第3日(8月19日)
ホテル対馬→県立対馬歴史民族資料館→厳原郷土館→万松院→料亭「志まもと」(昼食)→万関橋→梅林寺→烏帽子展望台→料亭「志まもと」(夕食) →ホテル対馬
「台風一過晴天也!」というわけにはいかず。台風の中心はどうやら通過したらしいが、未だ風雨が激しい朝を迎える。外に出てみると、 横倒しになった大きな街路樹が風の強さを見せつけている。今朝は出発を大幅に延期。少しでも風がないでからということで、午前10時 ということになる。2日間の旅で少々疲れ気味の小生にはそれも有り難し。   10時前ゆっくりとバス乗り場に行く。風はいぜん強い。市内を歩いていると、「朝鮮通信使幕府接遇の地」という石碑が・・・、そう、 宗氏は前述の元寇から朝鮮侵攻の文禄・慶長の役、更には江戸時代唯一の朝鮮外交の窓口でもあったわけだ。そこらのことをもっと知りたい と思いながら、「県立対馬歴史民族資料館」(〒817-0021長崎県対馬市厳原町今屋敷668-10920-52-3687)へ。

ここも一面に落ち敷いた木々の葉っぱを館の方が片づけておられる。ひときわ大きく立派な石碑はやはり朝鮮通信使の石碑。 中に入ってみるとなかなか楽しめる資料館だ。目を引くのはやはり「朝鮮通信使行列絵巻」、対馬藩にとっては朝鮮通信使の 来島は最大のイベントであり最も緊張を要するものであったのだろう。通信使を江戸まで送ることも重要な務めであったに違いない。 同時に朝鮮との外交は対馬藩には大きな魅力でもあった筈だ。で、とにかくこの館には宗家文庫資料7万点その他資料3万点が保存され ているというから、まさに対馬研究の宝庫だ。

さて、この県立資料館のほぼ真向かいに建つのが、地元厳原の小さな郷土館。入ってみるとホント、地元といういい感じ。 よくある伝説も。館でもらった「案内」の文をそのまま残しておく。「伝説による安徳天皇の事跡として、その御陵墓が久根田舎にあり 、現在は安徳天皇陵墓参考地となっている」なんでも参考地と指定したのは宮内庁だそうだ。他にも安徳天皇の伝説の陵墓はあるのだが、 対馬の可能性は・・・思わず空想が広がる。 私達がこの2つの館を見学している間に、希望者はまだ強い風雨をおして徒歩で万松院へ。こちらは言うまでもなく宗家代々の菩提寺だ。 第19代義智公から第32代義和公までの、歴代藩主と正夫人のりっぱな墓石が、荘厳にならんでいるが、こっちも台風で墓石の倒壊など があったらしい。ネットで見つけてきた写真1枚を添付しておこう。

昼食は厳原「志まもと」で刺身+六兵衛セットをいただいたということになっているが、さて、どんな料理だったのかな、記憶にない。 ここはなかなか立派な料亭。旅行社の尽力で今夜の夕食はホテル対馬からここに変更するというので、昨夜からの女性陣の不満もなんと か解消した様子。 午後はまず万関橋へ。ここは明治33年、日本海軍が艦船の通り道として人工的に掘削した瀬戸で、交通の要所として現在橋が掛けられて いる。干潮時の潮流は幾重にも渦を巻き、橋上からの景観はなかなかのものだ。

続いて梅林寺へ。小さな寺だがこの寺は大変な由緒の寺だ。詳しくは史跡梅林寺の看板写真クリックで拡大してそっちをみていただこう。 一つ付言しておきたいことがある。この梅林寺からみえる湾底が小船越だ。 バスは和多都美神社を経て烏帽子展望台へ。段々台風の余波も収まってきたが、いまだ快晴というわけにはいかない。ここは360度をぐるり と見渡せる展望台だ。展望台から見える浅茅湾は、幾重にも連なる山々、海に浮かぶ大小無数の島々、リアス式海岸の波静かな海などその眺 望はなかなか雄大だ。

宿に戻ったあと、「志まもと」で夕食宴会。楽しく飲んで食べたあとは、なんと宿近くの雀荘に入り込んで12時過ぎまで麻雀に興じる。 メンバーは確か稲垣先生と高井先生、もうお一人のお名前がお顔は思い浮かぶのですが出てこないのです。写真を撮っておけば良かったが 。このページをみてお分かりになった方は是非教えてください。 対馬の民謡を踊る 「志まもと」のおかみ 平和の旅!

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