お揃いの浴衣を着て三役も年番町へ(1991)


小舟会長も玉串奉献。

 毎年午前7時、滝宮境内に鎮座している八坂神社前にて執り行われる式典は、数百人の人々が参加していますが、静まり返った八坂神社の御前にて、"栄町自治会長、小舟源八殿"と呼び出され、堂々の玉串奉献を恭しくも賢み賢み行ったのでした。お揃いの浴衣にての参加となった祭三役の我々もテントの中より2礼2拍手で会長に合わせたのです。

お揃いの浴衣に三役も一際引き立つ。

 第10代の自治会長に小舟源八殿を戴いて、栄町は急激に発展をして行きました。先代の会長時代にはじめられた納涼祭も小舟会長の基に参加者は大幅に増加し、空き地では危険かなとKマートとタイアップし、10周年記念も盛大に行われました。近隣自治会とも交流が盛んになると、一番小さな自治会ながらも、リーダーシップをとるのはいつも栄町という雰囲気になって行きました。

儀式が終われば年番神輿だ !。

 儀式が終わると御神酒が振舞われ、いよいよ街中に祭りの到来を知らせるべく年番神輿の渡御となるのです。近年年番町だけでは人数が足らずに全町内の有志の皆様の参加をお願いしているのが現状のようです。山車の参加でお世話頂いている年番町への返礼を兼ねて賀美山頭の要請の元に参加された皆さんです。

祭りダ、ワッショイ 

 神輿の担ぎ棒に肩を入れれば、もう祭りは最高潮、町内や年代は違っても祭りを愛する皆同じサ、ワッショイ、ワッショイ祭りの幕開けだ。

子供神輿も元気ダゼ !

 大人が浮かれりゃー子も浮かれるゥー学齢にならない幼児まで参加する栄町の祭りは益々盛大になつて行くのでしょうか?  神山電機の献灯を背景に元気リンりんに頑張っている子供達でした。

祭りの由来について。

 相生町の年番に引き継がれた今年は、全町会議に"祭りの由来"と題して、その昔には深谷宿の中心街としてその栄華を誇っていました。八坂神社が奉られていた歴史有る自治会にはその資料が残されていたのでしょう。

まつり馬鹿夫婦の片割れ。

 まつり馬鹿一家を自認している我が家では祭り中3日間の食事は何も作れない、皆が皆、各々毎に祭り役目分担を頂いているので、とてもオサンドンをしている暇がないのです。

まつり馬鹿一家の張本人。

 手づくりの山車とお囃子を始めて早6年、馬鹿の真似をしている大勢のお手伝いさん、馬鹿丸出しの香取や一家、馬鹿になれないで悶々としているお荷物五人組み、馬鹿の上前を撥ね様と前の馬鹿市長で箱物行政を企てパティオだけでも20億円を懐にしたと豪語し、長期連続当選を目論見一期で市民から見放された市長の育ての親と法螺吹いている中嶋一族とその取り巻き連中、馬鹿だときずかずに、教え子にたかり放題と評判の校長会の会長だけを鼻にかけ最低な教育者と言われ自治会長も一期で罷免された米屋の夫婦、五人組みの年長者だから米屋の跡は俺が自治会長と触れ回り、現在無役で只の法螺吹きジイさんになり、兄貴の会計事務の手伝いと時代遅れのコンピュ−ターのオペ人さん。こんなにも多彩な人々を纏めてきた馬鹿な自分と家族に感謝し、これからも"祭り馬鹿野郎"を演じ続けるのでしょうか?

近隣町会も山車祭りの先輩栄町に表敬訪問にくる。

 栄町の祭りに対する大きな力に圧倒されがちな西北部4字でしたがもともと西和会の神輿を手づくりする祭り好きな人達の多いところでした。山車とお囃子を手づくりの先輩、栄町に表敬訪問となりました。

ライオンズ仲間より、激励文届く !

 親の代よりお付き合いを頂いている、深谷市の広報、宣伝部長?の奥様から祭りに対する激励文が届きました。

祭り馬鹿一家もやっと記念撮影に。

 毎年、祭りには自分達を撮ることも侭ならない状態を役員仲間の橋本穣さんは、偶にはお揃いでどうぞと、巡行の終わったのを見届けてからカメラに収まる事が出来たのでした。




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