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泉佐野 新町布団太鼓・野出町布団太鼓を写真と説明文で紹介致します。
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泉佐野 新町布団太鼓 |
泉佐野 新町布団太鼓 詳細 新調 明治末期〜大正初期頃 彫師 開 正藤 材質 欅(一部紫檀) 新町の太鼓台は、明治の末から大正初期にかけて新調されたもので、 有志の方々の寄付によってできたものです。 彫師は世に「中興の名人」と評され、「正藤ノミを選ばず」と言われた 淡路の名匠開正藤である。 一度ノミを握ると「天馬空を跳ぶが如し」の早さで彫り刻んだと言い伝えられている。 (枡合の彫物の隅に「正藤」と書かれて、印章も残っている) 正藤の手により、枡合の「補正成の雄姿」をはじめ、到る所に芸術的とも言える彫刻が 施されている。 布団締メは、昇り龍と降り龍で、他の布団締メより幅が広く、大きく作られており、 平成十一年大修理を施し、装いも新たに平成の時代に蘇った。 締め金具は、「新」と「町」に分かれていて、台木を包むような形に作られている。 また、平成十二年には、格納庫も新築されています。 (大阪の太鼓台より) |
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泉佐野 野出町 布団太鼓 |
泉佐野 野出町 布団太鼓 詳細 新調 明治三十二年(または明治三十三年) 彫師 寺田 夘ノ松(二代目高松彦四郎門下) この太鼓台は、明治三十二年に新調されたもので、西暦で言うと、千九百年にあたり、 百年にわたり、野出町の祭りの主役を演じてきている。 大工棟梁は不明であるが、彫物師は、浪速彫物師二代目「高松彦四郎」 名匠一門の名工「寺田 夘ノ松」である。 平成十一年屋根廻りを修理する時に、屋根板をめくってみると、枡合裏に 次のような墨書きが見つかっています。 (1)枡合正面裏 明治三弐年二月初日 岸和田本町ニテ彫刻す。 (2)右正面裏 浪花彫物(刻)師 寺田人一作 (3)左正面裏 彫物(刻)師 浪花住人寺田宇ノ松作 明治三弐年十二月吉日 ※ 後面には、大石内蔵助他四十六名の義士の名あり。 (枡合、虹梁は、忠臣蔵で統一されている) 当時は、泉南郡佐野村野出町と言われし頃で、世話人は言うに及ばず、 濱仲や町民が協力しあって新調したものである。 元締、世話人、若頭等の名前が太鼓台の天蓋の巻物 (鳳凰が巻物を衡えている彫物)に掘り刻んである。 昭和三十一年には、大修理がなされ、四本柱と高欄等を紫檀に取り替えている。 布団締めは、二本締メで、昇り龍と降り龍を黒の羅紗地に金糸で刺繍がしてあり、 締メ金具は、「野出」と打ち出してある。 平成十年には、布団閉メの昇り龍と降り龍の八本を修理するとともに、 四隅の大總を修理した。それまでは、赤色の大總を使っていたが、 この時に白色にかえたものである。また、布団四隅の網の新たに白網に替えた。 野出町は、組織がしっかりしており、太鼓台の保存状態も良く、 格納庫も平成十一年に新調しているなど、太鼓台を担ぎ保存する状態は、 かってないほど良くなってきており、今後ますます祭りを盛んにしていきたいと 考えている。 (大阪の太鼓台)より |
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