2003夏・九州帰省
〜事故後初めての帰省〜

祐生と純生は九州の実家が大好き。純生が事故に遭うまでは2人だけで帰省もしていました。九州にはお父さんとお母さん双方の実家が車で5分位の距離にあり、従兄妹達も沢山近隣にいるし、幼馴染の大介と太一がいる別府にも近いからです。

今年は曾じいちゃんの13回忌があるので家族揃って3年ぶりの帰省をすることにしました。新幹線か飛行機か車か・・・色々と考えた末新幹線にしました。

新幹線・・・東京駅も小倉駅も改札口を通らずに業務用エレベーターでホームまで行きました。便利なのか、特別扱いなのか、早いのか、遅いのか・・・評価は難しいですね。それと車椅子利用による多目的室は予約するんですね。手書きの特急券には11号車14列A・Bと書いてありました。JRの案内(車内や時刻表)には「車椅子でのご利用や赤ちゃんへの授乳時、気分のすぐれないお客様向けに、多目的室を設置しています。ご利用の際には車掌までお申し付け下さい」とあり、何度も赤ちゃんを連れたお母さんが怪訝(けげん)そうに覗いていきます。予約席って明示してほしいなぁ。気を使っちゃったよ。
8月8日
自宅を8時に車で出発です。普段加圧リハで川崎に行く時は都内まで早くて30分、渋滞でも1時間少々なので2時間前に出れば大丈夫だろうと・・・・甘かった。通勤の大渋滞で途中の北千住まで1時間、南千住まで1時間20分もかかり、新幹線のぞみの出発時刻9時53分が刻々と迫ってきました。入谷で9時30分になったときは完全に乗り遅れたと諦めかかりましたが、一か八か首都高速に上がり、1区間だけ目一杯飛ばして日本橋で降り、東京駅になんとか9時40分に到着。「車を駐車してくるから間に合わなかったら3人で先に帰ってて」と言い残して、母・兄・純生を降ろして、呉服橋の中央パーキングに駐車して9時45分。東京駅ホームまで走り続けた父がのぞみに乗り込んだのは発車1分前。なんとか4人揃って帰省することができました。この日は台風10号が九州から四国に進んでいて、ネット仲間からも心配してもらったのですが、小倉までの道中では風も雨もなく快適な4時間半でした。
小倉駅に到着すると(母方の)おじいちゃん、おばあちゃん、叔父さん、従兄妹達が迎えに来てくれていました。小倉祇園太鼓の前でパチリ。

久しぶりの再会に皆が「純生元気になったね〜。大きくなったね〜」と喜んでくれました。
8月9日
実家はバリアフリーではありません。家の中に車椅子で入るのも、布団に横になるのも、普段の生活と違って大変です。(母方の)ご近所が介護用のエアーマットを貸してくれてとても助かりました。

午後からは地域の介護関連施設の空き時間を利用して入浴サービスをボランティアで引き受けていただき、送迎と施設の貸出しを受けました。実家ではなかなか入浴させられないので純生はとても喜んでいました。ありがとうございました。

夕方から曾じいちゃんの法事があり、沢山の親戚達に混じって純生も参加しました。法事のあとのご馳走に純生は大満足。従兄妹達からも大好きなエビフライをもらいました。
8月10日
今日から母と兄は別府の幼馴染のところに遊びに行く予定でしたが、昨日から父が腰痛になり、純生の介護が一人ではできなくなったたので取りやめになったので、皆で(父方の)実家でのんびりと過ごしました。純生はおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に納屋の前で「グッドラック」。

実家は田んぼに囲まれ、烏滑鶏がたくさん放し飼いにされています。純生は元気な頃にはこの自然の中で遊びまわっていたんだなぁ、としみじみ思いました。今回は天気が悪くて外に出られなくてかわいそうでした。

夜になって、父は兄と従兄妹達を連れて深夜の徘徊・・・車で本屋やゲーム屋、コンビニへ行きました。兄にとっても楽しい夏休みになったかなぁ。


8月12日
今日から母方の実家に移動(と言っても車で5分)です。日曜大工の得意なおじいちゃんが丈夫なスロープを作ってくれていて、とても簡単に家に入ることができました。

やはり天気が悪くて、ビデオを観たり、お話したりして過ごしました。毎食のご馳走に何だかいつも食べているような錯覚があります。だからいつも純生はニコニコ。

純生と同じ年の従兄妹が「純生がいると優しい気持ちになれる。純生がいて良かった。」と言ってくれたことが僕達がいつも感じていることだったからとても嬉しかったです。

父はその夜同級生が2人訪ねてきてくれてプチ同窓会で酔っ払ってしまいました。
8月15日
楽しかった1週間もあっという間に終わってしまい、いよいよ草加に帰る日になりました。

兄は「九州に住もうかなぁ」とよほど癒されたようです。冬休みは一人でも帰省すると決めたようです。

純生もすっかり北九州弁になってしまい「肥えちょるのう」「ハゲちょるのう」と連発です。

そのほかにも、雷がすごくて電気を全部落として居間で皆で固まっていたこと(何度も落雷にあっている家なので)や、父方の祖母が脳貧血で倒れて往診騒ぎがあったことなど、色々と心配なことや、楽しいことや、嬉しいことが沢山あった1週間でした。家族全員が癒された帰省でした。

純生も皆に「また帰ってくるよ」と言っていました。次はもっと元気なって帰ってこような。






(実家の在来線もバリアフリー化)