初めて女の子を好きになったのはいつのことだったろう
思い出す事が出来ない
逆に嫌いになったきっかけはよく覚えている
ずっと心に秘めていて言い出せなくて
今日こそは告白しようと心に決めた彼女がいた
それなのに、教えてくれとも頼んでない事を
俺が昔ふった別の女の子から聞かされたのだ
いかにも気があるような態度でウロウロされるのは迷惑なのよね
そういう意気地なしは好きじゃないんだぁ
クラス中の人気者だった彼女はそう回りに吹聴してたらしい
結局彼女はもてない者の気持ちなど一生理解出来ないのだろう
そしてそれをチクってきた別の女の子ごと
彼女の事も嫌いになってしまった
それから十年の時が流れた
相変わらず俺は卑屈なままで、それに見合った環境にしかいられなかった
それでも最近ふと思う事がある
彼女は誰か好きな野郎が出来て、そいつに告白する事が出来たのだろうか
/さつき
/1
タダ酒ほど上手いものはない−−なんて台詞は誰が考えたのだろう。そんなのは根拠の無い嘘っぱちだ。後頭部の方からの鈍い痛みを先程から感じ続けながらもそんな事を考えて酷く不機嫌になっていた。胸がむかむかする。溜まった物を吐き出せば気持ちよくなるのかもしれないが、それすらも面倒くさく感じる。
考えればわかりそうなものだ。あのしぶちんの禿が、やけに下品な笑みを浮かべて誘ってくるもんだから、暇つぶししてやろうとつきあったのだけど、いや・・・もの寂しかったのかもしれない。職場で居場所を失いだして、俺は人恋しかった。やるせない気持ちを、愚痴を聞いてくれる存在を心待ちにしてたのだろう。
君にはこの職種はむいてない
お前には言われたくない、ちょっとばかり社長に気に入られてるだけで散々俺に尻拭いさせてきたお前にだけは言われたくないぞ。友人に紹介してやるなどと言っていたが、たかがしれてる。それでもお願いしますと言う屈辱と、うざったい嘘だらけの自慢話を聞かされるのにじっと耐えていた。そんな俺には、安物のブレンドウイスキーは妙に合っていて、ついつい飲みすぎてしまった。
「こんな時はまた遊びに行くか・・・」
ぼんやりした頭に浮かんだのは、女の裸だった。俺みたいなダメサラリーマンの愚痴を聞いてくれるのは商売の女か、それともなにも考えてない、バカ丸出しの不良女子高生くらいのものだろう。やられたことはそのまま返してやる。説教と過去のどこかで聞いたような自慢話を聞かせてやる。ついでに抱ける対象をもとめて立ち上がる事にした。
「・・・・・・」
どうにも不味い酒を飲みすぎたようで、足元がおぼつかない。これじゃあ、たたないだろうな。まぁいい、説教と自慢話が出来ればそれでいいのだから。そんな風に思いつつ腰から崩れ落ちて頭をコンクリの地面に叩きつけてしまう。乾いた笑いを浮かべながら、起きようとするが身体が痺れて思うようにいかない。
そんな俺の右手が誰かの手に握られて、ゆっくりと引き上げられた。その手の感触はとても柔らかく、そしてひんやりとして気持ちよかった。さっきまでの不快感がどこかにいってしまったようだ。身体も急に軽くなった感じがして、俺はようやく立ち上がる事が出来た。
「サンキュー!悪いな・・・」
お尻をパンパンと叩きながら、手を貸してくれた相手を伺おうとする。口元には笑みを作ってみた。先程の握られた感触で相手が女だとわかっていたからだ。こんな深夜の時間帯、場末の飲み屋街にいる女などロクなやつじゃない。どうやら探す手間が省けたらしい。そんな風に思って正面に立つ女の顔を見つめて
「こんな時間になにやってるんだ。親は泣いてるぞ」
早速お得意の説教が出てしまった。それはそうだ、なにしろどうみても高校生風の少女がそこにいて、俺をじっと観察するかのように見つめていたからだ。ここからさほど遠くない高校の制服だ。朝方の通勤電車でもよくみかける。まさか、コスプレの出張サービスでもないだろう。ケバイ化粧も、鼻が曲がるような香水の匂いもないし。ぷくっとした柔らかそうな頬に、小さな何も塗ってない唇、左右に結ばれた髪はさらさらとしている。そして何よりもその相手をオドオドした感じで伺っている、その瞳がなんとも素人っぽくて可愛いものだ。
「家出か?こんな所で一人でぶらついてると変な大人に悪戯されるぞ」
よく言うぜ、俺自身がこれからその変な大人になるに違いないのに。
「悪戯・・・」
声も可愛らしい、やがて少女はくすりと笑った。なんか俺はどきどきしてしまった。なんてことだ、こんな少女にうろたえるとは。どうせまともじゃないんだ、今晩だけでもつきあってもらおう。2枚も渡して、始発までどうだと言えば、トコトコついてくる筈だ。
「だっだからな、この辺りはこの時間帯物騒だから、俺の家に行こう。なに、歩いてもすぐそこだ。なっ・・・」
「どうしようかな・・・」
小首をかしげてそう少女は呟く。
「だから物騒だと言ってるんだ。最近のテレビのニュース見てないのか?吸血鬼が若い女性を次々に襲ってるとか出てただろ」
そう俺が言うと、少女はきょとんとした表情を浮かべた。そして、ふ〜ん・・・となんか納得したような顔をして俺に近づき、そして胸元に寄り掛かった。それはOKのサインだろう。なんか妙に慣れているな。都合いい筈なのに、俺はどこかがっかりしてるらしい、変な気分だ。
「おい、一つ聞いていいか」
ぶっきらぼうに俺は胸元に顔を埋めている少女に問いかけた。暖かい呼吸を返す事で少女は反応を返してきた。
「名前はなんていうんだ?」
俺の名前を名乗るつもりは無い、ただ少女の名前だけを欲した。ここで戸惑うようだったら、ガキの背伸びなだけと割り切って、説教だけですますつもりだった。一方あっさりと名前を名乗るくらいの−−それが嘘だろうが本当だろうがどちらでもかまわない−−慣れた態度を続けられるのなら、たっぷりと可愛がってやろう。どうやらその大人しそうな外見と違って、遊びなれてるのかもしれないしな。そんな風に考えての事だったが、少女は不意に顔を上げて俺の事を見上げてきた。そのどことなく探るような眼差しのままで。
「さつき・・・」
その声、その瞳。その時俺は、さつきという名前の少女の虜になってしまっていた。
◇
初めてだった、こんなにしっかりとしている男の人に出会ったのは。なんか余裕が感じられるし、この人なら心細い思いをしているわたしを包んでくれるだろう。ここのところ決まった定住先をもたなかったので、疲れがたまっていたし、この人の所で暫くお世話になろうと思う。色々と都合がよさそうだし。
足取りもしっかりとしている。腰から崩れ落ちた時はなんかもうそのままだと思ったのに、手をかしただけで、しゃきっとして立ち上がった。その目はうつろに見えたけど、どことなくお父さんみたいな感じがした。だから今度は素直に胸に抱かれてみたけど、慣れた感じで優しくしてくれた。遠野くんもこんな風にしてくれるといいのにな。
家は散らかっていて、新聞とか下着とかが乱暴にあちこちに投げてある。足場も無いような所を歩いて部屋の奥に行くと、いかにもひきっ放しといった感じの万年床。そのまま押し倒されてしまう。なんだ・・・そこまで出来るんだ、なんて感心していたのに
「ぐぅ・・・」
あっという間にいびきをかいて寝てしまった。ちょっと重いよ。そう呟きながらなんとか身体をどかして自由になる。せっかくだから寝顔を覗き込んでみると、どことなく泣いているようにも見えた。この人も辛いのかもね。そう思えてきて、そのままその頭を胸に抱いて私も眠る事にした。夜なか中歩き回ったから疲れてしまったし、やっぱり遠野くんはいなかったから。
さつき/
/2
結局目覚めたら、また辺りは暗くなっていた。気持ちまで暗くなる。もう手遅れだ。昨日みたいに遠野くんを待ち伏せして、そして楽しい昔話をしてから、笑顔で別れる。
まるで仲のいい友達同士みたいな
そんな素敵な体験が出来るチャンスをみすみす逃してしまった。なんて馬鹿なんだろうわたし。思えば昨日は夢みたいな一日だった。先生が遠野くんを探していて、それで彼への伝言を私に頼んでくれた。今まで眺めてるだけで声すらもかけるのを苦労してたのに、先生の頼みという事で、ポンと背中を押してもらえた。
「えっと・・・・・・おはよう、弓塚」
嬉しかった。ろくに会話すらしたこともなかったのに、わたしの名前をちゃんと覚えてくれてて、そしてごく自然に呼んでくれた。簡単な事だった。ほんと・・・こんなに簡単にクラスメート同士という事でお互いの名前を呼び合い、朝の挨拶をすることが出来るんだ。そして朝の新聞やニュースのなにげない話題をして、先生が来て授業が始まるまでの時間を共有する。
二人だけじゃなかったけどね
いつも朝は重役出勤のくせに、こんな時に限って、乾くんが現れる。でもわたしはくじけなかった。遠野くんと乾くんはとても仲の良い親友同士だ。二人はどこかまわりのわたし達とは違う異質の空間を作っていて近寄りがたい。遠野くんに密かに想いをもっている女子はわたしの他にもいっぱいいる。でもどこから見てもアウトローで危険な雰囲気の乾くんが側にいるから近づけない。
いや違う・・・それだけじゃない、そんな乾くんと違って格好だけはわたし達と同じ真面目そうな筈の遠野くんも、やっぱり乾くんと同じ雰囲気を醸し出しているんだ。同じ危険な、触れたら切れてしまいそうな鋭い刃物のような雰囲気を。だからわたしも他のみんなも近づけなかったのに、それでもあの時は頑張れた。だって・・・遠野くんがわたしの名前を覚えててくれたから。
不意に部屋のドアが開いた。見知らぬ男の人が右手にコンビニの袋を持って入ってきたのだ。昨日の遠野くんとの楽しかった事を思い出してたのに中断された。わたしはどこかむっとしてその人を睨みつけた。
「なんだ、今起きたところか?目が真っ赤だな、寝すぎだよお前」
睨んだ筈なのに、それを軽く受け流して、その人はわたしを嗜めるような事を言う。どうでもいいでしょ・・・と拗ねた呟きを返してみたが、まぁそういうな・・・と笑い、カーペットの床に座っていたわたしの前に、コンビニの袋の中身を投げてきた。オレンジジュースと菓子パン二個だった。
「食うだろ。本当ならもっと美味しい物をご馳走してやりたいところだが、あいにく暫くは見入りが途絶えそうなもんでね。でっそれ食ったらお家に帰るのか?お嬢さん」
そう言いながら、部屋の真中で座るわたしを通り越して部屋の隅まで歩き、壁際に背中をつけながら、あぐらをかくように座り込んだ。そしてその場にあったリモコンのような物を握ってテレビをつける。わたしは彼の質問には答えず、テレビの画面を見ながら菓子パンの袋を開けようとした。テレビは今日のニュースを流している。画面左上に19:04の時刻が表示されていた。昨晩もまた、街に犠牲者が出たらしい、レポーターが現場の前に立って説明をしていた。
その現場に見覚えがある・・・
そんな風に考えながらテレビを食い入るように見ていると
「食べないのか?ずっと昨晩から寝てるんだ。お腹がすいてる筈だろ」
彼が心配そうに問いかけてきた。でもわたしはどう答えていいかわからない。テレビが気になるから・・・そうじゃない。彼を警戒してるから・・・違う。
ただ・・・そんなものを食べる気がしないだけだから
◇
もう会社に行かなくてもいいのに、俺は朝7時には目が覚めてしまった。昨日拾った女子高生がすやすやと眠っている。まったくの無防備な姿で。一瞬襲ってみるかとも考えた。実際昨晩はそうしようとしたのに、それ以上に疲れからきたらしい睡魔に勝てなくて意識を失ってしまった。
名前は、さつきとか言っていた。いい名前だ。そう思いながら彼女の寝顔を覗きこむ。昨晩夜の繁華街で見た時とは違って、朝の明るさで見ると、これはもうとんでもない美少女だ、恐らく学校では男子生徒にもてもてだろう。しかも冷たい美人という訳でもなく、人懐っこそうな愛嬌もある。昨晩の可愛らしい口調仕草をみても、これは同姓にも好かれるタイプに違いない。クラスの中心になりそうなそんな女の子だ。どこか懐かしい思いに囚われる。
ずっとその寝顔を気がついたら眺めていた。時より寝言をもらす、聞き取りづらかったが男の子の名前を呼んでいたように聞こえた。その時はとても嬉しそうな表情を浮かべていた。見てるこちらまで心が和むような。だからもうSEXなんて興味もわかない。そうだ、この子はこんなところで見ず知らずのリストラ男の部屋で犯されるべきではないんだ。いったい何があって、昨晩うろついてたのかは知らない。でもこんな似合わない事はとっとと止めさせて、家に学校に、そう、彼女がいるべき世界へ戻してやらないと。そして想いを寄せてるらしい男の子に告白して、そして幸せに・・・
「食べたくない・・・」
テレビを見たままこちらを振り返ろうともせずに、さつきは答えた。不思議と、そんな拗ねたような態度にも気にならない。確かにそうだろう、食べる気はしないんだろうな。さて、そろそろ言ってやらないといけない。そんな風に思い立って、背中を向けたままのさつきに語りかけた。
「そろそろ家に帰ったらどうだ」
「・・・・・・」
無言だ。いい度胸だ。少し脅かすぐらいがいいかもしれない。
「おい、聞こえてるのか?邪魔なんだよ!!」
「・・・・・・」
それでもしかとだ。このままだらだと俺の部屋にいつくつもりか。
「警察に電話するか」
「・・・・・・」
これも効果なし。しばらく俺は考え込んでしまったが、不意にさつきの寝言を思い出した。そこでたいした効き目はないとも思ったが、なんでもいいからと考えて
「そんな不良少女やってたら、遠野くんにふられるぞ」
少し悪戯っぽく言ってみたが、するとびくっと背中を震わせて反応し、俺の方に振り返って、そして怒った目で睨んできた。しかしそれも一瞬の事。やがて俯き、そして呟いた。
「そうかもね・・・どうしてわたしってこんなに馬鹿なんだろう・・・」
その声には力が無く、俯いてたので表情は読み取りづらかったが、それでもさつきの声は泣いてるようにも聞こえてきた。しばらく沈黙が流れる。俺は、さつきが次の言葉を発するのを待ってようと思っていたのだが、悲しいまでの沈黙に耐えられなくなって、わざと軽い調子でそれを破ろうとした。
「遠野くんとは上手くいってるのか?それとも上手くいかなかったのか?」
さつきは顔をあげる。その目は空ろだった。泣きはらした感じではない、実際瞳も頬も濡れてはいなかったし。それでも酷く衰弱したように見えた。
「どうせダメだし・・・」
諦めたような力の無い呟き。
「どうしてダメなんだ、その彼は既に他の彼女がいるっていうのか」
俺はいつのまにか、なんとかさつきを慰めよう、元気が出るように励ましてやろうとしていた。さつきは、いないわ・・・仲のいい男友達はいるけど・・・と答えてきた。だったら、そんな風にうじうじ考えてないで告白してみればいいじゃないかと、そう説得してみた。そうだ、こんな可愛い女の子が好意を示せば、男の子なら喜ぶ筈だ。どうして自信がもてないのだろう。客観的に、自分が平均よりも可愛くて、人気者だという事は自覚している筈だ。そう思い口に出してみると
「わたしって人に優しくされた事無いから、クラスで人気があっても、でも大好きな人に優しくされた事はないから、だから自信なんてもてないよ」
さつきのか細い呟きに俺はショックを受けた
「小さい頃から、大好きな人に優しくしてもらったことがないもん。お父さんもお母さんもわたしを邪魔にしてた。先生だっていつもわたしを特別扱いにして・・・」
◇
弓塚の家は、古くからの伝統のある名家だった。母はその本家筋の一人娘だったらしい。親族達はそんな母に期待してたし、母もそれだけの能力があったようだ。その為、普通の子供みたいに学校に通う事もなく、終始屋敷の中に閉じ込められ、持てる能力を引き出し更に磨く為の習い事を強制される毎日だった。どんな能力なのか、なんの伝統かはよくわからないけど、呪術の類だとかなんとか、あまり世間に表立って誇れるようなものではない事は確かだ。
母は自分にあるそんな能力を忌み嫌っていた。こんな閉鎖的な空間から飛び出して自由になりたかった。だからそんなある時、家令の立場にあった父が、密かに母を連れ出して、屋敷から逃げ出した時はとても嬉しかったんだと言う。元々父にほのかな想いを寄せていたのだし、その想いが届いて、私を息がつまりそうな閉鎖的な空間から救い出してくれたのだと、そう思っていたと。
しかしまだ少女だった母は何もわかっていなかったのだ。二人きりで息を潜めてある場所に逃げていたのだが、やがてある日、父が新聞を母に向って投げてよこした。そこには『名家一族惨殺、犯人は不明』という記事が載っていた。被害者の顔写真が載っている。母にとっての両親、祖父、祖母、叔父その他の顔が並んでいた。呆然として記事を読んでいた母に、父はこう言ったらしい
幸いにもあなただけは助かった。もう七夜は手を出してこないから
そう、父は母を息が詰まるような一族の監視から救い出したのではない。父が母を外に連れ出したのは一族の総意だったのだ。せめて正当な後継者である母の命だけでも守る為に。そして父は母に向ってこう告げた
弓塚の家を絶えさせるわけにはいかない
母は失望した。自らの特殊な能力が、弓塚の能力が、今回の惨事を引き起こしたのだ。そして今、自分を普通の世界に助け出してくれたと思った父すらもまた、それに懲りず、今度は自分にその弓塚の業を全て背負わせるつもりなのか。それじゃあ、そんな呪われた能力を持ちつづければ、やがていつかは自分も両親達みたいに殺されるのではないのか。それともあるいは復讐させようというのか。そんなのごめんだ。母は心を閉ざした。父はなんとか母の能力を磨こうとしたらしいのだが、もはや母には屋敷にいた頃のような能力の片鱗すらも失っていて、なんの力も残っていなかった。母がそれを心から望んだから。ただ平穏な暮らしだけがしたかった。
父は母を犯した。そして世間的には、父が弓塚の家に婿養子に入る結婚という形をとった。そして父は弓塚の全財産を継いだのだ。決して父がその莫大な財に目がくらんだのではない。あくまで父は、腑抜けになった母の代わりに、弓塚の家令として、一族の特殊な能力の存続を、そして七夜への復讐を望んだのだ。−−七夜はやがて他の一族に滅ぼされたらしい−−母はそんな父の言いなりだった。そもそも幼い頃より屋敷での暮らししかしらない母には、一人で生きていく事は出来ないのだ。ただその能力を閉じ込めるといった些細な抵抗しかなかった。そしてわたしが生まれた。
父はとても喜んだらしい。母はわたしが特殊な能力を受け継がない事だけを願った。その母の願いが勝ったのか、わたしはごく普通の女の子として育った。なんの能力の兆候もみられなかった。父は酷く落ち込み、そしてふさぎがちになった。母はわたしについては喜びつつも、父を慰めようとした。母は能力については抵抗をしていても、父そのものは深く愛していたのだから。しかし父は、亡くなった弓塚家の先代達に申し訳ないと詫びるだけで、母をまったくかえりみようともしない。財産はあふれるほどあったので、父も母も働こうとはせず、終始家にいて、隣人とも付き合わず、ひっそりと暮らしていた。贅沢をせず、ささやかなレベルの暮らしなら当分の間暮らしていけるのだから。そもそも目的を失われた父も、世間知らずの母も、外に出て行く気力を失っていた。
毎日ぶつぶつと呟きながらふさぎ込む父。そんな父を見守るだけで何も出来ない母。そしてわたしは、そんな暗い家の中で両親の愛情を充分に受ける事もなく育った。小学校に通った当初は、わたしにも友達が出来た事もあった。でも母は、わたしに潜む能力がある時覚醒するのではないかと恐れており−−それがふさぎこむ父が元気になる唯一つの事なのに−−ある一定以上に、わたしが友達と仲良くなる事を禁じた。ある時は露骨に邪魔をしてきた。いつのまにか、わたしは暗い、人付き合いの乏しい女の子となり、そして中学へ進学した。
中学へあがってまもない頃、一人でとぼとぼと帰宅していたわたしは、不意に変質者の男に襲われそうになった。その男は私を殴り気絶させて、ある路地裏に引きずり込んだ。そしてわたしが気がついた時、男はズボンのチャックを開け、激しい息遣いで私に迫ってきた。
迫ってきた筈なのに。わたしは怖くて叫び声をあげ、両手で目を覆った。それだけの事だったのに
・・・・・・・・・
鈍い音がした。そして続いて男の、人とも思えない動物みたいな奇声が聞こえてきた。やがて静かになる。心をなんとか落ち着かせて、恐る恐る目の前から両手をどかして前を見ると
男は刃物を自らの腹や胸とかに乱暴に刺しまくっていて、血だらけになり息絶えていた。
大量の血が地面に流れている。何が起こったのかわからない。一体男に何があったのだろうか。身体中を刺していたのに、男の顔に苦痛の色は無い。むしろ喜びに満ちているような、そんなぞっとする気持ちの悪い笑顔で、血まみれになり死んでいた。
そしてわたしは警察に保護される。血まみれの男と二人きりだったのだが、わたしに返り血が無い。それでは、わたしが男を殺したのだという状況証拠になりえない。実際わたしは殺した覚えも無いし。警察は頭を捻りながらも、迎えに来た両親にわたしを渡した。父は小躍りしていた。わたしは生まれてからこんなに楽しそうに笑っている父を見た事が無い。逆に母は顔面蒼白になって震えていた。そしてわたしを強く抱きしめた。父は家に帰っても笑いつづけて、そして満面の笑顔でわたしを手招きした。わたしも怖い思いを、気味が悪い思いをしてたので心細かったし、なんといっても見たことの無い父の喜んだ顔が嬉しくって、父の側にいこうとしたが
・・・・・・・・・
急に意識を失った。そして暫くしてその意識が戻った時、母は大声を上げて泣いていた。
父はやっぱり笑っていた・・・・・・
身体中に包丁を刺しまくって血だらけになりながら
わたしは父を失った。そして母はわたしを抱いてこう言った。
弓塚さつきは殺人鬼ではないから・・・違うから・・・
わたしはもう深夜だったにもかかわらず、家を飛び出した。そしてふらふらと夜の街をさ迷い歩いた。やがて朝の太陽が昇る頃、わたしは公園で一人佇んでいたのだった。
「殺人鬼か・・・」
そうぽつりと呟く。考えた事もなかった。でも今やその言葉は肌に実感として感じる事ができる。この一日の間に、路地裏と家で二回も大量の血を見てしまったから。二回目の家での事は、母がやったことだ。母は父を殺したんだ。そして最初の路地裏で変質者の男を殺したのは、このわたしなんだ。
身体が震える、寒い、思わず自らを抱きしめてうずくまった。地面に涙が零れた、もう家に帰りたくない。そんなわたしの前に一人の男の子が現れた。
「どうしたの、こんな場所で」
歳の頃は同じくらいだ。しかしそんなにやんわりと言われても、答えられない。そもそもまだ明るくなり始めたとしても、まだ朝の6時前といったところだ。そんな時間に人気の無い公園で一人うずくまって泣いてるわたしも異常だが、そのわたしに自然に声をかけてくるその男の子だって普通じゃない。
「朝の空気が気持ちよくって・・・まだ暑くも無いしね」
のどかな事を言ってくる。こちらの気持ちも知らないで。
「寒いの?おかしいなぁ・・・寒いわけないんだけど。あっ風邪でもひいてるんじゃない」
なんて人懐っこそうな事を言って、わたしに近づき、肩に手を触れようとしてきた。瞬時にわたしはその手を弾く。そして、きっとその男の子を睨みつけ叫んだ。
「近づかないで!わたしは殺人鬼よ!」
泣きはらした目でそう叫んだのに、眼鏡の奥に優しそうな瞳をたたえたその男の子は、まったくひるまずにわたしに近づき、そして抱き起こしてくれた。
「・・・!?・・・どうして?」
そう呟かざるをえなかった。あんな事を叫んだのに、どうして怖がらずに?
「地面に座ってたら身体が冷えるから・・・ねっ」
その言葉にわたしは毒気を抜かれて、呆然としてしまった。なんか言おうとしたけど、上手い言葉が見つからずにもじもじしていると
「殺人鬼には見えなかったから。そんな風に泣いてる女の子が殺人鬼の筈ないじゃないか」
あっさりと、わたしが言った事を否定してくる。思わずなにか言おうとしたが
「もし仮に殺人鬼がいるんだとしたら・・・それは僕の事だと思うよ」
「え?」
予想もしなかった男の子の言葉にわたしは驚いてしまった。身体は細身で、しかも眼鏡をした表情は中性的な可愛らしささえある。どこをどう見たって、彼が殺人鬼には見えない。
「ふざけないで!」
なんかわたしが殺人鬼だと叫んだ事を軽んぜられたようにも思えて、怒ったように叫んだ。それでも男の子は馴れ馴れしくわたしの肩に手をかけてこようとしたので、また右手を振るって跳ね除けようとしたのだが、勢い余って男の子の顔を叩いてしまった。その勢いに顔をそむけて、かけていた眼鏡が地面に落ちる。男の子はゆっくりとした動作で眼鏡を拾うとしたが、不意に頭を抱えて苦しそうにうずくまった。やりすぎてしまった。こんな暴力をふるうつもりは無かったのに。わたしは自責の念にかられてうろたえてしまったが
「ごめん・・・眼鏡を拾ってくれない・・・」
男の子は苦しそうな声でそう言った。わたしはあわてて謝りの言葉を言いながら眼鏡を拾う。そして男の子にそれを渡そうとした。男の子も苦しそうにしながらも顔をあげてその眼鏡を受け取った。
「怒ってないよ。僕のほうこそ馴れ馴れしすぎたね、ごめん・・・!?・・・どうしたの?」
男の子は穏やかな口調で、眼鏡を再び顔にかけた。そして、ふぅーと一息ついて、わたしを見つめてきたのだが、わたしが唖然としていたので不審に思ったのだろう。わたしは歯をがちがちと鳴らして震えていた。あまりの怖さに身体中を震わして。
「じゃあ、僕は行くよ。色々とごめんね。風邪には気をつけて」
そんなわたしを置いて男の子は立ち去ろうとする。わたしは、まだ震えは止まらなかったけど、それでもなんとか男の子を呼び止めて、こちらからも失礼な事をしたと詫び、そして最後に名前を聞いた。
「僕は遠野志貴というんだ。その制服みると学校は同じだよね」
また学校で・・・と言って、遠野志貴くんはわたしの前から立ち去って行った。わたしは、うんとかなんとか呟くだけで上手く言葉を返す事もなく、そのまま遠ざかる彼の背中をずっと見つめていた。いつのまにか身体から震えが止まっていた。涙も乾いていた。
なんで震えていたのだろう・・・それは本当に怖い視線を見たから
なんで泣いていたのだろう・・・もう悲しくない
殺人鬼?・・・わたしはそんなものじゃない
確かに人を殺してしまった。でもあれは仕方が無かったんだ。そうしなければわたしが殺されたかもしれないし。家に帰って母にも言ってあげた、わたしを守る為に父を殺したんだよね、わたしの為に。だからわたしも母も殺人鬼じゃないんだ。本当の殺人鬼というのは・・・・・・そう思って気持ちが楽になった。
わたしの生活はその後もたいして変わりが無かった。父は自殺だと処理された。わたしがそう言って母を庇ったから。警察はあれこれ暫くは調べてきたが、わたしも母もお互いの為に、つまらない発言も行動も示さなかった。やがて警察は立ち去っていった。噂では、わたし達が住んでいる街の実力者が警察を止めたとも聞いたが、興味もなかった。
わたしは遠野くんの姿を学校で追った。直ぐにみつかった。身体があまり丈夫でないのか休みがちで、影の薄い男の子だった。友達の女の子も興味なさげであった。それに、みんなから怖がられていた乾くんがいつも側にいたから近づけなかったし。
そしてあれ以来、やっと遠野くんと話が出来たのは、二年生の冬に、部活の後、体育倉庫に閉じ込められていた所を助けてもらった時だった。他のみんながどうして扉が開いたのかもわからずに、ただ助かった事でほっとしていた時、わたしだけは誰がどうやってわたし達を助けてくれたのかを気がついていた。遠野くんはさりげなく外していた眼鏡をかけなおして、刃物みたいなのをズボンのポケットにしまったのだけど、まっさきに遠野くんの姿を目で追ったわたしはその動作を見逃さなかった。あの朝の公園で初めて会った時、眼鏡を外していた時の遠野くんの顔を覚えていたから。だからなんの疑問もなく、遠野くんが助けてくれたんだって理解できた。遠野くんはこれで絶望で涙していたわたしを二度も助けてくれたんだ。
それ以来、わたしは彼に夢中になった。他の男の子の事なんて全然目に入らなかった。相変わらずわたしのまわりは無味乾燥のままだ。母は家ですることもなくふさぎこんでいる。学校でも本当に仲のいい友達なんて出来ない。作ろうともしなかったし。ただもう遠野くんの事だけが知りたかった。彼と仲良くなる術は持たなかったけど、彼の事を調べていろんな事を知って、そうしてると彼に近づけるような気持ちになれた。
彼が小さい時に大怪我をして、遠野さんの家から勘当されて、有馬さんの家で面倒みてもらっている事も。遠野さんの家の人が惨殺された弓塚一族の恨みをはらしてくれた事も。父の実家が有馬さんだったという事も。そう、わたしと遠野志貴くんはとても近い存在だったんだ。多分わたしは彼以上に彼の事を知っていたのかもしれない。でも、もし彼と話す事が出来るようになったとしても、必要以上に知ってる事は言わないでおこう。そうじゃないと気味悪がられてしまうから。でも全部知っているんだよ。
いつも目で遠野くんを追っていた、彼の事を知れば知るだけ、彼の事で夢中になる。でもそれでも、彼と仲良くなる事は出来ないんだ。それはわたしと彼は違うヒトだから。わたしは遠野くんみたいな本物の殺人鬼にはなれないから。そして皮肉な事に、街を騒がす殺人鬼の話題のお陰で、やっと遠野くんと話をする事が出来た。体育倉庫での事、そして言い出せなかったけどあの朝の公園での事、二度もわたしを助けてくれた事のお礼をやっと言えた。
◇
さつきが一人で心ここにあらずの状態で彼女自身の事を紡ぎだすのを、俺は黙って聞いていた。激しいショックを受けていた。昨晩思っていた邪な考えも、自らの不遇な立場に対する憤りも、どこかに飛んでしまっていた。ずっとこの子は一人ぼっちだったんだ。誰からも優しくしてもらった事がなかった。優しくしてもらう術も持っていなかった。自らに眠る呪われた能力にずっと怯えていたんだ。でもやっとそんな彼女の寂しい想いが、遠野とかいうやつに届きそうになった。だったら何故、さつきはこんな所にいるんだ。早く彼のいる学校へ戻るべきじゃないのか。なんで昨晩も一人で夜の繁華街をさ迷っていたんだ。そういう思いにかられて、俺は、さつきに尋ねた。
「街に殺人鬼が現れて、女の人が次々に殺されている・・・」
「だから、そんな物騒な時だからこそ、出歩かないで、家で大人しくしてるべきだろう。過去のいきさつからいって、弓塚母子は警察にマークされている筈だぞ」
俺の問いかけにあっさりと答えた彼女に、俺はますます苛立ってそう詰め寄った。
「誰かが・・・夜の街で遠野くんを見かけたって・・・」
さつきは悲しそうに呟く。その時俺の頭に衝撃が走った。彼女曰く、その遠野志貴とかいうやつは、本物の殺人鬼だと。ということは、さつきは街を騒がす殺人鬼の正体が遠野ではないかと危惧して、それで、いてもたってもいられなくなって、夜の街を徘徊したというのか。
「これからまた街に出て彼を探すのか?」
俺は声を低くして、さつきに尋ねた。彼女は無言で頷いた。その目には悲痛な決意が写し出されていた。危ない・・・俺が思ったのはその事だった。確かにその遠野ってやつが怪しい。違うかもしれないが、もしそうだったとしよう。そんな彼と、もしその殺害現場とかで出会ってしまったら、この目の前の少女はどうするというのだろう。嫌な、悲惨な想像しか浮かばない。だからこれは止めなければ。さつきをもう夜の街にいかせてはいけない。もし何かの間違いがあって、さつきの呪われた能力が覚醒してしまったら。そんな事は絶対ダメだ。
「外に出るな!!」
大声で叫んで、俺はさつきを止めようとしたが
・・・・・・・・
さつきの瞳が真っ赤に染まっていた。そして俺は、身体の自由を奪われて意識を失った。
/3
気がついたらまたあの路地裏に来ていた。あたり一面が真っ赤に染まっている。足元が水浸しで滑りそうだ。そんな中、わたしは最後の獲物から血を飲んでいた。ふと思う・・・昨日みたいにやってみようかしら。そう考えて、もはや息をしていないその獲物に私の血を送り込んでみようとした。
その時、背後から物音がした、振り返り、そしてあわてて側の壁の上まで跳ねて、そこにはりつく。そして血だらけの場所にもかかわらず足を進めてきた者の姿を、上から見下ろした。
「どうして・・・」
思わずそう呟いた。幸い彼はわたしに気がついていない。いやその惨状に呆然としてるのだ。それはまったくごく普通の人の反応ではないか。そう、彼は、この惨状を見てただ気が動転してるだけなのだ。
「よかった・・・」
再び呟きが漏れる。今度は心から安堵した気持ちからのものだ。そう、遠野くんではなかったんだ。彼はこの件に関しては無実なんだ。心配して損しちゃった。嬉しさを隠し切れない。今街を騒がしている連続殺人事件の犯人は彼ではない。何故なら・・・
コロシテルノハ、コノワタシダカラ
そうだ。わたしは遠野くんに負けないくらいの殺人鬼になったんだ。これなら自信をもって遠野くんに近づく事が出来るよ。お母さんごめんなさい、やっぱりさつきは弓塚の血に忠実に生きていこうと思う。そうすれば、遠野・・・いや生粋の殺人鬼七夜志貴くんといっしょになれるもん。身体の調子はとても悪かった。中途半端に血を飲んで、しかも満足してないのに中断したから。でも気持ちは弾んでいた。さっき血を送り損ねた獲物が遠野くんに抱きついたが、あえなく自ら崩れていった。崩れなければ、わたしが行ってとどめをさそうと思ったけどね。
弓塚の一族はまだ力不足で、七夜に惨殺された。だから、かつてのわたしでは遠野くんには勝てないだろう。でも今のわたしは違う。何故なら弓塚の能力に加えて、吸血鬼の力を得ることが出来たから。
わたしは笑顔で、両手を背中に隠しながら遠野くんの前に現れた。
「遠野くん。それ以上そこにいると危ないよ」
「弓・・・塚・・・?」
「こんばんは。こんなところで会うなんて、奇遇だね」
最初は遠野くんを殺人犯だと言って脅かしてやろう。さんざんわたしを不安がらせたんだから、このくらい意地悪してもいいよね。でもやっぱり遠野くんは直ぐに気がついた。これがわたしのやった事だと。流石は遠野くんだ。わたしが大好きな遠野くんはやっぱり凄いや。わたしは血にまみれた両手を出して、誇らしげにわたしのやった事を説明する。あんまり嬉しくって興奮しちゃったから、遠野くんの事を、志貴くんと呼んでみた。
「志貴くん、生きるために他の生き物を殺す事はね、悪い事じゃないんだよ」
詭弁だと自分でもわかってる。志貴くんも唖然としてるから。悲しいな、志貴くんならここまで説明すればわかってくれると思ったのに。
「わたしは今日が初めてだから加減が出来なくって、血を吸う時に・・・」
だからちょっとだけ嘘も言ってみたくなる。そうすれば、同情してもらえると思ったから。
「あやうく志貴くんを巻き込む所だった。ソイツが成り切れないで死んでくれて、本当によかった」
これは本当だよ。志貴くんは、わたしのこの手で仲間になって欲しいもの。急に身体が苦しくなる、胃から大量に飲んだ血が逆流してくる。身体が、がくがくして震える。弓塚の血が異物にまだ逆らっているのか。直ぐになじんでくれればいいのに、こんなに苦しいだなんて。どうして・・・どうしてこんなに苦しいの・・・やっと本物になれるというのに。
「おい・・・苦しいのか、弓塚?」
志貴くんが駆け寄ろうとする。あの公園の時と同じだ。あの時の、眼鏡を外した時の志貴くんの恐ろしい視線が頭に蘇ってくる。思わず彼を再び手で拒絶した。今度は眼鏡を叩き落とさないように気をつけて。落としてしまうと、今まだ本物になりきれてない弓塚さつきは・・・
ナナヤシキニ、コロサレテシマウモノ
「ダメだよ、全然大丈夫じゃないよ、志貴くん」
それでも彼はわたしに近づこうとする。わたしは顔をブンブンとふって必死に拒絶した。
お願いもう少し待って。志貴くんより優れた殺人鬼になるまで待って。
わたしは心配そうにわたしを見つめる志貴くんから後ずさる。身体はあちこちが悲鳴をあげている。
痛い・・・身体中が痛いよ・・・心が痛いよ・・・
本当は志貴くんにまた助けて欲しい。
けど・・・まだ今夜はダメなんだ。
「待っててね、すぐに一人前の吸血鬼になって、志貴くんに会いに行くから」
そうして志貴くんにわたしの血を送って、わたしと同じにするんだ。そうすれば、七夜と弓塚の二人でも殺しあわずに手をとりあって生きていけるもの。神様がわたしにチャンスをくれたんだわ。吸血鬼になれなかったら、一生志貴くんには近づけずに遠くから見てるだけだった。だって近づいたら、いつかわたしが弓塚の能力を漏らした時に志貴くんに殺されちゃう。でもわたしが志貴くんをわたしの血で支配したら、いつまでも二人で仲良くしていられるもの。
わたしは呼び止める志貴くんを置いて路地裏から飛び出した。いっぱい血を吸わなければ、そして血を相手に送る練習をもっとしなければ。わたしはそうして夜が明けるまで、志貴くんには見つからないように注意しながら、次の獲物を求めた。そして朝になったので、また例の男の人の部屋に戻った。
/4
ようやく意識が戻った。さつきを止めようとしたのに、無様にも気絶してしまったらしい。うっすらとした意識の中ふと時計を見る。22:55・・・土曜日・・・!?・・・なんということだ。俺は一日以上も寝ていたというのか。さつきはどうなってしまったんだ。俺は彼女の事だけが心配で部屋を飛び出した。
寝すぎた為か、身体に力が入らない。考えてみたら、あの晩さつきと出会う前に不味い酒をしこたま飲んで以来何も口にしてなかったんだ。足元がふらふらになる訳だ。それでも俺は走った。さつきの姿を追い求めた。
そしてどれだけ走ったのだろう、もう時間が何時かはわからない。それでも繁華街近くでやっと俺はさつきを見つけた。思わず駆け寄る。馬鹿やろうと怒鳴りたかった。そして彼女に教えてやりたかったんだ。
お前は特別な女の子じゃない。好きな男の子に恋焦がれて一人悩む、そんなごく普通の女の子なんだ。誰にも優しくしてもらえなかった・・・違う、そうじゃない。そう自分で考えて拗ねていただけなんだ。母親に幼い頃から友達を作る事を邪魔されてる内に、自分が友達を作れないんだと思い込んでしまった。勇気をもって自分を素直にさらけだせば、みんなにいっぱい好きになってもらえる。優しくしてもらえる。遠野とかいう男の子にも優しくしてもらえるんだ。
「どいて!邪魔よ!」
さつきは、また赤い瞳で俺を睨みつけた。気が遠くなる。でも今度は、このまま気を失うわけにはいかない。
「俺の言う事を聞いてくれ。お前はな、優しくしてもらえない訳は無いんだ。自分を素直に出して相手に接していけば、みんなから愛してもらえるんだ。遠野くんにも必ず想いは届く。そして大切にしてもらえる。それを意気地なくうじうじしてたらなんにも得られないぞ。さつき!お前は普通の女の子だ。お母さんだってそれを望んでいた筈だ。お前が普通に成長して、そしてみんなから愛されて、大好きな男の子といっしょになれて、幸せになるというのを。その為に父親を・・・・・・」
上手く言いたい事がまとまらないまま、ただ感情の赴くままに俺は彼女に語りかけていた。わかって欲しい。確かに過去にはつらい思いをしたんだろう。でもそれを乗り越えて欲しい。俺みたいに意気地なしのまま、かってに拗ねて、こんなつまらない大人にならないで欲しいから。だからそれをもっと伝えたかったのに
「うるさい!!」
さつきの右手が俺の首元へ伸びた。そして首に火傷したような熱い感触がした。さらに気が遠くなる。それでも俺は気絶するわけにはいかない。嫌な音がする。バキバキとなにかが砕かれる音だ。そして俺の髪が乱暴に引っ張られる。それでも正面を見ると唖然とした。
少年の背中に、腕や足をいびつに曲げられた男の身体が、首の無い男の身体が、無造作に投げつけられたのだ。命中した少年がその場でうずくまる。
「あーあ、当てるつもりはなかったんだけどなあ」
顔の上の辺りから、そんな楽しげな声が聞こえてくる。さつきの声?・・・そして俺は髪をつかまれたまま少年の側に近づいていく。さつきと一緒に・・・少年とそして首の無い男の身体の傍に。
「ごめんなさい志貴くん、痛かったでしょ」
さつきは相変わらず楽しそうに言って、俺を・・・俺の首を少年の前に投げつけた。
少年は恐る恐るさつきに尋ねる。
「弓塚、今の・・・は・・・」
さつきはペロッと下を出しながら、楽しくってならないような口ぶりで。
「うん?ああ、ソレの事?志貴くんを追いかける時にぶつかっちゃったんだ」
つまり俺は
「なんだかんだってうるさいから、口と身体を引き千切ったの」
さつきに
「ペロって血も舐めてみたけど、お酒で肝臓をやられてる男の人の血ってすごく不味いんだ」
殺されたのか
「志貴くんも相手を選ぶ時は若くて健康な身体にしなくちゃダメだからね」
でも未だに意識が残っているのはどういう事だ。
「人を殺してなんとも思わないのか、弓塚」
そうか、彼がさつきが想い続けた、遠野くんなのか。
「思わないよ。話をする人間と食用の人間は別物だもん。志貴くんだって、友達用の人間と殺し用の人間は別なんでしょ?」
事も無げにさつきはそんな事を言う。それは嘘だ。お前はずっと自分の隠された殺人衝動に怯えていて、そして友達が欲しくって、優しくしてもらいたくって、ずっと寂しい思いをしていたんだ。
「そりゃあわたしだって初めはそんなふうにわりきれなかった。昨日の夜だって自分自身がすごく嫌いだったんだから。でも、身体中が痛くて、痛みを和らげるためには血を飲むしかなかった。だからたくさんの人を殺したわ。一人殺すたびに、カラダの痛みが和らぐ代わりにココロが痛かった」
さつきは最初は笑いながら言っていたが、最後は泣いてるみたいに聞こえてきた。だんだんと意識がぼやけてくる。それでも俺はさつきを見つめ続けた。
「・・・わたし、志貴くんみたいに人殺しが楽しめるような、立派な吸血鬼になるから」
さつきは泣いていた。涙は零れていなかったけど、それでも悲しみに喘いでいた。哀れだ、なんて残酷な事なんだ。弓塚の血ゆえに、彼女は吸血鬼に血を吸われた時に死にきれず、死徒になってしまった。そしてそのまま暴走してしまってる。本当の彼女の心の痛みを抱いたまま。自らではどうしようもない衝動に突き動かされて、大好きな彼に襲いかかろうとしているのだ。
助けてやって欲しい、かわいそうなさつきを救って欲しい
俺は何もしてやれないから
さつきに血を送り込まれてしまった俺には
想いが少年にも届いたのか、彼は眼鏡を外した。さつきがぶるっと震える。
「・・・・・・そう。やる気なんだ、志貴くんってば」
さつきを頼む。
俺はそう願って意識を自ら閉じた。
夕暮れの教室で佇む彼女を見た時の事を思い出す
あの子は泣いていた。いや涙は流していなかったけど、そんな風に見えた
クラスの人気者でいつもみんなの中心にいた彼女
でも本当に彼女は幸せだったのだろうか
好きだった男の子に優しくしてもらえていたのだろうか
今となっては、わからない
でもあの時、俺は勇気をふりしぼって彼女に声をかけてあげるべきだったんだ
そうすれば、もしかしたらこの俺が
泣いていた彼女に優しくしてあげられたのかもしれないから
◇
お前はな、優しくしてもらえない訳は無いんだ。自分を素直に出して相手に接していけば、みんなから愛してもらえるんだ。遠野くんにも必ず想いは届く。そして大切にしてもらえる
不意に、支配してた筈なのにわたしに逆らってきた死徒の声が聞こえてきた。
自分を素直に出せば、愛してもらえる?
想いは届く?
大切にしてもらえる?
嘘だ、そんなの嘘だ。だって志貴くんは優しくしてくれないじゃない。亡くなった父も、父を殺した母も、誰も誰も・・・みんな寂しい思いをしてたわたしに優しくしてくれなかったじゃない。
「嘘つき!!」
わたしはそう叫んでいた。そして志貴くんに切られて血だらけの腕を壁に叩きつけ喚いていた。
「嘘つき、助けてくれるって、わたしがピンチの時には助けてくれるって言ったのに!!」
志貴くんに向って感情をぶつけていた。そうせずにはいられなかったから。わたしは感極まって、我慢することなく、自分を偽らずに泣き叫んでいた。何度も何度も志貴くんの傍の壁を叩き続けた。
「どうして?わたしがこんなになっちゃったからダメなの?けど、そんなのしょうがないよ・・・!わたしだって好きでこんな身体になったんじゃないから・・・!」
好きで弓塚の呪われた家系に生まれたんじゃないから。
「こんなに痛いのに、こんなに苦しいのに、どうして志貴くんはわたしを助けてくれないの!?助けてくれるって約束したのに、どうして・・・!!」
お願いだからわたしに優しくしてよ。ずっと寂しかったの、心細かったの。みんなわたしを特別な目で見てた。違うよ。わたしは普通の女の子よ。普通でいたかったのよ。だから・・・だから・・・志貴くんだったら、こんなわたしを助けてくれるって信じていたのに。志貴くんが好きだった。志貴くんの事を知れば知るだけ。とても強くてそして優しい志貴くんだったら、わたしに優しくしてくれるって。ずっとずっとそう想い続けてたのに。
「志貴くん・・・志貴くんがわたしの傍にいてくれるなら、この痛みにだって寂しさだって耐えられるのに。どうしてあなたまでわたしを受け入れてくれないの、優しくしてくれないの!!」
感情を全て吐露しきったら、気持ちが落ち着いた。ふと志貴くんを見る。その目はわたしをじっと見つめていてくれた。急に今まで自分がしてきた事に気づいて慄然とする。わたしは一体なんて酷い事をしてしまったのだろう。
「志貴くん・・・わたし・・・こんな、つもり、じゃ・・・」
声が震える。すると志貴くんは、いいんだと微笑みかけてくれた。とても優しい笑みだった。その笑みをわたしにむけてくれたんだ。こんな酷い事をしたわたしに。
「俺の血でよければ吸っていいよ。約束だもんな・・・君といっしょにいってやる」
優しくわたしを迎え入れてくれた。
「ほんとうにいいの」
志貴くんは頷いてくれる。
嬉しい
嬉しいよぉ
志貴くんがわたしの物になってくれる
ずっと傍にいてくれる
志貴くん・・・
でも・・・それをしたら、もう、本当にわたしはダメになってしまいそうで・・・
「痛いんだろ。なら、いいよ。俺は君を助けられない。だから弓塚さんの言う方法で助けるしかないじゃないか」
志貴くん・・・もうあなたはわたしを助けてくれたよ
わたしに優しくしてくれたよ
すごく嬉しいんだよ
わたしは遠野くんに抱きついた。そしてその首筋に口をあてる。彼はなんの抵抗もしない。わたしのやる事をすべて受け入れてくれてる。
もうこれ以上何もいらないよ
身体は痛いけど、でも心はもう痛くない
幸せな気持ちでいっぱい。
こんなに幸せなのは生まれて初めて
だからこのままでいい
遠野くんの体温を優しさを感じていられればそれでもういい
「遠野くん・・・」
彼がわたしから離れた。胸には七夜の短刀が突き刺さっていた。身体がふわっとした感じになる。とても楽になった。
「ごめん。俺は、弓塚を助けられない・・・」
遠野くんは泣いていた。わたしのために泣いてくれていた。
「嬉しかったよ。ほんの少しの間だったけど、遠野くんはわたしを選んでくれたもの。うん、これならこのまま死んじゃっても悪くないかな」
あれだけあった痛みもないし、怖い気持ちも寂しい気持ちもまったくない。
遠野くんに優しくしてもらえた
だから嬉しかった
とても幸せだった
「遠野くん、暖かいよ。これが遠野くんの体温だよね」
遠野くんは、自分を攻めて泣きつづけている。
「本当に優しいんだから遠野くんは。わたしは本当に酷い事をいっぱいしたのに、それでも、わたしのために泣いてくれるんだね。うん、そんなトコが大好きだったよ。初めて会った時から、ずっと遠野くんだけを見続けていた。だからわたしは全部知ってたんだよ、遠野くんの事を全部ね。そして全て大好きだった。あーあ最初からこうしておけばよかったんだよね。勇気を出して、自分を素直にみせて遠野くんに甘えればよかったんだ。だからこのまま死んじゃうのは本当に嫌だよ」
遠野くんの額に自分の額をこつんと当てた。もうそれくらいしか遠野くんに甘える方法がなかったから。身体はもう半分以上が消えてしまっていた。でも幸せだったから全然怖くは無かった。
「でも、これが一番いい方法だったんだよね。だから泣かないで遠野くん。あなたは正しい事をしたんだから」
わたしを助けてくれたもん。これで三回目。もう充分だよ
だからせめて最後くらいは遠野くんにちゃんとさよならを言おう
ずっと憧れていた・・・仲のいいクラスメイトみたいにね
「それじゃあ、わたしは家がこっちだから。そろそろお別れだね」
「弓塚・・・」
「うん、ばいばい遠野くん・・・」
ありがとう・・・それと、ごめんね・・・
初めて彼を好きになったのはいつのことだったろう
ずっと心に秘めていて言い出せなくて
今日こそは告白しようと心に決めていた
それなのに、勇気の無いわたしはいつも言い出せなかった
ただぼんやりと彼を遠くから眺めているだけだった
そんな時、クラスの友達からわたしに気があるらしい男の子がいると聞かされた
でもその彼は、わたしの事を高嶺の花だとか言うだけで告白する気はないと言ったらしい
それを聞いてわたしは無性に苛立った
いかにも気があるような態度でウロウロされるのは迷惑なのよね
そういう意気地なしは好きじゃないんだぁ
わたしと同じだもん、弱虫で結局誰にも優しくしてもらえない
そんな惨めなのはわたしだけでたくさんよ
だからその男の子の事が嫌いになった、わたしを嫌いなのと同じくらいに
それから時が流れた、わたしはやっと勇気をもって前に踏み出せた
そしたら想っていた彼にすごく優しくしてもらえた
だから今ふと思う
わたしと同じに意気地なしだった男の子は
その後勇気をもって好きな女の子に告白する事が出来たのだろうか
さつき/了