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フランツ・シューベルト Franz Peter Schubert ( 1797 - 1828 ) オーストリア
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「 さすらい人・作品4の1 」 |
Der Wanderer |
詩: リューベック
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わたしは連なる山々を越えてここへ来た 谷は霧に沈み、荒海は轟く 無言で歩くわたしは喜びも無く ため息とともにたえず問う、「どこだ?」 ここで太陽はわたしにはとても冷たく思え 花々は萎れ、あらゆる命は老い 人々の話す言葉は空虚に響く わたしはどこにいてもよそ者なのだ どこにあるのだ、わたしの愛する国は? 求め、予感しながら行くことが出来ない国! その国、希望の森のその国 わたしの薔薇が咲くその国 わたしの友たちが歩き回り 亡くなった親しい人々は蘇り わたしの言葉が話されるその国 おお、おまえはどこにあるのだ?・・・ 無言で歩くわたしは喜びも無く ため息とともにたえず問う、「どこだ?」 精霊の風の中から返事が響いた 「おまえのいない場所だ、幸せはそこにある!」 |
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シューベルトの好んだ孤独でペシミスティックな「さすらい人」の詩による歌曲。ピアノ曲「さすらい人幻想曲」にその主題が使われていることで知られています。フィッシャー=ディースカウの歌曲全集盤(グラモフォン)における喜多尾道冬氏の解説によれば、原詩のタイトルは「よそ者の夕べの歌」”Des Fremdlings Abendlied”であり、シューベルトは当初「不幸な男」というタイトルをつけ、後に「さすらい人」と改めたとのことです。また詩文にも多くの改変を施しているようです。F=D氏はそのグラモフォン盤とその前のEMI盤で第4連1行目の「友」を「夢」にして歌っていますが、これが原詩通りなのだそうです。そこだけ原詩に直した意図は不明で、3回目のフィリップス盤では「友」で歌っています。シューベルトはその後シュレーゲルの同名の詩による歌曲も作曲しています。
最終節の精霊の声の最後の音は異常に低く書かれていますが、大抵はオクターブ上げて歌われるようです。ナタリー・シュトゥッツマンが最初に来日した時にこの曲を歌ったのですが、この部分を原曲通りにしかも余裕で響かせたのには驚きました。しかしやはりちょっとグロテスクな感じもしました。作曲者の狙いはそこにあるのかもしれませんが。これもフィッシャー=ディースカウ&ブレンデルの盤で聴いています。
( 2003.10.26 甲斐貴也 )