![]() |
@イスラム過激派オサマ・ビン・ラディン:1950年サウジアラビア出身の富豪の息子で1979年ソ連のアフガン侵攻阻止の義勇兵。国際テロリスト=ゲリラ組織・アルカイダを率いる。91年湾岸戦争以降「反米思想」へ転身。98年ケニアとタンザニアの米国大使館爆破事件と2001年の同時多発テロなどのの黒幕、反米・反イスラエルのテロ・ネットワークを作る。A一般のイスラム教徒は、罪のない一般市民を無差別に巻き込む国際テロ行為には批判的で、元来垣根の低い、懐の深い、包含力のある穏健な精神の充足した、つつましやかな生活基準遵守の人々である。B特にロンドン地下鉄同時爆破テロは英国=移民社会での根強い差別が「自分探し」の中でイスラム過激思想が魅力的に映り、洗脳された「テロリストへの共感」につながっての住民に紛れ込んでの狂行である。「イスラム武装過激派の防衛聖戦」(ジハード)=「反欧米聖戦」がイラク、アフガニスタンでの流血がアルカイダを増殖させながら、終りの見えない、元来穏健な筈のイスラム教指導者や教徒をも巻き込んだ根深い対立へと発展してゆく。Cヨルダンの首都・アンマン同時テロ:05−11−9、対米協調路線を標的にしたイラクで発生するテロが近隣諸国に波及。ビン・ラディンに指揮された、イスラム教スンニ派武装集団「イラク聖戦アルカイダ組織」を率いる、ヨルダン人のアラブサブ・ザルカウィ容疑者が、06−6−8米軍の空襲により、隠れ家で、殺害された。D05−10−29フランス暴動(移民差別が起因)全土に拡大される。E礼拝への呼びかけ:アッラーは偉大なり(二回)、アッラーは、唯一であることを証言する、ムハンマドは神の使途であることを証言する、アッラーのほかに強き力もなし(二回)、礼拝に来たれ、繁栄に来たれ、アッラーは偉大なり(二回)、アッラーは唯一である。朝のエザンは、最後の「アッラーは偉大なり」=「アッサラート・ハイルーン・ミナウム」(アラビア語)の前に、「礼拝は睡眠よりよい」=「ウエーク・ダン」「ウエーク・ダン」(トルコ語)の文句が入る。F欧州各国のイスラム教徒の割合(2005年):フランス7.1%、オランダ4.5%、ドイツ4.4%、スイス4.3%、英国2.7%。Gイスラム教の預言者:神(アラー)の言葉を伝えるムハンマド(マモメット)。「聖典コーラン」に次ぐ「ムハンマドの言行録」、開祖以上の存在。コーランには「預言者ムハンマド=アフマドの出現を、キリストが予め伝えていた」と記述する。H05年9月デンマーク紙が「ムハンマドの風刺漫画」掲載、欧州とイスラム社会が緊張世界各地での抗議行動。「表現の自由」「宗教の尊厳(偶像崇拝の厳禁)」と「01年の米国同時多発テロ」後の「イスラム教徒=テロリスト」への偏見への抵抗が一気に爆発した。ただ手段を選ばない暴力行為には、イスラム社会の識者間には反対する人たちが多く、悩みの種である。Iイラク内戦か?:宗派、民族対立が悪化、スンニ派とシーア派との争いが激化、三回の選挙をしても、暫定ジャファリー首相(シーア派)とタバラク大統領(クルド同盟)の苦悩が続き、開戦以来3年を経過するも、シーア派がスンニ派のモスクを爆破したり、各地の自爆テロが頻発して、国内宗派間の抗争が続き、内戦へ突入した。Jスンニ派vsシーア派:vs=バーサス。632年イスラム教の開祖ムハンマドが没してから、カリフ(その代理人)として、アブー、バクル、オスル、ウスマーン、アリーの順に引き継いだとする「スンニ派」が主流でイスラム教徒の9割を占める。一方ムハンマドの、いとこの娘むこのアリーとその子孫が引き継いだとされるのが「シーア派」で、数多い分派の一つである。最大の石油産油国であるイランに多いのが「シーア派」である。Kイスラム原理主義の台頭:イスラム教、キリスト教(カトリック、東方正教)、ユダヤ教、ヒンズー教、仏教等には、それぞれの原理主義が存在する。イスラム原理主義には、国民主権の発想はなく、神に主権があり、脊教か否かを論ずることには無頓着で、聖職者の独占から民衆を守る民主化提起に拘り過ぎて、民主主義に欠如も伴ってか、言論封殺や武力一辺倒になっており、国際報道発信の多くが、イスラム原理主義=狂信、イスラム武装勢力=防衛聖戦(ジハード)=国際テロリストと速断し、宗教への回帰現象としての真の復興運動やイスラム復権とを混同して伝えている。元来「神の前では、だれも平等」の考えから、イスラム主義者の多くは、反政府テロには、批判的で、垣根の低さと懐の深さ=包容力からか、他宗教には、柔軟で、寛容で、穏健な、精神の充実した、つつましやかな生活基準遵守の人々であると言い切れる。今やイスラム改革の旗手となったイスラム原理主義者たちは、長いイスラム史上において、神の名で破壊衝動を聖化した党派は、いづれも滅んでいることを明記すべきである。L3つのアラブ・アイデンティティ:国家民族主義(ワターニーヤ)第二次世界大戦後のアラブ諸国、アラブ民族主義(カウミーヤ)アラブ共和国の樹立が目標、イスラム至上主義=イスラム原理主義、イスラム国家(ムハンマドとそれに続く四代カリフ時代の理想に回帰)の樹立が狙い。Mイスラム原理主義の考え方:律法・宗教主義(イスラムの本質)、唯一神の存在と規範(イスラム法)の絶対性、法的精神(リーガル・マインド)の確立、外面信仰(律法遵守)と政治主義(政教一致)の徹底、反西欧の精神(西欧キリスト教文化)=異教文化と身意識な拒絶感の醸成。Nイスラム原理主義グループの分裂:政治主義に傾斜する穏健派と軍事主義に傾斜する武闘派とに分裂する可能性あり。O日本でのイスラムとの遭遇:日本は明治時代まで、完全にイスラムに真空地帯であった。イスラムは東進の段階で、来たルートは中華文明に、中央ルートはインド文明に、南ルートはフィリピンにおけるキリスト教によって阻まれた。P日本人のイスラム受容:日本のイスラム運動は社会運動として受け入れられ宗教運動とはならなかった。何故なら日本人には「律法」=「宗教」とするイスラムの体質が理解できなかった。Qセム系一神教の排他性:ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通している。Rイスラム世界地図:ブルネイ、マレーシア、インドネシア、バングラデッシュ、モルジア、コモロ、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズヴェキスタン、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、パキスタン、イラン、イラク、クウェート、カタール、バレーン、アラブ首長国連邦、オーマン、ソマリア、トルコ、シリア、レバノン、ヨルダン、エジプト、サウジアラビア、スーダン、ジブチ、ウガンダ、モザンビーク、リビア、アルバニア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、チャド、ニジェール、マリ、ブルキーナフマン、ナイジェリア、カメルーン、ガボン、モーリタニア、ベナン、トーゴ、ギニア、セネガル、ガンビア、ギニア、ゼサウ、シェラレオーネ、スリナム、アフガニスタン、パレスチナ(計55カ国)。S[中東の宗教戦争の根深さ]06−8−3現在、イスラエル軍と戦闘を続けるレバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラの指揮者、ハッサン・ナスララ師は、イスラエルにとっては残忍なテロリストであるが、アラブ大衆の英雄である。ナスララ師1960年生まれレバノン生まれ、最初シリア・シーア派組織。アマルに入った、82年ビズボラ設立、87年エジプト・スンニ派・ハマス誕生、両者接触、83年自爆テロ、92年イスラエルが、ヒズボラのトップ、ムサライ師暗殺後、ナスララ師がトップになる、アルカイダと接触する。02年「ヒズボラ、ハマス、アルカイダの極秘協議」が懸念される。「シーア・スンニと米国イスラエルの戦い」=パレスチナのイスラム原理主義組織「ハマス」(スンニ派)、レバノンのイスラム原理主義組織「ヒズビラ」(シーア派)。その他、国際テロ組織「アルカイダ」の無差別テロ(9.11テロ等)が根強い。一方サウジアラビアは、世界の石油産出額の4分の1を足がかりにして繁栄を続け、無税と無職者への30万円・月額を支給アルカイダ養成軍の温床になって、イラク等へ潜り込ませている。06年12月フセイン元大統領が処刑される。マリキ政権(シーア派)の下で、シーア派民兵(サドル師率いる)がスンニ派市民を拉致、殺害。スンニ派が報復を仕掛け悪循環が続いている。因みに、かってのフセイン政権下では、スンニ派が指導権を持っていた。イラク戦争開戦(03−3−19)から4年後の07年4月、スンニ派「イラク聖戦アルカイダ組織」が爆弾テロ攻撃を強化しつつある。イラク中部イスラム教シーア派の聖地カルバラで、自動車爆弾が爆発して、41人が死亡。[イランとサウジアラビアの2大産油国の代理戦争]イラン・ハメネイ師(シーア派)とイラク・マリキ首相(シーア派)vsサウジアラビア・アブドラ国王(スンニ派)とヨルダン・アブドラ国王(スンニ派)。親米スンニ派のサウジアラビアは、「イスラム教の聖地メッカの守護者」で、レバノン・シニョラ政権(スンニ派)を支援。反米シーア派のイランは、同レバノンのヒズボラ(シーア派)を支援。平和目的として進めている核開発問題をサウジなど湾岸6カ国に対抗してイランが平和的目的の核開発の表明を強調。サウジはレバノン、イラクでの宗派対立の解決に関与して、「中東での安定を求める立場」を強調していく。06年1月イラク・サマラの「アスカリ廟」(シーア派)が破壊され、イラクにある40のモスクが宗派間の争いに巻き込まれて、国造りを妨害するテロ組織が、マリキ政権を脅かしている。(07−2−23名古屋市高年大学鯱城学園「第二の人生への挑戦」講義)
|
| HOME|トルコに夢中|ブログ「トルコへの思い入れ」|トルコ大使館 |
ロカンタとサッカー大熱狂国民 |
![]() |
@大衆的なロカンタでは、入り口の近くに煮込み料理の鍋がずらりと並んでいたり、奥のガラスケースに料理が入っているので、それを指差しながら注文できるので便利である。パンは、カゴに盛られて出され、好きなだけ食べられる。Aサッカー熱はものすごい。第3リーグまであり、1リーグ4位入賞で、ヨーロッパリーグに出場。ベシュタシュ、ガラタサライ、フェネル・パフチェ(1907年創設、前日本代表監督ジーコが赴任)何れもイスタンブールにある三大クラブ、アンカラギッシュ等で、ヨーロッパ他国からの有名選手獲得。大学ゲストハウスの職員たちはテレビに首ったけで、ほほえましい限りである。サッカー=フットボールはトルコの国民的文化で、街角で子供たちがボールを蹴っていて、野球は全くやらない。日本よりは「サッカー先進国」である。02年、日本・宮城県で行われた「ワールドカップ」での日本対トルコ戦(0対1)を感慨深く見た。因みに、この時は、第1位ブラジル、第2位ドイツ、第3位トルコであった。B車を連ねてクラクションを鳴らして騒ぎまわるのは、サッカーに勝った時や結婚式を挙げたばかりの二人を祝う時である。(マイスケッチ=カイセリー市街) |
![]() |
「ライオンのミルク」と「俳句」 |
![]() |
@アルコール類は表向きは禁止。家では神を蔑ろにしない程度なら飲んでいいとされ、国民的地酒としてRaki(ラク)という食前酒が、一般に飲まれている。ワインを絞った後の葡萄の皮に、アニス(茴香)という香辛料を加えて蒸留したもので、水を入れると白く濁るので「ライオンのミルク」と呼ばれ、ウオッカ並みの50度。ギリシアではウゾ、アラブではアラク。A日本の「すみません」=「ありがとう」=「チョットお願い」は外人には理解しにくい。「つまらないもの」ギフト時の謙虚さ、へりくだりも程々がいい。「どうも、どうも」の多用、「ジャネー」=「さようなら」等は外人に戸惑いを感じさせる。一方、トルコでは、「パードン」(フランス語から転用)さえあれば不自由はしない。B外国人には、一般的に虫を観察する目もその声(雑音でしかない)の判別も苦手な人が多い。季節の変わり目にも無感動だし、風や雨への皮膚感覚にも乏しい。「季語」を大切にしながら、季語探しに熱中し、季節の変わり目を詠む俳句(世界最小の短文学)こそが、日本人理解の近道とばかりに、日本語学科の学生に「俳句」を教えた。因みに、国際的に認知されてきた「英語俳句」(17音節の3行詩)も紹介した。(マイスケッチ=イスタンブールのアヤソフィア聖堂) |
![]() |
ドルムシュとイスタンブールの表裏 |
![]() |
@ドルムッシュ:満員になれば、動き出す自動車(満員になるまで動かない)の意味。都市内や近郊との手軽な交通機関=大衆の足として、よく走っている。途中どこででも降ろしてくれる。運転手は一人で、乗客は順にお金を手際よく前のほうの運転手に渡してゆく。常時禁煙である。A繁華街に「ロカンタ」(入り口にキッチンがある食堂)「チャイハネ」(喫茶店)「ビラハネ」(入荷したビヤ樽を片足で転がしながらの居酒屋)「カフヴェ」(男性のみゲームをやる)等で賑わっている。交差点の信号は、赤と青との間には黄が必ず入る。黄が点滅しだすと盛んにクラクションを鳴らしクラクションを鳴らす。B大都市での治安状況はよくない。集団スリ、担いだショルダーバッグの口をあけ引った繰る。施錠を忘れたカバン(一時預け)からの抜き取り、睡眠薬強盗が横行している。パスポートやクレジットカードは身から離さないこと。後ろポケットへ財布をつっこむのは厳禁。むしろ財布はやめて、上着のポケットのあちこちに紙幣を分散して持ち、突発の危害に備えて、小額の現金は、むしろ出しやすくしておくことや商品の値切りに使う前準備をしておくことが望ましい。(マイスケッチ=カイセリー市街) |
![]() |
「トルコ原産国表示」の変化と地震兄弟国 |
![]() |
@トルコ石:「ターコーズブルー」不透明な空青色にエナメル状の光沢があって珍重され、12月の誕生石である。イスタンブールが世界の一大集散地であったので、この名がつけられたが、今では原産地は主にイランであり、イラン、ネパール、エジプト等。Aトルコギキョウ:リンドウ科トルコギキョウ属の宿根草。盛夏〜初秋に咲き夏は半日陰に置く。草丈80〜90cmの切花や20〜30cmのものも開発されている。今最ものびている切花で、キク、バラ、カーネーション、ユリなどに次ぐ7位の生産量=1億数千本(05年)今では、アメリカ中南部からメキシコ原産のものが多い。流通し始めて30年になるが500を超える品種の7割は日本の品種が占め、八重咲き、フリル咲き、バラ咲きと花の形も多様である。B絨緞:日本ではペルシャ絨緞が有名だが、ヨーロッパではトルコ絨緞が有名。カイセリーが最大産地。糸を差し込んでは、からませて結び、切っては差し込む(トルコ結びー結び糸が二重ーダブルノット)抜けにくい丈夫さがある。11世紀に中央アジア〜コーカサス〜トルコ・アナトリアへと伝わってきた。他に「キリム」(独特の模様をもつ平織りカーペット)に値段的な手ごろさから人気がある。C番外編:トルコ風呂=個室式の特殊浴場の旧称:1984年東大留学中にトルコぶろの改称を当時の渡部厚相に訴えた、ヌスレット・サンジャクリー先生とも日本語講師仲間として出会った。これは、もう死語であり、辞書には辛うじて旧称として残されている。D地震兄弟国:1923年関東大震災M7.2(死者9万人)1939年東部エルジンジャン地、震M7.8(死者3万3千人)、1964年新潟地震M7.5(死者26人)、1995年阪神淡路大震災M7.2(死者6千4百人)、1999年トルコ・イズミット大地震M7.4(死者1万6千人)、2004年新潟県中越地震M6.8(死者67人)震度7、2004年3月M6.9能登半島地震(死者1人)震度6.8、2007年7月新潟県中越沖地震M6.8(死者10人)震度6強。日本と似た地殻構造のトルコでは、1966、76、83、92、95、98年にはM6以上のものが頻発している。なお99年は、アテネ地震、台湾大地震(M7.6)、トルコ・デュズジェ地震(M7.2)と続いた。トルコ・イズミット地震とアテネ地震での人道相互支援が、ギリシア首相の40年ぶりのトルコ訪問が実現した。E00〜06年の世界大地震:00年インドネシアM8.0、103人、01年インドM7.9、2万5千人、02年アフガニスタン、M7.4、150人、03年イラン南東部M6.8、3万人、04年インドネシア・スマトラ沖M9.0、22万人、05年M7.6、7万4千人、06年ジャワ島中部M6.3、6千人の死亡者を確認。Fキプロス紛争:トルコの南、地中海の浮かぶキプロス島、1960年キプロス共和国として、イギリスよりも独立するも、ギリシア系住民とトルコ系住民との間に、紛争地区ガ、キプロス・トルコ共和国として独立(1974年)、更にエーゲ海諸島の領有権をめぐって、ギリシヤとトルコ両国の反目がつづいている。[レバノンとパレスチナ情勢]@レバノンは1990年の内戦終結以来最大の政治危機に陥った。イスラエルとレバノン南部のイスラム教シーア派民兵組織「ヒズボラ」(イラン、シリアが、後押し)とが、2006年から続いた戦闘を再開。A「ハマス」ガザ地区、アルカイダー支援?のテロ組織、タリバン過激派やヒズボラとも協調体制。「ファタハ」穏健派、パレスチナ暫定内閣、アッパス議長がハマスを孤立化し、ガザ地区から追い出され、国際社会の援助、親米、親イスラエル。ロルダン川西岸地区では、優勢。Bレバノン軍が、1969年パレスチナ解放機構と難民キャンプの自治を認めて立ち入りを自制して以来、レバノン南部・ナハルバレドのパレスチナ難民キャンプと戦闘開始(2007年7月)。やがて、二つのパレスチナ国家即ち西岸とガザ:ファタハとハマスの誕生も懸念されている。(マイスケッチ=エーゲ海を臨んで) |
![]() |
「学生への熱きメッセージ」と「老いへの備え」 |
![]() |
[トルコで見た日本とは]@親指と人差し指を、こすりあいながら、「友達です」=「アルカディシュ」とやり合う楽しさ。二分前に知り合った「アルカディシュ」(友人、知人を含む)二分前も十年来も同じ感覚であり、気に入ると特に日本人とわかると「家に来てお茶でもどうか?」と気軽に誘ってくれる。Aさて、古代ローマからの伝承なのか?ひとつの格言「明日出来る仕事を、今日するな。他人ができる仕事を自分がするな」」がトルコ人の考え方を代表する。日本人の考え方「今日出来ることを、明日に延ばすな」と正反対。[学生への熱きメッセージ]@「上見て歩け、下見て暮らせ」自分自身で描く「山」の頂きで、力いっぱい喝采の旗を振る日を目指そうと白板に、大きな富士山(エルジェス山)を描いて、「鶴の恩返し」で遠くへ旅立つ最後の授業を閉じた。予め用意した日本語の歌詞のコピーで「蛍の光」(スコットランド民謡=「また会いましょう」)を歌いながら、誰言うとなく両手で作ったアーチを潜り抜け、教室の出口で学生たちに振り返って、深々と一礼した。異国の人々に、私のようなものでも理解してもら得たことが教師冥利につきると思い、うっすらと涙さえ浮かべた。A「青春ふたたび来たらず」十分に悔いない青春を満喫せよ、取り返しは出来ないものだ、然し未知の可能性を秘めている。B予め範囲が決まっていて、予習の出来る大学の期末試験ぐらい、やさしいものはない、社会に出ると何の予告もなく、難問題が山済みになる、全てが自分の思い通りにはゆかないものだ。C「上見て歩め、下見て暮らせ」自分より上位のレベルの人をめざし、同時に自分より貧しい人にも思いをめぐらして暮らしてゆこう。D自分自身が、それぞれ目標とする「山」の「頂き」で、力いっぱい、喝采の旗を振り上げる日をめざそう。E「一にも勉強、二にも勉強、三にも勉強」が学生の青春時代の生き方である。F「水滴石穿」漢書・牧乗傳にある、雨のしずくが、石に穴をあけるぐらい、熱心に勉強を持続させ、それぞれの自分の目標に向かって、コツコツと弛まずに前進して行きなさい。G「木下順二の戯曲・夕鶴」助けた鶴が、その恩を返すためにやって来て、最後の場面で、「つう」が鶴になり、空に舞い上がると、家の上を回って山の方に飛んで行った場面を話していると、トルコを離れて日本へ帰る自分にオーバラップされて、涙が、とめどなく流れてきた。[編集後記]6月17日で後期試験も終了する。49点以下の不合格者(80%以上の出席率がないと試験さえ受けられない)のものの再試験はあるものの、今日で一応学生諸君とお別れとなるので、上記のようなメーセージを話した。滞在中にトルコの人々が日本人に示してくれた思いに、これからも、ずっとトルコの国や人々に対して、お役に立って行きたい思いで一杯である。その後、4年間の大学卒業後(7年間は在籍可能)、あるものは、アンカラにある日本大使館に勤務したり、あるものは、アンカラ大学日本語学科修士課程へ進んだり、エルジェス大学日本語学科の助手をしたり、あるものは、イスタンブールで日本語のガイドをやっていたりしているという情報が入ってくる。メル友もずいぶんと増えて、すぐ傍にいるような錯覚に陥る。後日談にはなるが、その後日本に来て、わが家でホームステイをした、当時の学生だったアイシュギュル・セイハンさんが、「私は中川先生が白板に山を描いて、その頂上に登って、旗をふりましょうとおっしゃったことから、トルコでの日本語教師を目指して、アンカラ大学の大学院で勉強をしています」「有難うございました」と挨拶をしてくれた。これを、教師冥利に尽きると言わなくて、何と言い表わせるのであろうか。他に言葉が浮かばない。[帰国後の著作活動]「日本語教師から見た・トルコ見聞記」(第65回コスモス文学新人賞受賞作品)「あなたもトルコ生活を疑似体験できる?」7回富山県民カレッジ・自遊塾「異文化に接して」3回名古屋市高年大学・鯱城学園・国際学部「第二の人生への挑戦」7回同・地域学科「トルコ大好き庄爺」ホームページ「船方学区の歴史あれこれ」18回「船方だより」連載「堀川ぐるりんウォーキング」6回史跡ガイド原稿見どころ案内作成等。[先生・学生の来日状況]96年夏アイエ、97年夏アルズ、98年12月メテ・トンジュク先生、ハルク先生、99年夏アイシュギュル、00年4月エスラ、アルズ、01年アイシュギュル。なお、エスラ日本国際協会留学生会館、アイシュギュル・セイハン国際交流基金日本語国際センター、アルズ国際交流基金関西国際センターが寄宿先。[日常私を支えてくれた信条]@「堂々と正道を歩け」A「日常は沈黙を通せ、言う以上は堂々と披瀝せよ」B「小さなことに惑わされず、大きな夢を持て」C「小異を捨て、大同につくべし」D「愚直ひとすじに、慌てずに」E「せっかちさを捨て、十分に間を取って、残余の人生を楽しむべし」。F「鶏口となるも牛後となる勿れ」(史記・蘇秦伝)小さな集団であっても頭(かしら)となれ、大きな集団であっても、尻につくな。いかなる場合にも、人のあとにつくことの不名誉をいう。G「先憂後楽」天下の憂いに先立ちて憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ。これを転用して、何事も先に段取りや準備をして、後で、のんびりせよ。泥縄式の準備では、役に立たない。H「笑って上げなさい、笑いたくなくても笑うのよ、笑顔が人間には必要なの、最も悲惨なことは、飢餓でも病気でもない、自分が誰からも愛されないことを感じること」マザーテレサI「つきあいは、ひとしく、あわく、さらさらと、ほどよくゆきたいもの」無能唱元。[忍び寄る老いへの心構え]アルツハイマー病(認知症)初老期病呆の代表的なもの。脳が全体的に萎縮し、大脳皮質に特異な老人斑が現れて、神経原線維に変化が起きる、先ず記憶特に新しい記憶の障害が始まり、朝・昼食の献立が思い出せない、はいずり廻りや昼夜逆転も生じる。綺麗好きなものが、ある日突然皿洗いしたものに、汚れが目立つようになる。出かけた後に、付いて来たがる。失語症になる。原因不明で、治療方法も解明されていない。近年、高齢者のみならず、若年認知症65歳以下が10万人もいるといわれている。ケア施設での対策が、殆ど高齢者対策になっているので、違和感があって、一度入ったケア施設を出ることになる。常時付き添っている配偶者などが病気の前兆を、いち早く察知して、早めに「物忘れ内科」のドアを潜ることが必要になってくる。「思い出」で、脳を活性化することも、イキイキ感を与えている。なつかしの映画鑑賞や幼時の遊びの再現や当時の生活道具を使ってみる等。[二人三脚の道のり]熱田生涯学習センターの日下講座から誕生した「熱田史跡ガイドの会」に珍しく夫婦で参加して、6年が経った。趣味の面では、「歌舞伎観賞」が、40年来、したたかに続いている唯一の二人共有のものと言えようか?[二人三脚の終焉]金婚式の夜明け前に、さしかかっているが、いまだに精一杯の、わがままや言い合い(喧嘩まで行かないが)が続き、「いたわりの心」を上手に表現しないまま、徒労の旅=二人三脚が続いて行く。[寿命の長さ]今までの世界最高記録は、1986年に120歳と237日で亡くなられた鹿児島県徳之島の泉重千代さんで、現在の日本での長寿ナンバーワンは、女性では、愛知県弥富市の山中かくさん113歳2ヶ月、男性では、都城市の田鍋友時(ともじ)さん112歳5ヶ月です。(08年3月現在)因みに世界の最高齢は米国女性114歳(08年3月現在)[避けて通れぬ老老介護への道]@相手の目線に合わせる努力A話を聞いてあげる姿勢Bほどほどの介護とはC介護するものが病気にならね工夫D努めて、男性介護者の集いに出席して、男同志の愚痴話を、喋り捲ろう等いろいろと考えてみよう。[いろいろな葬儀に出くわして思うこと]:「棺を蓋いて、事定まりぬ」晉書・劉毅伝に記されています。如何に波乱万丈の生き方をした人であっても、棺に蓋をした瞬間にこそ、その人の生き様=人生=全生涯が定まると言うことだそうです。「人間の評価は、何を持っているかではなくて、どのように生きて来たかで決まる」と95歳の日野原重明・聖路加国際病院理事長が、おっしゃっています。また「笑って死ねる人生の幕引きでありたい。それには出会いを大切にして、心に余裕を持って、いつも、やさしい眼差しと笑顔を忘れることなく、ダイナミックな生活をしながら、気力の充実を心がけましょう」と森山操さんのお言葉を心に刻みたい。それぞれが、来し方を振り返ってみて、起伏の多かった山谷をめぐり、七転び・八起きしてきた結果としての「晩節」を全うし尽くして、理想をいえば、「終の棲家」で、枕元に、愛する人々に見守られながら、搾り出すような声で「ありがとう」と言いながら、己の一生を全うするという「ラスト・ステージ」を描いてみたいものです。[名古屋市高年大学鯱園学園「第二の人生への挑戦」ご挨拶・序文他]「挨拶」:私は、中川庄司であります。皆様方には、来る3月には念願のご卒業とお伺い致しました。先ずは、おめでとうございます。私は、例年、ご卒業間近3学期のこの時期に、お世話になるのが恒例となっておりまして、今年で9年目になります。これで、地域学科13期生から21期生までの378名様と国際学科17期生から19期生までの延べ126名様の計504名様の方々に出会ったことになります。昨年から、「団塊の世代」(昭和22年=1947年生まれ)の約700人弱が、大量定年に加わって参りましたが、それらの方々も必ず目指すであろう、定年退職後の「60プラス人生」を異文化圏トルコの国立大学での日本語教育に狙いを定めた一風変わった男の生き様を「第二の人生への挑戦」と題して、「これからの人生をどのように生きて行くか」をご披露して行きます。かく言う私は、お見かけ通りの「イケメン」とは程遠い、むしろ「ヒゲメン」か「ジジメン」と言えますが、(クスクス笑いがおきる)皆様方それぞれの生き様を「合わせ鏡」にしながら、おつき合い下さい。通常聞いた話は、帰宅した頃には、すっかり忘れるものと言われます。何か一つぐらいは、記憶におとどめ下されば、望外の喜びであります。ここで、しばらくの間、「尋常小学校か国民学校の国語読本一年生・入学初年度用」にタイムスリップしてみてください。@「ハナ、ハト、マメ、マス」A「サイタ、サイタ、サクラガサイタ」B「あかい、あかい、あさひ、あさひ」なのですが、誰がどの本かとの詮索はなしにしますが、これ以上深いことは、間接的にお歳を聞くことになりますので、お聞きしないことにしたいと思います。(笑いが起きる)「序文」:「定年退職後再就職しても在職老齢年金=厚生年金がカットされない職種」(60歳以上月収と年金の合計が、28万円超えると年金がカットー平成20年現在)の中から、著作業、翻訳家、社会保険労務士、行政書士、不動産業の5つをゲットするべく、定年5年前頃から準備に入った。@著作業:原稿用紙生涯5千枚を目指したい。○55歳時ワープロを購入ダイレクト・ワープロ作品に挑む。○64歳時第65回コスモス文学新人賞受賞作品ー「日本語教師から見たトルコ見聞記」。○66歳時「富山県民生涯学習カレッジ・自遊塾・県民教授「あなたもトルコ生活を疑似体験できる?」1年間名古屋から富山に通う。○67歳時ノートパソコン購入。○71歳ホームページ制作。A59歳時「翻訳なかがわ」オープンするも、翻訳ソフトが出回り失業。B社会保険労務士と行政書士試験を受験するも失敗、自己の年金受給額を出来る副産物を得る。C「日本シルバーボランティアズ」に登録。D不動産の取得:○42歳時二階建て一軒家を購入、○57歳時コンドミニアムとワンルーム・マンションを同時に購入、現在年163万円の家賃収入と、年134万円の住宅ローンの支払いしながら、79歳で完済の予定、57歳時から毎年度「確定申告書」を自分で提出。「人生の黄昏期に立ちて」:「草創の五君」幕府設立の草分け、天下人となった人、頼朝、尊氏、信長、秀吉、家康の全ての人が、名古屋に関係がある。氏祖足利義康の奥方が熱田神宮大宮司・尾張範忠の娘であり、頼朝が熱田神宮大宮司千秋家の母由良御前の在所で生まれ、信長、秀吉、家康の三英傑は何れも名古屋にゆかりがある。波瀾万丈の数奇な運命の頼朝が、落馬事故でなくなったのが、享年52歳、信長享年48歳、秀吉61歳、家康74歳。これで見ると、信長が桶狭間で今川義元を破って天下統一を成し遂げた1560年から家康が亡くなるまでの1616年までの56年間。今ここにおいでの皆様方は、すでに経験済みの年月ですが、長かったか短かったは、個人差にもよりますが、ご自分と合わせ鏡にして感慨深いものがあると思われます。[幼時になじんだ書籍の数々]自分が「講談社絵本シリーズ」を買って貰ったことが、その後役に立ったと思えたので、サラリーマン現役時代の出張の手みやげに、シリーズ物を1〜2冊ずつ買い与えて完成させたのが、昭和34年初版「学習図鑑シリーズ」28巻小学館発行350円が先ず手始めであった。それまでのお菓子類は、それっきりのものであったことが思い知らされる。平行して、昭和36年初版「世界教養文学全集」34巻と別巻4巻平凡社290円を毎月1冊ずつ買い求めて行った。月給1万円時代では、かなりの出費といえる。次に昭和46年発行「カラー版少年少女世界の名作集」全30巻小学館発行500円を、出張土産代わりに、1冊ずつ子供達に与えていった。昭和58年版「大事典DESK」昭文社12000円、昭和59年版「大図典View」講談社12000円、を購入。[「東海高岡会」での挨拶]−副会長としてのー「駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人」参加各位のご協力を得まして、今日の大安吉日を選んでの設立総会・懇親会も盛り上がりを見せておりますが、ご指名でございますので、ここで「東海高岡会」の発足を祝い、その永遠の発展と出席各位ご家族共々のご健康を祝して万歳を三唱したいと存じます。 |
| HOME|トルコに夢中|ブログ「トルコへの思い入れ」|トルコ大使館 |
|