あたまも うでも
からだも あしも
みんな古道具屋の
店先にころがっていたのを
安く手に入れて
ちょっと手をくわえて
出来上がったのが僕なんです。
この詩は脳性麻痺で手足の不自由な、二十才になる青年の作品です。
目下訓練所で必死の訓練をされていますが、長い闘病生活のなかで、
時に自分の肉体をこんなにまでも蔑視しなければならない気持ちになることも、
無理からぬことと同情されますが、人間を肉体そのものだと考えておられる物質観が
是正されない限り止むを得ないことでありましょう。
然し、こうした生活からは決して感謝が生じません。
生長の家では神の子人間が地上生活するための、肉体は作業服であると申してます。
又神を内に宿す神殿とも云っています。
そうすうれば目玉のひとつ、指一本と云えども感謝すべきが本当ではないでしょうか。物質を越えて肉体に神の愛を観じてひたすら感謝を行ずるとき、
それは又拡大されて真に生命の尊さを礼拝出来るようになるのであります。
更に自らの生命に礼拝できれば、自然に父母への感謝となるのです。
父母への感謝は祖先から神に遡ります。そして祖先が血と汗によって築き上げた
郷土に、國に愛情を抱かずにおれなくなるのです。
そんな意味において、もっと自分を大切にしなくてはいけない。
物質にして物質に非ずです。
そこに神の生命を観ることであります。
自分が本当に自分を愛する事が出来なかったならば、本当に神も隣人も愛することが
出来ません。だから自分の実の相(すがた)を本当に知って、自分と云うものを最も
尊敬することをはじめるのです。
自分の実の相(すがた)が神の子であり、佛の子であることを根本的に知る事が、自分を本当に愛する事であります。
生長の家宮城県元教化部長講師 飯野晃次先生(故人)