さるさわ雑記

                              by 小林 篤
                                                      
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   年寄りがボケ防止のために開いている、教育書の読後感を中心にした雑記帳の
  サイトですが、最近は読みたい本も少なく、また読む意欲も失くなってきました。
    そんなわけで、年末には模様替えしたいと思い、考えています。

  

〈09・11・16〉朝日歌壇 「もっと絵を入れてほしいと言はれたる思想史講義いよよ難し 
                   神奈川 中島さやか」
選者 永田和宏(第9席)
 私も現役時代、テキストを学生に配ったら「字ばかりじゃん」と言う学生がいてガックリしたことがあった。しかし、かく言う私も、最近の文字ばかりの本にはウンザリ。伝記本でさえ、顔写真1枚ない本もある。あまりといえばあまりの手抜き。


〈09・11・3〉正倉院展、阿修羅展10万人突破
 正倉院展は開幕8日目の10/31、入場者10万人を突破、隣りの興福寺で開かれている阿修羅展は18日目の今日、10万人に達するという。私はすぐ近くに住んでいて、もうこれまでに何回も観たので今回はパス。
 【追記】正倉院展は11/12閉幕。入場者は過去最高の約30万人。驚異的な数。阿修羅展は11/15に20万人に。11/23まで。


〈09・11・1〉三遊亭円楽死去ー天声人語
 10/29円楽さん死去、76歳。11/1の天声人語ー円楽の言葉として、「人物をきちっと描写する。根底はリアリズムです」と落語の基本を語っている。
 いまアララギ短歌について調べているが、アララギの基本がリアリズム。落語でもリアリズムという言葉が使われていることを知ってびっくりした。談志とか円楽とか、落語界もすごいインテリがいるものだなぁと感心した。」


〈09・10・25〉「1ヵ月本読まなかった」53% 読売調査
 このところ、新聞に本の記事や広告が目立つと思ったら、10/27〜11/9は「読書週間」だとのことだった。以前は読書週間のキャンペーンが盛んに行われたものだが、最近は静かになってしまって気がつかなかった。
 読書離れも進んでいるようで、読売新聞の調査では、1ヵ月に1冊も本を読まない人が過半数で、私のような年寄り(70歳以上)では70%に上るという。こんな読書録のHPを開いているのは、よっぽど奇特な変人だということであろう。


〈09・10・24〉田中耕治編著『時代を拓いた教師たち』05年,日本標準,1800円
                       
『同上 U』09年、,2000円
 京大大学院教育学研究科の田中耕治教授の門下生23人が執筆。05年の本は、無着成恭、東井義雄、大村はま、斎藤喜博など歴史に残る15名の著名な実践家について、まず代表的な授業記録を掲げ、続いて実践の解説と実践者の履歴の紹介で、1人当たり20枚程度なので物足りない憾みはあるが、要領よくまとまっていて、初学者が教育実践史を学ぶテキストとして有用である。
 この本に対しては、「なぜこの15人なのか」という疑問や注文が出され、そこで新たに17人を選んで書いたのが今年出たUだというが、こちらは初めて見る名前の実践家が多く、これが20枚で解説されているので話が飛んだり省略されたりしてわかりにくい。05年版は保存する価値があるが、09年版はどうでもよいというのが私の評価である。
 驚かされるのは執筆者の数の多さと、その全員が大学の教師になっていること。しかも2冊の本の両方に執筆している人が8人いるが、これらの人たちはみな05年の時は講師だったが、09年にはみな准教授になっている。すごい研究室の勢いである。体育でこれに匹敵するのは、筑波大学時代の高橋健夫一門だったなぁと思った。


〈09・10・17〉日本教育方法学会編『日本の授業研究』09年、学文社、2100円
 「戦後の民間教育研究団体の授業研究の成果」と広告にあったので、当然斎藤喜博ら教科研教授学部会や教授学研究の会の仕事も紹介されていると思って買ったが、18人の執筆者の中に同会の人はいないので嫌な予感がした。それでもパラパラと読んでみたら、案の定、同会の名前は一度も出て来ず、斎藤喜博の名は名前だけが3回ほど出て来るだけで、しかも斎藤の「斎」を「斉」と間違えている。執筆者は聞いたこともない人で、大学院生のようだが、所属も書いてないので何者かわからない。教育方法学会の編集だというが、視野の狭いズサンな本である。


〈09・10・16〉岡井隆×(聞き手)小高賢『私の戦後短歌史』
                           
09年、角川書店、2667円
 いま『事実と創造』という小冊子に斎藤喜博の短歌を巡る話題を連載しているので、いろいろなアララギ歌論・歌人論を読んでいる。これはその中の1冊で、いま歌壇のトップを走る岡井隆に、歌人・作家・編集者である小高賢が、歌人としての歩みを長時間にわたって聞き書きした本。『短歌』07年から08年にかけての連載をまとめたもの。
 長年にわたって岡井の歌集を読み込み、交際も長い小高のインタビューは、岡井の話を巧みに引き出している。インタビューは、このように相手をよく研究し、よく知って行うことによって成功するということを物語っていて、これはインタビューの教則本だと言ってよい。


〈09・10・13〉仲島正教「民主党政権に望むこと」『体育科教育』09年11月号
 隔月連載の巻末エッセイ。免許更新制度が効果を上げていないこと、また新任教師の授業が心に響かないので聞いてみたところ、すぐれた先行実践を見たこともないし実践者の名前も知らなかったという話を枕にして、筆者が衝撃を受けた奈良女子大附小の岩井邦夫先生の「忍者体育」の授業などを紹介し、民主党政権には、教員養成を6年に延長するなどということよりも、本物の授業と出会えるような研修ができる教育環境をつくることを望むとして論を締めくくっている。
 1ページの小さなスペースに、よく引き締まった名文で感心した。小論文の手本としても使える。 

<09・10・12>運動能力は誰でも高められる NHKおはようニッポン
 体育の日。「体育の日」は、やはり10月10日でなければ。深代千之、中村和彦氏らスポーツ科学者出演。子どもの頃からの多様な遊びが運動能力を高めるという当たり前の結論。


<09・10・9>「盗用で岐大教授を懲戒解雇」毎日他
 地域科学部の59歳の教授。『現代福祉学の探求』という著書などで、同大の5人の教員の著書から88ヵ所を盗用したとして懲戒解雇。同教授は採用時に提出した論文にも盗用個所があり、また昨年12月にも別の論文で盗用が見つかったとして停職3ヵ月の処分を受けているという。
 他の人の著書・論文を引用する時は、出典を明記しておけば何も問題はないのだが、この人はそういう基本的な論文作法を知らないのだろう。大学教授と言っても情けない話である。


<09・10・6>穂村弘『どうして書くの?』09年、筑摩書房、1500円
 新聞に短い書評が出ていて面白そうなので買ってみたが、穂村弘という売れっ子(らしい)の歌人・エッセイストの高橋源一郎、長島有、川上弘美というような作家との対談集。
 驚いたのは、しゃべっている言葉は平易だが、何を言っているのか意味のわからない部分が非常に多いこと。詩人や作家の発想は私のような凡俗とはずいぶん違うと思い、正直なところ本代を損したと思った。対談集だというのに対談者の写真もなく文字ばかりで、造本も味気なかった。


<09・10・1>屋名池誠『横書き登場ー日本語表記の近代ー
                            
09年、岩波新書、740円
 これは03年に出た初版の復刻版だそうである。日本の古い文書はみな縦書きなのに、なぜ、いつから横書きが入るようになったのかということを、ありとあらゆる資料を検索して調べ上げた本。
 面白そうだと思って買ったが、「なぜ横書きが」と言ったって、西洋の横書きの文書が入ってきたからで、そんなことは当たり前ではないか、というのが正直な読後感。
 しかしとにかく全国各地の図書館や博物館を巡り、資料を徹底的に探索する著者の姿勢には驚かされた。著者は52歳の慶大教授。


<09・9・25>真宗大谷派住職「お経は日本語で 意味不明でありがたいのか」
                                            朝日 オピニオン私の視点
 
昨日知人の葬式で意味不明のお経を聴いてきたところだったが今朝の新聞に上記の論説が載っていた。論者は泉大津市の南溟寺住職で、漢語のお経と共に日本語でのお経も詠んでいて、特に若者の評判がよいという。いちばんの反対者は宗門の僧侶で、「ありがたみがない」。
 確かに、お経の日本語訳を読んだことがあるが荒唐無稽の内容で、これではとてもありがたみはない。漢字から仮名を発明して「漢字かな交じり文」をつくり出したように、漢文の中に日本語を交ぜる工夫をしたらどうだろうか。


<09・9・21>水村美苗『日本語が亡びるとき』08年、筑摩書房、1800円
 英語が「普遍語」(世界語)になり、その傾向はインターネットの普及でますます加速されている。いずれ漱石の「三四郎」など読んでも理解されなくなり、やがて読まれなくなるという危機感。国語教育では、近代日本文学をていねいにきちんと読む教育をすべきだという主張。 

〈09・9・18〉荷方邦夫「教員養成6年? 修業年限増より多忙解消を」 朝日「私の視点」
 教員養成を「6年+教育実習1年」に改めるという民主党政権の方針に対して論者(金沢美術工芸大准教授)は、それよりも教員の増員の方が教育の質の向上にはより効果的であり、かつ混乱の少ない施策であると主張する。
 私も、基本的にこの意見に賛成。上記の政策だと、教員養成は医師の養成に等しい長期間教育になるが、これだけ苦労して手にする教員免許状に人々がどれほど敬意を払うか疑問である。しかも、医業はよどのボンクラでない限り国家試験をパスして全員就職あるいは開業できるのに、教師の場合は、かりに希望者の倍率が4倍であれば4人に1人しか教職につくことができない。
 それに、去年から始まったばかりの「教員免許更新制」は廃止するというが、そうすると、これまで受講した教師は、その労力がすべてムダになってしまう。
 この問題は序の口で、今後学力テストの問題など次々に「改革」の施策が打ち出されるだろう。現場は大変である。


<09・9・14>『高浜虚子の世界』
 今年は虚子没後50年で、『高浜虚子の世界』(4月、角川学芸出版、1800円)はその記念出版。100名を越える俳人が虚子の句の鑑賞や評論を書き下ろしていて壮観である。
 「愛誦句3句」というアンケートに48人の俳人が答えているが、その結果が面白かった。断トツの第1位は「去年今年貫く棒の如きもの」16人、第2位「白牡丹といふといへども紅ほのか」10人。これは虚子の3女の結婚式の時の句だそうである。
 私が好きなのは、「去年今年〜」と「春風や闘志いだきて丘に立つ」だが、意外にもこれを選んだのは1人しかいなかった。これは新興俳句に対する闘争宣言だそうだが、俳人はこういう闘争的な句は好まないのかもしれない。
 「没後50年、虚子研究はますます盛ん」(石川星水女)だそうで、すごいことである。


<09・9・11>伝記を読む 本の値段
<最近読んだ伝記> 
 私は伝記を読むのが好きで、最近は次の4冊を読んだ。
@吉村克己『満身これ学究 古筆学の創始者小松茂美の闘い』08年12月、文藝春秋、1857円
A牛山剛『夏がくれば思い出すー評伝中田喜直』09年4月、新潮社、1700円
B内田宜人『土屋文明 
その昭和史の風景』09年7月、績文社、2500円
C川村二郎『孤高
国語学者大野晋の生涯』09年9月、東京書籍、1700円
 どれも四六版だが、ページ数は@から順に、310、287、374、279ページで、原稿用紙に換算すると、630、540、650、520枚。これだけの枚数を書くのは大変なことで、どれも力作である。
<軽量な斎藤喜博伝>
 これらに比べると、以前読んだ次の2つの斎藤喜博伝は軽量である。
D笠原肇『斎藤喜博ーその仕事と生き方ー』91年、一莖書房、2500円 (277ページ、490枚)
E横須賀薫『斎藤喜博 人と仕事』97年、国土社、1900円 (183ページ、350枚)
<ずいぶん違う値段>
 AとDはページ数はほとんど同じだが、値段はAは1700円なのにDは2500円もして、約5割高。零細出版社の専門書的な本は、「売れないから高い。高いから売れない」という悪循環である。
<最もすぐれている伝記>
 私が最もすぐれていると思う伝記は、筒井清忠『西條八十』(05年、中央公論新社、2200円)である。ほとんどの伝記は文字ばかりなのに、この本には西條八十の写真が30枚近くも載っている。文章は平易で読みやすくて大衆的だが、各章ごとに参考文献と注がていねいに記されていて、学術書としても十分に評価できる。
 著者は歴史社会学者で元京大教授。「著者から読者へ」として、「つくづくと巨人であったと思う。西條八十という人は。それだけに狭い専門主義の中ではとうていとらえきれない人であったともいえよう。…しかし、本格的な研究のないまま西條八十が忘れ去られたような状態にあることは黙視できることではなかった。こうした状況を打破するためにも本書の執筆はどうしても必要なことであった」とカバーに書いてある。
 著者の志と、その志を実現する力量に深く敬服。