燃えに燃えた2年目の"山車とお囃子"(1987)


2年目のお化粧直しに掛かる山車

 西小学校北の旧自宅前で2年目のお化粧直しに掛かると昨年手伝いを申し出てくれた人、そしてソレ以外にも大勢の人が声を掛け手を貸して頂きました。

お囃子の練習に熱く燃えた子供たち

 七夕を過ぎるとお囃子の練習は昨年のように始められた。子供たちも半数以上が経験者なので、教える方も段取りが軽くなって参りました。それでも練習の環境は相変わらず貧弱なもので、子供達に申し訳の無い気持ちでした。そんな逆境にめげず熱く熱く練習に励む子供達でした。

子供たちの練習に刺激されて父兄たちも燃えて立つ

 不充分な環境にもめげもせず、毎日の練習を目の前にした父兄達はお化粧直しに参加して頂いた数は25、6名にもなりました。

懸魚も創っちゃえ

 散乱状態だった個々の部剤と補修材は大勢の人達によって、それなりに加工されて、分担加工の仕上げを急ぎました。仕上げの段取りが決まると、誰か"唐破風が出来たんじゃぁー懸魚も欲しいなぁー"と言い出し早速創り出す、あまりの手際の良さに呆気に採られました。

いよいよ組み立て(美人になるか)間に合うか?

 美人になった山車の組み立ては大勢のお手伝いの皆さんの手によって組み立てが始まりました。

子供を守る為、安全運行人員配置図を作成!

 祭に不慣れな親子さんばかりなので、不安定行動の目立つ人々を守る為の人員配置図を作成し、その守備範囲をお願いすることとしました。

山車と低学年の子供達

 組み立てられた山車は小舟自治会長に見てもらい夜の内に会館横の定位置に据え置かれ、まつり初日の27日を迎えました。

初日の巡行に緊張が走る。

 お化粧直しをし美人になった山車は子供達の人気を博し、我先に触りたい、乗りたいの一心でとても収集のつく状態ではありませんでした。

盛り上がる"手づくりの山車とお囃子"

 巡行が始まると、もう皆が興奮状態、お化粧直しの終わった山車にお囃子の調子は練習時の大勢過ぎる子供達に競争意識生まれ、その成果を発揮して昨年の様に途切れることはなかった。大勢過ぎる子供達(囃子連)に全員が山車に乗れるように学年別に名簿を作成し漏れのないようにと配慮する指導者の父兄の方がてんてこ舞い。

林さんと大竹さんだけは冷静だった。

 誰もが夢中だったのに、冷静に対処していたのはPТA支部長の林さんと舵取りの大竹さんだったのでした。

曳き綱も足らなくなる程の子供達

 祭に参加する子供達の予測は学齢者90人と聞いていたが、何の事はない乳幼児まで繰り出してきてその数130人、それにじいちゃんばぁちゃん、子供の参加者150%自治会登録者より大勢集まってしまった。やはりこの地区になにかで集う機会に恵まれなかった人々が一大イベントとして捕らえ始めたのでしょうか、それにしてもすごい人出、事故のない様願うばかりでした。

夏は山車祭に決まり !

 これだけの人々を酔わせてしまう"山車とお囃子"は2年目にして早くも町中を巻き込んで、祭の3日間を楽しませてくれている。昨年おそるおそる始められた"祭"はもうそんなことへの心配は何処へやら、盛大過ぎて事故なぞ起きなければとの心配が支配し始めました。

頭、小若頭も真剣に巡行を見守る

 地に足の着いてない事の文字通りだったのが、頭と小若頭の二人でした。良くも悪くも人々の生の声を聞きたくても、休憩地点に停止した時だけしか下に降りられませんでした。

巡行上がりのビールの美味かった事。

 恵まれた祭囃子か納まると子供達を安全に帰し、手助けの一同は会館で用意された冷たいビールで喉を潤しました。その冷えたビールの美味かった事、アルコールの得意でない頭の私でも、こんな美味いビールは初めてでした。皆さんご苦労様でした。

直会も盛り上がりっぱなし。

 もうそれはそれはすごかった、一大イベントを成し遂げた、大勢の人々が互いに満足感に満ち溢れた、気持ちと心意気で盛り上がりすぎ、お開きのチャンスを伺うのに苦慮する事となりました。

新聞に載ってしまった"山車とお囃子"

 町内中を沸かせた手づくりの山車とお囃子はとうとう新聞種になってしまった。読売新聞の記者が尋ねてきて、祭の事なら神山さんに聞けばと町の人々が言っておりましたのでお伺いしましたとのことでした。

ここにも載ったヨ 

 深谷市の広報誌"広報ふかや"にも載っちゃいました。

ここにも

 深谷小学校の広報誌"いしずえ"にも載りました。

こちらにも

 そして我がライオンズ仲間の知る処となり、ライオンズ広報誌"ライオンズ深谷"にも掲載されました。




前のページへ
戻る
トップページへ
トップ
次のページへ
次へ