8日目 11月24日 (金) ホーチミン 曇り
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ベトナム戦争のあと クチトンネル
6:00起床。シクロカフェ(IF)でビュッフェスタイルの食事をとる。昨日の疲れがまだ残っているため、あまり食欲がわかない。
8:00ロビー集合。今日は日本語ガイドとクチトンネルの半日ツアーだ。
ホーチミンから約1時間,クチトンネルは南ベトナム民族解放戦線の地下基地あとだ。
いままでの旅では戦争の事をあまり感じるところが無かった。強いて言えばフエの寺に残った戦争の弾あとくらい。
しかしこの国とベトナム戦争をきることはありえない。「平和」が訪れたのはごく最近なのだ。
クチトンネルへの途中,一軒の家の前で車がとまった。
そこではライスペーパーがつくられている。
米の粉を溶いて,クレープのように薄く延ばして焼いている。
やけた皮を今度は外の竹を井桁にくんだ上にのせて天日干ししていくのだそうだ。
そういえばライスペーパーには井桁の模様がついていたっけ。
すらっと並べられたきれいなライスペーパーを見ながら私たちはクチのトンネルをめざした。
ベンディントンネル
クチのトンネルはガイドブックによるとベンディンとベンゾックのふたつがあるそうだ。私たちはツアーでベンディン(規模が少し
小さい)に行った。兵士の生活を知りたいとおもうならこちらがおすすめだそうだ。はじめにクチトンネルに関する映画をみた。
(ちゃんと日本語版のVTRがあった)
町の郊外に20年間手堀で進んだ全長250kmのトンネルがある。
そこで兵士達がどのように生活をしてきたのかが記録されている。
私たちはなかなかベトナム戦争の背景や実際の被害を理解しにくい。
ただ、この記録によって確かに戦争が行われ、悲惨な歴史が刻まれてきたことをイヤというほど理解させられた。
軍服に身を包んだガイドがコースを案内してくれた。
博物館に罠がたくさん展示されている。一度かかると絶対に死に至らしめる釘のわなや、くさびがあり、実際に人がかかったこと
を思うと気分がわるくなった。
トンネルに入る前に実弾をうたせてくれる射撃場にいった。
1ドルで1発打たせてくれるのだ。
私たちも一度やってみたくなって交代で経験してみた。
重く長い鉄砲を慣れない手つきでかまえて引き金をひく。
「ズドーン」というものすごい音があたりに響き,重く強い振動が自分に跳ね返ってくる。
かなりの衝撃だ。これで人を狙ってうつ...必ず当たった人は死ぬ。改めて恐ろしくなった。

トンネルをいよいよ経験する。人がやっと1人通れるくらいのあな。
フランス人だと思われる太った男の人は穴には入れそうもない。膝をつきながらすすんでいくのだ。
穴をどんどんすすんでいく。息が苦しくなってくる。暑く,蒸れて汗が吹き出てくる。多分時間は数分だっただろうか?
ずいぶん長く感じられた。
トンネルを出ると、会議室や食堂,病院あとを見る。
食堂では台所の煙が上に登って見つからないように穴をいくつもわけて分散している。
ここでは当時たべられていたタロイモをふかしたサービスがある。
塩をつけて食べるとなかなかおいしい。ただしこれが毎日続くのだから..。
トンネルでの兵士の生活をかいま見て,私たちはそれをどう表現してよいか判らなかった。
遊園地ではない、本当にあった現実の生活なのだから。
Gパンのひざはどろどろ,長袖のシャツもあちこちが泥とほこりで汚れていた。
アメリカの兵士が言ったそうだ。
「ベトコンの姿はみえないが,確かにベトコンはあちこちにいる」
バオさんとの出会い
トンネルから戻ったのは12:30頃だった。
昼ごはんの時間。私たちはここでインターネットで知り合ったバオさんと合うことになった。
バオさんは私たちがベトナムに行く前にネットで調べていたときに出会ったベトナム人ガイドだ。
彼は日本語のHPを持っていて,そこでベトナムの紹介をしているのだ。
ちなみに彼のHPアドレス http://hoanbao.hoops.ne.jp/
インターネットで彼の主旨を理解した私たちだが、正直彼に会うことをためらっていた。
どういう人か全く判らないし,何かねだってくるかもしれない。
怖さも半分あったが連絡をくれたので思い切って短い時間だったがあってみた。
ロビーにきてくれた彼はバイクで来てくれた。
友達と2台。
私たちははじめてバイクタクシーにのって食事をする店まで行った。
ネットの掲示板でバイク自体にのったことが無いことを話していたからか、とても優しい運転だった。
ゆっくり走ってくれる。ちょっとしたベトナム人になった気分。
すれすれまで車やバイクが迫ってくるが,すり抜けながら走っていく。
スピードも時速30km/hくらいなので,見た目よりもずっと安全な感じ。
KOJIROはもともとバイクにのっていたので,久々に気分が良かったらしい。
バイクタクシーでむかった先はバックパッカーが泊まるフォングラーオ通りだった。
フォングラーオ通り
ごちゃっとした道の両脇に小さな宿や食堂がたくさんならんでいる。これがフォングラーオ通りだ。
サイゴンツーリストをはじめ有名なツーリストがあり、安く生活できる通りになっている。
バオさんがつれてきてくれたのもその中で美味しい食堂だ。
店の前におかずがならんでいて、それを指さして皿にいれてもらう。
ブタの角煮のようなもの、野菜のいためたもの,たくさんの種類があってまよってしまう。
ごはんとすっぱいスープをつけて1人10000ドン..つまり100円。
決してきれいとは言えないが、味はなかなかおいしい。
白いごはんもおかずが比較的醤油の味がするのですすんで食べられる。
バオさんと話がはずんだ。
彼は日本語が少し話せる。年は同じくらい。
まさかこうして実際にあえると思っていなかったから,ネットを通じて世界が本当に広く結ばれていることを実感した。
彼は日本のガイドブックに「ベトナムのシクロはあぶない」「バイクタクシーでは問題が多い」などとかかれ、日本の代理店に
あらかじめ予約するシステムを残念に思っていた。
もちろんベトナムのガイドブックをみると被害にあった例がのっていた。そういう人がいるのも事実だろう。
しかし、そればかりでない事をきちんと理解して欲しくてHPを作ったそうだ。
彼の目の付け所はなかなかだ。
戦争の悲惨さ
昼食後,バオさんは私たちを郵便局前,大聖堂の前につれていってくれた。
そのころになるとバイクにのることも怖くなくなっていた。風が生ぬるいが、気持ちがよい。
しかし排気ガスがすごくて顔が黒くなりそうだ。
私たちは戦争証跡博物館までつれていってもらった。
ここでバオさんとおわかれ。
またネットで会うことを約束してわかれた。
戦争証跡博物館にはベトナム戦争の写真や武器,そしてホルマリン漬けになった奇形児が展示されていた。
どの写真も本当にあったこと。見ているうちに怖くなってきた。
1960年〜1970年におこなわれたアメリカによる残虐行為。
この博物館にはその後があちこちに残されている。
ナパーム弾や実際に使用されたヘリも展示されている。
ソンミ村大虐殺のあとの写真,ピューリッツアー賞をとった沢田教一の
有名な写真そして当時の子供達のその後。
私たちが生まれた時代にこんな事が近くでおきていたのだ。
写真は人々が間違った方向に向かっていることを冷静に写していた。
ベトナム兵士の頭を切り落として記念撮影をしているアメリカ兵の姿。
見ていて寂しく,悲しく,疲れてしまった。
(ベトナム戦争)
証跡博物館でもらったパンフレットにはベトナム戦争についての写真がたくさん掲載されている。
その中でいかに人民そしてアメリカ人に,おおくの被害をもたらしたかもふれられている。
アメリカ政府は785万トンのバクダンをおとし、7500万リットルの枯葉材をまいた。
戦争に使った費用は3520億ドルだったそうだ。
300万人のベトナム人が死亡,400万人のベトナム人が負傷,して58000人のアメリカ人が死亡した。
お買い物
ホーチミンの戦争の後を引きずりながら,私たちは買い物に向かった。
統一会堂ではアセアンの催しものをやっていた。その中を通りながらパスター通りを歩き始めた。
ここは今,はやりの雑貨やベトナムの洋服の店がたくさん並んでいる。
最近のホーチミンブームで日本の雑誌にもたくさん紹介されている店だ。
私たちもいくつかの店にはいってお土産を買った。
SXS(エスバイエス)でYURIはBAGをかった。黒の布にバラの小さな刺繍が施されている。
ちょっとしたお出かけ用。これで3000円くらい。本当に安い。この店は代官山にすでに支店をもっているそうだ。
次にZAKKAにいった。ここは必ず雑誌にも紹介されている、日本人経営の店。
女の子に人気のでそうな、BAGとサンダルのセットなどがうられている。
あまりにも日本人が多く私たちは早々に店を退散。
少し歩いていると暑くなってきた。
有名なバクダンアイスの店に行く。同じ店が何軒か点々としている。
ココナッツの中にアイスがたっぷり。フルーツと一緒に入っている。
26400ドンつまり264円。
大きいし,途中でココナッツの果肉をくりぬきながら食べるとおいしい。
これはおすすめ。
さて、もう一度買い物に戻ろう。
近くにある百貨店に行ってみる。ここで刺繍のテーブルセンターをお土産にかった。
こういうちょっとしたものが安くて手にはいるのだ。
さらに下の食料品のところでKOJIROが大好きなフォーガーをたくさん買い求めた。インスタントのフォーガーは
ハノイで買うよりも安かった。また、見たこともないお菓子も買った。
こういうマーケットでかうお土産は地元らしくて他ではみつけられない。
もう一つお目当てがあった。
レゼピス。ガイドブックで見たときに絶対行きたかった店の一つだ。
スパイスやJAMがバチャン陶器に入っている。
私が買ったのも、カレーやチリなどのスパイスがバチャン陶器に入れられて,ハートのかごにセットされて
いる。ここは外国人向けのため,値引きもなく、値段も結構たかかった。
ホテルに戻る前にインテリアのオーセンティックにも寄った。
バチャンの焼き物がかなり高い値段で売られていた。
ディスプレイがさすがにきれいだったが、すっかりベトナム価格になれた私たちにはどれも高く感じられた。
ホテルに帰る時には両手にいくつもの袋を抱えていた。
マジェスティックホテル
ドンコイ通りをサイゴン川にむかって行ったところに私たちがとまったマジェスティックホテルがある。
1925年創業の白いコロニアル建築気品のある建物だ。
1995年に全面リニューアルをしてさらにきれいになったらしい。
私たちはCREAという雑誌でこのホテルエントランスの美しい写真をみて
どうしても泊まりたくなったのだ。
ピースインツアーがこのホテルのセット(一泊+空港へのお迎え)をやっていたので
それを利用した。リバーサイドの部屋とお迎えをいれて1人15800円。延泊で1人5500円だからかなり安い。
最近は日本の旅行代理店が企画したツアーでもこのホテルを利用しているようだ。
部屋は広く,バスルームもゴージャスだ。
TVはもちろん日本語もやっている。部屋に帰ってベッドに横になりながら疲れをとる。
ちょうど夕方で,中国語で日本のドラマの放送がされている。竹ノ内豊が出ているドラマだ。
ベトナム最後の夜
18:30になった。ベトナム最後の夜。
本来なら最後の夜にベトナム料理を選ぶべきだが,さすがに私たちも疲れが出てきていた。
ホテルの近くのイタリア料理サンタルシアにむかう。
パスタはなかなか美味しかった。
本格的なイタリアンだ。
入ったときにはまだすいていたお店も,食べ終わったときには満員になっていた。
ホテルに戻ってそのままブリーズスカイバーに立ち寄った。
ここは5Fホテルの最上階にあるオープンバーだ。サイゴン川を眼下にみれる。生のバンドも入っている。
人は閑散としていたが、その分ゆっくりとくつろぐことが出来た。
マンゴジュースと333(バーバーバー)ビール。
ここで2人とも激動のベトナム旅行についてゆっくり話すことができた。
日頃忙しくてなかなか話がゆっくり出来なかったが,この時間は貴重な時間になった。
サイゴン川をみると、クルーズの舟がライトアップしている。
魚の形のデザインの舟はたくさんの客をのせて出向していった。
下の道は車やバイクの音がブンブン響いている。
しかし、ここは別世界。
夜景を見ながら風に吹かれていた。
その夜,2人はオナカをいため大変な目にあうのだった・・。
(全然ロマンチックじゃない。原因は氷?緊張がとけたこと ?)
ホーチミンの最後の夜は,トイレを流す水の音と共にあけていった。