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雑記帳 76

3D映画は嫌い(2011.11.28)

 今や映画はおろか、テレビやらなんやらまで3Dがブレイクしている。通常は専用のゴーグルが要るが裸眼でもOKなのまであったりして。裸眼でOKのはまだ見たことないけど、十分大丈夫なら映画もそうしてほしいなぁ。

 映画では何年も前から3Dがあったけど正直なるべくなら3Dでは見たくない。初めて3Dで見たのは遙か昔、ディズニーランドでのマイケルジャクソン主演の「キャプテンEO」だったかと。たぶん。
 最近見た中でよく記憶に残っているのは「アバター」。内容に関しては賛否があるけど個人的にはとても良い映画だったと思う。根底のストーリーは映像の壮大さに反比例してみみっちいともいえるかな。
 しかしこの映画を見ていて閉口したのはとにかく画面が暗い。もちろん3D用のゴーグルを通して見ているからで、ゴーグルを外すととても鮮やかで綺麗な画面である。非常にもったいない。ゴーグル自体もかけ心地が悪いから気になるし、グラスが曇ったり汚れると綺麗にするのに骨が折れる。
 ほかに観たものでも、とにかく3D映画は3Dとして見るときの画面が暗すぎる。それを想定して元の画面を調整すれば良いように思うんだけど無理なのか?薄暗い場面では微妙な暗さが真っ暗になってしまうからよくわからなかったりするし、彩度が落ちているから綺麗な画面がもったいない。
 ならばゴーグルを外して見れば良いように思うが、そうすると画面がダブって見づらい。3Dと通常版があったら迷わず通常版を観る。3D版は高いし、わざわざ3Dにする意味があるのか?という口コミの多い映画もあったりする。寅さんを3Dにする意味があるか?みたいな映画も多いとか。
 どんどん進化するだろうし、3Dの迫力が良いのもあるから否定はしないけど、3Dか通常版か選択できるようにしてほしい。観たくても3Dしかないからやめたというのもいくつかあるのである。

 もうひとつ気がかりなのは、特殊撮影や3Dに甘えている映画が増えてないか?ということ。音楽で特殊効果やシンセサイザーなどの氾濫できちんと良いメロディーを作らない(作れない)作曲者が増えたのと同じような感じがするのである。一時期昔の曲のリバイバルが流行ったが、あれは単に懐かしいとかそれを知らない世代には新鮮だったというのとは別に、しっかりと丁寧に良い音楽を作っていたから、特殊テクニックに飽きたリスナーに受け入れられたのではないかと思っている。

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気圧病はいずこ(2011.11.15)

 前に気圧病について書いたことがある。介護していた母の認知症が気圧に連動しているケースが多いので自分も気圧に敏感になり、認知症の症状が悪く出る傾向のある「下り坂」気圧を気にするようになったのだった。なので、純粋に気圧で心身が不調になるというよりも、精神的な部分の方が大きかったのだと自覚している。
 母が介護病院へ入所し、在宅介護が終わった後も気圧で心身の調子が影響されるのはその後も続いていた。

 最近ずっとそのことについては意識になかったのだが、先日腕時計の気圧計が下り坂だったときに「気圧病」の事を思い出した。
そういえばこのところ気圧病を感じなくなっていたな、と。介護が終わって1年半ほどだけど、9年ほど介護を続けていたので、最初の頃はそう簡単には気圧病が抜けなかったのだろう。介護中は天気予報で天気が下り坂なのを知ると、気圧計を見ながら憂鬱になっていた。必ずしも気圧と認知症の症状が連動していたわけではないけど、ある程度(2~3割でも)の連動傾向が見られたらかなり影響していると感じるものである。
それを気にしなくて良くなって、ようやくいつの間にか気圧病とは縁が切れたのだな、と実感したのだった。

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車の音(2011.11.5)

 乗用車に乗るといつも気になることがある。ハンドルを切るときの音とウインカーを出したときの音だ。
 右左折するときなどにハンドルを大きく切っていくと「キッキッキ…」というかわいい音がする。ウインカーは「キッコッキッコッキッコ…」とこれも軽やかな音がする。今は電子音で合成してその音を作っているらしく、音も変えられるらしい。でも基本の音は何十年も前から一緒ですよね。あの音は聞いててとても心地よい音だと感じるのだけど、作った人はすごいなぁと。
 で、気になるのは昔はどうやってその音を出していたのだろう?と。電子音など無い時代からあの音だったと思うから、おそらく機械的に出していたのだろう。検索して調べてみたけど、ハンドルの音で調べても「ハンドルを切ると異音がする」のように、異常音についてしか出てこない。
 どうやってあの音を出していたのかも気になるし、機械的に出していた音なら、引っかけたり軽く叩いたりしてたと思うのだが、その部分が劣化して音がおかしくなるはず。でもかなり古い車でもそういうおかしくなった音は聞いたことがない。

 長年疑問に思っていたことなので、だれか知っていたら是非教えて欲しいのだった。

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苦労(2011.10.29)

 我が家は最寄り駅は下北沢駅ということになっているけど、頻繁に利用するのが下北沢駅であって、距離的には隣の「世田谷代田駅」でも同じだったりする。
 世田谷代田駅にはお気に入りの喫茶店がある。ランチもコーヒーも美味しいし三時にケーキを食べに行くことも多い。シックなのに雰囲気が明るい良い店であることと競合店がない事もあってお客の年齢層も幅広い。
 そんな喫茶で、とある三時のこと。自分はたいてい窓際のカウンターに座っている。店内に背中を向けているのだが、ちょうど背中の方に6~70代の男女が6人ほどおしゃべりをしていた。
 和やかにおしゃべりしている途中でひとりの女性が
「若いうちの苦労は良いけど、この年になっての苦労はしんどいわ。」
と笑いながら言った。
 他の会話は耳に入らずそこだけがハッキリと聞こえた。深刻な話ではなく一般論的に言っていたみたいだけど、なんだかとてもほほえましく心に残ったのだった。

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みどりのおばさん(2011.10.15)

 みどりのおばさんは誰でもおなじみですね。正式には学童擁護員さんなんだそうで、交通安全シンボルカラーである緑色を着ていたことから「みどりのおばさん」と呼ばれるようになったそうな。そんな語源を調べようと「みどりのおばさん」でネットで見てみたら「みどりのおばさんの年収は800万円」という内容のモノがやたらに出てきた。何かで話題になったのでしょうか。詳しく読まなかったのでよくわかりませんが。

 初めてみどりのおばさんを見たのは、小学校一年の時。自分は世田谷区立代沢(だいざわ)小学校という現在では130年を超える歴史を持つ小学校に通っていたのだが、正門の前は茶沢通りという二車線の道路で、正門のちょうど向かい側に「橋場堂」という文房具屋があった。そこを渡す横断歩道の両側にみどりのおばさんが立っていた。6~7歳くらいの自分から見たら十分に初老に見えたおばさんたちだったが、卒業する時もまったく同じ顔立ちのまま同じように立っていた。たしかに緑色の制服(?)を着ていた。でもほかのみどりのおばさんで緑色を着ていたのをあまり見た記憶がない。青系を着ているおばさんが多かったような。

 さて自分は4~6歳を父親の仕事の関係でインドネシアはジャカルタで過ごし、いわゆる帰国子女だった。当時は帰国子女なんてハイカラな単語はなかったのか、「あ、そうか!」と自分も“帰国子女”だったと気づいたのは30歳を遙かに過ぎてからだった。
 帰国して代沢小学校に転校したのは1年生の二学期だったと思う。ジャカルタではまだ日本人学校がなかったのでアメリカンスクールに通っていて、秋始まりのはずだから、自分は数ヶ月か半年多いか少なく学校生活を送ったのだろう。

 そのとき母親も一緒にいたから転入した初日だったのだろう。学校の帰りに正門を出た後、車の流れが切れたときに走って渡ったのである。そして横断歩道の向こうでキョトンとしている母親に「早く渡りなよ!」と大きく手招きをした。向こう側にいるみどりのおばさんは大声で怒った。「なにしてるの!危ないでしょ!」。自分の側にいたおばさんは温厚でほとんど言葉を発しない人だったので、何も言わなかった。
 そう、歩行者信号は赤だったのである。自分は何を怒られているのかわからなかった。赤信号で横断歩道を渡ってはいけないとは思ってなかったか知らなかったのである。普通は幼稚園でも教わるのでしょう。自分はアメリカンスクールの幼稚園だったけど、きっと信号機についてはなんかしら教わっただろう。しかし実際に信号機のついた横断歩道を渡ったことがなかったのである。全くないはずはないけど、一人で自由に渡れる状態では初めてだったのか。ジャカルタは当時でも十分都会だったが、そういう横断歩道というモノはそんなにはなかったはず。ましてや車がまったくなくてもキチンと信号を守っているのは日本人くらいだというし。どちらかというとずっと後年のジャカルタでも車に轢かれ損なところがあった。

 というわけで自分のみどりのおばさんとの最初の出会いは、とんでもない冒涜をしていたのだった^^; その後のおばさんはいつも優しかった。あの時信号無視をした奴だと覚えていたかもしれないが、怒るのは悪いことをしたときだけ。いつもは我々に満面の笑顔を向けて温かく見守ってくれていたおばさんたちだったのだった。そういえば用務員のおばさんおじさんも3~4人いたけど、ずっと同じ人たちだった。最年長のおばさんはいつも和服にかっぽう着だったなぁ(遠い目)。

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ボケたら幸せか?(2011.10.9)

 母上が介護病院に入って1年半ほどになる。半年ほどはそこそこ言葉も返ってきたけどどんどんそれもなくなってきて、今では何回か話しかけると時々たどたどしい返事が返ってくるくらいになった。返事と言っても的確な返事ではない。在宅の時点で認知症はかなり進んでいたので、今はこちらが誰かわかってるかどうかも怪しい。
 前に書いたけど同室(4人部屋)には90歳のおばあちゃんもいて、この方は(寝たきりだけど)かなり頭がハッキリしている。半年前のこちらとのやりとりもちゃんと覚えているほどである。日にちや曜日がわからなくなることがあるというので「もう最近はボケてきちゃって」なんて言うけど、その程度がわからなくなるのはこちらにもあることで、どう見てもボケはみられない。

 ボケたら周りは大変だが本人は幸せだ、とは昔から良く言われる。本当にそうなのだろうか?実はボケてしまっても時々正気に返ることがあり、本人はそのときに酷く精神的に苦しむ人もいるらしい。そのような事をボケた母を持った医者が気づいた、というのを読んだことがある。正気に返ったときにどう苦しむのかはいろんなケースがあると思う。正気に返ったときはボケた時の事は覚えていない事もあるらしい。突然正気に返って自分がどこにいてどうなっているのか驚いたり嘆いたりすることもあるのだろう。だから一概にボケたら幸せなんて言えないのである。

 自分は母上を介護し始めるまで、そういうことはあまり考えなかった。関わっている人たちは大変だろうな、と完全に他人事だった。無責任に他人事ではなくそれなりに同情はしても、自分が関わらない実感の伴わない事なので結局は他人事の感覚だったのは間違いない。
 母上を介護し始めて認知症が始まりそれがどんどん進み、すがる思いでその方面の事を勉強した。でもそのほとんどは教科書的なパターンであってこちらが困っている状況に参考になるものは滅多になかった。一般的には書いてある事などが当てはまっても、24時間一年中関わる状況を感情的に理解させてくれるモノは少ない。そんな中で三好春樹氏や和田行男氏らの著書や実践からは多くの的確で実際的な知識や助けをもらった。

 昨年母上を介護病院へ入れて、世間的には介護が終了したという印象を持たれる。もちろんおおかたはその通りなのだが、在宅介護中に非常に真摯に対応して助けてくれたケアマネジャーはそれまでの労をねぎらってくれて「自宅での介護は終わりましたが、まだまだ色々な事があると思います。」とメールをくれた。直接的な「介護」という負担はなくなったけど、母が亡くなったわけではないので親子のつきあいは続いているのである。本人は認識してるかどうかわからないけど。

 毎週連れ合いと病院へ面会に行くのだが、ほとんど返事もしなくなった母をみると、どういう感覚なのかなぁ?といつも思う。もっといろいろ言葉が返ってきたときでも病院に居ることに満足している感じだった。おそらく病院にいるという事がわかっていないのかもしれなかったし、なぜ自分が病院にいるのかという事を考えるという事もなかっただろう。どんな専門家でも「こう感じているようです」というのはわからないだろうと思う。本人に聞いてもわからないだろうし、うっかりそんな感情が正気に戻って嘆かれたらたらまないと思ったこともあるし。
 病院では同室のその90歳のおばあちゃんが一番頭がハッキリしているのではないかと思う。まったく意識が混沌としている人やいろんなタイプの認知症の人たちがいる。それぞれがそれぞれの世界で生きている。自分もそれなりに認知症について学んだので、それなりにその人たちと会話をすることもある。もっと早く学べていたら在宅介護時に母上にもっと上手く接することが出来たか、というとそれは怪しい。他人に接するのと逃げ場のない在宅介護でのこちらの感情は全く違うから心の余裕の問題がある。わかっていても出来ないという事が多くある。
 だから今は「あのときはこう接すれば良かった」と振り返る事があるが、それはそう思える心の余裕があるからなのだ。介護中も介護を経験した旧友から「もっとこうしてあげれば良かったと思うよ(だからこうしてあげた方がいいよ)」と言われたがそんな事はわかっているのである。「それはお前は介護が終わって心の余裕があるからだ」と思った。
 今は心の余裕があるから冷静に振り返ることが出来る。でも不思議に「こうしてあげれば良かった」と思うことはあっても、それに伴う罪悪感のようなものはほとんどない。あのときはあれ以上どうしようもなかったとわかっているし、自分の出来ることは精一杯やったと自分の中でわかっているからだろう。

 あのまま在宅で介護されるよりも病院に入った方が母上にとっては良かったと思える。実質的にプロに任せるより他に選択肢はなかったし、病院で良いお世話をしてもらって穏やかに過ごせていると感じる。それでも面会の度に「どう感じているのかなぁ」と思う。こう書くと親思いの感想と思われそうだが、純粋に好奇心の部分もあるのである。意識というモノは不思議だなと。自分もそうなってみないとどう感じているかは絶対にわからないと思うし、かといってそうなったらそう考える力というか意識はないのだろうし。
 こちらや部屋をボーッと見ている時などは「ここはどこなの?」と感じているようにも見える。ずっと夢うつつの状態なのではないかとも思う。接するこちらもいつも不思議な感覚だったりするのである。

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蚊に刺される!(2011.9.23)

 自分はとてもよく蚊に刺される方だと思う。うちの庭には蚊が多いのだが、ちょっと出ていると(夏は短パンなので)あっという間に十カ所以上も刺される。同じ条件でも連れ合いは大して刺されない。
 先日まで庭の改装をしていたのだが、造園業者さんも「私もあまり刺されませんねえ」と言っていた。「アルカリ体質だと刺されにくいみたいですよ」と言っていた。ということは自分は酸性体質だと言うことか。

 蚊は基本的に動物が発散する二酸化炭素に反応してやってくる。血を吸うのは産卵期のメスであってオスは血は吸わない。メスは産卵のために吸血して栄養をつけ、それ以外の時期はオスのように樹液などを吸収する。吸血時期のメスはオスが近寄ってくることを嫌うそうである。
 二酸化炭素に反応してくるので、酒を飲んで出来上がってるとてきめんに寄ってくるだろう。だから野外でビール宴会なんかをやるときは、誰かを先にたくさん飲ませておけば、蚊はそいつに集中するという方法を聞いたことがある。効果のほどは定かでないが。

 で、酸性体質・アルカリ体質なんてのがあるのかどうか知らなかったが、調べてみたらどうやら本当らしい。乱暴に言ってしまえば酸性体質は疲労物質がたまっていたりして身体が酸化状態にあるようで。ん~~、連れ合いと比較して自分の方が疲れていると言うことはないと思うし、特に自覚もない。母上も大して刺されなかったから、刺される人は新陳代謝が活発なのかと思っていたが。
 酸性体質か・アルカリ体質かはリトマス試験紙などで簡単にわかるもんでもないだろうし、そもそも連れ合いや先の造園屋さんが刺されにくいと言ってもアルカリ体質なのかどうかも定かではない。とにかく自分がとても刺されやすいのは間違いない。
 虫除けスプレーは嫌いなので(かぶれたことがある)、腰からぶら下げるファン式の蚊よけをぶら下げても、蚊取り線香の真上に立っていても平気で足を刺してくるほどである。
 夏の生まれのためか夏は好きなのだが、この蚊は本当に何とかならんもんか。

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イチロー限界?(2011.9.15)

 プロ野球ファンなら今年のイチローの異変には敏感でしょう。メジャーデビュー以来昨年まで10年連続200本安打を達成し、今年は前人未踏の11年回目がかかっている。でも今年のイチローは全然パッとしない。日本で衝撃のデビューを飾ったシーズン以来、打率3割を切ったことがないが、今年はおそらく3割は無理だろう。年齢も30代後半になり、一部では限界説もささやかれている。そう感じているファンも多いと思う。

 でもちょっと待った!自分もさすがのイチローも衰えたのか?と思っちゃったりしたけど、ちょっと待ったなのである。
 今年は200本安打は厳しいだろう。3割も打てないだろう。でもよ~~く数字を見て欲しい。少なくとも180安打以上は打つと思う。野球選手の衰えは足から来る場合が多いが、今年のイチローはすでに40近い盗塁をしており、メジャー在籍中で比べても多い方であり、ルーキーシーズン以来の盗塁王の可能性もある。
 それによ~~く考えると200本を逃したとしてもそれに近い数字を残している選手を「調子が悪い、限界だ」と見る方が間違っているのではないか。この項を書いている日の時点で、安打数はリーグベストテンに入っている。どの数字を見ても、メジャーでも超一流の数字を残し続けているのである。
 要するにイチローに対する要求があまりに高レベル過ぎるのだ。今までのイチローがすごすぎたので、今年が散々にみえるのではないのか。

 以前にも書いたが日本でプレーしていた頃は毎年のように3割後半の数字を当たり前のように残していたためか、ある年の中盤に3割2分あたりをウロウロしていた頃、野球評論家が「今年のイチローは調子が悪いですね」と言っていた。3割2分は一流の数字である。そんな高い打率の選手に対して「今年は悪い」なんていうのは初めて聞いた。
 イチローがメジャー挑戦を表明したとき、マスコミでは「メジャーでどのくらい通用するのか?」が話題になった。そのときスポーツ評論家の二宮清順氏は自信を持って「打率350 本塁打15本 盗塁50」を予想した(数字は記憶)。実際に一年目の成績は打率350(首位打者) 本塁打8 盗塁56(盗塁王)」でほぼ完璧な予想である。
 また、当時イチローが所属していたオリックスのトレーナーは「皆さんイチローがメジャーで通用するかどうかとおっしゃいますが、彼はそんなレベルではありません。遙かに上です」と断言した。通常プロ選手はシーズンオフやキャンプでの調整で、フォームの改造や矯正を徹底的にやる。シーズン中であれば「ミニキャンプ」と称して、やはりじっくりと調整する。じっくりと身体に染みつかせないと、とっさにプレーには反映できないのである。そのトレーナーが言うには「イチローは、練習中に問題点を発見するとその日の試合で矯正が出来るのです。そんなことが出来る選手は過去にも現在にも見たことがありません」と。

 はてさてメジャーのシーズンも残り少なくなり、イチローの200本安打が無理になってきた悲観的な見方が目立つ。でも守備や走塁での衰えが全く見えない現状を考えると、単に今年の数字がいつもより「良くなかった」だけで、来年はまた「アッ!」と言わせるのではないかとおもったりするのであった。
 ちなみにイチローは今年メジャー11年目だが、過去のメジャーリーガーのスーパースターの多くが「11年目のジンクス」と呼ばれるモノにはまってきたらしい。11年目に突然成績を落とすというのだ。いろいろな説があるもんである。

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クッション靴の弊害(2011.9.6)

 この夏、歩き方に関して目から鱗の事が続いた。夏はサンダルを履くことが多いが、しっかりと足を固定するサンダルをいつも履いている。踵というかアキレス腱の下あたりもホールドするタイプである。それもエアークッションとまではいかなくてもクッション性の良いサンダルを履いていた。
 夏以外でも踵部分の衝撃を和らげる靴底を入れた靴を履き続けていた。だいぶ前に踵部分が衝撃吸収材になっている靴底を入れたら、劇的に徒歩が楽になったからである。それまでは都会で、つまりアスファルトやコンクリートの上を歩く日常で肩や首筋に疲れが来ることが多く、それは地面が固いために衝撃がモロに身体に入り、それが肩付近に負担を与えると知った。

 この夏にその原因が違っていた事がわかり、歩き方が悪いのが一番の原因で、クッション靴はかえって身体のバランスを崩すことを体感した。きっかけはトレーニングコーチである小山裕史さんの「ウォーキング革命」を読んだことだった。氏の事はかなり以前に「奇跡のトレーニング」という本を読んで知っていた。イチローや青木功プロ、その他のアスリートが信頼するトレーナーであり、数々の選手を復活させた人でもある。また、氏の提唱する「初動負荷理論」は、今ではリハビリ効果が高いと言うことで病院などでも取り入れられている。
そのウォーキングの本でエアークッションの弊害を知り、正しい歩き方についても知った。それで自分の歩き方や履き物がどのように影響するのかを意識していたら目から鱗だったのだった。

 よくバッティングセンターへ行くことは何度も書いたが、クッション性の高い靴を履いて打ちに行ってみたらまるで打てない。クッションが良いので身体がブレてしっかり回転しない、つまり地に足がつかないのである。次の時にクッションでない靴で打ちに行ったらしっかりと打てた。歩いているときも違いを意識していたら、クッション靴の時は微妙に足元や膝、腰に負担がかかる。確かに身体には衝撃がないが、クッション靴でなくても正しい歩き方の時は大して身体に衝撃はかからない。それで急遽クッションサンダルはリサイクルに回し、底が平たく固いサンダルを探した。ところがこれがないのである。やたらにクッションサンダルばかりでやっと見つけたのはかなりの安物であった。それほどは長く履けないだろうという代物。でもこれがなかなか良いのである。ちなみに土踏まずが盛り上がっているやつもダメ。
氏の言葉によると、子供のうちからクッション靴を履かせ続けると身体の使い方がうまく出来なくなってしまうらしい。身体が出来上がっている大人ならまだしも、身体の使い方を覚えながら身体を作っている段階ではかなりの弊害だと。それもよくわかるこの夏の体験だった。詳細に興味のある方は是非本を読んでみて欲しい。

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母の介護生活(2011.8.29)

 母上が介護病院へ入所して1年半近くが過ぎた。今年はじめくらいまでは車イスに乗せて院内や近所に散歩に連れ出すことも出来たが、もう身体の曲げ伸ばしがかなりきつくなっているようで、車イスに乗せると険しい表情になってしまう。ベッドに戻すと楽そうにしている。なのでベッドから連れ出すのはやめることにした。少しは刺激になるかもというのもこちらの勝手な意識のような気がするのである。
 言葉もほとんど出なくなった。やはり今年はじめくらいまではつじつまは合わなくてもそれなりの言葉は出ていたが、最近はキョトンとしているだけで、ほとんど返事も返って来ないことが多い。それでも絞り出すように返事をすることや、日によっては驚くほどよく言葉が出てくることもある。

 昨年はじめ、状態が急変して在宅介護が不可能な状態になり、施設を探し、しばらく待つだろうと思っていたらいきなり入所OKになったので戸惑って、なんだか介護放棄したような心境になった、というのを何度か書いた。もうそういう心情はなくなってきたし、病院に移して良かったと本当に思える。あのまま家で亡くなっていたら「やっと逝ってくれた」と思っただろう。それくらい精神的には余裕がなかった。介護からは解放されて毎週面会に行っているが、穏やかに過ごしている様なのでそれで本当に良かったと思う。
 今はこちらを息子だとはわかっていないかもしれない。誰かよく知っている顔か、亡くなった父だと思っているフシもある。それで本人が安心していられるならそれで良いと思う。

 在宅介護で状態が急変したのは昨年の1~2月。それまでは何とか一人で介護を続けてこられたがそれが不可能になり、結婚前の連れ合いに急遽引っ越してきてもらった。ヨメが来ることを認識できてから一緒に住もうと思っていたが、そうも言っていられなくなったのだ。
 連れ合いは近所でエステサロンをやっているため日中はいないが、夜はなるべく早く帰って、母に食事を食べさせてあげるようにしてくれていた。
 「お母さん」と呼ぶと混乱するので「和歌子さん」と連れ合いは呼んでいたが、「和歌子さ~ん、お食事ですよ~」と呼びかけると「は~い。うれしいね~」などと返事をしていた。朝も「和歌子さ~ん、おはようございます~」と呼びかけると「はい、おはよ~ございます」と機嫌良く返事をしていた。
 本来ヘルパーさん等の他人が来ることもいやがっていた母だが、もうそのときはそういう否定的な感情が消えて、なぜ他人がここにいて、そういう風に呼んだり世話をするのか、という疑問を感じる意識もなかったのだと思う。自分にとって良い関係の人がいて、自分によくしてくれる事を感じてそれを受け入れていたように見えた。状態急変前のまだ少しは自分でやれていた頃は認知症はかなり進んでいたものの、自分がいろいろなことを自由にやれない身体の状態であることを嘆く感情もあったが、急変後は自分が他人の世話を受けないと何も出来ない状態であるとか、世話になっているという受け身の感情もなかったのではないかと今振り返って思う。在宅介護は9年弱に及んだが、連れ合いもお世話をしてくれていたその頃が、介護生活になってからの母にとって精神的には一番幸せな時期だったのかもしれない。

 連れ合いは元々一緒に介護をするつもりだったのだけど、そういうわけで母の自宅での最後の1ヶ月間だけお世話に加わってくれた。本人は自分はほとんど何も出来なかったと思っているようだけど、そう考えると母上が自宅での最後の1ヶ月を幸せに過ごす力になってくれたわけで、おそらく自分が一人での介護中には、母に感じさせてあげられなかった幸福感を与えてくれたのではないかと思うのだった。

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夏日、真夏日(2011.8.22)

 今年も昨年に負けず劣らずの猛暑の日々である。ご存じのように、気温による暑さの呼び方には「夏日」「真夏日」「猛暑日」などがある。
 日中の最高気温が25度を超えた日が「夏日」で30度を超えた日が「真夏日である。元々はこれしかなかったが、近年35度を超える日が多くなり35度を超えた日を「猛暑日」と呼ぶようになった。これはTBS専属気象予報士の森田さんが呼び始めて正式に気象用語になった言葉だとか。正式ではないだろうが、37~8度を超えると「酷暑日」なんて呼んだりしてるし。

 日本社会では、よく言葉を綺麗な言い回しに換えてくさいものにふたをすることがよくある。確かに元々の呼び方がひどかったのでそれで良くなったものも多いけど、呼び方が変わっただけで良くなったと逃げている事柄もたくさんある。ま、それはさておき、この暑い日の呼び方も変えた方が良いのではないかと思うのである。

 自分が小学生の頃、真夏の東京でも32~3度を超えることはほとんど無かったと思う。超えたときは相当暑い日だった記憶がある。それ以前は夏はもっと気温が低かったのか、理科年表には東京の夏の平均気温が27~8度と書いてあって「いつの時代の気温統計だよ」と思ったもんだった。小学校の頃は夕方になれば涼しくなり、夜はそれなりに涼しく、真夏でも早朝は少々ひんやりもしていた。今は夜中に25度より下がらなくても驚かなくなった。

 で、呼び方の変更についてだが、もう25度以上を「夏日」と呼ぶのにはかなり以前から違和感があった。25度じゃ全然夏じゃないだろ、と。それに35度を超えることが珍しくなくなった今では、やたらに「猛暑」などと言われると、余計に暑苦しく感じるだろう。
なので30度以上を「夏日」、35度以上を「真夏日」とずらしても良いのではないのか。政治の世界のように名称を変えただけで改革をしたようにごまかすのとは違って、「猛暑」という言葉をやたらに使わないだけでも気分的にはかなり違うと思うのだけど。
「猛暑日」は平均的な体温である36~7度以上の時で良いのでは。

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