したがって、放送に「録音」が使われる事が無い訳ではなかったが、率としては極めて少なかった筈だ、つまり、テーマ音楽やタイトル部分等を除けば、大部分はいわゆる「生」放送だった、と云う事になる。
他に娯楽が少なかった、と云う事も有るだろうが、当時のラジオドラマの絶大な人気の理由は、この辺りにもあったのかもしれない。 音楽と共に、ラジオドラマでは重要な役割を持っていた効果音も、今は実物を録音したものを使っているケースが多いと思うが、その頃は、雨の音、風の音、海の音、馬が駆ける音、扉が開く音、鳥や蛙の鳴き声、その他諸々の音を、様々な道具とワザを駆使して、スタジオで作り出していた、いわゆる擬音である。 擬音と云っても、強弱やテンポ等、様々なニュアンスが手加減一つで自在にコントロール出来る訳だから、録音された本物の音よりも遥かに表現力に富んでいたと思う。 放送局に見学に行くと、そういう擬音の実演を必ずやって見せてくれたものだった。 昔のNHKのラジオドラマの最後には、出演者、演出家、作曲家等と一緒に、必ず「東京放送効果団」などと紹介されていた。 私の場合は、役者さん達が芝居をしている横で、音楽を演奏している、と云う様な、生劇伴はやった経験が無いが、音楽番組等での生放送はかなりやった。 一番古いのは、京都放送局で「OKサロンアンサンブル」と云う楽団に所属していた時で、これは昭和33、4年頃だたと思う。 その頃はまだアマチュアだったので、自分の音が電波に乗る、と思っただけで、かなり緊張したものだった。
現在でも、音楽番組に関しては、歌謡番組からシンフォニーまで、意外と生放送が行われている様だ。 音楽の場合は時間もある程度一定しているから、生放送に適しているのかもしれない。 現在、生放送と云えば、ニュース番組や、いわゆるワイドショーがそうだが、あの場合でも随所にCMの類が挿入されるから、その間に準備したりセットを動かしたり、トイレに行ったり、と云う事が出来るから、かなり助かっていると思うが、昔の生放送は、そういうものが一切無かった訳だから、如何に大変だったかが分かる。 【フィルムに直接焼き付け】
今はどうなっているのか知らないが、映画の音楽、音響は、フィルムに焼き付けられていた。昔の映画のフィルムを見ると、フィルムの端に、ギザギザ模様がついていたが、あれで音を記録、再生していた訳だ。 そのギザギザ模様の部分をサウンド・トラックと言ったのだろう、いまでも、「サントラ版」とか云うが、あれはそのサウンド・トラックから来ている。 映画音楽を録音する時は、そのフィルムに直接焼き付けていたから、やり直しの利かない、大変な作業だった様だ。 入念にリハーサルを重ねた上で、最後に本番と全く同じ感じで行う「本番テスト」と云うのをやって、やっと本番に入ったのだそうだ。 現在のスタジオで云っている「テスト本番」は、一応テープを回して、うまく行ったら本番として採用する、と云う様な意味で、わりと気楽な雰囲気だが、昔の「本テス」は、随分緊張感が有ったのだと思う。 ちなみに、映画がトーキーになる以前、いわゆる無声映画の時代には、映写しながら弁士が熱弁を振るい、ボックスで楽団が演奏していたのだそうだから、映画館の数だけ楽団が存在した、と云う事になる。 それだけ需要が有った訳だから、ミュージシャンにとっては随分良い時代だったと云えるだろう。 この場合は、映画に合わせて作曲された音楽ではなくて、適当に有り物の曲を使っていた様だ。 【冷暖房不備】
冷房や暖房が、わりと一般的に成ってからでも、特に映画会社のダビング・ルーム等では、エアコンの入っていない所が多かった。だだっ広いスタジオで中々エアコンが利きにくかったのと、特に冷房の場合は、ノイズが大きくて、使えなかった、と云う理由もあったのかも知れないが、何故か映画のスタジオでは、大きなストーブが置いてあったり、夏には氷柱が立ててあったり、と云う様な、原始的な冷暖房をやっていた記憶が残っている。 リハーサルの間はクーラーを回して、本番に成ると切る、と云う様なスタジオも有った(目黒の日映新社)。 もっとひどいのだと、エアコンは全く無くて、練習中は窓を開放して風を入れ、本番になると締め切る、なんてのも有った。 NGが続いて出たりすると、大汗をかいてやっていたものだ。 もっとも、冷暖房完備に成った筈のこんにちでも、スタジオのエアコンが満足の行くものかと云うと決してそうではない。 ブースによって、全く利き方が違ったりして、あちらでは大汗かいていても、こちらはぶるぶる震えている、なんて事が結構ある様だ。 【ワンポイント・マイク】
少し前だと、木管や金管楽器でも、セクションでマイク1本と云うのは普通だった。 例えばフルートが3人いると、その真ん中に一本マイクが有るので、普通オケなどだと左から1st、2ndと云う風に並ぶのを、2nd、1st、3rdと云う風に、トップを真ん中に並ぶ事が多かった。もちろん、バランスの為だ。 時代と共にマイクの数は増えてきた様だが、うんと昔になると、数十人のオケをマイク1本で取る、と云う様な事が普通に行われていた。 当然、音の小さい楽器をマイクの近くに配置する訳だが、各楽器を如何に並べるか、と云うのが、ミキサーさんのウデ、と云う感じだったらしい。 【ヘッドフォンは無かった。】
まだスタジオの事など何も知らなかった頃、たしかビートルズの録音風景だかの写真を見た事が有った。全員がヘッドフォンを付けていたので、録音する時はあんなものが必要なのか、と漠然と思った事があったが、私が初めてスタジオの仕事をする様に成った頃には、まだほとんど使われてはいなかった、と云うより、必要が無かったのだ。 当時、電気楽器も、と云っても、ほとんどギターとエレキピアノくらいだが、アンプのスピーカから出る音をマイクで拾っていたし、多重録音はまだ無かったか、また、楽器ごとにブースに入れて分離する、と云う事も無かったので、ヘッドフォンの類は全く必要が無かった。 【如何に前乗りするか】
それでも、徐々にだがマイクの数が増えてきて、音の回り込み等をうるさく気にするように成りはじめて、セクション毎に分離したり、衝立を立てたりする様に成ってきた。そうする事によって、音の分離はよくなったのだろうが、演奏する側としては、えらくやり難く成ってしまった。
普通に合奏している感覚で演奏したのでは、少しづつずれてしまい、アンサンブルに成らない。 そう成らない為に、聞こえてくる音より先に音を出す必要がある、「前乗り」なんて云っていたが、この「前乗り」は、音楽的、と云うか、生理的にも、かなり苦痛を伴うモノだった。 でも、それが出来ないと、一人前のスタジオ・ミュージシャンとは言えない、と云う様な状況が、当時の業界にはあった。 幸いな事に、この前乗り必須の状況は、それほど長くは続かなかった。 このアンサンブル上の理由に加えて、電気楽器の音をマイクを通さずにライン取りする様に成り、スピーカーから音を出さなく成ってきたので、それを聞くためには全員がヘッドフォンをする必要が出てきたからだ。 ちなみに、それまでは、今では考えられない様な話だが、エレキギターでもエレキピアノでも、スピーカーの前にマイクを立てて録音していたのだ。 ヘッドフォンがどうしても必要に成ったもう一つの理由は、多重録音の登場である。 ダビングや差し替えをするには、どうしてもヘッドフォンの類が必要に成る。 信じられない様な話だが、それ以前はスピーカーから音を聞きながら、ダビングしていたのだ。 おまけにそれを数回繰り返す様な事も、少なくなかった。 それから、我々管楽器や弦楽器の奏者は、ヘッドフォンでは大変やりにくい。 自分の音と他の楽器の音とのバランスをとるのも難しいし、自分の音をヘッドフォンを通して聞くと、実際にどのくらいの大きさで吹いているのかが分かりにくいからだ。 特に、フルートの場合は、息の圧力やスピードが微妙なので、ヘッドフォンで耳を塞いでしまうと、自分の音がちゃんとモニター出来なくて、ピッチが狂ったり、音がひっくり返ったりしてしまう事もある。 そんな訳で、普通、我々はヘッドフォンではなくて、イヤフォーンを使う。 【モノラル・ステレオ、マルチ・デジタル】
昭和30年頃ではなかったかと思うが、ラジオで「立体放送」と云うのが始まった。2台のラジオを並べて、NHKだったら、片方を第一放送、もう一方を第二放送に合わせて、同時に聞くと、立体感のある音が聞ける、と云うものだった。 民放の場合は、二局で提携してやっていた様だ。NHKには、週に1、2度、この立体放送の番組があった。 当時、ラジオを2台も持っている家庭は、少なかったので、実際にこの立体放送を楽しめた人は、そんなに多くはなかったのではないかと思うが、これがいわゆるステレオのハシリだったと云えるだろう。 私がスタジオを始めた頃は、レコードもまだモノラルだったと思うが、一番先にステレオに成ったのは、やはりレコードだった。 その後で、8トラックのカーステレオが普及した様だ。 FM放送が始まって、ステレオの放送も簡単に聞ける様になったが、テレビの方は、現在でもコマーシャル以外は、まだモノラルの放送が多い様だ。 初期のステレオは、立体感、ステレオ感と云うよりは、やたらと左右を分離した様なのが多かった。 マルチ録音を初めて経験したのは、当時のポリドールのスタジオだった。 1980年くらいだったろうか、年代は定かではないが、パート毎に別々に録音したり、あるパートだけを後から修正したり出来る様になったのは、大きな驚きだった。 マルチになって良かったのは、本番のテイクが少なくなった事だ。 それまでは、演奏自体はうまく行っても、バランス上の問題で、何度もやらされる事が多かったし、ディレクターやミキサーが自分たちの耳にイマイチ自信を持てないのか、OKテイクが一本では安心出来なくて、同じ様なものを2本残そうとする風潮が強かった。 プレーヤー側としては、どんなに演奏がうまく行っても、さらにもう一度やらされる、と云うのは、非常に無駄な作業をやらされている様な感じが強かった。 マルチ録音により、仕事は随分効率的に成った。 ミスは修正出来るので、傷の少ない綺麗な音は取れる様には成ったのだが、その反面、全体の流れや、一発勝負の緊張感、と云う事で云えば、かなり後退した面も、なきにしもあらず、ではないだろうか。 また、場合によっては、差し替えの作業に異常に時間を取られて、かえって効率が悪くなってしまったケースも、まま有る。 最近になって登場したデジタル録音は、やはり画期的なものと云える。 マルチ録音ではあるパートを差し替える事が出来るが、デジタルの場合は、音色、ピッチのみならず、時間的な操作も自由自在に出来る。 ある音符が少し遅れていればそれを少し前にずらせるとか、ピッチが高すぎるのを修正したり、とか・・・。 あるいは、曲の中で何度も出てくるフレーズは一度取ればそれを別の場所に張りつける事も出来る。 ワープロ等のカットアンドペーストと同じだ。非常に難しいフレーズが何度も出てくる時等は、結構助かる。 ただ、これもマルチの差し替えと同じで、そう言う機械的操作で、無傷の音楽を作っても、それが音楽的にどうか、と云うのは、全く別の問題に成ってくる。また、全く劣化せずに複製が無限大につくれるデジタル操作は、著作権、隣接権等、もろもろの問題をも含んでいる。 スタジオの副調室には「卓」と呼ばれる調整盤(と云うのか?)が有る。 最近の卓は、マルチ・チャンネルだから、無数の小さいスイッチ類やフェーダーが並んでいるが、昔の卓は、ボリュームやエコーの具合を調整する、結構大きめのツマミと、 これも大きなVUメーター(今みたいに液晶の表示ではなくて、本物[?]の針が振れるヤツ)が有るくらいで極めてシンプルなものだった。 くるくる回すツマミに代わって、上下(前後?)に動かして調整する、いわゆるフェーダーが登場したのは、そんなに古い事ではない。 スタジオ業界で、ドンカマを知らない人はあまり居ないと思われるが、これは、マルチ・トラックの一つのトラックに、一定のテンポを刻むクリック音を流し、演奏者全員がこれを聞きながら演奏すると云う仕掛けである。録音の現場で、この「ドンカマ」と呼ばれるクリックを使うように成ったのは、当然の事ながら、マルチ録音に成り、全員がヘッドフォンを使うように成ってからだ。 機械的に全く一定のテンポでの演奏を強いられるこのクリックは、音楽の種類にもよるが、一種の違和感、不快感を伴うのは否めない、でも、便利な点が多いのも事実だ。 クリック登場以前のダビングは、リズムを刻む楽器が入っていれば問題無いのだが、そうでないと、全くのヤマカンだけが頼りの、かなり絶望的な状況であった。 もう一つは、ブースで完全に分離されていても、アンサンブルに支障が無い、と云う点だ。 あと、時間合わせがシビアなスタジオ録音の場合は、一度テンポを決めてしまえば、何度やっても時間はぴったり合う、と云うのも、仕事としては、随分効率が良くなったと云えるだろう。 それまでは、いくら演奏自体がうまく行っても、トータルの時間がほんの少し長い、短いと云うだけでNG、と云うケースは随分有った。 クリックのネガティブな面は、まさにその利点と裏腹の関係に成る。 それまでは、全くのイン・テンポで演奏していると思った音楽でも、実際は結構テンポが揺れていたのだ、という事が、クリックを使ってみて分かった。 だから、馴れるまでは、クリック入りの演奏は、やはり不快感と云うか居心地の悪さ、と云うか、どうしても抵抗を伴うものだが、馴れてしまえば、どうってことはない。 でも、音楽のテンポを機械に依存する、と云う事は、オーバー云えば悪魔に魂を売り渡してしまった様な感じがしないでもないが、元々が時間に縛られた商業音楽なんだから、なんだかんだ云ってもしょうがないのかも知れない。 ただ、仕事の効率が上がったと云って、喜んでいて良いのかどうかは、大いに疑問の余地がある。 つまり、基本的には時間単位でギャラが支払われる世界だから、今まで5時間掛けないと出来なかった仕事が3時間で終わってしまえば、プレーヤーサイドから見れば、減収以外の何物でもない。効率が良くなったのは、雇用者側の話でしかないのだ。 私が初めてドンカマに出会ったのは、1970年代だっただろうか、竜崎孝路さんの仕事だったのは覚えている。 今のドンカマは、シークェンサーの機能の一部を使っている、と云う感じだが、初期のそれは、専用機(?)だった。 20*20*10くらいの、木の箱だった様に記憶している。 そんな訳で、クリックがスタジオに登場したの、はかなり最近に成ってからの事だが、それ以前にも、それに似た様な事が全く無かった訳ではない。 アメリカのアニメ(当時はマンガ映画)などで、時間合わせの為に、フィルムに目印を付けているのが有ったと聞いた事がある。 それが、ドンカマみたいな音響だったか、文字通りの目印だったかは、定かではない。 それに類したモノにお目にやわ掛かったのは、その後シンセサイザーで有名になられた富田勲さんのアニメで、その場合は、フィルムに一定間隔でパンチが開けてあった。 たしか120/分と100/分だったかの、二種類のテンポしか無かったと思うが、そのパンチに合わせて演奏すれば、完璧に絵の動きと一致した音楽が取れる訳だ。プレーヤーが直接そのパンチを見るのではなくて、指揮者がそれを見ながら棒を振っていたと思う。 「リボンの騎士」や「ジャングル大帝」等の音楽は、この方式でやっていた。 ドンカマの弱点はテンポが変えられない事だ。 フェルマータやリタルダンドが有ると、一旦止めて再スタートさせる、とか、途中でテンポが変わる時はドンカマを二つ用意して切り替える、と云う様な事もやっている。 一度このドンカマを使う様になると、これが入っていないと安心出来なくなってしまう、と云うケースも有る様だ。 たったの2小節、4小節くらいで、別段時間がシビアでもなんでもないケースでも、ドンカマを入れないと気が済まない、など、ドンカマ依存症とでも云うべきか。 最近は、コンピュータを使う様に成ったので、途中でテンポが変わったり、フェルマータが有ったりするクリックをあらかじめ打ち込んでおく、と云う様なワザも使える様に成ってきた。 下手糞な指揮者が振る、訳の分からない棒よりは分かりやすい、と云う事はあるのだが、いくら上手にテンポが動こうが、所詮無機質な音楽である事には変わりがない。 【高い天井の大型スタジオ】
最近の録音スタジオは、真ん中にストリングセクションが演奏する大きなスペースがあって、それを囲む様に、大小いくつかのブースが有る、と云うスタイルが多いが、昔はちょっとしたスタジオには、必ず大きな、天井の高いスタジオが有った。この広いスペースで、大編成の録音をしていたのだが、音の分離を重視する様に成ってきてからは、こう云う感じの大スタジオは姿を消していった。 現在かろうじて残っているのは、NHKの509スタ、早稲田にあるアバコの301スタくらいだろうか。 【デッドな音響】
スタジオの音響は、時代によって色々だ。一時期、極端にデッドに、つまり残響が少なく成った事があった。純粋に楽器から出てくる音だけを取って、後は電気的に処理しよう、と云うポリシーだったのだろうが、ミュージシャンにとっては、これは決してやりやすくない。楽器と云うのは、ある程度の残響を伴って、初めて楽器らしい音に聞こえるのであって、残響が少なかったり無かったりすると、突然自分が下手に成ってしまった様に感じて、えらく演奏しにくく成る。 理屈では分かっていても、無意識的に余計な力が入ったり、演奏法が不自然に成ったりもして、ロクな事はない。 幸い、現在はそれほどデッドなスタジオは無くなったが、それでも、たまに響きの良いホールで演奏する機会があると、突然上手に成った様な気がして、大変気分よく演奏出来る。 電気楽器は別だが、管打楽器、弦楽器を問わず、これはアコースティックな楽器、全てに共通して云える事だと思う。 多少の音の回り込みに目をつぶっても、プレーヤーが気分良く演奏出来た方が、結果は遥かに良いのではないだろうか。 【必ず映写室とスクリーンが有った】
スタジオ仕事の大きい部分を、映画のダビングが占めていた。普通の劇場映画はもちろんだが、教育映画、企業の宣伝映画、等々。CMの仕事でも、必ずフィルムをスタジオに持ち込んで映写しながらやっていたし、劇伴にしてもしかりだ。 だから、ちょっとした録音スタジオには必ず映写の設備が有った。一方の壁にはスクリーンが掛かっていて、反対側の上の方には映写室が有った。 【映写技士の腕】
ミュージシャンの方はNGが出ても直ぐにやり直せるが、映写の方はフィルムが断片的になっていたりする訳で、一度映写した後、巻き戻して同じ場所を出す、等の作業は結構大変だったらしい。
映画の仕事は、「映写待ち」の事が多く、映写の係が馴れていなくて要領を得ないと、仕事の効率がえらく悪く成って、下に居る指揮者とミュージシャン達はイライラしながら待っていたものだった。【絵合わせの名人】
絵合わせ、と云っても、この場合の「絵」とは、映画などの映像の事である。
初めて吉沢さんにお目に掛かったのは、まだオケに居た頃だったと思うが、「これが日本一の時間合わせの名人だ」と先輩が教えてくれた。音楽家、と云う感じとは程遠い風貌の持ち主の人物だったので、へぇ、そんなものか、と云う感じで聞き流していた。 スタジオで扱う音楽は、時間に制約の有るものが多い。 トータルの時間もだが、芝居やアニメ、或はCMの音楽の場合は、途中の変わり目が結構重要な事が多く、演奏もさることながら、その時間合わせに手間取る事が多かった。 最近ではクリックを使って、ぴったり合う様に作曲してくるケースが多いが、その頃は、作曲家がそれほど時間をきっちり計算して書いてくる事が少なかった。 そこで、録音の現場で、指揮者が微妙にテンポを調整したり、場合によっては譜面を変更したりして、曲と映像を合わせなければいけない、と云う事に成る。 作曲家自身が棒を振るケースも有ったが、どちらかと云えば時間時間合わせの苦手な作曲家が多かったので、「代棒」とも云われた、スタジオ指揮者が活躍する事に成る。
劇伴にしてもCMにしても、最近の傾向としては、BGM的になんとなく流す様な使い方が多いが、昔は、場面ごと、あるいは、モノが落ちる、人が切られる、と云う様な、画面の動きにぴったり合わせる様なパターンの音楽が多かった。 吉沢さんは、そう言う形の画面合わせが得意だった様で、パンチもナニも入っていない画面を見ながらのタイミングのつかみ方は、動物的な勘と云っても良い様に思えた。やはり長年映画音楽の録音に携わってこられた結果身に付いたワザだったろうか。 【パンチ、デルマ】
その目印の一つが、パンチと云われていた、フィルムに開けた穴である。例えば音楽のスタート、あるいは変わり目の24コマ前にそのパンチが入っていると、ちょうど1秒前、と云う事になるから、比較的簡単に合わせる事が出来る。 パンチが2個、3個と入っていれば、もっ分かりやすい。 あるいは、変わり目の少し前に、色鉛筆かなにかで、「デルマ」と呼ばれる、適当な線が描かれている事もあって、これが出てくるとぼつぼつ変わり目だ、と云う事が分かるのだ。 どうして「デルマ」と云うのかは分からない。 「出る間」なのかも知れないが、業界には語源不詳の言葉が結構ある。 【CMのリーダーの間にカウントを出すワザ】
TVのコマーシャルの仕事は、最近はほとんどが安上がりな打ち込みの音楽に成ってしまっているが、以前はどのCMにも人手で演奏した音楽が使われていたので、かなりの分量の仕事があった。今日ではスタジオにビデオを持ち込んでやっているが、以前はこれもフィルムを映写しながらやっていた。 CMのサイズは、60秒、30秒が多いが、中には5秒、なんてのあった。最近はあまり短いサイズは無い様だ。 それで、フィルムには、本編の前にリーダーと云うのが付いていて、会社の名前等の後に、スタートのきっかけ用として、3、2、1と云う風に数字が出てくる事が多かった。 多分、24コマごとに入っていたと思うので、音楽で云えば4分音符60のテンポになる。 ところが、後に続く音楽のテンポは千差万別であるから、この60で出てくるリーダーのきっかけをみながらスタートするのが、かなり難しいものだった。 これを見事に解決してくれたのが、もとファゴット奏者で、後にはスタジオの指揮者として活躍された山本直親さんだった。 初めて彼、CMのリーダーの途中から、「1 2 123 」とカウントを出した時は、びっくりしたものだった。 まあ、種を明かせば、中身の音楽のテンポを正確に計算すれば、スタートのなんコマ前からカウントすれば良いか、と云う事が分かるのだが、それまでは、そんな事をやる人も考えつく人も居なかった。いわばコロンブスの卵みたいなものだろう。 ストップ・ウォッチを見ながら、正確に時間通りの棒を振る様にしたのも、彼が最初だったと思う。 少し後で、例の「ドンカマ」が登場して、その必要も無くなってしまったが・・・。 最近はちょっと特殊な楽器の音色は、ほとんど全てシンセサイザーでやってしまう事が多く成ってしまった。 全然特殊でない楽器(オーボエ、ファゴット、チューバ、その他ほとんどすべて)も、シンセで代行してしまったりもするから、恐ろしい世の中に成ってしまったものだ。 そんな事から、あまり妙な楽器がスタジオに持ち込まれる事は無くなってしまったが、シンセサイザーの登場以前は様々な楽器がスタジオで活躍していたものだった。 とりあえず、ここではその中から電気楽器に限って、思いつくままに並べてみた。 例によって、データは決して正確ではないので、そのつもりで読んで頂きたい。 電気楽器としては草分けの部類になるのだろう。 ヤマハの楽器で大小様々の楽器が在った。 最初の頃は、スタジオでも使われていたが、他の色々な電気楽器が出てくるにつれて、だんだんと使われなく成ってしまった。 音色にイマイチ特徴が無かった様に思う。 1934年に、アメリカのローレンス・ハモンドと云う人が開発した楽器だそうだ。 歴史はエレクトーンよりずっと古い。 電気楽器だが発音の原理は意外とアナログ的と云うか、アコースティックだと云う話だったが、特徴のある音色で、一時期随分ともてはやされていた。 戦後間もなくこの楽器を使って居られたのは、古関祐而さんだ(冒頭のコラムを参照)。 ジャズで有名なのは、ジミー・スミスだろうか。楽器の図体が大きいのが災いしたのか、最近ではシンセサーザーで代用する事が多く成ってしまったが、生(?)のハモンドオルガンには、捨て難い味がある。 この楽器がどう云う目的の為に作られたのかは、定かではない。日本では小島さん、と云うオルガン奏者の、ほとんど専売特許、と云う感じだった。 そのうらぶれた様な音色は、演歌のバックに珍重され、独特の雰囲気を醸し出していた。 外国製の楽器だそうだが(フランス製?)、製造元ではとっくに生産中止になっているとの事で、大変な希少価値があるのだそうだ。 真空管が使われているらしいから、もし切れたりしたら、補給も大変なのだろうと思われる。いまから思えば電気楽器の走りであり、超アナログな電気楽器と云えるだろう。
これも、エレキチェンバロと同様に、クラビコード式の発音を、電気的に増幅したものだ。 と云っても、クラビコードと云う楽器を知らない人も多いだろう。この楽器は、他の鍵盤楽器とは発音方法がちょっと違う。 張られた弦の真ん中辺りをハンマーで叩くのだが、弦の一方はミュートされていて、反対側のみ発音する。 それで、叩いたハンマーが押さえられている間だけ響いて、離すと音も止まる。ピアノやチェンバロの場合は、いちど音が出れば、あとはハンマー(チェンバロでは爪)は離れてしまうが、この場合は指とハンマーが直結していりるので、鍵盤楽器ながら指でビブラートが掛けられる。 このビブラートが非常に印象的なのだが、いかんせん、音量が極端に小さく、どちらかと云えば、人に聞かせるというよりは、ひとりで静かに楽しむ、と云う楽器だったらしい。 クラビネットの場合は、結構これも騒々しい楽器だったと思う。
他にも色々な音色が出たのかも知れないが、どちらかと云えば、しょぼくれた感じの音色だった。 もちろん、使い方の問題も有ったのかも知れない。 下手糞な弦セクションに会うと、「なんだ、これならソリーナの方がましなんじゃない?」などと、悪口を云う奴もいたりして、どちらかと云えばネガティブなイメージが有った。 これもヤマハの楽器で、エレクトーンの後継機種、と云う訳ではなかったのだと思うが、コンボオルガンの登場と相前後して、エレクトーンはスタジオから姿を消した様な感があった。 エレクトーンよりは特徴がはっきりしていたし、指をスライドさせる事で、自由自在ポルタメントが掛けられる様になっていたのが、当時としては珍しかった。 これもまたヤマハの楽器で、グランドピアノを圧縮した様な形だったと思う。 特徴としては、フェンダーのエレキピアノが音叉みたいなものを叩いて発音しているのと違って、実際に弦が張ってあって、それを電気的に処理していた点だろう。当然ながら、ピアノに非常に近い音がしていた。 一時期はスタジオでもライブでも、よく使われていた様だった。 これもヤマハの製品で、現在もなお使われている。電気楽器の事は詳しくないが、当時としては、初めて登場した本格的普及版シンセサイザーと云ってもいいのだろうか。 世界中でおそらく膨大な数のDXー7が使われているのではないかと思う。 シンセサイザーの事は、分からないのだが、いわゆるアナログ系シンセサイザーと云うのだろうか、如何にもシンセらしい、と云う音をだしていたと思う。ミニ・ムーグと云うのでも、当時目の玉が飛び出る様な値段だったと思う。 私物で持っている人は、かなり限られていたのだろう。 最近はあまり見なくなってしまったが、このプロフェット・ファイブもアナログ・シンセの部類なのだろう。 シンセサイザーの事は何も知らないが、多分オペレータが音色を合成して作り出す様な仕組みに成っているのだと思う、したがって、オペレータの腕による所も大きいのかも知れないが、如何にもシンセサイザーらしい音色で、個人的には好きである。 私がスタジオに出入りする様に成った頃は、まだジャズ系のミュージシャンが圧倒的に多かった。 ちょっと待ち時間が有ったりすると、なんとなく誰かがブルースなどを弾き始めて、さながらジャムセッションの様相を呈する事も、少なくなかった。あの頃のスタジオには、結構第一線のジャズメンが来ていたので、こう云う時の演奏はリラックスしていて、結構面白かったと思う。 ロックの勢力が強くなるに従って、スタジオでも、それまで使われていたウッド・ベース、つまり普通のコントラバスは徐々に姿を消して、エレキベースが使われる様に成ってきた。 ベース奏者は多分大変だったと思う。 それまでのウッドベースのプレーヤー達は、こぞってエレキベースの練習をして、なんとか時代の流れについて行こうとしたのだろう。 中にはギタープレーヤーからエレキベースに転向した人も居た。エレキベースに抵抗を感じて、やめてしまった人も居た様だ。 単に楽器を換える、と云うだけではなくて、音楽のスタイルそのものが違うのだから、そうそう簡単には行かなかったのだろうと思われる。 この場合のチューナーと云うのは、楽器のチューニングに使うメーターの事で、これを使うと、楽器の音を出しながらメーターで音をぴったり合わせる事が出来る。 チューナーを最初に使い始めたのはギターやベースのプレーヤーだろう。 初期のチューナーは、ギターやベースの開放弦の音しか無かった様に思う。 フレットのある、ギターやエレキベースでも、開放弦を合わせさえすれば良い、と云う事ではない。 でも、それ以前の様に、極端にチューニングのおかしいケースは無くなったのは事実だ。 逆に、いつもハイピッチで弾きまくっていた某ギタープレーヤーが普通のチューニングになってしまい、なんだか特徴が無くなって、物足りなくなってしまった様な事もあった。 その後、チューナーも改良されて、半音階の全ての音に対応する様になり、管楽器や弦楽器でも使える様になった。 常時、譜面台の上にチューナーを置いて演奏するプレーヤーも出てきたが、個人的にはあまりチューナーには頼りたくない。 元より、あまり耳も良くないし、イントネーションもあまり良い方でないのは、よく分かっているが、メーターを見ながら、比較的正しいと思われるピッチでやるよりは、多少外れる事があっても、自分のイントネーションでやった方が良いと思うからだ。 チューナーを使うのは、あまり音が合わない時など、どの程度外れているか、を確認する為にちらっと使う時くらいだろうか。 でも、チューナーを譜面代の上に置いていると、たとえ電源が入ってなくても、ピッチでクレームが付く事がほとんど無いから、不思議だ。 私にとって一番チューナーが役に立ったのは、演奏時のチューニングより、むしろ楽器を作る時だった。 ピアノを叩きながらのチューニングだと、ちゃんと合わせたつもりでも、後で吹いてみると、結構狂っている事が多かった、はやい話が耳が悪いのだろう。 こんな事に成ると分かっていれば、たとえアナログ写真でも、沢山撮っておくのだったが、スタジオで写真を撮る、と云う事はほとんど無かったと思う。 そんな事もあって、ここもテキストのみの、やたら長ったらしいページに成ってしまった。 年代も曖昧だったり何も記述が無かったりと、いい加減なので、資料としての価値は皆無だと思っている。 最後まで読破頂いた我慢強い方には、感謝の他無い。 |