山車パワーは燃え滾(たぎ)る。(1989)


山車パワーはこども神輿を新規購入。

 林さん兄弟、高田大先生、大竹さん、堀先生と賀美山・頭で始まった手づくりの山車とお囃子は初年度の1986(昭和61年)から市のGCC(グリーン・クリーン・シティ=緑豊かな清潔な町づくり運動)の優良模範・地域活動に認定されて、その年(1987年)の埼玉県コミニュティ・フォーラム87に市の代表として、小舟源八・自治会長とその活動を発表する機会に恵まれました。

新装用スケッチ1

 新聞ダネになってしまった山車とお囃子はそのパワーをどんどん膨らませてとうとう新装用の山車スケッチまで出現となった。

もう改装せずにはいられない 

 そのパワーは留まる事のない様になってきた、もう、誰にも止められない、300世帯に満たない小さな自治会の若手おとっつぁん達はボランティアで瞬く間に改装してしまった。

300年記念に間に合った

 中仙道の宿場町として、大いに栄えた"武州 榛沢郡 深谷宿"の時代から数えて今年は300年を記念としての祭として、計画されました。

町内頭会議から入念な計画。

 山車、屋台の曳き回しは、各町の町内頭の会議にて叩き合いの場所の設定から、出入の順番、セレモニー等詳細に練られるのです。

賀美山は1人三役で飛び回る。

 手づくりの山車とお囃子の張本人の賀美山は、自治会副会長として、祭の総取締役=幹事長、そして巡行の総責任者としての町内頭、の正に1人三役を演じる羽目になりました。

前後5日間は、寝る暇がなかった。

 他の町内では考えられない、一人三役が祭を知らない人々に祭を教える事から始めるのですから、並大抵のことではありませんでした。

もちろん ! 山車も新装され心機一転・又燃える

 勢いとは凄まじい、昨年もう一度お化粧直しするのだったらとスケッチを描いていたО氏と半端材の提供者のK氏を中心にお手伝いさんは当時犬猿の仲だった親睦主体の昭栄会とボランティア主体の不滅会を超越して山車を作るべぇ会なる飲み会を主体とする不貞で不明朗な会を名乗り、自治会の補助金の受け皿となっていた。

昔流にまつり提灯文字順(国語的に右より表記)

 神山電機の台車の運転席を取り外し、吉野さんが改造案を出して文字通りの舵棒方式とし、いよいよ山車として上屋も全て作り変えました。お手伝いさんが増えて作業の段取りも慣れてくると、銘々の仕事もそれなりに捗っていました。
 それでも全部バラシテ、台車から改造するとなると新規に創るより、より仕事は増えている。祭前日は雨降りだったのに山車は仕上がっていない、電飾鬼瓦を作っておいたのに夕方になっても取付けOKの指示がこない、自分の仕事も溜まってしまい祭3日間分を稼いでいたら、なんと夜の11時過ぎてから神さんお飾り頼む−と着たもんだ。毎年祭前日の夜中だけは勘弁してくれとあんなに頼んでおいたのにも関わらずまた、今年もしてやられてしまった。明朝7時の年番神輿を担ぎに行きたいのに、ろくろく寝てもいられない。でもお手伝いさんの苦労を考えればこれは泣き言を言っている場合ではないのです。

まつり一家は今年もがんばるぞー。

 舵棒付きに改装された山車は町内の華となる。

祭に燃える

 祭に燃える

もう笑っちゃうしかないんです。嬉しくって

 子供のお囃子の上手さに燃えた大人達は、その子等に山車のお化粧直しでそのお礼をしたら、その山車をモットモット引き立たせる"お囃子"で報いる子供達は本当にイトオシイ。




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