「文七元結」(ぶんしちもっとい」   古今亭志ん朝


あらすじ★  本所達磨横町の左官の長兵衛は腕はいいが、博打にこり家は貧乏だ。
娘のお久が吉原の佐野槌に自分の身を売って急場をしのぎたいと駆け込む。
返済期限を過ぎるとお久に客をとらせるという条件で、長兵衛に五十両渡す。

長兵衛が吾妻橋まで来ると若者が身投げをしようとしている。 
長兵衛が訳を聞くと、近江屋の手代の文七で水戸屋敷から集金の帰り、怪しいげ男に突き当たられ五十両を奪われたという。
押し問答の末、長兵衛は五十両をたたきつけるように文七に与えてしまう。

文七が店へ帰ると、奪われたと思った金は水戸屋敷に置き忘れたことがわかる。
翌朝、文七と近江屋が五十両を返しに来る。
いったんやった金は今更受け取れないと長兵衛は言い張るが、しぶしぶ受け取る。
近江屋が持参したお礼の酒の後に、お久がかごから出てくる。 

文七とお久は結ばれ、麹町貝坂に元結屋の店を開いた。 

            

★見聞録★   平成11年1月にTBSテレビの「落語特選」で放送されました。 国立劇場の「落語研究会」で演じられたものです。
かなりの長演で40分位かなと思いましたが、終わってみると1時間18分も経っていました。時間を感じさせない熱演で、まさに「名人芸」でした。

志ん朝は枕のところで、「現代名人論」を語りました。 「名人といわれる人が少なくなってきた」と言っています。
長兵衛の左官の腕は名人級という所につながって行くのですが、志ん朝はまさに落語の名人といえる出来栄えでした。
生粋の江戸弁で歯切れが良く聞きやすく、長演でもムダな所がなく、話しにめりはりがあり、一本調子ではありません。

登場人物の外面、内面まで見事に描いています。
吾妻橋の上で文七から五十両を奪われたので身投げをすると聞いたときから、自分のふところの五十両を与えてしまうまでの二人のやりとりはことに圧巻です。 
長兵衛の心理描写も格別です。

志ん朝はこの後、3年足らずで他界してしまいます。63才の若さでした。
70才位になった志ん朝の芸風はどんなものになっていくのか、どんな名人になっていくのか楽しみにしていましたのに残念でたまりません。

ただ、この噺を演じた時点で志ん朝はまさに「現代の名人」のひとりであり、この作品は名人の作った珠玉の一品と言って間違いないと思います。。   
元結とは、まげの髻(もとどり)を結ぶひも。 和紙から作る。 贈り物などに掛ける水引。江戸っ子は「もとゆい」を「もっとい」と発音した。
左官の長兵衛の長屋のあった、達磨横町
(墨田区吾妻橋1丁目)
隅田公園
文七が五十両を置き忘れた、水戸屋敷があった。(墨田区向島1丁目)
長兵衛が吉原の佐野槌から借りた五十両を持って、達磨横町へ帰る途中にある待乳山聖天。(台東区浅草7丁目)
身投げしようとする文七を長兵衛が助け、五十両を与えた吾妻橋の上から(下は隅田川)。
文七とお久が結ばれて、元結屋を開いたという麹町の貝坂。

千代田区平河町2丁目。
この付近に貝塚があったらしい。

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