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Part 25 ● |
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成 人 式 |
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ある日突然、考えたこと。Part 4。
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悲しいことに、毎年のように新成人の見苦しい行動が、社会問題として報道されるようになった。その対応策として、成人式を取りやめたり、内容を変えたり、別のイベントをしたりするところも増えてきているそうだ。かくいう私はその当時、すでに社会人だったせいか、「学年なんて線引きでひとくくりにして欲しくないね(しかも早生まれだから19歳だったし)」、とひねくれていたので成人式には出席しなかったけれど、やはり自他共に大人になったことを認め、自覚し、そしてけじめをつけるためにも、成人式はあってもいいと私は思う(ファッションショー成人式は別として。それに袖を雑巾にしてそこらに座っている新成人を見ると、豚に真珠と無性に腹が立って来る )。そして、どんなに市長や来賓の祝辞が型にはまってつまらなくて退屈だろうと、その式を終えれば、ある意味立派に「大人」になれたんじゃないかと思える(的外れな極論だけど)。
例えばお葬式で、辛気くさいからと騒ぐ人がいるだろうか。確かに辛気くさいけれど、参列する者にとってお葬式とは、故人を偲び、その事実を認め、真摯に「死」に向き合うためにある。例えば友人や知人の結婚式で、おめでたいことだからと主役を食ってまで羽目を外す人がいるだろうか。そんなところで騒ぐのは何も知らない、理解できない子どもくらいのもので、つまり、本来の意味も考えず、その場のノリとわがままで騒動を起こすような人間は、ただ年を重ねただけの、見かけばかりの大人でしかない。
周囲に配慮し、その場にふさわしい、また求められる対応ができるかどうか。自由と勝手をはき違えていないかどうか−−教本にある言葉を借りて言えば、自己統制ができるかできないか−−そこが、大人と子どもの分かれ目なんだと思われる。
ところで成人といえば、「三十三間堂全国大的大会」。一般にも「弓引き初め」とか「通し矢」として有名だけど、行ってみたいなと毎年ニュースや新聞を見ながら思いを募らせていたりする。もう少し早く弓と出会っていれば良かったと、この日年に一度だけ、思わずにはいられなかったりして。
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