少女は後悔していた。

 今さらながらに、母の意見を省みなかった己の愚を心底悔いていた。














「どんなに近似的な構造を持っているとしても」

と切り出すのが、母のお得意のパターンだった。

「<新種>と<旧種>は相容れないの。決してね。遺伝情報が1.7%しか違わないと学者はいうけれど、わずかな差異が決定的な隔絶を意味することだって、世の中には沢山あるわ」

 異種同胞を唱える理想家の父とは違い、母は人類への警戒と軽蔑を常に少女へ説いていた。

 よくそれが父母の夫婦喧嘩の種になるように、母は差別的だった。

(お母さんは神経質すぎる)

 少女は、いつもそう思っていた。

 たしかに、<新種>と<旧種>――すなわち牙を持つ者たちと持たない者たち、あるいは赤い水を飲む者たちと飲まない者たちが対立し、悲劇と呼ぶほかない歴史を堆積させてきたことは、もちろん少女も知っていた。

 大昔には、ほとんどすべての映画や小説において、空と土と水を汚染する劣等人類を征伐した新種族という形で自画自賛な時代描写がなされていたのも、少女は知っていた――これは未だ一部に根強いファンを残す筋立てであり、少女の母はそのファンのひとりだった。

 しかし、世界人口の9割余を吸血種が占め、政治的安定が確立された今では、余裕が冷静な思想を育もうとしている。旧人類種を貶める史観は差別主義のあらわれとして批判の対象となりつつある。

 いつだったか、「われわれの繁栄は、数万年の長きに渡り地球を席巻していた60億の貪欲な雑食人間どもに、吸血だけで生命を維持できる少数のミュータントが高貴にして果敢な戦いを挑んだ成果なのだ」と公言した中学校教師がいた。彼はその後、文化教育府のブラックリストに載って失職したらしい。

 現在では、吸血種の歴史はその出発点に襲撃と侵略にもとづく征服行為を足跡として残しているというのが、世間の暗黙理の了解事となっているのだ。

 その征服がどれほどの罪悪かという程度は個人によって認識が異なるにせよ、<新種>が勢力を蓄えて惑星の支配権を譲り受けるまでの過程で、本来はどの動物でもかまわないのに、故意に人間を対象として血液摂取をおこなった時期があったのは間違いない。

 であればこそ吸血種は、いまや衰退の一途を辿る旧人類に、自戒と敬意と友好をもって保護策を講じるべきだ。人類は「異種族」ではない、自分たちの礎となってくれた「世代」だと考えよう、そう語る識者も増えてきた。

 それが時流に合わせたパフォーマンスであったとしても、その考え方自体には少女も素直に賛同できた。

 人類は、滅びかけてるかわいそうな生き物なんだ。お母さんが言うようなおそろしいモンスターじゃない。

 少女は、そう思っていたのだった。 

 ――つい数分前、凶暴性と変質性をあらわにした人間の男が、目の前に現れるまでは。


















うつくしい夜に笑う怪物


written by miyamo











 浅倉ケンイチは、その吸血鬼の少女に3日ほど前から目を付けていた。

 少女はいわゆる人類保護団体のメンバーだった。

 滅びゆく旧人類にご大層な博愛主義でお情けを恵んで下さるあのくそったれども。

 飢えて路上に寝転がっている人間たちにスープを配って回る連中の優しげな紅い瞳は、一度見ると忘れられない。

 嗚呼ありがたや! 親切な天使様が助けに来てくださった! 神よ彼らに祝福を! ついでに唾も吐きかけてやれ。

 浅倉の脳裏には、いまも断片的なイメージが象徴的な刻印となって焼き付いている。薄寒い11月のある日、少女が彼にさしのべた手。食べ物。毛布。慰めの言葉。根本をはき違えた認識から生じる善意。

 許せなかった。吸血鬼の施し。それは浅倉にとって、最高級の侮辱だった。

 かつて歴史のある時点でこの惑星の先住人類から昼の世界を強奪したバケモノどもの子孫でありながら、知ったふうな顔で種族間の友愛を語るその少女に、夜の泥濘を這いずり回って生きてきた人間・浅倉ケンイチは激しい憤りを抱いた。

 だから、消すことにした。浅倉は、昼に生きる吸血鬼を殺すことで、自分たち人間にとって最後の砦である夜の純性を保とうとしたのだった。

 浅倉は考える。

 これは狩りだ。俺はヒトゴロシになるわけじゃない。

 奴らが自分たちで言ってるだろう。どんなに似ていても、吸血種は人間とは違うって。

 だから、俺は悪くない。悪くない。悪くない。絶対に悪くない。

 そうとでも思わなきゃ、やってられないしな。

 そうして浅倉ケンイチはある夜の遅く、不運な気まぐれを起こして散歩に出かけた少女の前に飛び出したのだった。

















 夜の公園。

 噴水広場。

 誘蛾灯。

 木製のベンチ。

 自動販売機(3級精製の混合血液パック。馬の血は貴方の健康を損なうおそれがあります。成人してから飲みましょう)

 せわしない足音が乾いた夜気のなか響きわたる。二重に響く。二つの人影。ひとつは小さい。ひとつは大きい。

 髪を振り乱し、息を切らせて逃げまどう少女がいる。それを追いかける男がいる。

 少女は丸腰の吸血鬼。引き裂かれた衣服。あらわになった雪色の肌。汚れ。擦過傷。打撲傷。

 男は武装した人間。浅倉ケンイチ。右手には大型ナイフ。左手には拳銃。骨董品的な趣を示す45口径。かぐわしき硝煙。

 襲われるのは彼女。襲うのは彼。

 犠牲者は吸血鬼。

 加害者は、人間。

 ただの、人間。

 恐怖によってぐちゃぐちゃに攪拌された意識のなかで、少女はとりとめもない想念の渦にからめ取られていく。

 少女は後悔していた。

 今さらながらに、母の意見を省みなかった己の愚を心底悔いていた。

(お母さんは正しかった)

(人間ども)

(我々とは相容れぬ雑食生物)

(甘い顔をしたのが間違いだったのか)

(我々は)

(彼らを早くに滅ぼすべきだったのか)

(なぜ私がこんな目に)

(なぜ)

(いつもかれらにやさしくしてあげたのに)

(恩知らず)

(我々の1割にも満たない少数種族のくせに)

 多数派の存在は論理的に少数派の存在を意味する。

 数少なき者たちは常に異端、常に異常。

(こっちはいつでもおまえたちをほろぼすことができたのよ)

(わざわざ保護してあげてたのに。血も吸わず、親切にしてあげてたのに)

(なんて恩知らず。恥知らず)

(おぞましい肉喰らいの怪物め)

 いまはこの世界にあって、人間こそがモンスター。

(ああ)

 少女が転倒した。

(痛い)

 浅倉が追いつく。振り上げられるナイフ。刃先がすうぅ、と滑り込むように少女の腹を貫いていく。

(刺さないで)

 引き起こされる劇鉄。引き金に掛かる指。

(撃たないで)

 銃声。

(やめて)

 銃声。

(殺さないで)

 斬音。

(やめて)

 銃声。

(やめて)

 少女が崩れ落ちる。撃ち込まれた銃弾の弾頭にはあらかじめ十字の刻印がされていた。十字架。クロス。本来は強靱な耐久性を持つ吸血種に唯一致命的な効果を発揮する図形パターン。

 ぐったりと、少女の身体から力が抜けていく。

(ここは暗い)

 機能を低下させた目はもはや夜闇の中で少女に視界を提供できずにいた。

(ああ、逃げなくては。もっと明るいところにいかなくては)

 だが、身体は動かない。指先ひとつ動かない。ぴくりとも動かない。 

(ここは暗い。夜は嫌い。人間が出歩く時間なんて好きになれない。お日様が出るまであとどのくらいあるんだろう?)

 太陽の恩恵を受けているのは、今では吸血鬼たちだ。伝説とは違い、彼らは陽光を好む。

(夜は嫌い。夜に住む人間なんて大嫌い)

 少女は気づいていなかった。

 人類は吸血種の繁栄に圧倒されて、まともな生を享受できる昼の世界を奪われたのだ。

 だから、人間のすみかは、もう夜の片隅にしか残されていなかった。ただそれだけ。好きこのんで夜に生きているわけではなく、他に道がないだけなのだ。

 わずかに生存する人類は、せめてもの慰めに、自分たちが追いやられた夜の中で虚ろな快楽を探求するようになっていた。

 生存の岸辺にしがみつく衰退種の焦燥と狂気は、極限に達しつつあった。

 時としてそれが極端に過激な殺傷をともなう生臭い犯罪遊戯のかたちをとることもある。

 たとえば、吸血鬼の傲慢さに耐えかねた青年が、凶器を手にして突発的な「狩り」を行うというかたちなどを。

「何か言い残すことはあるかい、吸血鬼のお嬢さん」

 浅倉ケンイチが囁く。ひどく落ち着いた声で。親しみさえ感じられる調子で。

「う、あ………」

 少女がゆっくり、ゆっくりと、仰向けになる。

「――ニ、ン、ゲ、ン――」

 驚いたことに、彼女は瞳からほとんど生気を失いながらも、自分を上からのぞき込む男を、気丈にもきっと睨み付けた。

 震える唇。

「――下賤、な、人間――」

 むなしいリズムを刻みながら、少女の喉が末期の声を絞り出す。

「みんな、地獄――に――堕ちるが――いい――」

 それは理想家の父に育てられ、差別的な母に反発していた少女が、生涯最初で最後に口にした心底からの呪詛の言葉であった。

 だが、

「地獄だって?」

 浅倉は、叩きつけられた怨念など意にも介さず、ナイフを振り上げた。

「いまさらだな」

 そして彼は、あまりにもあっけなく、とどめを刺した。  

 吸血鬼の少女は死んだ。銃で撃たれ、刃物で斬られ、乱暴な悪戯に遭った野良犬のように、絶命した。

 そこには何の教訓もなかった。善もなかった。悪もなかった。罪も。愛も。欲も。神の意志も。悪魔の意図も。

 ただ、ひとりの人間による、抽象的な憎悪だけが、あった。

 ずたずたにされた生白い屍肉をかき分けて、血が滲み出てくる。浅倉の目は惹きつけられた。

 じくじくと。あふれ出る血。大量の血。止まらない血。

 血だ。

「あはっ」

 赤い、血だ。

「あはは」

 吸血鬼が

「あはははは」

 吸血鬼が、血を流してやがる!

「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」

 浅倉は、上半身を屈して膝を叩きながら、爆笑と咆哮の混然となった凄まじい声を絞りあげた。

 腹筋が切れそうだ。笑いが止まらない。息が詰まる。涙が出る。視界が滲む。目に映るすべてが歪んでいく。狂った眺めだ。いびつだ。奇妙だ。不条理だ。不合理だ。乱れてる。崩れてる。壊れてる。俺はこんな世界にしがみついて何をやってるんだ? おい、そこに転がってる血みどろのお嬢ちゃんよ、あんたは何のために生まれてきたんだい? いったい、何をするために?



「…………っっ」



 ふいに、浅倉の声が停止した。

 一瞬、あらゆる音が空中に吸い込まれ、かき消えた。そんな感覚。

 突然に沈黙した彼は、手中にあるナイフにこびりついた血に、視線を固定していた。

「…………」

 浅倉は、ある誘惑にかられた。何故そんなことを思いついたのか、自分でも分からないような事を、してみたくなった。

 蠱惑的な朱色に濡れそぼった刃の表面。そこに浅倉は、おそるおそる舌を這わせてみた。

「おお」

 鉄臭い味が舌を浸す。しかしそれでいて、思いのほか甘美だった。

 ナイフに付着していた血を残らず舐め取ってしまうと、今度は、ふらふらと、地に倒れ伏している少女の骸に歩み寄り、覆い被さった。

 衝動。つき動かされるまま、獲物の傷口から流れるねっとりとした鮮赤色の液体を手にすくいとって、大きく開いた口へと注ぎ込んだ。音を立て、一気に飲み込む。生温い感触が喉を通り抜けた。

 不快だ。きわめて不快だ。けれどそれが心地いい。

(化け物どもめ)

 恍惚としながら、胸の内でつぶやいた。

(俺たちはもうずいぶんお前らに血をくれてやったんだ。ちょっとくらい返してもらっても罪にはならないだろう?)

 浅倉はその思考力を、ただ自己弁護と凶行の正当化のために費すことに決めていた。理性など、とっくの昔に機能を喪失していた。

 気が済むまで少女の血をすすると、彼は立ち上がり、静かにその場を去った。口からこぼれ落ちる紅の滴りを拭いもせずに。そして、自分が惨殺した吸血鬼の遺体をうち捨てたままにして。

 少し歩いて、繁華街にやって来た。ネオンが招く快楽の市。すべてが目に痛いほどの原色光で構成される堕落の園。眠らない男たちと妖艶な女たちがとぎれのない波となってうねっている。そのほとんどが人間だ。

 ここは、絶滅危惧種特別保護区という名目で敷設された人類ゲットーのなれの果てだった。生き残った人類の大半が、この街に押し込められて、肩を寄せ合って暮らしている。

 酒気の微かに香る、埃っぽい空気を吸い込んだ。意識が濁り、よどんでいく。反面、皮膚感覚だけはひりひりと研ぎ澄まされていた。

 人混みを避けて、路地裏に入った。構造上、周辺の建築物に囲い込まれて表の喧騒と明かりが届かないそこは、一定の時間帯だけ死角的な暗黒に包まれる、浅倉のお気に入りの安息所だった。

 殺風景な通りを奥へ奥へと進みながら、浅倉は夜空を仰ぎ見た。天蓋にちりばめられた星々の明滅のリズムは冷ややかだ。林立するビルの狭間からは、いびつな形を描く上弦の月がのぞいていた。

(――ああ――)

 なんて、綺麗な、お月さま。

 この夜は、とてもとても美しい。

 見ているか? 化け物ども。お前らが我が物顔で闊歩する昼よりも、俺が生きるこの夜の方がはるかに美しいぞ!

 笑う浅倉。その姿は少しずつ裏通りを覆う闇のなかに埋没していく。やがてシルエットが消える最後の一瞬、彼が天に掲げたナイフが月明かりを反射して、白銀色の輝きを放った。

 明晩はまた忙しくなるだろう。別の獲物を見つけなくてならない。

 狩りは続くのだ。

 少なくとも、この命がある限り、いつまでも。




























 それから3ヶ月後、吸血鬼社会の警察機関に捕らえられるまでに、浅倉は45人を殺していた。



(了)

 


 

狩る者・・・狩られる者・・・

それが逆転した世界の物語

決して相容れることの無かった少女と青年が生死を分ちあった時

少女の母が語った隔絶が、少女自身の死によって繋がった

その瞬間が美しく綴られた作品だったと思います

 

みやもさん、寄贈をありがとうございました。

 

 

 

みやもさんに感想メールをお願いします。m(__)m

 


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