
三渓園の歩み
外苑(旧燈明寺三重塔・旧東慶寺仏殿・旧矢篦原家住宅・旧燈明寺本堂)
内苑(白雲邸・臨春閣・月華殿・天授院・聴秋閣・春草廬・旧天瑞寺寿塔覆堂)
お問い合わせ・ご案内・交通
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三渓園は横浜市中区本牧に造られた17.5万平方メートルの広大な日本庭園です。歴史も浅く、城下町でもなく、西洋文化が薫る横浜に、なぜ、開港はるか以前の日本建築が点在するこれだけの名園が営まれたのでしょう。 横浜に港が開かれても、初めのうちは一体、何が、異人に売れるのか、全く解りませんでした。 生糸の売買は、開港翌年の万延元年(一八六〇)年八月、甲州商人の伏見屋忠兵衛が、本町の芝屋清五郎を介して、海岸七番のイギリス人ロスバルベルに売ったのが最初と言われています。 |
| ひとたび生糸が取り引きされ始めると、外国人達が極めて絹を好むことが解り、戦前まで我が国の輸出の主要製品となりました。 武蔵国(埼玉県)児玉郡若泉村の豪農の家に生まれた原善三郎は、当初、生糸を上州、甲州などの原産地で集め、横浜へ運び、数日滞在して横浜の商店を通じて荷をさばく荷主でしたが、開港の翌年、あるいは二年後に亀屋と称し、横浜に進出しました。 横浜経済のリーダーへと成長した原善三郎が本牧に購入した土地を、後年、養嗣子の原富太郎が私財を投じて名園に仕立て上げました。 |
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地形が三つの渓(谷)をもつことから、三渓園と名付け、原富太郎自らも原三渓と名乗りました。 原三渓は、単なる実業家ではなく、書画をよくし、美術品の収集家であり、美術家、文人のパトロンでもありました。 庭園となった三渓園は、明治三十九年、一般に公開、戦災は免れたものの、戦後の混乱で庭は荒れました。昭和二十八年、原家から横浜市に寄付され、現在は、財団法人三渓園保勝会によって維持管理なされています。 |
このように三渓園は、生糸貿易の遺産であり、横浜市内の文化財建造物十五件のうち、十件が広く、閑静な園内に集められているのです。
三渓園の正門前で入園・観覧券を購入し、正門から入園します。交通等、詳細は末尾にてご紹介します。
(三渓園には本牧市民公園に面した南門もありますが、こちらは平成十一年秋頃まで工事中で、閉鎖されています)
正門を入り、蓮池と大池の間の遊歩道を歩いていき、内苑入口を右に見ながら、雁ヶ音茶屋と月影の茶屋の前の二またに分かれた遊歩道の左側を登っていきます。こちらが外苑になります。

鬱蒼と木々の枝が繁った小道を登っていくと、二またに小道が分かれ、右へ行くと松風閣へ行き当たりますので、左へ進みます。
間もなく、出世観音という石仏が鎮座し、その向こうに「旧燈明寺三重塔」が木々の緑にとけ込むように建っています。
| 燈明寺 京都府相楽郡加茂町にあった日蓮宗寺院で現在は廃寺となっています。天平七年(七三五)僧行基が創建、貞観五年(八六三)に清和天皇の勅願寺となり、南北朝の動乱で荒廃後、康正三年(一四五七)に天台宗の寺院として再興。日蓮宗への改宗は、寛文元年(一六六一)で、このときに寺号を「東明寺」から「燈明寺」に改めました。 |
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瓦葺の三重塔で、純粋な和洋からなっていて、禅宗様の影響は全く受けていません。 建立時期を知る明確な資料はありませんが、古代の塔は初層に比べて、最上層をかなり小さく造るため、安定感がありますが、近世の塔はその差が小さいため、やや寸胴で安定感に欠けます。 こうした観点から、この塔は室町時代も初期のころ(十四世紀末〜十五世紀初期)の建立と考えられています。 |
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旧燈明寺三重塔を過ぎ、右側の石段を下りきると、右へ曲がります。寒霞橋と名付けられた小さな橋を渡ると、小道が二またに分かれますので、まず、右へ進みます。すぐに、「旧東慶寺仏殿」が見えてきます。
| 東慶寺 北条時宗の夫人、覚山志道尼(かくざんしどうに)を開山と伝える縁切り寺として有名な鎌倉尼五山の一つ。室町時代には代々足利家の女子が住持を勤める格式の高い寺でした。 しかし、創建から江戸期に至るまでの資料はほとんど伝わらず、その経緯は明らかではありません。 |
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旧東慶寺の仏殿は、徳川二代将軍秀忠の息女・天樹院千姫によって、寛永十一年(一六三四)に建立されました。 仏殿の基本的な形式は、中世の中規模禅宗様仏殿と同じですが、組物は簡略化され、また、内部は一面に格天井を張るなど、江戸期の好みも随所に見られます。しかし、全体的に室町期の様式を色濃く残しています。 現在の屋根は寄棟造茅葺きで軽快な印象を受けますが、本来は入母屋造の重厚な姿だったようです。 |
旧東慶寺仏殿の左隣に、「旧矢篦原家(やのはらけ)住宅」が建っています。
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矢篦原(やのはら)家は、庄屋も勤めたことのある上層農家です。 この規模の大きな民家は、庄川に沿って白川村よりさらに上流、荘川村(岐阜県大野郡)の合掌造民家で、江戸時代(一七五〇年頃)の建築です。 |
| 代官などの賓客を迎える客座敷は充実していて、六畳敷の玄関を上がると、一間半の床の間を備えたヒロマ(十二・五畳)、ナカノマ(十畳)、オクザシキ(十畳)と続きます。 それぞれの部屋境には櫂に錨、扇面散らしなど、くだけた透彫の欄間彫刻がはめられています。 オクザシキ書院は花頭形とするなど、数寄屋風の意匠も取り入れ、洗練度の高い書院造の座敷構えを見せています。 |
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家族が居住する場は、二十四畳ほどもある広々としたオイエと呼ばれる空間が中心です。 瀟洒な客座敷に対して、こちらは太くがっしりとした柱や梁を縦横に組み上げ、民家らしく力強い空間構成になっています。 屋内には、飛騨地方の農具、民具が多数、展示されています。 普段、目にすることの出来ない江戸時代の上層農家の生活にふれてみて下さい。 |
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旧矢篦原家住宅を出て、田舎屋風草庵である横笛庵(画像データー)の前を通り、待春軒という茶屋を過ぎると、すぐ右側に「旧燈明寺本堂」があります。 |
| 室町時代初期の建築とされる本堂は、昭和五十七年に燈明寺から三渓園へ移築されました。 内部は、外陣を吹放しにし、内陣の周囲には、直径一・六尺もの太い柱を立て、上部の大きな虹梁とともにがっしりとした造りになっています。内陣、外陣の境は全て格子戸引違、上部を菱格子の欄間とするのは、中世密教本堂の典型的な構えです。 内陣に安置された三間の春日厨子は我が国最大で、全面、黒漆塗で、細部に施された極彩色が映えます。 |
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旧燈明寺本堂の前の小道をそのまま進み、三渓園天満宮の前に拡がる大池に架けられた観心橋や中島を渡り、雁ヶ屋茶屋と月影の茶屋の前へに戻ります。そのまま内苑の入口に進み、内苑を訪ねましょう。
内苑へ入るとすぐに御門が建てられています。
この御門は京都の西方寺にあったと伝えられている薬医門で、宝永五年(一七〇八)頃の建築です。
御門をくぐると、すぐ右側に「白雲邸」が建ちます。
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| 玄 関 | |
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白雲邸は、原三渓が大正九年(一九二〇)隠居所として建てた数寄屋風建築で、明治以降における和風建築を代表するものです。 建物の構造は単に居宅としてだけではなく、美術品の鑑賞や接客などの目的を兼ね備えた配置や間取りになっています。 (毎年8月1日〜16日一般公開) |
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| 談話室 | 奥書院 |
白雲邸の隣には、「臨春閣」があります。
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臨春閣は、大正四年に三渓園に移築されました。 それまでは慶安二年(一六四九)造営の紀州徳川家の別邸・巌出御殿(いわでごてん)であろうと考えられています。 宝暦十四年(一七六四)に紀州家より泉州佐野の豪商・飯野家に下賜され、大阪・春日出新田(現在の此花区四貫島付近)に移築され、後に原氏の手に渡りました。 |
| 紀州徳川家 紀伊国(和歌山県)和歌山に藩庁を置き、関ヶ原の戦いの後、慶長五年(一六〇〇)浅野長政の長男幸長(よしなが)が入国したことに始まりました。 元和五年(一六一九)徳川家康の十男頼宣(よりのぶ)が藩主として入国し、御三家紀州徳川家が成立しました。 以後、第十四代藩主松平茂承まで続き、廃藩に至ります。 |
現在、我が国に残る唯一の大名別荘建築で、屋内の障壁画は狩野伝永徳・伝山楽・探幽らの筆になるものです。
向かって右手の玄関側より、第一屋・第二屋・第三屋の三棟の建物からなりますが、二階造の第三屋は、三渓園移築前は第一屋の右側に建てられていました。
第一屋は取次や警護の家臣が詰める遠侍、第二屋は面会所で、南側は内苑池にかかり(巌出御殿時代は紀ノ川にせり出していたもの)、開放的な数寄屋風の造りです。
第三屋は、欄間に笙(しょう)などの楽器や百人一首の色紙形を散りばめるなど、自由な意匠から居間に用いられていたようです(毎年8月1日〜16日一般公開)
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第一屋:瀟湘の間 狩野常信(1636〜1713)筆 波文様の欄間 桃田柳栄(1647〜1698)下絵 |
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第二屋:琴棋書画の間 狩野探幽(1602〜1674)筆 |
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第三屋:天楽の間 狩野安信(1613〜1685)筆 |
臨春閣・第三屋の左にある遊歩道を進み、石段を登り始めると、「月華殿」が見えてきます。
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月華殿は、大正七年に三室戸寺金蔵院の客殿を移築したものです。 三室戸寺では宇治の茶商・上林三入が慶長八年(一六〇三)に家康再興の桃山城の遺構を下賜され、それを寺に寄付したものがこの客殿と伝えています。簡素な書院造で、主室である檜扇の間にも一間の床の間がつくだけで、違い棚も書院もありません。意匠的には吹き寄せの腰障子が見所です。 |
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| 三室戸寺金蔵院 京都府宇治市菟道滋賀谷にある修験宗の寺院です。宝亀年中(七七〇〜八一)光仁天皇から千手観音を御室に賜ったので、御室戸寺といい、行表(一説円珍)の開基といわれています。 鎌倉時代以後は衰退し、寺地も移転しました。 文明年中(一四六九〜八四)現在地に移り、現存の建物は江戸時代のものです。 |
月華殿のすぐ傍らに「天授院」が建っています。
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この堂は、明治末年に原三渓が鎌倉より買い取り、持仏堂として使用していたものです。 由緒は明らかではありませんが、慶安四年(一六五一)の建築で、建長寺の近く巨福呂坂に面して建つ心平寺の地蔵堂と考えられています。 大衆信仰の仏堂であったらしく、禅宗様ではあっても仏殿の形式とは異なっていて、板敷きの床に、かつては縁、高欄を巡らせていました。また、内外とも黒漆塗であったということから、素木造の仏堂が多い鎌倉では、一際、目を引いていたことでしょう。 |
天授院の前の坂を下りていくと、左側に「聴秋閣」が木々の枝の向こうに見えてきます。
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| 聴 秋 閣 | |
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元和九年(一六二三)、三代将軍家光の命により、佐久間将監は二条城内に三笠閣という茶屋を建てました。その後、この茶屋は家光の乳母・春日局に下賜され、局の孫である稲葉正則の江戸下屋敷に移され、近代に入り、二条公邸への移築後、大正十一年に三渓園に移され、聴秋閣と改められました。 | ![]() |
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一階の茶席の構成は複雑で、土間、床の間、棚、床の間に斜めに取りつく書院、階段室からなっています。土間には珍しい木製のタイルが貼られ、くつろいだ茶の席を演出しています。 二階は実用性のない二畳ほどの小さな座敷で、外観を整える要素として織り込まれたものと考えられています。 |
聴秋閣を過ぎ、遊歩道が二またに分かれますので、左へ入ります。すぐに「春草廬」が目につきます。
| 三室戸寺金蔵院の客殿に付属する茶室で、月華殿とともに三渓園に移築されました。 織田信長の弟で、茶人の織田有楽斎の作と伝えられています。 土庇下の躙口(にじりぐち)を入ると、内部は竿縁天井を張り、点前座だけを駆け込み天井としています。周囲には、大小さまざまな九つもの窓が開けられ、本来の名称である「九窓亭」の由来となっています。 |
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遊歩道を進み、再び内苑池の畔に出ると、「旧天瑞寺寿塔覆堂」が建っています。
| 天正十六年(一五八八)、豊臣秀吉は母・大政所の病気平癒を祈って京都の大徳寺山内に塔頭・天瑞寺を創建しました。そして母のさらなる長寿を祈願して、同寺内に寿塔(生前に建てる墓塔)を建て、これを覆堂内に納めました。 天瑞寺は明治七年に廃寺となり、この覆堂は大徳寺内の瑞光寺、黄梅院を経て、明治三十五年に三渓園に移築されました。墓塔は総高九・六五尺の石造宝塔で、現在も竜翔寺(旧天瑞寺)の境内に残されています。 |
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寿塔覆堂は方十二尺の小さな建物ですが、江戸初期以降、盛んに造られる霊廟建築の先駆けとなりました。欄間や扉などに見られる彫り物は天人、迦陵頻伽、琵琶、笙、笛、太鼓などで、仏が来迎する際の光景を表現しています。 |
旧天瑞寺寿塔覆堂を過ぎ、臨春閣の前を通り御門へ向かうと、右側に三渓記念館が建っています。
三渓記念館では、三渓園の創設者・原三渓及び三渓園に関する資料や美術工芸品等を展示しています。ロビーでは「三渓園の四季」等のビデオを上映しています。
御門をくぐり、内苑を出て、大池に沿って歩くと、正門に戻ります。
「三渓園・日本建築探訪」はこれで終わりです。
三渓園からはマイカル本牧も近く、ショッピングを楽しんでみませんか?
| (財)三渓園保勝会 |
| 〒231-0824 横浜市中区本牧三之谷58番1号 |
| п@045-621-0634〜5 |
| 開園時間 | 9:00〜17:00(入場は16:30まで) | |
| 入園料 | 大人(中学生以上)500円 こども(小学生)200円 | |
| 団体料金(20名以上)一般2割引/学生5割引 | ||
| 65歳以上の市内在住者 無料 | ||
| 横浜市発行の長寿のしおりを提示 | ||
| 65歳以上の市外在住者 300円(団体割引なし) | ||
| 障害者(市内外とも) 本人および介護者1名まで無料 | ||
| 障害者手帳を提示 | ||
| ・回数券5枚つづり 大人2000円/こども500円 | ||
| ・年間パスポート 4,500円 | ||
| 駐車場 | 乗用車500円 バス1,000円 | |
| 休園日 | 12月29・30・31日 |
| JR根岸駅より | 市バス54,58,99,101,108系統 | 「本牧」下車 | 徒歩7分 |
| 横浜駅東口より | 市バス8,125系統 | 「本牧三渓園前」下車 | 徒歩3分 |
| 参考資料 | 「都市ヨコハマ物語」時事通信社刊・田村明著 パンフレット「横浜三渓園」・(財)三渓園保勝会発行 「かながわ建築探訪 〜文化財建造物写真集〜」・神奈川県教育委員会編 |