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夢の"手づくりの山車とお囃子"は動いた(1986) |

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山車1号の設計図 |
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1985年(昭和60年)の5月連休のボランティア活動の慰労会の席で子供たちに夢を与えられる事を事業にしようと話が持ち上がり、"そうだ祭りを作ろう、祭りは山車だ"と言う事で当時設立直後だった初代会長の高田信一郎氏、会計の大竹弥市氏、幹事の神山は素案を創るべく顔合わせは屡でした。幸いに皆同じ隣組という事も合って毎週末会計宅にお邪魔して祭り談義に花を咲かせておりました、そんな話の中で実家が工務店の神山が作ってしまった設計図です。 |
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お囃子の採譜 |
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山車祭りの命は"お囃子だ"と言う事で数10年前に当時(終戦直後=栄町自治会が未だ町から独立自治会として未公認なドサクサな時代)青年団活動のドサクサ紛れに他の自治会の借りてきた屋台で祭りを何度かやったことが有ると言う当時のお囃子連の若手で末席にて活躍した事があると言う高田信一郎氏に採譜をお願いしました。その時の原稿です。今では私の宝物のひとつです。 |
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赤城山麓へ手づくり山車の見学 |
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三役とごく一部の数人は、各々生まれ故郷に山車祭りがあり祭りを知っている、他の人は祭りを知らない設計図と採譜が出来たものの形となる山車を見ていない、費用分担はどうし様と不滅会の中でも喧々囂々でした。事業計画では台車となるトラック、材木、発電機、金具、ペンキは神山電機の端材と中古品を提供鳴り物は昔、高田氏たちが使っていたものがそっくりお仮屋に有りました。ここまでほとんど只、買い揃える物は提灯等飾り物を最小限にすれば良い。ン十万円も有れば山車は出来る。でしたが強行反対派の強瀬氏達は納得せず、当時花山車を製作し祭りを楽しんでいる、赤城山麓の桂萱地区の現地見学を計画し訪問し実態を知って貰う事とした、材料費30万円賄い費100万円との事でした。 |
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お囃子の練習 |
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お囃子の練習用に自治会館の使用の許可を頂き、PТAの林さんに子供達への連絡をお願いし、七夕が終わるとすぐに始めました。他の年番町の待遇からしたら比べ物にならない貧弱な物でしたが、子供達は毎日延べ30人程集まり不平の一言も言わずに手の豆を潰しながら、涙を浮かべながらも必死で覚えてくれました。指導者としての高田氏、堀正氏、大竹氏、林兄弟氏と神山はその上達の早さに驚き子供達と会うのが毎日楽しみになりました。ポケットの小銭で1個ずつの飴玉と生温い水道水で祭り1週間前になるとお囃子に自信を持ち始めた子供達は"神山のおじちゃんこんなに練習したのだから今年動く出しに乗せて呉れるんでしょう"と言い出されてしまった。 |
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27、28は今までどおりの八坂夏祭りでした。 |
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祭の前日は会館のお飾りも有るので、お囃子の練習わ休みにする旨、子供達に連絡と一緒に"どうにか山車は出来た皆が気に入る山車にはならないけれど乗れる山車は出来た、動ける様にするからその時は今日の力を充分に発揮してくれるよう、そして練習に参加した子供達は全員山車に乗せるから安全の為父兄の指示を良く聞いて楽しい祭りにしよう"と約束し別れました。 |
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初めての巡行に準備も大わらわ |
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待ちに待った瞬間は深谷の八坂(祇園)祭りの3日間も終わろうとしていた1986年(昭和61年)7月29日午後6時過ぎでした。О氏が息咳切って我が家に飛んできた正にゼーぜー息を弾ませて"神さん神さん山車をだすべぇー、子供達は俺と林賢ちゃんが召集するから、神さん山車の準備をしてくれー"とだけ言って去っていった。それを聞いていた我が家の親子とも会館まで早かった、誰もいない会館横の山車を巡行準備に林兄弟、舵取りの大竹さん、高田大先生、堀先生と共に懸命でした。もう年番7ヶ町のお囃子は遠く近くに今晩の集結地に向かって、自町を出発している。やっと準備完了が近づいた時、ホッと目を下にやると、見慣れた元気な子供達は親を引き連れて、もう待ちくたびれていました。 |
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いざ!出発 |
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やっと、子供たちの夢を乗せられる"ボランティア花山車"は今の今準備万端、出発の瞬間を待っている、安全の為放送設備を装備し、お囃子の子供達の安全を保証する意味を込めて3歳の長男・嘉将・も屋根上に乗せました。豪華な山車を見慣れた人達には、ゴミ同然の山車と映るものでしょうが、何にもなしの世にいた私達の目には正に血の出るような練習がお披露目できる晴舞台だったのでした。 その晴れ舞台に乗ってお囃子を出きる事をどんなに待ち望んでいたでしょうか、やっとの事、頭の安全運行の指示が終わり、その笛を合図に拍子木も入り念願の出発は行われました。 |
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真剣な子供のお囃子 |
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動いている山車に乗っているだけで、子供達はお囃子もそこそこに山車の高さとその揺れ具合を楽しんで、お囃子のお披露目は来年に繋げる事にとし、運行に慣れない親達に、夢中な子供達の面倒見の仕方を教える事に方針変えしました。全然全くの祭り知らずばかりかと思いきや、居た居た祭り町内で育った女性がほんの一握りでしたが、嬉しい援軍。汗だくの我々6人にとってはかけがえの無い援軍でした。正に天使のように感じられました。 |
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山車とお囃子の出現に直会はてんやわんや |
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初めて"の山車とお囃子"に燃えに燃えた親も子も、年番町以外でも"山車祭り"の出来た栄町では町内始まって以来の賑わった直会となりました。小舟自治会長の挨拶の中に来年度から援助、補助を考えていかなくてはとのお言葉を頂き一同は"ウオうー"と雄叫びを挙げ、拍手喝さいを浴びました。我々8人は参会の皆様から、オメデトウの声と共に肩を叩かれ背中を押され"頑張れ、来年は応援するからナ"と握手攻めでした。 |
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コミュニティ・フォーラム86に参加して |
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昭栄会、不滅会を通じて地域ボランティア活動が認められて、副賞として向こう3年間に渡り5万円づつ計15万円戴ける運びになりました。子の基金を元にして、子供神輿、山車の鳴り物、改装、山車小屋建設の資金となりましたが、数年後の"山車つくるへえーかい"の悪乗り連中(現、自治会役員、祭り役員の大多数)に飲み代にされてしまい、使途不明金を追求すると会長の首を挿げ替え会も消滅させてしまいました。 |
