管理人の落書き・・・・
ボールに集中とは・・・
「もっとボールに集中しろ!」と言われて、何故か頭に力を入れてしまう・・・。
馬鹿な話ですが、集中力を問われても具体的に何をすれば良いのか分からず(単にボールを見ていただけ
ではいい結果も付いてこないし)結局「頭に力を入れてしまう」を実行してしまっていた苦い記憶が
あります。(そんな経験をお持ちの方はいないでしょうか。)「ボールに集中すること」これは具体的に
何をすれば良いのか。自分的には『ボールの何処にどの様な力を入力するか、過去にまとめていたものを
明確に思い出すこと』を実践しています。 つまり、『(集中)=(思い出すこと)』 ではないかと。
だとすると、具体的に思い出す内容が必要時に準備できていないと集中が出来ないということになり、
思考を洗練させる日頃の努力が大切ということになります。逆に、思い出すことを明確に決めておく事で
簡単に集中の状態を作り出せるのかもしれません。この様に、メンタル面を問われた時に具体的に何を
すれば良いのか決めておくということは、案外大切なことなのかもしれませんね。
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テニス論争、終止せよ
インパクトでのラケットとボールとの接触方法を考えるとき、まずラケットの中心とボールが当たることを
考えます。ただ、そこから外れたところにボールが当たった場合を考える事が間違いかと言うと、確率的に
外れる時の方が多い訳で、考えた方が良いに決まっています。更にボールやラケットにはスピードがあり、
各スピードには方向あり、ボールやラケットには弾性があるので変形し・・と、場合分けすれば切りが無い。
同様に、スイング方法やステップワークについても、何処に飛んで来たボールを打つのかによって変化し
切りが無い。更に、体の細部の動作を考えるときは、腕・足・体の骨格や筋肉の構造・動作について考え、
更に神経の伝達や脳、心の事・・・・・etc。要は、細部に渡って考えれば切りが無く、更にそれぞれは奥が深く、
更にそれら細部の個々を場合分けすると、「単にボールを打つだけ」にも関わらず、無限に近い事を考える
ことになるのです。1つのテニス論とは、その様な無限に近い事象中のたった1つ・又はたった1つの
事象中の更に部分的な事を表しているに過ぎません。「無限の中のたった1つ」・・つまり、限りなく0に
近いことを表している。となると、世のテニス論争は何なのかということになります。限りなく0に近い
場合の正/誤を延々と話し、その中に各人の立場等も絡むので終わりません。
無限に近い真理があり、全てに到達する為の道のりは遠い。小さなテニス論争で正/誤を明らかにするより、
まず様々な意見が存在する事を大切にしたいと感じます。「テニス論争、終止せよ!!」
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もっとよく考えようよ・・未開の地なのだから・・
綺麗なフェデラーのフォアがテニス誌に掲載される時、ほぼ必ず取り上げられるのが、彼のインパクトで
ラケットの裏から横目でボールを覗き込むような「顔を残す」動作。その効果なのか、最近(2006/8/6現在)
フォアハンドのインパクトで「顔を残す」動作を実践している人をよく見かけます。但し、『フェデラーは
フォアで顔を残そうと考えた結果、顔を残しているのか?』これについては、もっとよく考えられるべきです。
つまり、体全体の動作から考えられる頭や顔の動作がまずあって、その動作に沿った形で「顔を残す」を行わ
ないと、体全体の動作と頭の動作がシンクロせず、フォアが崩れてしまう結果となるからです。
体全体の動作と頭の動作のシンクロ・・・これが実は片手のフォアハンドにおいて最も困難、且つ重要であること
は意外に知られていませんが、ビデオ等で人のストロークをよく眺めていると、シンクロせずにストロークが
崩れる人はすぐ分かるようになります。
○ボールを意識しすぎて顔が前に突っ込みすぎてしまったり、
○顔とラケットの位置が異常に離れてしまったり、
○体の回転動作と頭の回転動作が逆方向になって、パワーロスの原因になったり、
・・等々、これらは「顔を残す」を意識すればある程度回避できるものの、根本的な解決策ではありません。
また、フェデラーの「顔を残す」は本気でフェデラーのフォアを目指さないと多分理解できない。頭の動作
については、「フェデラーにはフェデラーの体全体の動作に則った頭の動作」「アガシにはアガシの体全体
の動作に則った頭の動作」と異なるからです。プロや有名コーチ陣のストロークを観ても、体の動作と頭の
動作のシンクロを意識的に出来る人は、世界中の何億人かのテニス人の中で数名ではないのか?・・と思わさ
れるくらい少数派です。逆に言うなら、今後世界的に検討されるべき未開の地の一つなのかもしれません。
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自分を客観視する方法がもっとないのか・・・
理論−実践のインターフェースとして、客観的に実践の結果を検証できるもの、簡単に分かり易く自分を観察
できるものが欲しい気がします。よく使われるのがビデオカメラですが、1ランク上げたようなものはないものかと。
そこでちょっと気付いたのがサーモグラフィの利用はどうなのだろうということです。体に伝わる衝撃が熱として
サーモグラフィに表示できるのであれば、「衝撃の程度」「体内への衝撃の伝わり方」といったことが客観視でき
るようになり、効率的に打てているのか、局部に疲労が蓄積していないか・・・等々、様々なことが分かるのではない
かと思われます。「(スイングフォームの確認)+(衝撃の確認)ということを客観視する」・・・これができれば、
客観視という意味においてもプロから素人まで様々な人達に役立つ情報を与えてくれるのかもしれません。
但し、テニスをしている人を実際にサーモグラフィで観察した記録や他のスポーツでも同様な事をしている情報が
無いので、できるかどうかはやってみないと分かりません・・・どこかのスポーツ誌でやってくれないかな。。
因みに2006/2/12現在、サーモグラフィカメラはビデオ撮影可能、人の体温変化も撮影可能、レンタル可能とのこと。
(因みにレンタル料金は1日5万円程度(20日間なら30万円程度))
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匠達の悲しみ・・・
テニスは考え1つで変わる。少し考えを変えるだけで、出来なかった事が出来たりする。
考えとしての「気付き」を得た人/得てない人の差は大きく、プロでもしばしば決定的な差を感じることがある。
では、気付きを積み重ね続けるとどうなるのでしょう。まず始めに、気付きが多い人・少ない人のボールスピード
の差が徐々に詰まり、次に気付きが少ない人のボールスピードの方が速くなります。(ボールスピードの逆転)
つまり『「ミスの無い強打」という大矛盾が目標として、それを高水準で満たした方法に気付いたとすると、
その次の気付きが、「ミスの無さと強打をサジ加減する方法」』となるのです。「匠」といわれる高レベルでは、
この見た目の逆転劇によって、評価が下がってしまう人が意外に多いのではないでしょうか。。
「相手よりも努力し、より多くのことを考えて体得したにも拘らず、相手の方が良く見られてしまう。」
この辺りに匠達のやるせない気持ちを感じずにはいられません。勝負は勝負。勝者は誉め称えられ・敗者は消え去る
・・・ただやはり、例え敗者でもどれだけその道の高みに到達しているのかという部分はなんとか見る側も汲み取って
いかないといけないのではないかと思います。その選手の為、そして誰もがテニスを高レベルで楽しめるようになる
為にも。(匠達の悲しみを感じたとき「勝敗だけで技術の差を言う人」「新旧交代を声高に言う人」は許せない。。)
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「個性」から「型」へ・・・
サーブ、ストローク、ボレー等々、人によってかなり千差万別な現在。そもそも個々のスイング方法は、世界的にも
「こんな感じ的」アバウトな定義があるだけなので、スイング千差万別状態となるのは頷けるような気がします。
ただ、「元々のアバウトな定義によって、体内の異なる力の流れを利用した様々なスイングが産出されている。」と
考えれば、個々の良い部分を一般論に救い上げる間も無く消え去っていく現状は問題なのかもしれません。
ここで拳法の「型」に着目すると、完璧ではないまでも細かな運動の連鎖を1情報に纏めるのに有効な手段と思われ、
テニスでの様々なスイングという「個性」を「型」という情報にしていけば、個々のスイングの良い部分が後世に残
るのではと思うのですが・・・・如何に。
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『納得』という巨大な壁・・・
「○○選手の様にフォアを打ちたい。」・・などと、特定のプロ選手のスイングを目指す人達が「必ず」突き当たるのが、
『納得』という名の大きな壁。そのスイングを目指す熱意が強ければ強い程、『納得』という壁は巨大化していきます。
『納得』・・などと言うと、普通にテニスをする人達からすれば「なーんだ。ただの自己満足じゃん。」となり、
なかなか共感が得られるものではないですが、とてつもなく高いレベルのスイングに魅せられ、それを目指し始めて
しまった人達から言わせると、「普通に打てる程度では、自己満足すら全く得られず、ただ延々と深い失望の日々が
続くのですよ。。」となるのです。『納得』を目指すことは、意外とハイレベルを目指すことでもあるのです。
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テニス理論なんて・・・といいますが
筋力や持久力を上げることは楽しい反面、辛く苦しいことですが、テニス理論を追及していく辛さ・苦しさのなんと
深く大きいことか。。
これは、筋力や持久力を上げていくのが案外単純で時間のかからない作業であるのに対して、テニス理論の追及が
予想外に複雑で年単位(「1スイングの本当の確立は十年単位。」なととも言う。)で時間がかかる作業となって
しまうからなのでしょう。「達人の技は宇宙の理をあわらす。」・・などと言いますが、本当の真理に到達するのは、
並の努力ではできないのでしょうね。。(しかも「体内の力の流れ」というのが何通りも存在するので、真理は
1つではないことも厄介です。)
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確率のスポーツであるテニス。
ボールを打つこと、ネット、コート・・等々の制約を考えつつ、「より高い確率を目指す」「不安要素の消去」が大切
な訳ですが、決してを忘れてはいけないのが、「普通では考えられない部分に高い確率が存在する」ということか。
つまり、やり方次第でハードヒットでも高確率でピンポイントを打ち抜く方法というのは存在するんですよね。
最初から我慢のテニスは目指すべきではないと思うのですが・・如何に。
2007/1/14 NISE AA@「アガシへの道」管理人
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