21世紀の医療について
人は何処まで長寿になれるものか。
医学の進歩によって人間は様々な疾患を克服し、飛躍的に寿命を延ばしてきた。
これは望ましいことに違いはない。
誰しもが生を渇望し、死を恐れるものだからだ。
生まれて間もない乳児の死は、まだ見ぬこの世の喜びに触れることもなく生を闇に葬る。
幼児期から学童期に子供をなくす親の悲しみは、一体如何ばかりのものであろうか。
思春期を迎える少年少女の死は、未だ手をも触れぬ淡い初恋に、突然終焉を告げられるもののようだ。
前途有為な青年の死は、期待を寄せた音楽会の、開幕直前に公演の中止を宣告されるが如きである。
壮年の死には道半ばの無念が漂い、残された家族の悲しみと戸惑いは果てしない。
老年を迎えて、果たして死を受容できるのかと言えばそうでもなかろう。
目に入れても痛まない、可愛い孫の姿をもう見られぬと覚悟するのは辛いことである。
どの世代にとっても死は残酷なものだ。
死を克服し永遠の命を求めて止まないのは、生あるものの必然であって否定あたわぬ摂理である。
医学の進歩による長寿の実現は、その願いを叶える人間知性の賜物であろう。
しかし果たしてその結果のもたらす物は一体何か。
人類の歴史を振返ると、先史の時代から人間はその生存をかけて抗争を繰り返してきた。
肉食獣が獲物の分配を争うがごとく、人間も食料を含め富と繁栄を求めて闘争を重ねてきたのである。
医学的進歩が可能とした長寿社会によって世界の人口は爆発的な勢いで膨張し、科学と文明の発達のもとでどうにかバランスを取ってきた地球資源の分配にも、近い将来に破綻をきたすことが確実であろう。
さらに、爆発的な人口増加は資源の枯渇と環境の破壊を加速させ、人類にとっての地球の終焉もそう遠からぬ事でないような雰囲気さえしてくるのである。
ここには、個々の人間の願望と人類全体の利益の相克が垣間見える。
人類に課せられた永遠の問題である個と全体(社会)の対立を、21世紀の医療がどのように克服していくのか、まことに興味深いものである。