横浜市の「金沢」という地名は、金沢文庫所蔵の「伝法灌頂雑要抄」という史料の奥書に、正嘉二年(1258)「倉城(久良岐)郡六浦庄内金沢村」と出てくるのが最初で、その当時はカナザワではなく、カネサワと読んでいました。 鎌倉時代、畠山重忠等の一族に関係のある秩父郡金沢村から、幕府がおかれた鎌倉に近いこの地に多くの鍛冶匠が、地名と共に移り住んだことから、カネサワと読んだとする説や、単に、この地に鉄分を多く含んだ水の湧き出る沢が多かった、という意味で名づけられた、とする説があります。