お読みになる前に一言・・・・
INAさんのHP 「素晴らしき僕ら」 の「葛城ミサト貧乏シリーズ」(闇に咲く華〜許されざる者〜預言者日向〜巨大な夢の物語)等をご存知ですと、楽しさが倍増します。
「・・・はぁ」
月に一度の給料日。貰った給与明細を見つめ、ミサトは深い溜め息を漏らす。もう幾度繰り返したか判らない行為だが、それでも溜め息が尽きる事は無かった。
「なぁんで、こぉも銭無いのかしら・・・」
それはアンタの自業自得だろ。周囲の目がそう物語っているが、ミサトは全く気にしていない。コンソールに頬杖を付きながら、目の前で給与明細をゆらゆらと振りながらミサトは物思いに耽っている。
「・・・使徒が来た頃は良かったわぁ・・・残業手当だ危険手当だ出張手当だって一杯付いてたしぃ、経費なんかも使いたい放題だったもんねぇ・・・」
毎度毎度のミサトのぼやきを、発令所の誰も気にはしていなかった。所詮は月に1度、繰り広げられる光景である。青葉やマヤは言うに及ばず、日向すら見向きもしない。誰もが自分の給与明細を見つめて、各自が悲喜交々な光景を浮かべている。まるで、この場に葛城ミサトと言う人間が存在しないかの様に。
「・・・昔を懐かしんでる暇が有るんなら、月に1度でも定時に出勤しなさいよ・・・」
そんな中。だらけ切ったミサトを横目に見ながら、リツコはそう同僚に毒づく。何しろミサトの収入が減っているのは、遅刻癖による減給の積み重ねの結果でしかないのだ。手当てがどうこうと言う次元をとっくに超越している現実を前にしては、今更同情する気にもなれなかった。
「ねぇ、リツコぉ。何か無ぁい?」
「何かって、何が?」
あらかた見当は付いているが、念の為にリツコはミサトに聞く。
「私に向いてて楽で後腐れとか面倒が無くて、しかもどかぁんと大金になりそうな仕事」
「・・・何でそんな事を私に聞くのよ・・・」
ミサトの我が儘で幼い物言いに、リツコは顔を露骨にしかめる。だが、そんな事をミサトは微塵も気にしない。逆にリツコを恨めしそうに見ながら、ミサトは同僚に尋ねた理由を披露した。
「だぁってぇ、リツコ銭持ってそうだしぃ。その証拠に私みたく官舎に入らないで、郊外の高級マンションで優雅に暮らしてるじゃないよぉ」
「・・・そりゃあ私は科学技術顧問だから・・・」
リツコにも、確かに自分が高給取りだと言う自覚は有る。しかしそれは、MAGIとエヴァを管理統括する立場が有っての事だろう。他に出来る者がいないからやっているだけの事で、それに見合った報酬を貰っているだけの事である。エヴァやMAGIの重要性を考慮に入れれば、高給であっても貰い過ぎと言う感覚にはなれない。
それに、それを言うならミサトも同等である。
「って、あなただって作戦部長でしょ?並の職員よりも手当はずっと良い筈じゃない」
「けどぉ、私の給料はこんなモンよ」
そんなリツコの疑問に応える様に。紙屑でも捨てる様に、ミサトは自分の給与明細をリツコに放った。リツコをして言葉を失わせる、遅刻・欠勤の積み重ねで減給されまくった給与明細を。
「・・・だから。あなたは人の給料羨む前に、遅刻癖を何とかしなさいって何度も言ってるでしょ?」
この言葉を、リツコも幾度繰り返したか判らない。幾度目かは忘れたが、ここ数ヶ月は毎回言っているだろう。つまり言うだけ無駄と言う事なのだが、リツコには言わずにはいられなかった。
そんな親心にも似たリツコの優しさに、たった一言でミサトはあっさりと泥を塗る。
「・・・だぁって、眠いんだからしゃーないじゃないよぉ」
「・・・あなた、何歳よ・・・」
社会人と言う意識を欠損したミサトの言い訳を聞いて、段々とリツコは滅入り始めている自分に気付く。どうして・・・どうしてこんなのが作戦部長に、三佐になんてなれたの・・・?NERVと言う組織の不思議さを、リツコは精神の中だけで誰かに問うていた。
「ほんでさ、最近とみに生活費の取り立てが厳しいしぃ。こっちゃあ銭無いって散々っぱら言ってるってぇのに、あの2人は意地でも取ろうとするからね。アスカなんて、最近はサ○金の取り立てよりも洒落になんない真似すんだから。マジで生活に困ってんのよぉ・・・」
「・・・」
リツコには、もう言葉が無い。黙ってミサトのぼやきが終わるのを待っているだけだった。自業自得。因果応報。そんな言葉が、リツコの頭の中をぐるぐると渦巻いている。問題は、ミサトがそれを不当な扱いだと信じ切っている事に有るのだろう。どうしろって言うのよ、このバカを・・・駄々をこねる子供よりも数段タチの悪い三十路直前の同僚を、暗い瞳で眺めていた。
「だから、ね。リツコ、何か無ぁい?」
そんなリツコの視線に気付かないのか気にしないのかはともかく、頭をぺこぺこと下げながらミサトは先程の問いを繰り返す。
「・・・そんなモノ・・・」
有ったら自分でやってるわよ、と言いかけてリツコは口を噤んだ。有る、確かに。この女に、最も適した仕事が。そろそろアレに決着を付けなきゃならない所だし・・・けど金をどうしようかしら・・・ん?あっちの予算を廻して貰えば・・・イケそうね(にやり)。
そんな計算を頭の中で手早く済ませ、リツコは思わずほくそ笑む。自称天才科学者には欠かせない、彼女の本性を知る者には恐怖すら呼ぶ微笑みを。
「どっ・・・どどどぉしたのよリツコ?」
「・・・思い出したのよ。1つだけ・・・一応、有るって事を」
形容し難い不安に囚われるミサトを無視して、思わせぶりな物言いでリツコは仕事を紹介する。それが、余計にミサトに恐怖を煽っているとも思わずに。
「まっ・・・まさか、人体実験のモルモット役・・・とか?」
「・・・違うわよ」
「え!?本当に!?ね、どんな?どんな仕事なのよぉ!?」
がばっと身を乗り出し、ミサトはリツコに顔を寄せた。リツコの危険な2つの方向性の内、1つはこれで否定された事になる。もう1つの方は・・・まぁ自分に向けられる事は無いだろう。すっかり安堵しきったミサトは、急かす様にリツコに聞く。
「仕事って言うよりは、臨時のアルバイトって言った方が良いかしら。楽って言うのは違うかも知れないけど、あなたに向いててお金になる事だけは保証するわ。大金って言うのも、個人差の範囲内だろうけど・・・今のあなたには結構な額になる筈よ」
「えー?楽じゃないのぉ?・・・うーん・・・」
リツコの説明を聞き、ミサトは思わず口元を歪めた。過去の経験が、イヤと言う程ミサトに教えている。楽では無いと言う言い方をリツコがした以上、実際には洒落にならない程キツい仕事である事を。
「けど、向いてるだけマシか・・・判ったわ、やるわよ」
向いていない仕事をやると言うのは、どれ程楽な仕事であっても苦痛でしかない。その逆に向いている仕事であれば、多少キツかろうが疲労すら充実感と捉えられる。ミサトはそんな理屈を自分に言い聞かせながら、リツコの言う仕事をやる事に決めた。
「それで、具体的には何やりゃいいの?」
「一緒に来て。会議室で説明するわ」
芝居じみた動きで一度だけ周囲を見回してから、リツコはきびすを返し発令所を後にする。
「リツコぉ、ちょっと待ってよぉ!」
白衣を翻し靴音高く歩み去るリツコに、ミサトは付いていくしか無かった。
貧しさと愛の狭間に
〜葛城ミサト貧乏シリーズ・番外編〜
「・・・で。何なのよ、この格好は・・・」
相談相手を間違えたと言う後悔の念をありありと浮かべ、ミサトはリツコに聞く。
会議室に入るなりミサトは、渡された衣装へ着替える事をリツコに命じられた。それは、まぁいい。余程の格好で無ければ、ミサトも金の為に覚悟を決めていたのだから。そんな心構えをしていたミサトをして、違和感を覚えずにはいられなかった。
ミサトは、暗く殆ど黒に近いグレーのつなぎを着ている。頭から足下までが一体となった、多少ゆとりの有る全身タイツだとでも思って貰えば良いだろう。
その上から、艶の無いプラスチック製の板がミサトの身体を覆っている。上腕部。脛。上膊の外側。腿。更に同じ素材で出来た剣道の胴の様な物でミサトの上半身を前後に挟み込み、プラスチック製のビキニのファウルカップを填め込んでいる。
更に自分では結構イケていると思う顔すらも、戦闘機に乗る者が被る様なヘルメットが覆っていた。スライド式のバイザーを降ろせば、露出する部位は1つも無い。実際に着てみると驚く程軽いのだが、重装備である事には間違いなかった。
しかも最も重要な事に、ミサトはこの装備に見覚えがない。何処ぞの特殊部隊を思わせる格好なのだが、該当する部隊は存在しない筈である。
「公安6課の丙種特殊装備。日本警視庁の、対テロリスト制圧用の特殊防護服よ」
そんなミサトの疑問に感づいたのか、リツコはミサトが身に着けた装備の正式名称を教えた。だが、それでもミサトは未だ釈然としない表情を浮かべている。
「・・・そんな組織もこの装備も、見た事も聞いた事も無いけど・・・」
既に幾度も触れたが、ミサトはNERVの作戦部長だ。その立場上、NERVのみならず日本の軍事・警備情報くらいは目にも耳にも入れていた。だが、日本の警視庁がそんな組織を作ったと言う情報は聞いていない。
だが装備は、こうして存在している。情報網の質を疑わねばならない様なリツコの説明に、ミサトは顔をしかめる事しか出来ない。
「当然よ、これから出来る組織なんだから。この装備にしたって、未だ正式採用されるかどうかは判らないんだしね」
「へ?」
「ウチの諜報部が、内職がてらにテストを依頼されたのよ。改良点があれば指摘して欲しいって事でね」
「・・・ふぅん・・・警備部、じゃなくて?」
多少拗ねた様な口調で、ミサトは質問を重ねる。本来であれば、その手の仕事が諜報部に与えられる事は無い筈だった。時には特殊部隊の真似事をしたりもするが、諜報部はあくまでも諜報の為の組織でしか無い。装備を見る限りでは、自分の配下である警備部辺りが引き受ける事だろう。
「あなた知らないの?ウチの諜報部の能力は、対外的にも評価が高いのよ」
「てっぺんは、救い難い間抜けだけどね。又誰かコマして、そー言う仕事拾って来たのかしら・・・今晩辺りにでもシメてくれるわ」
・・・アナタだけには言われたくないと思うわ・・・あえて名を出さずに加持を批判するミサトを横目に、本音を口の中だけで呟くリツコ。一応加持は仕事もこなしているし、部下の掌握と言う長として成すべき事はやっているのだから。女にだらしが無さ過ぎると言う欠陥を除けば、まぁ及第点の存在である。
「まぁ・・・それはともかく。どうして私に、こんな格好させたのよ?まさかテストをやれって言うの?」
「そうね・・・微妙に正解かしら」
「微妙に?」
奇妙な物言いをするリツコに、ミサトは思わず問い返していた。少なくとも今のままでは、何をやれとい言うのかがさっぱり判らない。ミサトの質問は当然の事だろう。
「・・・あなたは知らないかも知れないけど、今NERVに使徒が潜入しているのよ」
ミサトの反応に満足したのか、リツコは軽く頷いてから口を開いた。何でも無い事の様に、冷静に考えればとんでも無い事を。
「はぁ?」
リツコの言葉に、ミサトはすっとんきょうな声を上げざるを得ない。以前であればとんでも無い事だが、今では笑い話にしても程度が低すぎる。ミサトのリアクションは、むしろ当然の事だろう。
渚カヲルを最後の使徒だと言っていたのは誰あろうリツコである。実際問題として、使徒が攻めて来ないからこそNERVは開店休業状態となっていると言うのに。リツコ・・・あなたぬわにバカな事言ってるの?・・・まさか、自分で作った薬でラリってるとか?ぽかぁんとした表情で真剣に語るリツコを眺めながら、そこまでミサトは考えてしまっていた。
「ヤツは人の姿を借り、我々の中に入り込んでいる・・・被害が出る前に、排除するしか無いわ」
しかし、リツコの表情は真剣この上ない。それに、そもそもリツコは嘘の言えるタイプでは無かった。って事は、使徒が居るってのは事実・・・?そこでようやく、ミサトはリツコに着用させられた装備が何を意味するのかを悟った。
「・・・あのぉ・・・排除って・・・つまりぃ、私に使徒と戦え・・・って事?」
少しだけ顔を青くし、ミサトは消え入りそうな声でリツコに問う。もしかしたら聞き間違いかも知れないと、僅かばかりの期待を込めて。
「そう。その服のテストを兼ねてね」
だが、自称天才科学者は非情だった。その通りとばかりに頷き、説明を補足するだけである。
「っそんなのやぁよぉ!エヴァじゃなきゃ歯が立たない相手なのに、アスカだったらともかく私なんかで勝負になる訳無いでしょ!?こんなご大層な装備だって、有っても無くても同じ事じゃない!?」
ATフィールドと比べたら、この程度の装備など無いのも同じである。しかもそのATフィールドを切り裂く手段が、ミサトには無いのだ。N2爆雷ですら歯が立たない相手である。人間が手に出来る火器程度では、銃弾も豆鉄砲と同じ程度の代物でしかない。地上最凶の生物だったらともかく、ミサト如きで張り合える相手ではなかった。
「・・・ターゲットは、コレよ」
そう言いながら、リツコはテーブルの上に数枚の写真を放る様に広げた。使徒と聞いてすっかりやる気の失せたミサトは、どうでも良いモノを見る視線でちらっと眺め・・・そして言葉を失った。
「・・・」
「・・・本当にNERVも嘗められたもんね・・・この期に及んで、使徒を内部に送り込んで来るなんて・・・」
「・・・あ・・・あのぉ・・・リツコ?これって・・・」
苦々しいリツコの独白を遮る様に、ミサトは口を開く。その写真に写るモノに、ミサトは見覚えが有る。いや、知らぬ者など居ないだろう。何故なら、それはNERV内部である種の名物となっている代物なのだから。
これだけは断言出来る。コレは、使徒などではない。もしかしたら、もっと禍々しい存在かも知れないが・・・意味が、根本的に異なるのだから。
「使徒を迎撃し、殲滅に至らしめる事こそがNERVの存在意義・・・よもや作戦部長ともあろう者が、異を唱えたりはしないでしょうね?」
「・・・いっいや、その・・・リツコ、だからこれは・・・」
「成功報酬は、性能テスト分を含めて50万よ」
「っ・・・ごごっ、ごじゅうまん!?」
50万と聞いて、ミサトの目の色が変わる。自分の喉がごくっと鳴る音を、ミサトは確かに聞いていた。戦う相手を思えば破格の報酬と言って良い。はっきり言って、今月の給料の手取りよりも遙かに多かった。すっかり気の失せた表情は、途端にやる気に満ち溢れた表情へと変貌している。
そんなミサトの表情を満足そうに眺めてから、リツコは1つの質問を改めて発した。
「では、もう一度聞くわよ。これは、使徒・・・よね?」
「イエッサーボース!!仰せの通り、これは使徒に間違いございません!!」
音が出そうな勢いで、しっかりと敬礼をしながらミサトはリツコの質問を肯定する。
「・・・いい返事ね(にやり)。それから、第8使徒の時は失敗した事も有って・・・是非とも生かして捕獲して貰いたいのよ」
「そりゃ、幾ら何でも殺す訳には・・・って、んじゃこれはブッ放せないじゃない」
恨めし気に、手にしたライフルらしき銃を弄びながらミサトはぼやいた。極端に大きく重く、両手で無ければミサトの膂力でも支えられない。それでも折角の装備である。試してみたいと言うのが、ミサトの本音だった。
「大丈夫よ、中身はゴム弾だから。頭に連続で直撃でもしなければ、先ず死ぬ事は無いわ」
「・・・随分と用意が良いわね・・・」
「その装備の標準武装よ、それ」
「成る程・・・人質ごと撃っても死なないって事か・・・」
言われて見ると確かに、銃弾を発射するにしては銃口が余りに大きい。それにリツコは先程この装備を対テロ制圧用と言っていた。恐らく貫通力を持つ実包よりも、打撃力しかないゴム弾の方が色々と都合が良いと考えての事なのだろう。
死ぬ事を思えば、多少の痛みなど知れている。無論それは撃つ側の論理だが、実砲よりも楽に撃てる事は間違いない。自ら補った理屈で、ミサトは自分を納得させていた。
「それに敵は、かなり分厚いクッション・・・もとい装甲を身に付けているから、その程度じゃ効かない可能性も有るけど」
「・・・」
いままでどうにか躱して来たが、ついにボロを出したリツコ。しかし、ミサトは何も言わない。お金を受け取る迄は、スポンサー様は神様なのよっ!そう自分に言い聞かせるに留めている。
「では、作戦を開始するわ。今の時間なら、敵は発令所に居る筈よ。さっきも確認したし・・・成功を祈るわ(にやり)」
「サー!イエッサー!!」
かたかたっと、コンソールの上をピンク色の塊が走っている。
「・・・あんなモンを着てるのに、どうしてキーボードが叩けるんだ・・・?」
彼女の働きを横目に、鬱陶しさ半分驚き半分で見ながら日向が呟いた。今の彼女の指は、普段の10倍は太くなっている。叩いているキーボードのキーが、一度に5・6個は楽に打てそうな大きさなのだ。そんなハンデをものともせずに、彼女は作業に勤しんでいた。
「・・・これはこれで、才能・・・って言うべきなんだろうな・・・」
日向だけではない。青葉も又、同僚の特異な能力に感嘆を禁じえないでいる。勿論羨ましくは無いし、真似したいとも思わないが。
有り得ない話だが、あの格好が制服にでもなった暁にはNERVを辞める覚悟も決めていた。幾ら金の為だろうが越えてはならない一線と言うものが有り、彼の美意識にその姿は明らかに反している。あんな格好をして給料を貰う位なら、食うや食わずのストリートミュージシャンをして野垂れ死にでもするさ。芸能と言う一点に於いては、余り大差が無い事を青葉は考えていた。
「え?そんな事無いですよぉ。馴れちゃえば、この位どぉって事ないですぅ」
「・・・」
屈託の無い明るさで応じる着ぐるみの内臓に対し、青葉と日向は同じ様な感想を抱いていた。そんな格好に馴れるな・・・とか、絶対に才能の生かし方を間違えている・・・とか、道理でお偉いさんがここに顔を見せない筈だ・・・などと。
ただ、彼女の行為が平和な日常を象徴しているとも言える。対使徒戦の最中にこんな真似は、絶対に出来ないだろう。それを思えば、勘弁して欲しいが許容すべき事なのかも知れなかった。そうとでも思わなければ、はっきり言ってやってられないだろう。
「・・・使徒を目視で確認・・・これより、作戦を開始するわ・・・」
『・・・了解』
だが、誰もがそう割り切れる訳でもない。増してや懲罰としてそれを着させられた者には、忌避すべき代物でしか無いのだ。
それは、原理主義的とでも評すべき思想である。理由など要らない。どうあっても許せない、それだけの事なのだから。その先兵となったミサトは、コンソールの影に隠れながら銃口を愚かな部下へと合わせる。
ぼすっ!!
照準が合うと同時に、ミサトは躊躇せずに引き金を引いた。圧縮空気に押し出され、黒いゴルフボール程度の大きさの弾が発令所を飛び。ピンク色をした巨大な標的を目指す。
ぼよん、ぼこぉっ!!
「あぐぅっ!?」
自分の頬に受けた衝撃が何だったのか、青葉には全く理解出来なかった。まるで己の上司に回し蹴りでも喰らった時の様に、突然身体が吹き飛ばされただけだ。
がしゃあっ!
激しくコンソールに叩き付けられ、そのまま青葉の身体は床に沈む。余りにも突然だったが故に、受け身はおろか精神の準備も出来なかった。
「・・・おっおい、青葉!?どうしたんだ、一体何が有ったんだ!?しっかりしろ、青葉!!」
発令所に居た誰も、青葉を弾き飛ばした弾丸を見てはいない。妙な音を聞いた者は何人か居たが、それを青葉の奇行と関連付けした者は1人もいなかった。
慌てて日向が青葉に駆け寄り、他の者が遠巻きに彼ら2人を囲む。そして日向は見た。右頬が青黒く変色し、目を見開いたままでぴくりとも動かない青葉の姿を。鬱血した部分が膨らんでいると言う程度では説明出来ない程、顔の輪郭が変わってしまっている。まさか、骨が砕けて・・・?
「っ!?・・・救護班!誰か救護班を呼んでくれ、早く!!」
血の気の失せた顔で、日向は誰かれ構わず喚く様に指示をした。精々立ち眩みでも起こしたのだろうと思っていただけに、日向の受けている衝撃は半端な代物では無い。どうすれば、こんな事が出来るって言うんだ・・・葛城三佐に殴られた時だって、ここまで酷くは無かったぞ・・・警戒を強めながら日向は周囲を見回すが、ミサトを含め怪しい者も物も見当たらない。
けれども、絶対に居る。具体的に何かは判らないが、間違い無く何かが。引き出しから取り出した拳銃を握り絞めながら、日向は確信を抱いていた。
一方。
「・・・跳ね返したわ・・・」
信じられないと言った表情で、ミサトは小さな声でマイクに呟く。ずっと経過を目で追い続けていたミサトには、何が起こったのかをちゃんと見ていた。
ゴムの球は、狙いを誤らずマヤを身体を捉えている。実際に、着ぐるみに命中はしたのだ。だが、その後はミサトにも予想が出来なかった。
着ぐるみにゴム弾が深く食い込む。しかし着ぐるみに詰め込まれたぶ厚いウレタンの層が、クッションの役割を果たしていた。結果、食い込んだゴムの塊は反発しようとするウレタンの圧力に負け。丁度トランポリンで跳ねる様な感じで、彼女にダメージを与える事無く排斥されてしまったのだ。
因みにマヤは、軽く何かが触れた程度にしか感じていない。青葉が吹き飛ばされた時の音で、ようやく何事かが起こった事を知った程である。
『流石は使徒ね・・・ATフィールドで弾き返すとは・・・』
「・・・」
スポンサー様の指摘とは言え、ミサトをして相づちを打つ気にはなれなかった。一体何処をどう見ればそう思う事が出来るのか、金が絡んでいなければ怒鳴り散らしてでも聞きたい位である。
だが、ここでリツコを怒らせてもミサトに益は無い。単純に指の間から現金が零れ落ちるだけの事である。あえて沈黙を守り、ミサトはリツコからの指示を待つ。
・・・しかし。作戦指揮官が発した命令は、ミサトの想像をすら軽く越えていた。
『仕方が無いわ。被害を無視して、持てる能力の全てを用い任務を遂行して』
「・・・被害を無視って・・・」
普段だったら絶対に有り得ないリツコの提案に、ミサトは本気で戸惑う。確かにその方が向いているし楽なのだが、何よりも此処は発令所である。人も結構居るし、機材だってかなりの数と金額に上るだろう。
『弁償くらい、経理をちょいっと操作すれば楽なものよ』
「アイゲッチューサー!!」
リツコの命令が耳に届くと同時にミサトは立ち上がり、マヤの座っている辺りにゴム弾をロクに照準も合わせずに乱射した。その辺りに行けば良いと言う、いい加減極まりないやり方である。
ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!
「っ!?」
反射的に日向は伏せ、コンソールの下へと潜り込んだ。そんな日向を見て、マヤもそれに倣う。
風切音が頭上を幾度も飛び、ガラスの砕ける音がそこかしこで聞こえている。更には悲鳴や怒号がそれに重なっていた。
「っ・・・!?」
日向は、これに似た事態をはっきりと覚えている。戦略自衛隊による、NERVへの攻撃。規模の差や銃声が聞こえない事など違いも幾つか有るが、状況としては特筆する程の差異は無い。
「一体誰なんだよ、アレは・・・!」
歯ぎしりをしながら日向は、無造作に破壊活動を続ける侵入者への怒りを吐き出していた。
総身を黒っぽい服で包み。樹脂性のプロテクターがそこかしこに付いている為、体形が全く判らない。更に顔も、サングラスの様な真っ黒のバイザーが覆っていた。
とある上司の姿が見えない為に、日向も最初は某三佐の事を疑ったが・・・あれでも一応はNERVの職員である。ここまで派手な事をやれば、タダでは済まない事を承知しているだろう。
当然日向は、リツコの一言がミサトから枷を奪った事を知らない。だからミサトであって欲しくないと言う期待感だけで、あれはミサトでは無いと自らに言い聞かせている。
ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!
あーたっのしー!!銃を乱射しながら、ミサトは破壊の狂宴にすっかり酔っていた。物を壊すのは、何だかんだと言っても快感である。しかも後片づけも弁償も気にしないで良いとの御沙汰まで賜っているのだ。
飛び散るガラスや筐体の樹脂が、そこかしこで弾けて床に落ちる。うず高く積まれた書類の山を銃弾が蹴散らし、紙吹雪の様に発令所の中を舞う。それは、明らかにムダな行為だった。目の前で繰り広げられる光景と、絶え間無く続く身体を揺さぶる銃の反動がミサトの脳を酔わせている。しかも銃を撃っているのが、自制心と言った言葉に最も縁遠いミサトとあっては・・・歯止めがかかる訳が無かった。
「っ・・・」
机の引き出しに入ったままになっていた拳銃を胸元で構え、歯噛みをしながら日向はタイミングを伺う。ここまで舐めた真似をされて尚黙っていられる程、生憎と日向は人間が出来ていなかった。手にした拳銃の弾は、一発残らず叩き込んでやる・・・そう、自分に誓いながら。
がしゃあっ!・・・どすんっ!!
「ぅぐぇっ!?」
突然背中を襲った衝撃に、日向は大きなうめき声を上げていた。とても我慢する事など出来ない。とてつもなく重たい塊が、背中に乗って自分を押し潰そうとしている。
それは、50インチ近いサイズのモニターだった。液晶を使っているとは言っても、その重量は半端では無い。
めきめきと、何かが砕ける音が身体を通して聞こえて来る。背中の辺りが灼ける様に熱いのに、意識はどんどん楽になって行く・・・?
ごとんっと音を立てて、日向の顎が床にぶつかった。目を見開き、苦痛に歪んだ表情のままで。びくっびくっと時折痙攣を起こしているが、その動きには何処にもヒトの意志も感じられない。
「ひぃいっ!?」
そんな日向の表情を、マヤは偶然見てしまった。怪獣の顔はにこやかに笑っているが、マヤの顔からは血の気が失せ恐怖で凍り付いている。こっこここのまま此処に居たら、私もこんな風に・・・!?
ぷちん
マヤの中で何かが切れた。余りの恐怖で、張り詰めていた精神の糸が擦り切れてしまったのだろう。
「たぁあすぅけぇてぇええ!!」
きゅっぽきゅっぽきゅっぽきゅっぽ
本人としては必死なのだろうが、着ぐるみを着ている為に間抜けな音を残してマヤは走り去る。
『追って!』
わざわざリツコに言われる迄も無かった。狩るべき獲物は、あのピンク色の獣のみである。抵抗しようとする愚かなNERV職員・・・いや部下を冷酷に処理しながら、ミサトもマヤが逃げ出した通路へと急いだ。
ひゅんひゅんと、質量の有る物体が飛ぶ音が繰り返し聞こえていた。どんっどんっと、身体を押す様な感覚が幾度も伝わって来る。背中の方は着ぐるみの中でも頭部の次にウレタンが厚いので、致命傷とはなり得ない。だが、その何かを幾度も当てられる独特の感覚が・・・マヤにある事実を教えていた。
きゅっぽきゅっぽきゅっぽきゅっぽ
っどぉして・・・どぉおしてよおおぉ!?顔を真っ青にして、マヤは通路を駆ける。
最初は発令所を出てから、何処かに逃げ込むつもりだった。しかし、とてもそんな余裕は無い。更に、1人になるのは危険に過ぎた。殺される、絶対に殺される!!相手が諦めてくれる事だけを願い、ひたすらに通路を駆けている。例えそれが、いかに儚い期待であったとしても。
少なくともマヤには、こんな言われ無き迫害を受ける覚えが無い。むしろ一般にもそろそろ認知され始めたと言う、時代の流れすら感じ始めている。
思えば長い道程だった。チンドン屋の真似事やデパートの屋上でのショー。挙げ句には幼稚園への慰問等の、俗に言うドサ回りからようやくTVへの露出を果たし相応の知名度を得始めていたのだから。
マヤは未だ覚えている。つい先ほど行われた、宝くじの当選発表の光景を。会場に集まった数百人を楽に越える歓声。全国に放映する為のTVカメラ。そして誰もが、私に暖かい声を投げかけてくれた・・・!
あの時マヤは、確かに感じていた。自分が有名人になったと言う、手ごたえ。選ばれし者の恍惚を。
それなのに、それなのに!
「どぉして私がこんな目に遭わなきゃならないんですうぅ!?」
まさか、だから追い回されているのだとマヤに理解が出来る訳が無い。不当な迫害を受けていると言う被害妄想に囚われたまま、それでもマヤは全力で逃げている。迫り来る、黒い影の様にも見える狩人から逃れる為だけに。
「・・・全く・・・何であんな格好してんのに、こうも早く動けるのよっ!!」
ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!
やけにちょこまかと動くピンク色の塊を狙い、トリガーを引きながらミサトはぼやいていた。射出されたゴルフボール程の黒い弾は、どれもこれも着ぐるみに命中している。だが、それだけだ。大きな足音を立て逃げる怪獣の動きは鈍る事無く、命中後あらぬ方向へ跳ね返ったゴム弾が周囲を破壊していた。
既に何も知らない、名も無きNERV職員が実に20名以上も。この戦闘に巻き込まれ、犠牲となっている。そろそろ限界だろう。これ以上被害が出ては、いかにリツコとは言え揉み消しが難しくなる。
「ラチがあかないわね・・・」
舌打ちをしながら、ミサトは思わずそう呟いていた。着ぐるみが邪魔して、マヤから行動の自由を奪うだけのダメージが与えられない。それを着ているが故にリツコの逆鱗に触れ追い回す事となっているのだが・・・着ぐるみこそが、今マヤを守る唯一つの存在となっているのは皮肉な話である。
「・・・脱げば手っ取り早く終わるのに・・・」
勿論、そこまでマヤもバカではない。そんな事をやっていたら、絶対に追いつかれる事は承知しているのだろう。相変わらずどたどたと、ナリの割には素早い動きでマヤは逃亡を続けている。
「ん?」
左腕をぐるぐると振り回しながら、怪獣が急角度で通路を右に折れた。一瞬でもゴム弾から逃げるには、それ以外に手は無いだろう。若しくは何とか撒こうと考えての事なのかも知れない。
しかし、それは逃走速度の低下を意味する。元々20メートル程度しか離れていないのだ。撒かれる可能性が殆ど無い状況では、無駄な足掻きでしか無かった。
リツコの所にでも行こうって気なのかしら・・・追跡者として、逃亡者の思考をミサトは試みに読んでいる。マヤが逃げ込むとしたら、そこ位しか無いだろう。自分が売られた事も知らずに、最も信ずる者に縋るしか無いのだから。思えば哀れなモノだが、ミサトに同情する気は無い。全ては金の為なのよっ!!そう言い聞かせ、ミサトはマヤが折れた通路に飛び込む。
ばしゅっ!
「うわぁっ!!」
突然勢い良く吹き付けられた白い煙に、ミサトは反射的に目を閉じ呼吸を止め腕で顔を覆っていた。
バイザーが消火液の殆どを防いでいるので、目が潰れる様な事は無い。だから、腕で顔をカバーするのは余計な事である。だが、咄嗟の反応はそうそう殺せる筈がなかった。増してやマヤからの反撃など、ミサトは予測していない。ミサトの狼狽えぶりは、滑稽な程だった。
っ今のうちに!!消火器を床に投げ捨て、再びマヤはきゅぽきゅぽと通路を駆ける。その音はミサトの耳にも届いているのだが、バイザーが真っ白に染まっている今は追う事が出来ない。盛んに上腕や掌でバイザーを擦り、へばりついた白い粉末を落とし視界を復活させる。
「っ・・・消火器・・・!」
床に転がる赤い円筒形の物体を見下ろしながら、ミサトはぎりっと歯を鳴らした。きっちり訓練を受けそれなりの装備に身を固めている自分が、あの程度の小娘にあしらわれたのだ。屈辱に身を焦がさない方が、どうかしているだろう。
通路の角に備え付けられた消火器を、目潰しに使う。与えられた状況を、最大限に使った策略だった。あのマヤが咄嗟に打ったと言う点を考慮に入れれば、賞賛に値する対抗手段である。
ミサトにしても、普段の格好で追い回していたら相応のダメージを喰らっていた事だろう。最悪、失明くらいは有り得たかも知れない。顔の殆どがバイザーで覆われていた故に驚くだけで済んだのである。
っ・・・あんな小娘に・・・!!作戦部長としてのプライドを思い切り傷付けられたミサトは、腑をぼこぼこと沸騰させていた。このままでは終われない、いや断じて終わらせてはならない。
消火液で汚れたバイザーをもう一度掌で拭い、ようやくミサトは逃げ去るピンク色の塊を再びその視野に捉えた。そして、彼女の近くにも赤い円筒が備え付けられているのも。
「・・・さっきのお返しよ・・・!」
腰を落としながら、右足の膝を起こし。左足を横に倒して膝立ちの姿勢となったミサトは、身体を壁に押し当て頬の側で銃を構えた。
ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!
立て続けにミサトは引き金を引く。黒い塊が水平に近い弾道で通路を飛び、壁に固定された赤い円筒に直撃した。
ごんっ!ごんっ!どかぁっ!!
3発目のゴム弾が、消火器のボンベを突き破った。途端に白い煙が、爆発的に通路に広がって行く。
「きゃあっ!?」
その爆風に、マヤの身体が煽られる。着ぐるみなど、所詮は布とスポンジの塊でしかない。お世辞にも軽くは無いが、見た目ほどに重くは無かった。真っ白な爆煙に吹き飛ばされながら、マヤはごろごろと床を転がって行く。
それを確認すると同時に、脱兎の如くミサトは駆け出していた。ようやく得られた、マヤの身柄を確保する為の好機。この機を逃しては、ズルズルと追いかけっこを続けるだけの事だ。又何か画策しているかも知れないが、そんな事はどうでもいい。罠が有るのならば噛み千切る。それだけの事だ。
「けほっ・・・げほげほごほげほっ!」
マヤは、未だ床に転がっていた。顔を真っ白にして、目をぐるぐると回したままで。消火器の粉末を吸い込んだのか、涙を滲ませ幾度も噎せていた。顔でも拭いたいのか、腕は動いているのだが・・・着ぐるみを着ている故に、その手は胸の辺り迄しか届いていない。それでも何とかしようと足掻くその姿が、見る者に知らずと郷愁を誘う。
だが、そんな事はミサトの知った事では無かった。何しろ目の前に転がる塊は、貴重な財源なのだ。極端な言い方をすれば、彼女が今眼前に見ているのは着ぐるみでは無く札束である。
彼女は冷ややかな目で、白く煙った怪獣を表情無く見下していた。その表情からは、何の感情も伺う事は出来ない。
「あうぅ・・・お願いだから見逃して下さぁい・・・けほけほっ」
多分、マヤもミサトの気配に気付いたのだろう。それも、助ける者では無く追跡者としての害意を。それが誰かは判っているのかどうかは、口調からは判別出来ない。とにかく助けてくれと、哀れさを誘う口調で懇願している。
しかしミサトからすれば、それだけは聞けない提案だった。何故なら、彼女の目的はマヤの捕獲である。もっと極端に言えば、今のマヤはミサトからすれば50万の現金なのだから。それをみすみす手放す程、ミサトの性格も財政も甘くは無い。銃口を床に寝そべるマヤに突きつけながら、ミサトは口元に薄い笑みを浮かべながら囁く。
「ご免ね・・・私も、宮仕えの身だから・・・」
形容し難い恐怖に、マヤの顔が凍る。声を聞き、ようやく誰が攻撃を仕掛けていたのかが判った為である。
「!?」
ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!ぼすっ!
マヤは反射的に声を上げようとしたが、くぐもった独特の発射音がそれを遮った。そんな・・・私を攻撃していたのは、葛城三佐だったと言うの!?そんなマヤの意識は、激しい痛みの中に消え入っていた。
「・・・ターゲットを確保。これから、どうすりゃいいの?」
ピンク色の獣の喉元を踏み付け、銃口を怪獣の口に向けたまま。ミサトは雇い主に今後の方針を問う。
『取り敢えず、B18ブロックの309号室まで運んでくれる?そこで、報酬を渡すから』
「・・・B18ブロックぅ?」
リツコの指示した場所を聞いて、ミサトは素直に疑問を口にした。多分私がコレに着替えた、会議室にでも連れて行けば良いわねと考えていただけに、その口調には拗ねる様なニュアンスが含まれている。
だが、あくまでも相手はスポンサー様だ。しかも、B18ブロックの309号室で報酬を渡すとリツコは明言している。未だ金を受け取っていないのに、異論を唱える勇気がミサトに在ろう筈も無かった。
「随分と辺鄙な場所を指定するわねぇ。何だってそんな所へ?」
それでも疑問は疑問だ。何しろ今ミサトが居る場所から、かなりの距離が有る。リツコの研究室の方が、未だずっと近いだろう。そんな所へ、わざわざ運ばなければならない理由が判らない。ミサトが気にするのも、当然の事だった。
『来れば判るわ・・・多分』
「ぅ・・・んんっ・・・」
ずきずきとした痛みが、身体の奥底で疼いている。あれだ・・・何かが私にぶつかった時の・・・もの凄ぉく痛くて、今でも・・・!?
痛い。それはつまり、未だ生きていると言う事でもある。ぱちくりと何度か瞼を閉じたり開けたりしてから、マヤはようやく目を開いた。
「・・・やっと起きたわね、マヤ・・・」
マヤが目覚めるのを待っていたかの様に、聞き慣れた声が届く。尊敬し心酔し敬愛し、心だけでは無く自分の身体すら捧げた上司の声が。
赤木リツコ。彼女が、自分の真正面に座っている。そこでマヤは、何故自分の正面にリツコが自分の正面に見えるのかは考えなかった。多分リツコの名を聞いたと言うだけで、細かい事を考える能力が消え失せてしまったのだろう。湧き出そうになる涙を堪え、マヤもリツコの事を呼び返す。
「せせせ先ぱぁいっ!?」
がしゃっ!
マヤは何も考えず、リツコに抱き付くつもりだった。しかし、それが叶わない。身体は浮いたのだが、両腕両足首が引っ張られる。何で?そう思ってマヤは自分の周囲を見回して、そして愕然とした。
「っ!?」
マヤが今身に着けているのは、下着だけだった。他には何も着ていない。それは未だ良かった。別にリツコになら、幾度も曝している姿なのだから。問題は、その格好だった。
両手両足を大きく広げた、大の字に近い格好でマヤは壁に貼り付けられている。マヤはベッドに寝ている訳ではなく、ずっと立たされていたのだ。だからこそリツコの姿が真正面に見えていたのだと、ようやくマヤはこの期に及んで理解している。
手首と足首には、革のベルトらしきものが巻き付いていた。これが、自分の動きを縛っているに違いないのだが・・・。
「なななんなの、この格好は!?それに、ここは何処なんですぅ!?」
今は、どうしてこんな姿をしているかが問題であろう。マヤは、あらん限りの声を張り上げリツコに問う。
「・・・この私に刃向かうなんて・・・舐められたモンね、私も・・・」
だがリツコは、隠す事など出来ない程に狼狽したマヤを無視して自嘲気味に呟くだけだった。マヤの問いには一切答えようとはせず、手にした黒い縄の様な物体に視線を送りながら。
「っそそそそんな事は・・・!!」
リツコが発するただならぬ妖気に、マヤは慌てて弁解を始める。今迄に幾度も見た事は無いが、リツコが激怒している事は間違い無い。余りにもその怒りが強烈過ぎて、爆発するレベルを突破してしまっているのだ。
勿論マヤは、着ぐるみを着ている事がリツコの怒りを煽っていた等とは思っていない。理由は全く判らないが、リツコが自分に対して怒り狂っているらしいと察しただけだ。でも訳がどうこうなんて言ってる場合じゃないわっ!!ここは何とか先輩のお怒りを静めないと、私が地底湖に沈められちゃうわっ!!そう悟った上での、必死の弁明だった。
だが・・・マヤには不幸な事に。もはやリツコには、何も聞く気は無かったらしい。
「・・・いいのよ・・・もう、弁解なんて・・・っ!」
ぶわちぃっ!!
ゆっくりと持ち上げた右腕を振り降ろし。手にしていた縄らしき物体を、リツコはマヤの太股を擦る様に打ち付ける。
「ッ〜〜〜〜!?」
まるで切り裂かれる様な痛覚が、マヤの全身を駆け抜けた。今迄に一度も味わった事の無い、刺々しい痛みにマヤは声を発する事すら出来ない。きつく目を閉じ歯を喰いしばって、初めて味わう感覚をマヤは必死で堪えていた。
ずきずきと脈打つ様に、打ち据えられた痕が痛む。一筋の赤い線となった痕跡が、容易には触れられない程に熱を帯びている様に感じられた。
「っ・・・ど、どぉして・・・何で・・・こんな事をするんですか・・・?」
目尻に涙を浮かべて、マヤは敬愛してきた先輩を睨む。信じ切っていただけに、裏切られたと言う感覚だけは払拭出来ない。今迄あれだけ従順に尽くして来たって言うのに、何が不満なんだって言うんですか!?そう、潤んだ瞳で訴えながら。
しかし、その訴えはリツコには届かなかった。両手で皮の鞭を握り、張ったり緩めたりしながらマヤに彼女の命運を伝える。マヤの叫びなど意に介する気が無いと言う宣言を含んだ、簡潔且つ容赦の無い言葉で。
「・・・聞き分けの無い、あなたを徹底的に躾る・・・それだけの事よ」
「ひいぃっ!?」
その事を悟り、マヤは悲鳴を上げながら身を捩る。がちがちと歯は鳴り、粘ついた冷たい汗が額に浮き頬を伝った。小刻みに震え出した身体は、今はがくがくと痙攣するかの様に蠢いている。
・・・せ、せせ先輩・・・怒りまくってる・・・どぉしてぇ!?既に頭から血の気が音を立てて引き、酸欠になりかけたマヤの脳ではリツコの怒りが説明出来ない。先輩に怒られる様な事なんて何もしてないのに、ミスもここの所は殆ど無かった筈なのに・・・どぉしてなんですぅ!?
ぱぁんっ!!
マヤの無言の絶叫は、足元で何かが弾ける音に因って遮られた。先程の感覚を払拭出来ないマヤの身体は、反射的にびくっと強張り痛みを堪えようとする。
そんなマヤの姿を見て、リツコは冷ややかな笑みを浮かべた。血の温もりを微塵も感じさせない、何もかもを音を立て凍て付かせる笑みを。
「・・・怖いのは、多分初めだけよ・・・直ぐに、この味も忘れられなくしてあげるわ(にやり)」
涙で滲むマヤの瞳が最後に捉えたのは。黒い革で出来た縄らしきモノを握り、餌を前にした肉食獣の様な微笑を浮かべるリツコの姿だった。
「・・・イヤ・・・イヤ・・・っイヤあああああああっ!!」
絶望に顔を暗く染め、恐怖に打ち震える彼女の叫びは・・・もはや、誰にも届かない。
「んーふっふっふー・・・ひっさし振りの大金よぉーん・・・こー言うおめでたい日は良いお酒で乾杯よねぇー」
久しぶりに見た大金を両手で持ったミサトは、こみ上げてくる笑みを隠そうともしなかった。給与明細や銀行の通帳などの、印刷された数字では無い本物の現金。浮かれない方が、どうかしているだろう。
「どーしよっかなぁー・・・あっこのお店、久しぶりに行っちゃおーかなぁー・・・こんぐらい銭有れば、半日位は楽に飲んでられるしぃ」
今のミサトの頭から、マヤの命運がどうなるかと言った事は見事に吹き飛んでいる。当然の事だった。ミサトの仕事は使徒・・・と言う事になっていたマヤを捕獲し、リツコに引き渡す所までなのだから。その後リツコがマヤをどうしようが、ミサトの知った事ではない。
それに、正直言えばマヤがどうなるかなど考えたくは無いと言うのがミサトの本音だった。マヤを連行したミサトは知っている。リツコが指定したB18ブロックの309号室がどんな部屋なのかを。様々な、とある目的に用いる道具が無数に並ぶ・・・ある意味ではリツコに最も相応しい部屋。はっきり言えば、ミサトとしてはそんな光景を想像したくも無い。想像しない為には忘れ、酒にでも逃避するしか無いではないか。
「・・・そうよね。こんな時位は、飲みにでも行かない・・・うっ・・・」
そうと決まれば話は早い。今日は早退して、あのお店に行こう。そんな事を考えていたミサトの視野の隅に、イヤなモノが映し出される。今日の様な日には特に遭いたくない少女の姿が。
だがミサトには幸いな事に、彼女はミサトの姿を捉えてはいない。自動販売機に向い、取り出し口に手を突っ込んでいる。多分、ジュースでも買ったのだろう。と言う事は、意識も周りには向いていない筈だった。
己の幸運を信じてもいない神に感謝しながら、ゆっくりとミサトは音も立てずに後ずさりを始める。今、見つかる訳にはいかない。先程の怪獣狩りとは比較にならない程の慎重さで、ミサトはゆっくりとソレから離れようとする。
しかし。そんなミサトの慎ましい努力は、あっさりと水泡に帰した。
「・・・なぁにをコソコソしてんのよ、ミサト・・・」
ミサトの姿を確認した少女が、ゆっくりと缶ジュースを弄びながら歩を進め近づいて来る。惣流・アスカ・ラングレー。ミサトが今、様々な意味で最も遭いたくない被保護者が。
「あああ・・・アスカ?なな、ぬわんでこんな所に!?」
いかにも気付かなかったと言う下手な演技をしながら、ミサトは慌てて報酬を握った手を背中に隠した。たかだか14歳の小娘が存在すると言うだけにしては、不自然な動揺を示しながら。
「・・・幽霊じゃ無いんだから、そんな驚かないでよ。給与明細貰いに来たんだから・・・」
元々アスカ様はカンが鋭い方だが、彼女の態度はそう言う次元を振り切っていた。何かおかしいと思わない方が、どうかしている。今のミサトを見て何も感じないのは、如何にNERVが広かろうが碇シンジ唯1人だけだろう。
「で、さっき持ってた銭は何なのよ?」
「え?えぇ?ぬぬぬぬわぁんの事かしらぁーん?」
アスカ様のサラっと核心を突いた問いに愕然としながらも、驚きに強張った顔を逸らしミサトは何とか惚け通そうとする。お願い、気付かないで!!そう必死で願いながら。
「やれやれ・・・アンタねぇ・・・この私が、見てなかったとでも思ってるの?」
ただ、その望みが叶う訳が無い。そもそも、ミサトの演技は余りにも下手過ぎた。こめかみを押さえ、首を左右に軽く振りながらアスカ様はミサトに歩み寄る。
「!?」
慌ててミサトは手にしていた金を隠そうとするが、まるで間に合わなかった。アスカ様は右腕を軽く一閃させ、ひったくる様にミサトの得た報酬を全額奪う。当然の事の様に、ピンハネをする悪徳プロデューサーの様な荒々しさで。これには、流石にミサトも気色ばんだ。
「っぬわにすんのよぉ、アスカ!?」
「・・・アンタにも色々有んのかも知んないけど・・・生活費をどんだけ滞納してるかだけは、忘れない方がいいわよ・・・何なら今、私の拳でアンタの罪の重さを教えてやってもいいけどね・・・」
先程とはうって変わった冷ややかな目と口調に、ミサトは言葉を失う。アスカ様の人にあらざる戦闘能力を身を以て知るミサトに、異を唱える事など出来る訳が無かった。
「・・・そっ・・・そんな・・・」
精々今のミサトに出来るのは、驚きと悲しみを態度に示しアスカ様の情に訴える事位である。
「なぁに悲劇のヒロイン浸ってるのよ、アンタは?えーっと、ひぃふうみぃよぉ・・・」
だが、そんな程度の演技ではアスカ様の心を揺さぶる事など出来ない。路上の小石を見る様な視線を一度送った後に、アスカ様はやけに慣れた手つきで金を数え出す。
「・・・」
その態度が、雄弁にミサトへと物語っていた。アスカ様には、ミサトに対して微塵も優しさなど示す気が無いと言う事を。イヤでもミサトも悟らざるを得ない。度重なる生活費滞納に、本当にキレてしまったと言う事を。
っだって仕方無いじゃないよぉ!!時折指先を嘗めながら自分の得た報酬を数えるアスカ様に向けて、ミサトは精神の中だけで叫び訴えていた。私にだって大人の事情とか情事とか有るんだから!アスカやシンちゃんみたいなお子さまを相手にして、ストレスが溜まりまくってんのよっ!!そんなストレスって、飲んだりぱぁっと物買ったりしなきゃ発散出来る訳無いでしょぉ!?
「50万か。結構有るじゃない?これ全部でも足らないけど、一応聞いてあげるわ。アンタ、こっからどんだけ払うつもり?」
勿論、そんな身勝手なミサトの理屈などアスカ様の知った事では無い。幾度か金を数え直し金額を確認したアスカ様は、ミサトに冷酷な選択を迫る。
「・・・あのぉ・・・それは私の飲み代でして・・・」
ぐしゃっ!!
「っ!?」
「・・・何か、妙な風の囁きが聞こえて来たけど・・・アンタ、今何か言った?」
何かが潰れる音と共に、左手をピンク色に染めたアスカ様がミサトに訊く。それがどうして発せられたのかを見てしまったミサトは、2の句が継げずにいた。
「・・・」
親指と人差し指だけで支えていた、ジュースの缶を握り潰したのだ。ミサトは知っている。あの缶ってアルミじゃ無くて鉄なんだけど・・・それを2本の指だけで縦方向に押し潰す。それは既に人の握力の域では無い。地上最凶の生物の名に恥じぬ、驚異の握撃だった。
アスカ様の左手から、ピンクグレープフルーツの赤みがかったジュースがぽたぽたと滴り落ちている。だがミサトの目には、それは果汁などには見えていない。
ジュースの缶は、異を唱えた己の未来を象徴している。握り潰された缶は喉か脊髄を、左手を濡らす液体は傷口から溢れた鮮血。それ以外のモノに、ミサトの目には映っていなかった。
「・・・全部持って行って下さい・・・」
項垂れたままで、ミサトはそう呟く。命あっての物種。そう、言い聞かせるしか無かった。丙種特殊装備だか何だか知らないが、こんなモノはしょせん人間を相手にする為の代物でしか無い。人間の規格では測れない様な、常軌を逸した戦闘能力を持つ野獣に通用する筈が無かった。
銃で撃っても、当たるとは思えない。いや当たった所で、この小娘は雨粒が当たった程にも気にかけないだろう。プロテクターだってそうだ。恐らくティッシュを裂くよりも容易く引き裂くに違い無かった。
「・・・なにとぞ、なにとぞ生活費の穴埋めにお使い下さい・・・」
ミサトもそこそこ膂力には自信が有るが、勝てないどころか歯が立たない事を思い知っている。これ以上敗北も知りたくは無かった。だったら、尻尾を巻き逃げるしか無いじゃないよぉ!!唇を噛み締め溢れそうになる涙を堪えながら、ミサトはそう自分を納得させようと足掻いている。
「そう?じゃ、そうさせて貰うわ。私もバカシンジも随分持ち出してるから、いい加減に穴埋めさせて貰らないとね」
「・・・」
ポケットに金をねじ込むアスカ様を見ながら、ミサトは必死になって今にも溢れそうな涙を堪えている。
「そうそう。アンタ未だ2ヶ月分も未払い生活費が残ってるんだから、キリキリ働いた方が良いんじゃない?そうしないと、何時まで経ってもペンペン共々残りモン位しか食べられないわよ。そんじゃね」
そんなミサトの態度は気にもせずに、片手を上げてアスカ様はミサトに背を向ける。今のミサトに出来る事は、そんなアスカ様の後ろ姿を憂いを湛えた目で見る事だけだった。
おしまい
「素晴らしき僕ら」や、その他のすばら・・・・いや凄まじい(←あえて敬意をこめてそう言わせてください。)
SSで有名な、INAさんよりついに寄贈SSを頂いてしまいました。もう興奮してます。
ありがとうございます。最近サッカー等に狂ってて肝心のへっぽこ創作が滞っている私には感謝感激です。
INAさんの作品のよさは、内容が濃い上に長文なんですが、いつのまにか引きこまれてしまう所です。
気がついたらどっぷりハマってしまいます。そういった強烈な迫力があるんですよね。
確かに一見すると長文ですから、初めての方は躊躇してしまう部分もあるかもしれませんが、
一度読み始めてしまうと、もう虜になってしまい、そして読み終えた後に心地よい疲労感を味わえます。
前書きにありますが本作品は、「葛城ミサト貧乏シリーズ」の流れをくんだ番外編でありまして、
しかもピンクの怪獣ちゃんの登場と活躍(?)が、彼女にしてみれば悲惨ですが生き生きとしててグーでした。
ここはリッちゃんの調教にめげずに彼女にはまだまだ弾け飛んで欲しいんですけどね。
そしてミサトさんの明日はどこに!!!
重ね重ねになりますが、INAさんほんとうにありがとうございました。
そしてこれからのご活躍をずっと楽しみにしてます。
みなさんもINAさんの世界に堪能されましたら、ぜひ一言でもいいですから
感想を送ってくださいね。よろしくお願いします。