←という本を読んだ。「お江戸でござる」でおなじみだった、故
杉浦日向子さんの本だ。
内容は江戸一色で、弓のことなどこれっぽっちも出てこないが、何というか、私がこのホームページを毎夜せこせこ作っている気持ちに共感するところがあったので、あえて紹介してみよう。「江戸」を「弓」に置き換えて読んでみて下さい。
第一、私は「〜である」「〜だ」という言い方が、あまり好きでははなくて「〜です」「〜ます」も、なんとなくというか、それほど好きではなくて、「〜だといいなぁ」「〜と思います」という、いいくらかげんな言い方をツイツイしてしまうのですが、ほんとうのところ「〜と思います」というのも、少しヤなんです。「〜と思」っていることっていうのは、ほんの一瞬で、つぎの瞬間には、ちがうふうに思っていることがほとんどなんで、正確には「いま現在は〜と思っているのですが」というかんじなんです。
(中略)私は、江戸がただ、なんとなく、好きなだけで、理由は、聞かれるたびに、らしくこじつけますが、それは、その人が望んでいるだろうからという、気配りであって、実際は、自分でも、わけがわかっていません。
ですから、「イェーッ、みんなッ、江戸って最高だぜいッ」なんてこたぁ、往来ででんぐり返りするくらい恥ずかしいポーズで、とてもそんな大それたマネぁできません。
どういうふうなのかというと、ちょんちょんと指で肩をつっついて「にいさん、にいさん、ちょっとイイのがありやすぜ」って、コソコソと耳打ちしたいような、そんなふうなのですが、なかなか、そういうふうにはなれなくて、活字になると「今日も君の江戸は熱いかい」てなことを言っているような、アンポンタンに見られてしまいます。
わたしらの江戸とは何か。同じ地ベタに生活する、チョン髷の子孫にとっての江戸とは、毎日食べるゴハンやオミオツケのように、自然と体に取り入れられて、そしてエイヨーとなる文化でなくてはなりません。
かくいうシダイで、「わたしらの江戸」のオイシイ文化をツマミ喰いしてみたく思います。私自身、浅学モノでウンチクなど吹けば飛びそうですが、日々感じるところの新鮮なオドロキや素朴なギモンを逐一点検するかたちでのぞんでゆきます。