
みなとみらい21の歩み・みなとみらい21へ
E・モレルのレリーフ
1号ドック・2号ドック・旧横浜船渠のエアー・コンプレッサー
汽車道・赤レンガ倉庫
新港橋梁
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「みなとみらい21計画」は、三菱重工の跡地、約33.5ヘクタールを中心に、新港埠頭地区、旧国鉄高島ヤード地区、旧国鉄東横浜貨物駅地区及び桜木町地区や横浜駅地区など合計110ヘクタールに、新しく横浜市による海面埋立76ヘクタールを加えた186ヘクタールを加えた臨海部に国際文化都市を建設しようという計画で、昭和56年に一般公募により命名されました。 昭和38年計画、昭和40年発表、昭和58年着工、平成元年にこの地で横浜博覧会が開かれています。 現在、まだまだ空き地が目立ちますが、ランドマークタワー、横浜美術館、日本丸メモリアルパーク、国際会議場、パシフィコ横浜、みなとみらい21横浜館などが建ち並び、近未来都市の景観が拡がっています。 |
横浜駅から3番線の京浜東北線に乗り、次の桜木町駅で下車します。
進行方向左側にみなとみらい21地区の景観が拡がっています。
| 桜木町駅のホームから改札口へ降りると、駅の構内に明治初期から大正初期にかけての旧横浜駅(現在の桜木町駅)の写真資料が展示されています。 この資料を見ると、現在の横浜駅周辺は海であったことが解ります。 また、イギリス人のお雇い外国人で、日本初の横浜〜新橋間の鉄道敷設工事を指揮した初代鉄道(兼電信)建築士長のエドモント・モレル氏のレリーフが掲げられています。 氏は、橋梁や枕木に国産の資材を積極的に用い、経費節減や邦人の鉄道技師養成にも専心しましが、1871年の鉄道の開通を待たずに病死しました。 墓地は、山手の外人墓地内にあり、現在の墓石はJR東日本によって新造されたものです。 |
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桜木町駅の改札口を出、左側へ回り込むと動く歩道が伸びています。この動く歩道に乗り、ランドマークタワー直前に進行方向右側へ降りると帆船・日本丸が係留された日本丸メモリアルパークがあります。 日本丸が浮かぶこの場所は、かつて三菱重工の工場内にあった珍しい石造のドックで、2基あったうちの1号ドックでした。 |
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1号ドックは、明治32年5月に完成し、その後、レンガで拡張し、長さ167.8メートル、幅28.5メートル、深さ9.2メートルで、32000トンの船まで造ることが出来ました。 石は真鶴辺りのもので、関東大震災にもびくともしませんでした。 このドックから氷川丸、秩父丸などの日本が誇る豪華客船が進水していきました。 また、作家の吉川英治氏が17歳の時、職工として勤めていたことがありました。 |
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1号ドックのランドマークプラザ側に、2号ドック跡があり、ドックヤードガーデンの名称で、憩いの場として親しまれています。 2号ドックは、明治30年4月に完成し、長さ128メートル、幅18.5メートル、深さ8.3メートル、16720個の相州堅石を積み上げたということです。 イギリス人の土木技師であり、横浜の水道や港湾を設計したパーマーの基本設計で、実施設計は海軍技師の恒川柳作が当たったということです。 |
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2号ドックから日本丸が浮かぶマリタイムミュージアムの入り口へ行くと、「旧横浜船渠のエアー・コンプレッサー」があります。
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この機械は、1918年アメリカニューマチック・ツール社製の空気圧縮機(エアー・コンプレッサー)で、空気を吸い込み、圧縮し、造船や船の修理に必要な空気圧で動くさまざまな工具や機械に高い圧力の空気を送る機械です。この場所は、三菱重工業渇。浜造船所の跡地でしたが、その前身の旧横浜船渠鰍ェ造船事業に進出する際に購入したものでした。造船所がこの地から移動する65年間、稼動していました。横浜の造船の歴史を物語る貴重な資料となっています。 |
「旧横浜船渠のエアーコンプレッサー」の右側に「汽車道」が伸びています。
| 汽車道は三菱重工跡地から新港地区(旧新港埠頭)へかかる旧鉄道路線を利用した遊歩道です。 ここには、三つのトラス橋(三角形の構造で構成される橋)が架けられています。 日本丸側の二つは、1907年にアメリカで製作されたもので、新港地区側のものは、北海道の夕張橋梁を大岡橋に転用し、更に移築保存しているものです。 新港地区側のものは、日本丸側の2本の橋より古いイギリス系トラス橋の様式を伝えています。 |
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汽車道を道なりに進むと、「赤レンガ倉庫」が見えてきます。
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赤レンガ倉庫は、新港埠頭が横浜港初の本格的な近代港湾として明治三十七年に着工されたことに伴い、その付属施設として建設された二棟の倉庫でした。 1号倉庫と2号倉庫の2棟があり、神奈川県立歴史博物館(旧・横浜正金銀行本店)を設計した妻木頼黄の手によるものです。 2号倉庫の方が古く、明治40年11月着工、同44年5月に竣工し、1号倉庫は大正になってから完成しましたが、間もなく関東大震災で、半分以上が焼失、倒壊してしまいました。 |
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| 延長149メートル、幅22メートル、高さ18メートルの圧倒的な存在感を持ち、2号倉庫だけでもイギリスから輸入した3167500個のレンガが使われています。 赤レンガ倉庫と周辺の「赤レンガパーク」が平成14年4月12日、全面的に改装され、オープンしました。赤レンガ倉庫1号館は、横浜らしい文化の創造と発信、賑わいを創出する場として多目的ホールとなり、2号館は、食文化を中心にエンターテイメント性あふれる賑わいの空間として個性豊かな飲食店やファッション雑貨店など約30店が入りました。 どちらも、外観、内部共に倉庫として利用されていた当時の雰囲気を活かしています。 「赤レンガパーク」は、旧横浜税関跡の遺構や旧横浜港駅のプラットホーム花崗岩舗道を保存、活用しています。水際線からは、港の景観を楽しむことが出来ます。 |
「赤レンガ倉庫」の前面の「開港の道」プロムナードを進むと、「新港橋梁」があります。
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中区新港1丁目から海岸通1丁目に架かるこの橋梁は、旧横浜臨港鉄道が新港税関事務所を経て、大桟橋に至るために建造されたものです。大正元年(1912)、初期の国産トラス橋として大蔵省臨時建設部の設計、浦賀船渠の施工で建設され、当時の英国式トラス橋を模倣しながらも、剛性を高めるための改善をしています。現在では、「開港の道」プロムナードの一部となり、鉄道橋梁技術の変遷を知ることができる貴重な橋梁群の1つとなっています。 平成14年(2002)11月に横浜市認定歴史的建造物に指定されています。 |
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国際文化都市であるみなとみらい21は、最新の町でありながら、横浜の最も古い遺産を現在に贈り物として届けている町でもあるのです。 ※ 「みなとみらい21・過去からの贈り物」はこれで終わりです。 「新港橋梁」以降は、三菱重工跡地のランドマークプラザやクィーンスクエア、新港地区のワールドポーターズでショッピングを楽しんだり、海岸通りへ出て、西洋建築を訪ねてみるのもいいでしょう。 |
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| 参考資料 | 「都市ヨコハマ物語」 田村明著 時事通信社刊 「横浜散歩 24コース」 山川出版社刊 神奈川県高等学校教科研究会 社会科部会歴史分科会:刊 「都市の記憶」改訂第3版 横浜市教育委員会 文化財課 横浜市都市計画局 都市デザイン室 |