コラム

『荒川流域支部の面々について』は移動しました。


かためのコラム

『観察力』(相手を思いやる) (2009年10月)

高齢化写真(雑誌) (2009年7月)

フィルムのなかを泳ぐ魚 (2009年2月)

あのころが未来 (2008年8月)

サハラ・1978年 (2008年7月)

函館・写真と図書館 (2008年4月)

ノヴェンバー・ステップス 書肆アクセス 1 (2007年12月)

ノヴェンバー・ステップス 書肆アクセス 2 (2007年12月)

「関係項」から見えてくるもの (2007年8月)

「写真の力」を信じる (2007年7月)

通り過ぎてしまう前に (2007年4月)

「日常」の「営み」 (2007年3月)

1枚の絵 (2007年2月)

リアルデスカ?  『ノーライフキング』の時代 (2007年1月)

(ハル)の時代 (2006年11月)

川村公志は旅をする (2006年9月)

世紀末の詩(うた)・2 (2006年7月)

写真家の「青」(ブルー) (2006年6月)

デジタルのレッスン (2006年6月)

世紀末の詩(うた)・1 (2006年4月)

錆色の写真・1 (2006年2月)

錆色の写真・2 (2006年2月)

私は旅をしない (2006年1月)

冬の人・中平卓馬 (2005年12月)

新たなる『表象の地平』 (2005年10月)

夏の人・中平卓馬 (2005年7月)

『高知遺産』について (2005年6月)

『ともに生きる』を書きあぐねる (2005年3月)

松原団地を歩いた人 (2005年1月)

写真で読む佐藤真 (2004年10月)

『こと』に至る『日々』 (2004年8月)

デジカメが「アナログ」だったころ (2004年7月)

『iichiko』に酔う (2004年4月)

ひとりの時間をもつということ (2004年3月)

疲れと渇き(小野幸吉と土門拳) (2004年2月)

写真というものの不思議 (2004年1月)

神山洋一は走り切ったか (2003年12月)

森山大道を見て西井一夫を想う (2003年11月)

見慣れた街のデジタル (2003年10月)

ホンマタカシについて (2003年10月)

牧子剛という青年 (2003年9月)

それでも人は生きている (2003年7月)

見るに耐えない写真 (2003年6月)

まだ見ぬものを視(み)るために (2003年5月)

『京都少年』 甲斐扶佐義 (2003年5月)

見えないものを視(み)てみたい (2003年4月)

現実(リアル)から目を逸らす (2003年3月)

生きるために働く人の写真 (2003年3月)

(私と)同時代(同世代の)写真 (2003年2月)

写真という方法論 (2003年2月)

なぜ未だ「西井一夫」か (2003年1月)

『≒森山大道』を見る (2003年1月)

まず、自らの『視点』に忠実な写真を (2002年)

過去は常に新しく (2001年)




やわらかめのコラム

奇妙な「ワタシ」の話 (2003年1月)

ドーキがフジュンです! (2003年2月)

カメラバッグを前に抱えろ! (2003年3月)

ハイパー・リアルな会話 (2003年4月)

ユニクロのギャップ(GAP) (2003年5月)

田中長徳をよろしく? (2003年8月)

迷作・『妻のいない時間』 (2003年10月)

Kiss Digitalを持つ男 (2003年11月)

あしたの(ハン)ジョー (2003年12月)

小池さんを味わうのだ! (2004年2月)

文月凉を知ってるかい? (2004年6月)

『おそ松』なジサブロウ? (2005年2月)

『透け透けカメラ』と『UFOカメラ』 (2005年5月)

『古本道場』ならぬ『エロ本道場』 (2005年8月)

『女王の教室』から深津絵里ちゃんへスルー! (2005年9月)

書肆アクセス・裏『東京者』フェア? (2005年11月)

サマータイム「ダ・ビンチ」ブルース (2006年3月)

夏川結衣(なつかわゆい)シンドローム (2006年10月)

写真家ユニット・木村不二雄? (2007年5月)




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