰安所もあった。しかし、軍が徴用した従軍慰安婦はいたという証拠はないのです」と、従来の主張を繰り返し、強制連行を事実上認めた93年の河野洋平官房長官(当時)の談話には、「背景に外交上の思惑が隠されている」としている。また、「耐え難い思いをされた女性の方々の心情を思い、あらためて深い憤りと悲しみを感じざるを得ない。女性の尊厳を踏みにじるこのようなことが、二度とあってはならない」とも述べている。

 知事に対しては発言撤回や謝罪を求める抗議文が計18団体から寄せられている。また広聴広報課によると、発言に対してメールなどでの県民からの反響は賛成231件▽反対67件▽その他1件――という。【高本耕太】

(2006.7.4.毎日新聞)


 「強制徴用の証拠ない」
従軍慰安婦発言で知事 見解を文書で発表

 上田清司知事が先月末の県議会で「慰安婦はいても従軍慰安婦はいない」と発言し、県内外の団体から抗議の声が上がった問題で上田知事は3日、「軍に強制的に徴用された女性がいたという証拠はない」という見解を文書で改めて発表した。

 旧日本軍の関与を認めた93年の政府談話については「事実の解明より、まず女性の名誉回復が図ることで日韓両国の緊張関係を改善したいという思惑があった」と持論を展開。

 さらに「いわゆる従軍慰安婦を同行させた証拠もないままに政府が認めた状態が続くと、祖国や家族を守るために戦った英霊が浮かばれない」「安易に『従軍』慰安婦という言葉を使うことは慎むべきだ」と訴えた。

 同日午前、野本能伸、柿沼トミ子両特別秘書と面会した新日本婦人の会埼玉県本部は「93年の談話は公文書などを調査した結果、知事の認識は誤っている」と反発している。

 県によると同日までに、埼玉県労働組合連合会、埼玉県教職員組合など18団体から抗議があり、県民から支持231件、反対67件の声が寄せられたという。

(2006.7.4.朝日新聞)


統一教会問題
文科相らに公開質問状 弁護士団体

 福岡市で5月に開かれた世界基督教統一神霊教会(統一教会)の関連団体の会合に、安倍晋三官房長官ら多数の政治家が祝電を送ったとされる問題で、全国霊感商法対策弁護士連絡会は13日、小坂文科相や自民党の中川秀直政調会長ら4人に公開質問状を送ったことを明らかにした。安倍長官と保岡興治・元法相にも6月19日付で公開質問状を送っているが、回答はないという。

 同連絡会事務局長の山口広弁護士によると、ほかに上田清司・埼玉県知事と村井嘉浩・宮城県知事あてに、6日付で公開質問状を送った。中川氏の事務所は「祝電を送ったことはない」と否定し、上田知事からは「世界平和連合埼玉県連合あてに送った」と回答があったという。

小坂氏の事務所は朝日新聞の取材に対し、「祝電は送っていない」と否定している。

(以下、asahi.com)
福岡での集会を開いたのは天宙平和連合(UPF)で、統一教会創始者の文鮮明氏とその妻が代表を務める。

(2006.7.14.朝日新聞)