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2012年5月21日(月) 金環日食 再開店 「37歳旭天鵬 最年長初V」 「不思議の日米関係史」つづき
今朝の金環日食はテレビで見た。横浜の天気はおおむね曇り。
昨日、息子が日食グラスを欲しいと言うので、ホームセンターへ行ったら売切れだった。
二十世紀文庫の再開店は7月1日からにしよう。
まだ体力に自信がないから、6月再開店は無理だ。
「37歳旭天鵬 最年長初V」(読売新聞1面)
< 大相撲夏場所は20日、両国国技館で千秋楽を迎え、西前頭7枚目の旭天鵬(本名太田勝、モンゴル出身、友綱部屋)が12勝3敗で並んだ栃煌山との優勝決定戦を制し、最年長の37歳8か月で初優勝を遂げた。平幕力士の優勝は、2001年秋場所の琴三喜以来となった。(中略)
旭天鵬は、モンゴルから来日して21年目、2005年に日本に帰化した>
最初は大関稀勢の里の優勝を願っていたが、結果的に旭天鵬が優勝できてよかった。心からお祝いしたい。
高坂正尭「不思議の日米関係史」つづき。
< 明治初年、アメリカが日本にもっとも大きな影響を与えたのは教育の分野においてであった。日本は西洋に追い付くため、役に立つものはなんでも、またどこからでも受入れた。留学生の派遣先にしても、お傭い外国人の出身国にしてもまことに多様である。だから教育制度はアメリカから学んだというほど単純ではない。事実、教育行政制度はフランスのものが原型となったのだが、教育の中身や教育者となるアメリカの比重が目立ってくる>
< 生糸は日本の経済発展の初期の六〇〜七〇年間において、もっとも成功した輸出産業(傍点)であった。そこには各農家が昔通りに養蚕(ようさん)をおこなって繭(まゆ)を売るという以上のものがあった。さまざまな場所とレベルでおこなわれた改良への努力、政府が主導したが民間でも作られた専門学校などの教育体制、やがて蚕糸(さんし)研究所などの研究機関、そして蚕糸業者、製糸会社、輸出業者の間に発展したシステムなどである>
< 日本のジレンマは、決して清算のない大戦争(日露戦争)を必死の思いで戦わざるをえず、それでいて勝ったとたんに、無視しえない強国となってしまったところにある。国際体系の辺境にときにおこることだが、そこでの地位の上下動はまことに激しいところがある。しかし、にわかに大国になったことには変わりがなかった。日露戦争に勝ったものの、ロシアの復讐戦を恐れなくてはならなかったし、アメリカの「新外交」は別として、中国大陸での列強の利権獲得競争が熾烈(しれつ)におこなわれており、日本の力は弱かった。彼らは事態への対処に忙殺されていた>
「不思議の日米関係史」は高坂正尭の死去によって、残念ながら未完となった。
この本の続きとして次の本を読もう。
山崎正和・高坂正尭=監修「日米の昭和 SHOWA: Japan and America」(1990年 TBSブリタニカ)
日本とアメリカとは、これほどまでに「運命共同体」であったか。
2012年5月20日(日) 事務所 「晴耕雨読」2500回 「3敗の3人 譲らず」 「北ミサイル対応」 「不思議の日米関係史」
7月1日再開店に向けて活動を開始する。
息子が事務所へ行ってくれる。車で午前中に迎えに来る。
事務所の空気の入れ替えと本の運搬である。
まだ車の運転と本を運ぶことは自力ではできない。
邱永漢は、自らのウエブサイト「HiQ」で、亡くなるまでに12年間もコラム「もしもしQさんQさんよ」を「4431回」も毎日更新してきた。
「二十世紀文庫」の「晴耕雨読―古本屋の読書日記」は、2001年9月の開店以来書いているが、現在のように「毎日更新」し始めたのは2005年6月から。
数えたら「2500回」を超えたことになる。入院等以外は毎日書いている。自分でもビックリする。
「3敗の3人 譲らず」(読売新聞)
大相撲夏場所が面白い。
千秋楽を迎える今日、3人が3敗で並ぶ。優勝決定戦になるだろう。
3敗は、大関稀勢の里(きせのさと)、平幕の栃煌山(とちおうざん)、旭天鵬(きょくてんほう)。4敗で、横綱白鵬(はくほう)、平幕の隠岐の海(おきのうみ)、碧山(あおいやま)がつづく。
読売新聞「地球を読む」は、北岡伸一「北ミサイル対応」。
「安保に欠陥、尖閣にも影」「防衛・外交の立体運営急務」
北岡伸一の意見に賛成である。
民主党政権に「防衛・外交」は任せられない。
民主党は「防衛・外交」について何の基本政策もない。
防衛大臣という重要なポストに、最も無能な政治家を配して平気な顔をしている。
防衛に必要な「集団的自衛権」を、「内閣法制局」なる法律屋の解釈にまかせて放り出してある。
これでは国は守れない。
現在、外交関係の古い本を少しずつ読んでいる。
国際問題の基本的な素養がないからすぐに眠くなってしまう。困ったものだ。
だが、面白いことは面白い。
永井陽之助「平和の代償」(1967年 中央公論社)
高坂正尭「海洋国家日本の構想」(1965年 中央公論社)
「ワシントンの苦悩 キッシンジャー秘録1」(1979年 小学館)
高坂正尭「不思議の日米関係史」(1996年 PHP研究所)の方を先に読了。
この本は高坂正尭の遺稿で「告別エッセイ」である。
読書会 酣(たけなわ)で過去に読んだ本が関係してくる。ハーマン・メルヴィルの「白鯨」である。
< 日米の正式の交渉は、言うまでもなく、「黒船」を引き連れたペリーの来航に始まる。しかし、当時アメリカを代表するものは捕鯨船だった。
ハーマン・メルヴィルは、ペリーが来航する二年前の一八五一年に出版された――したがって彼が書いたのはその少し前だった――『白鯨』のなかで予言的に書いている。
「もし、あの幾重にも閉された国、日本が、外人を迎えることがあるとすれば、その功績を負わしめるべきものもまた、捕鯨船のほかにはない。それは今日すでにかの国の扉口(とぐち)に近づいてすらいるのだ」。 >
< 日本人が蒸気船を知らず、したがって驚くだろうという考え方は正しくなかった。見たことはなかったけれども、日本の指導者たちの多くはそれを知っていた。海外事情についても無知ではなかった。
だからこそ、日本人の反応は早かった>
< 世界史の展開を考えると、維新の動乱が一八六〇年におこり、それが一八六八年(明治維新)に片づいて、日本の近代化が本格的に始まったというタイミングが、日本にとって実に幸運だったのである>
< ペリー来航の衝撃は一八六〇年代の日本の大変動を生んだ。しかし、同じころ、ヨーロッパ諸国も動乱の時代に入っていた>
< 後発国日本を導くことにアメリカ人は喜びと誇りを感じていたように思われる。
アメリカ人は大体において人がよく、喜んで人を助ける。
もっとも、そこにはひとつの条件があって。それはこちらがアメリカの方を向いていること、すなわちアメリカのやり方をよいと思っているということである。それによって友好的と敵対的とはたちまち変化する>
2012年5月19日(土) 朝が来る 姓名・生年月日 「邱永漢さん死去」 「吉本隆明と邱永漢」
いつものように夜が明ける。朝が来る。
快晴。早朝はヒヤッとする。
病院。
採血、レントゲン等の検査を受けるとき、必ず答えなければならないこと。
「お名前と生年月日を言ってください」。
もし忘れたらどうしようか。
これだけで、村上春樹ならば一篇の短篇小説ができあがる。
小説とは何なのだろうか。
「邱永漢さん死去 88歳 経済評論家 作家 「金儲けの神様」」(読売新聞5/18夕刊)
< 金儲け指南のビジネス書を数多く出した経済評論家で、台湾生まれの立場からユニークな文明批評を行った直木賞作家の邱永漢(きゅう・えいかん 本名・丘永漢)さんが16日午後7時42分、心不全で亡くなった。88歳。後日、「お別れの会」を開く。喪主は妻で料理評論家の潘苑蘭(はん・えんらん、本名・丘亜蘭)さん。(以下略)>
邱永漢のウエブサイト「hiQ」には、「長女 邱世賓(きゅう・さいぱん)」の挨拶が載っている。
< hiQ読者の皆様へ
長い間 ハイハイQさんをお読み頂いていた皆様に
悲しいお知らせをしなければなりません。
5月16日(水)父 、邱永漢が心不全の為この世を去りました。
88歳の米寿を迎えても 尚、少年のままの好奇心と冒険心一杯で
世界中を走り回っておりました。
「これからアジアの国々は酷い目にあう。
大変な事になるだろう。
でも、それも面白いね。」
これが最期の言葉です。
退屈が何よりも嫌いだった父はやがて訪れるであろう経済混乱の中に
胸ときめく新しいチャンスを見出していたようです。
4431回に渡る父の夢と遊びとお話にお付き合い頂いた皆様に
心より御礼を申し上げます。
長女 邱世賓 >
邱永漢の「最期の言葉」が気にかかる。
「これからアジアの国々は酷い目にあう。
大変な事になるだろう。
でも、それも面白いね。」
新聞の死亡記事は、邱永漢の本当の偉さを伝えていない。
自分は以前この「晴耕雨読」で、「吉本隆明と邱永漢」のことを「偉人」と規定した。
二人とも「思想家」で、しかも「行動者」だった。
同い年で、しかも同じ今年2012年に亡くなった。享年88。
「吉本隆明と邱永漢」のことは、知っている人は知っているが、知らない人はまったく知らない。
この二人は歴史に残る仕事をした。それは間違いない。
「吉本隆明と邱永漢」について、いずれ、きちんと書きたいと思う。
2012年5月18日(金) 耳鼻科 読む気になる 村上春樹 「辺境と近境」 「神の子供たちはみな踊る」
耳鼻科へ。
読む気になっても、読んでいない本はたくさんある。
少し読んでそのままになっている本がいちばん多い。
これまでに一番読んだのは司馬遼太郎。次に藤沢周平。
今度は村上春樹。村上春樹はまだこれからだ。
読書会 酣(たけなわ)の次の「北杜夫」を終えないと、「村上春樹」は本格的にならない。
村上春樹の本は文庫本ばかり持っている。
すぐに気がつくのが、村上春樹の文庫本には「解説」がない、ということだ。
これには困る。村上春樹を語る言葉がないからだ。読書会泣かせだ。
村上春樹の次の2冊は一応読んだ。
「辺境と近境」(2000年 新潮文庫) 旅行記
「神の子供たちはみな踊る」(2002年 新潮文庫) 短篇集
「辺境と近境」
「メキシコ大旅行」
< 僕の人生というのは――何も僕の人生だけに限ったことではないと思うけれど――果てしのない偶然性の山積によって生み出され形成されたものなのだ。
人生のあるポイントを過ぎれば、我々はある程度(傍点)その山積のシステムのパターンのようなものを呑(の)み込めるようになり、そのパターンのあり方の中に何かしらの個人的意味あいを見出(みいだ)すこともできるようになる。
そして我々は、もしそうしたければ、それを理由(リーズン)と名づけることもできる>
「神戸まで歩く」
< 僕は戸籍上は京都の生まれだが、すぐに兵庫県西宮市の夙川(しゅくがわ)というところに移り、まもなくとなりの芦屋市に引っ越し、十代の大半をここで送った。
高校は神戸の山の手にあったので、したがって遊びに行くのは当然神戸のダウンタウン、三宮あたりということになる。
そのようにしてひとりの典型的な「阪神間少年」ができあがる>
< 実家はずっと芦屋市にあったが、九十五年一月の阪神大震災でほとんど居住不可能になって、両親はそのあと京都に越した。というわけで僕と阪神間とを結びつける具体的な絆(きずな)は、今では――記憶の集積(僕の重要な資産)の他には――もはや存在しない。
だから正確な意味でそこを「故郷」と呼ぶことは、もうできない。その事実は、僕にいくらかの喪失感をもたらす。記憶の軸が、身体(からだ)の中でかすかな音を立てて軋(きし)む。とても物理的に>
「阪神大震災」をきっかけにして生まれたのが、短篇集「神の子供たちはみな踊る」(新潮文庫)である。
新潮文庫のカバーには、「HARUKI MURAKAMI after the quake」 とある。
最後の短篇「蜂蜜のパイ」のラストの文章を引用する。
<とんきち(熊)は、まさきち(熊)の集めた蜂蜜をつかって、蜂蜜パイを焼くことを思いついた。少し練習したあとで、とんきちにはかりっとしたおいしい蜂蜜パイを作る才能があることがわかった。まさきちはその蜂蜜パイを町に持っていって、人々に売った。人々は蜂蜜パイを気に入り、それは飛ぶように売れた。そしてとんきちとまさきちは離ればなれになることなく、山の中で幸福に親友として暮らすことができた>
沙羅はきっとその新しい結末を喜ぶだろう。おそらくは小夜子も。
これまでとは違う小説を書こう、と淳平は思う。夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人々をしっかりと抱きしめることを、誰かが夢見て待ちわびているような、そんな小説を。でも今はとりあえずここにいて、二人の女を護らなくてはならない。相手が誰であろうと、わけのわからない箱に入れさせたりはしない。たとえ空が落ちてきても、大地が音を立てて裂けても。
2012年5月17日(木) 「腫瘍マーカー」 脱毛 渋谷 稀勢の里 「二葉亭四迷」 「ニュースの英語」 村上春樹エッセイ
昨日、病院で担当医に質問した。
「腫瘍マーカー」とはガン細胞の勢いのこと。これに注目して行きたいとのこと。
3週間後の採血で再確認する。
今回の副作用は頭髪の脱毛が多い。
それなのに髭は生える。不思議だ。
映画「わが母の記」を見に行く。渋谷シネパレス。
渋谷は久しぶりだ。最近、まったく出かけないから、初詣と彼岸以外は渋谷、新宿等、都内へ行ったことがない。
大相撲夏場所。大関稀勢の里、チャンスだぞ!
稀勢の里は11日目で10勝1敗。横綱白鵬は4敗。
今場所優勝して一気に綱取りを目指せ。チャンスは二度と来ないと思え。
読書会 酣(たけなわ)の課題書として、二葉亭四迷「浮雲」を忘れていた。
日本近代文学の先駆者として一度読まないといけない。
中村光夫「二葉亭四迷論」を本棚から出そう。
「ニュースの英語」(読売新聞5/16夕刊)は、「つらいもの」(a bitter pill to swallow)。単語の意味は、「耐えねばならないいやなこと」とある。
現在の自分にとって身近な「a bitter pill to swallow」とは、抗がん剤のことである。
「ニュースの英語」をマジメにスクラップしている。
最初は自分の英語の勉強のつもりだったが、最近は孫に残すことを目的としている。
しかし、上の孫はまだ小6。「ニュースの英語」は中学生では無理だ。高校生になるのに5年かかる。
今日の英語なんて、この程度のものでも単語も構文もスラスラと読めない。英語慣れしないとまずい。
a bitter pill to swallow(つらいもの)
The outcome boosted Germany's center-left opposition, and was a bitter pill to swallow for Merkel's Christian Democrats as the country looks toward national elections due late next year.
和訳:(選挙)結果は、ドイツの中道左派の野党を勢いづかせ、来年後半に予定されている総選挙に向け、メルケル(首相)のキリスト教民主同盟にとってつらいもの(傍線)となった。
村上春樹の小説は、棘(とげ)とか毒があって健康によくない。いやいやながら読む。
ところが、エッセイは素直な筆致なので楽しく読める。
「村上朝日堂」(安西水丸との共著 1987年 新潮文庫)
「辺境・近境」(2000年 新潮文庫)
「村上朝日堂」
「文章の書き方」
< たしかに文章というのは量を書けば上手(うま)くなる。でも自分の中にきちんとした方向感覚がない限り、上手さの大半は「器用さ」で終ってしまう。
それではそんな方向感覚はどうすれば身につくか? これはもう文章云々(うんぬん)をべつにしてとにかく生きる(傍点)しかない>
「「先のこと」について」
< いちばんヤバイのが専門家の話、そのつぎにヤバイのがかっこいいキャッチ・フレーズである。このふたつはまず信用しない方がいい。僕もそういうのにはずいぶんだまされてきた。
小説についても同じだ。新しい小説とは何かなんてことを考える前にまず良い小説を書くこと。それが全(すべ)てである>
「「対談」について(1)」
< アメリカで対談というジャンルがないのは、それだけアメリカ人が対話にたいしてシビアだからではあるまいか。
だから日本人の場合みたいに相手の言っていることがもうひとつピンとこなくても、「うん、そういうこともわかるような気がするなあ」
なんてお茶を濁さずに、もっとつっこんで、
「貴君の言わんとすることは具体例を示しながら、もっときちんと説明して頂きたい」
といった具合になるだろうし、そうなるとエンエンと話が長くなって雑誌のページにおさまりきらなくなっちゃいそうである。
そういう点、日本人はやはり器用で、雑談が一段落すると「じゃこのあたりで一応結論らしきもの出しときましょうか」「そうですね」なんて感じで結構ピタッと終っちゃう。まさにあうん(傍点)の国民性である>
2012年5月16日(水) 定期検査 課題書 「若い読者のための短編小説案内」続き 「村上朝日堂 はいほー!」 続き
夏日。28℃予想。暑い。
午前中、定期検査・診察。
読書会課題書候補
【日本】
村上春樹
藤沢周平
小島信夫
川端康成
森鴎外
芥川龍之介
大佛次郎「天皇の世紀」
猪瀬直樹「ペルソナ」
【外国】
ドストエフスキー「悪霊」
トルストイ「戦争と平和」
村上春樹「若い読者のための短編小説案内」(文春文庫)の続き。
「まずはじめに」
< 僕は実を言うとこれまでの人生の大半にわたって、日本の小説のあまりよい読者ではありません。
十代のはじめから二十代、三十代にかけて、だいたいにおいて外国の小説を読む、それも多くの場合英語でそのままがりがり(傍点)読むという体験を通して、日本語の文章の書き方を自分なりに確立してきた人間です>
< 要するに基本的には、その当時の僕が日本の小説の文体や視点や主題の据え方にうまく馴染めないものを感じたということなのだろうと思っています。おそらく生理的に>
< 日本にいるときには、自分が日本人であるという認識なりアイデンティフィケーション(自己確認)はほとんどの局面において不要なわけですが、外国に住むと否(いや)が応でもそれをつきつけられることになる。
日本とは何か日本人とは何かという自己定義がないとうまく自分をやっていけなくなる>
< 僕はあらゆる生活の場に自然発生的に登場した「日本的なるもの」を、自分本来のものとして手に取り、注意深く観察し考察することによって、今ここにある自分の視点をより切実なもの(傍点)として深めたかっただけなのです>
村上春樹「村上朝日堂 はいほー!」(1992年 新潮文庫)の続き。
< 好きな作家を三人選べと言われたら、すぐに答えられる。
スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーティ。
この三人の小説家だけはかれこれ二十年くらい飽きもせずに何度も何度も読みかえしている。
長い外国旅行するときはいつもこの三人の小説を必ずスーツケースの中に入れていく。何度読みかえしてもがっかりすることがない。
長期旅行用にあと二人別の作家をプラスしろと言われれば、これはフォークナーとディッケンズ。この二人の作家はけっこう旅行に向いている。旅行ででもなきゃ読む気になりずらいというところはいくぶんあるにせよ>
2012年5月15日(火) 落合斎場 運転 「マンボウ 最後の大バクチ」 「若い読者のための短編小説案内」
一日中雨。
叔母の葬式で家内は落合斎場へ。東京メトロ東西線「落合」駅。
昨日、練習の意味で久しぶりに車を運転した。近くの道路をまわっただけである。
運転はそれほど心配ないと思った。
最近、年寄りの事故が多い。急ブレーキをきちんと踏めるよう気をつけたい。
北杜夫「マンボウ 最後の大バクチ」(2011年 新潮文庫)を見つけた。
この本は、読書会 酣(たけなわ)の「楡家の人びと」の参考書として最高。
自分の病気のせいで、読書会をここまで延期してきた。そのお蔭で見つかった。
「「楡家」の裏側」
< 『楡家の人びと』は私の一族の三代にわたる小説であるが、もとよりトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』を模したものである。
マンの長篇に感銘を受け、いつかは一家の歴史を書いてみようと大学生になってからずっと考えていた。
と言うのは、私の祖父に当る楡基一郎の一風変った人柄について、折に触れて訊くことが多かったからである。火事で焼失した昔の病院が一見宮殿風のようだったとは聞いていた。しかし、写真も見たことがなかったから、どんなものだったかはまったく分らなかった。
たまたま、大学生として生活していた仙台に、小説の桃子の原型である叔母がいて、久方ぶりに会うことができた。叔母は話好きで、昔の思い出をよく語ってくれた。そして持っていた昔の病院の写真を見せてくれた。その確かに宮殿のような外観を見て、私はこの小説はもう書けたとも思った>
< 第一部、第二部と「新潮」に連載し、第三部は書下ろしとなったが、その間に南太平洋の旅がはさまった。
第三部で描くつもりの太平洋戦争の場面をどことどこにするかまだ決めてはいなかった。なにげなく真珠湾攻撃をハワイ側から描こうかなどと考えて、いざハワイに着きパイナップル畠(ばたけ)から真珠湾を眺めると、まことに平和で駘蕩(たいとう)としていてまったく戦いのイメージが湧(わ)いてこないのである。
結局、空母に乗ってハワイ攻撃に行った姉の夫(城木達紀(たつのり)の原型)の話を参考にして、それを描いた。義兄は克明な日記を残していて、またその文章が実に良いのであった。私は「楡家」の中にかなりその日記を引用したが、ほとんどが原文のままである>
「世を捨てたらストレスない」
< 作家になってうれしかったのは『楡家の人びと』(六四年)を書き上げた時です。後はぜんぜんだめで騒いでばかり・・・・・・。悔い多き一生です。
他に残していいのは叙情性の点で『幽霊』、いくつかの初期短篇、中期の『黄いろい船』、二、三の軽いエッセーくらい。
『どくとるマンボウ航海記』(六〇年)は単なる旅行記じゃなく、雑学をみなたたき込んだ。ユーモアにしても思い切ったトーンを意図した。
当時、日本文学は外国に比べてユーモアに乏しく、声に出して笑うようなものは三流とみなす風潮があった。僕は文学的に余りにいい影響は残さなかったと思いますが、あの時代に誇張したユーモアを出したということはあるかもしれません>
わかった。
北杜夫にとって、『楡家の人びと』と『どくとるマンボウ航海記』は相当の自信作なのだ。
村上春樹の「若い読者のための短編小説案内」(2004年 文春文庫)は、村上春樹には珍しい文学論、アメリカの大学(プリンストン大学、タフツ大学)での授業内容である。
この本で村上春樹は、「第三の新人」といわれる作家の短編を取り上げている。
吉行淳之介、小島信夫、安岡章太郎、庄野潤三、丸谷才一、長谷川四郎。
今のところ、各論には興味がないので総論的な部分だけ読む。
「僕にとっての短編小説――文庫本のための序文」
< もし誰かに(たとえば神様に)、何かひとつのジャンルだけを選んで、あとは捨てなさいと命じられたら、僕は迷うことなく長編小説を選ぶと思います。そしてそれを選択したことを、たぶん後悔はしないと思います。長編小説というのは、僕にとってそれくらい重要な意味を持つものです。
なぜなら、僕は長編小説という容れ物にもっともぴったり自分を収めることができると、かなり切実に感じるからです。長編小説というかたちで、もっとも自分を有効にありありと表現できると確信しているからです>
< 生意気な言い方かもしれませんが、僕より上手な優れた長編小説を書く作家はもちろんいるけれど、僕が書くような長編小説を書ける作家は一人としていないはずだ、という自負のようなものもあります>
< 僕は自分で短編小説を書くときには、その物語の自発性を何よりも大事にします。その自然な流れを損なわないように、物語を拾い上げていきます。
だから他の作家の書いた短編小説を読むときにも、僕はそこに自由で自然な心の流れのようなものを読みとろうとします。そして結局のところ、それが優れた作品であれば、そこには必ずそのような自由で自然な心の流れが見いだせるのです>
「あとがき」
< いずれの場合も、僕が主催者として参加者(学生)に要求したことが三つある。
ひとつは何度も何度もテキストを読むこと。細部まで暗記するくらいに読み込むこと。
もうひとつはそのテキストを好きになろうと精いっぱい努力すること(つまり冷笑的にならないように努めること)。
最後に、本を読みながら頭に浮かんだ疑問点を、どんなに些細なこと、つまらないことでもいいから(むしろ些細なこと、つまらないことの方が望ましい)、こまめにリストアップしていくこと。そしてみんなの前でそれを口に出すのを恥ずかしがらないこと、である。
この三つは、真剣に本を読み込むにあたって、僕自身が常日頃心がけているポイントである>
< 僕はいつも思うのだけれど、本の読み方というのは、人の生き方と同じである。
この世界にひとつとして同じ人の生き方はなく、ひとつとして同じ本の読み方はない。それはある意味では孤独な厳しい作業である――生きることも、読むことも。
でもその違いを含めた上で、あるいはその違いを含めるがゆえに(傍点)、ある場合に僕らは、まわりにいる人々のうちの何人かと、とても奥深く理解しあうことができる。
気に入った本について、思いを同じくする誰かと心ゆくまで語り合えることは、人生のもっとも大きな喜びのひとつである>